第11-2話 散華と暗玉
ついに天使の羽根を発動させることに成功したアルバトール。
だが、彼の体に起きた変化はそれだけではなかった。
「ふ……あれ? 今度は全身から力……抜け……」
「では、今度は自らの力で天界より神気を降ろす練習です。両手を組み、頭頂部に意識を集中させ、主に祈って力を使用する許可を求めるのです」
「……」
返事が無い。
得意気に説明をしていたエルザがふとアルバトールを見ると、彼は気絶していた。
「あらあら、全く世話が焼けますこと」
そう言いながらエルザはアルバトールに近づき、その口から神気を吹き込んだ。
「ん……」
「気が付かれましたか?」
「!!」
近すぎるエルザの顔。
柔らかい唇の感触に加え、胸の辺りに感じるふわふわもっちり、湯種の極上パン生地のような心地よい重み。
それらに気づいた彼は、一瞬にして数メートルは飛びのき。
それを見たエルザは、呆れた顔をして小言を口にした。
「幼子じゃあるまいし、このくらいの事で動じてどうするのです。精神を静める修行も兼ねていると言ったはずですよ?」
「不意打ちに備えられるほど場慣れしていませんよ!」
「では今ので慣れたはずですわね。今度から神気を放出しすぎた場合には、今のような治療を行いますので油断なきように」
「はい……」
なんとなく釈然としない思いを抱きつつ、それでも彼は素直に首を縦に振った。
「それでは深呼吸を。動悸が治まったらもう一度始めますわよ」
「どうすればいいのでしょう?」
エルザは先ほどの説明を繰り返し、そして簡単な助言を彼に授ける。
「それと最初のうちは、両手を天に掲げると多少は神気が降りやすくなるはずです」
「わかりました」
羽根の時とは違い、今度は意外にすんなりと彼の頭上に天使の輪は輝き始め、光が全身を覆う。
そして背中からは一対の羽根が生え、周囲を圧倒する力場を形成した。
「今の貴方には天界からの神気がどんどん流入し、この物質界の法則である定着、固着が作用しない特異点になっています。神気を受け入れ、制御し、自らの望む結果へ変換する。余剰分は天使の羽根に回して、また天界へ戻してください」
しばらく安定した状態が続いたのを見て、エルザは満足そうに微笑み、アルバトールへ嬉し気に声をかけた。
「これで貴方は、天使と呼ばれる存在の端くれにはなれましたわ」
「天使になれたと言われても、この平衡状態を保つ事すら難しいのですが……」
少しでも気を抜くと丹田のあたりから力が漏れ、彼の体を侵食してくる。
そのたびにアルバトールは冷や汗を流し、羽根を通して神気を天界へ還した。
「神気の制御は難しいでしょうが、やって頂かねば困ります。貴方の力は今回の天魔大戦に必要不可欠なものなのですから」
「え? ……わぎゃっ!?」
「あらあら、少し休憩に致しましょうか」
エルザの発言に耳を疑い、小規模な爆発を起こしたアルバトールを見て、エルザは地面に手をかざし、光る布を作り出して休憩を告げる。
「しかし、つい先日は確かに様子見と仰られていたのに、なぜ急に意見を翻されたのでしょう?」
エルザに続いてその上に腰を下ろしたアルバトールは、当然ながら先ほどの発言についての詳細を求めていた。
「言わなかったことについては謝ります。ですがその理由は、貴方自身が一番判っているはずですわ」
申し訳なさそうに言うエルザを見て、彼は返答に詰まる。
確かに転生して以降は肉体の変化に起因するものか、精神的に揺らぎっぱなし。
これでは信用されなくても仕方がないと言えた。
「僕以外にその事を知っている者は?」
「エンツォ様、ベルナール様、フィリップ様のお三方に加え、エステル様とエレーヌ様も先日の騒ぎで知ったことでしょう」
「野次馬が居ないのが幸いでしたね」
あの夜のアランの仏頂面を思い浮かべ、アルバトールは心の中で感謝する。
「それに、国王様や中央教会の教皇様にも連絡が行っているはずですわ。この修行を終えてフォルセールに戻れば、貴方は王女様による叙階を受けることになりましょう」
「僕一人が除け者だった、ですか」
「必要な処置だったから行っただけの話です。貴方はまだ良いほうなのですよ。こうして煩悶を乗り越え、天使と言う存在に定着できたのですから」
「と仰ると?」
「天使の羽根が生えないままに精神の安定を欠くと、最悪の場合は暴走してそのまま散華してしまう事もありえます」
「散華?」
初めて聞く単語、散華についてアルバトールは詳細な説明を求めた。
「羽根を生やす前に神気を降ろす事に開眼した結果、降ろした神気に体が耐えられずに極微のレベルまで崩壊し、魂も四散してしまうことです」
「……だから先に羽根を身に付けさせたのですか」
