第105話 試練完遂
「それでは勝利条件を言いますよガビー!」
「勝利……?」
アルバトールは眉を寄せ、発言者であるエルザの顔を真正面から見つめて先ほどの言葉を繰り返す。
しかしその視線の先に居るエルザは、咎めるようなアルバトールの目を軽く無視すると、妙に張り切りながらガビーに試練の内容を、達成条件と共に教え始めていた。
「ふむふむ! えーと、つまり明日の夜明けまで、我々天使の正体や詳細について喋らなければいいわけですね!」
「その通りですわガビー! 呑み込みが早すぎて言葉の意味を反芻しないからいつも痛い目に遭うことを貴女が学習すれば、この試練はクリアできたも同然ですわ! ……ああ、ちなみに今のは我々天使、がアウトですわね」
「聞こえてないんじゃないですかね」
冷たい口調でエルザにそう告げるアルバトールの視線の先には、床に倒れてぷすぷすと煙を上げるガビー。
おそらく何も聞こえていない状態であろうガビーに忠告するエルザを見ながら、アルバトールは何か与える助言がないかと考える仕草を見せるが。
「しかし柔軟な判定機能を持ったサークレットですね。流石はエルザ司祭と言った所でしょうか」
どうやら何も無さそうであった。
「いえ、今のは私自らが何となく電撃を食らわせただけですわ」
そしてどうやらエルザも何も考えていなさそうではあった。
しかしアルバトールはそれでも何か納得するものがあったのか、沈痛な面持ちでエルザに軽く頭を下げてから感謝の言葉を口にする。
「独裁者と言うのが如何に危険な存在か、勉強する機会をお与えくださってありがとうございますエルザ司祭」
今さらのように目の前に立つ人物の性格について納得した後、アルバトールは倒れたガビーを使って法術の練習などしようと思い立ち、その容態を確かめてすぐに回復させると爽やかな微笑みを浮かべつつ、目を覚ましたガビーに声をかける。
「じゃあガビー、明け方まで一緒に頑張ろう。君が電撃で倒れたら僕がすぐに回復して幾らでも試練に挑ませてあげるからね」
「何で試練の内容が夜明けまであたしがノックアウトされなければオッケーみたいな内容に切り替わってんのよ!」
ニコニコと笑うアルバトールに、噛みつくような勢いで詰め寄ったガビーが文句を並べ立てていたその時。
「あらあら、時間稼ぎですかガビー。私の試練を軽んじるような態度をとるのは、少々感心しませんわね」
「ももももも、もうしわっけあっいまへん!?」
横からエルザが低い声で、彼女の耳の中へ冷たい声を忍び込ませる。
即座に反応したガビーが恐る恐るエルザの形相を見た途端、彼女は蛇に睨まれた蛙のように身動きができなくなり、たちまちにして謝罪を始めていた。
「あらあら。そう固くなっていては、達成できる条件も達成できなくなりますわ。とりあえずリラックスするとしましょうか。ガビー、さきほど天使アルバトールが持ってきたミカンを私に取ってくれませんか?」
テーブルの上にあるミカンをエルザが指し示すと、それを取ろうとしたガビーがテーブルに近寄りながらある言葉を口にする。
「判りましたエルザ司祭様。えーとミカ……ぎゃわん」
それはガビーがミカンと言う固有名詞を呟き始めた刹那のことだった。
彼女の口からミカンと言う単語が発せられたことを感知したサークレットは、それをガビーがエルザの正体がミカエルである、と周囲に暴く企みを実行しようとしたとの状況判断をまたたく間に終えたのだ。
サークレットは凶悪な威力の電撃をその装着者に放ち、それをまともに食らったガビーは叫ぶ間もなく、テーブル上のミカンを派手にぶちまけながら床に倒れこんでいた。
「危ない!」
そして横で一部始終を見ていたアルバトールは、まだ宙にあったミカンが床に落ちる前にそのすべてを術でキャッチし、エルザに非難の目を向ける。
「何と卑劣な。最初から罠にはめるつもりでミカンを僕に持ってこさせたのですね」
「そうでなければ試練にならないでしょう。ちなみにミカンにはビタミンと言う成分が入っておりまして、凄くお肌にいいんですのよ。それに白い筋にも栄養がたっぷりと入っていて、これを取ってしまうのは……聞いておりますか? 天使アルバトール」
丁寧に皮をむき、おいしそうにミカンを摘まむエルザを一瞥すると、アルバトールはガビーの回復を始めるのだった。
「なんでミカンをキャッチしてあたしをキャッチしないのよ! 床でおでこ擦りむいちゃったじゃないのっ!」
「エルザ司祭が助けるものと思っておりました申し訳ありません副官殿」
気絶していたはずなのに、何故ミカンだけを助けたのが判ったのだろうなどと思いつつ、アルバトールはまるで気持ちの籠っていない謝罪をする。
「ミヵ……ミミミミ~見てるだけじゃ状況は変わらないってことを覚えておくのね! それにしてもエルザ司祭様の手を煩わせようだなんて、不届きにも程があるってものだわ! ……何よその不満そうな顔は」
「いや、ガビーの呑み込みの速さに驚いてたんだよ」
「ほ、褒めても何も出ないわよ? でもチューくらいならしてあげてもいいかしら、ほらほら美少女のチュー」
「あーはいはい、この試練が無事に終わった暁には、君の手助けをしたと言うことにしてもらってチューをお願いしてもいいかもね」
ニタニタと笑うエルザを無視し、口を尖らせて背伸びをするガビーを手であしらいながら、アルバトールはミカンを剥いてそのひと房をガビーの口の中に押し込む。
「あらあら、お熱いことですわね。……ガビー、この見返りとして、貴女は天使アルバトールに何をして差し上げるのですか?」
「や、やだっ! からかわないで下さい司祭様! えーと見返り、みかエッ!?」
途端に部屋の中には異臭が漂い始める。
その大元、コゲて床に転がったガビーは、二度目の「ミカエリ」を最後まで言うことが出来なかった。
「当たり判定キツくないですかね」
「それも試練の内ですわ」
「でもこれ傍から見れば幼女虐待以外の何物でもないですよ」
「それも貴方に課せられた試練の内ですわ」
「えっ」
「えっ」
そんなやりとりをしつつ、アルバトールはガビーの治療を終える。
元に戻った瞬間に勢いよく仁王立ちになるガビーを見たアルバトールは、これが朝まで続くのかと思い、今更ながら多少うんざりとしていた。
(まぁ、そろそろ皆寝る時間だし、ガビーも試練の内容に慣れてきたみたいだから、このまま夜明けまで何事も無く終わるだろう)
まぶたの重さに眠気を感じつつ