「ええ。それに加え、散華は精霊魔術を使用するときにも起こり得ます。魔術の行使には、土の精霊の力を必ず加える。覚えていますね?」
「加えなければ、こちら側と精霊界をつなぐ扉を通る時に霧散する、でしたか」
「では、加えないままに扉を通す事が出来る方法があるとしたら?」
アルバトールは黙って首を振る。
「土の精霊力を全く加えず、火、風、水の精霊力の三種類をある一定量まで引き出し、精霊力を暴走させた勢いのままに扉を通してこちらの世界に具現化させ、世界を満たす聖霊と結合させる」
「精霊力を……ある一定量? 随分と曖昧な表現ですが」
「具体的には申し上げられません。なにせ実際に起こった事例が数少ないので、私ですらその場面に立ち会ったことがないのです」
「しかし、そんな危険を犯してまで行使する術には一体どんな効果が?」
「完全なる蘇生」
「天使の角笛のような?」
蘇生と聞いて、彼が真っ先に思いついたのは天使の角笛による御業。
だが、エルザは彼の問いを即座に否定した。
「天使の角笛と言えども、死んでから五分以内でなければ発動しません。それにあれはどちらかと言えば蘇生と言うより転生ですわ」
「そう言われてみれば……」
「完全なる蘇生の術であれば、一瞬にして失われた魂と肉体を癒す事が出来ると言われております」
それを聞いたアルバトールは、エルザですらゼロから肉体を作り出す創造は苦労していたことを思い出す。
「まさに主の起こす奇跡――ですが、暴走させるという表現からも分かるとおり、制御の途中で肉体が散華してしまうことが殆どですし、発動しても術者は消滅します」
「主に拠らず新しい存在を作り出す奇跡を、一瞬にして起こす術ですか」
「人の領域どころか、神や悪魔の領域すら超えてしまった代償ですわね。散華は」
「なるほど。一つよろしいですか? 散華と相反する現象などはあるのでしょうか」
修行とあまり関係ない話題ではあったが、エルザは快く答えてくれた。
「言葉としてはあります。暗玉と言って完全なる停滞を意味しますが、おそらく成功したものはおりません」
「なぜですか?」
「作り出す過程で矛盾が生じるからですよ。停滞を作り出す過程で四大元素の持つ力はどんどん弱まります」
「……確かに」
「結果、完全なる停滞に行き着く前に衰弱、迷走、固執、散逸と言った状態に陥り、進む事も戻る事も出来ず、不完全な停滞と言う存在に成り果ててしまうのです」
「術の効果は?」
「成功した者がいないのですから、効果が判るわけがありませんわ。まぁ不完全な停滞の手前ギリギリで発動できる術は知っていますが」
「それは一体」
この時、アルバトールは質問に対する回答をある程度は予想していた。
だが未知の知識を自らの思い込みで判断する危なさは、先ほどの薪作りで身にしみていたのだ。
「生命の停止、即死です。しかし精霊の力を少し加えるだけで発動する前に無効にできるので、天使、魔族、上級術士には通用しません」
「まぁ、通用したら今頃は天使も魔族も滅亡寸前でしょうしね……」
「ええ。それに先ほど言った不完全な停滞に陥る可能性もありますし、望んで使うものは居ないでしょうね」
「判りました。そろそろ修行を再開……する前に、あの、その、王女様の叙階とは?」
彼が住まう聖テイレシア王国の王女アデライード。
アルバトールにとって幼馴染でもある彼女の来訪は、正直嬉しかった。
「貴方を新しい天使として認定する叙階ですわ。教会ではなく、王権に属する王女様が叙階を行うのは、教会が力を持ちすぎることを警戒した昔の教皇様の発案ですわ」
「しかし教会が行った方が、より一層権勢を増すことができるのでは」
「権力の集中は好ましくありません。そこを狙われればひとたまりもありませんから。要は暗殺を恐れた教皇様が発案、と言った方が正しいかもしれませんわね」
「何はともあれ、王女様と会うのも久しぶりですし城に戻るのが楽しみです。それでは修行を再開しましょうか」
張り切るアルバトールを見たエルザは、西の方角を向いてゆっくりと首を振った。
「まぁ、今日はこのくらいにしておきましょう。日も傾いてきましたし、貴方に何度も蘇生術を使ったので、聖霊の力に少し歪みが出てきていますから」
意気込んだところに水を差され、アルバトールはやや前のめりになる。
だが修行はまだ始まったばかりだし、無理をすることも無いだろうと思いなおした彼は、エルザに向かって素直に首を縦に振った。
「それではアルバトール卿、飛行術を発動しますので精霊の動きを良く見てください。飛行術くらいは使えるようにしないと、この先色々と不便ですからね」
「はい」
少しして、丘の上から二つの光が飛び立つ。
彼らが向かう先の礼拝堂からは炊煙がたなびき、窓からは暖かい光が漏れ出ていた。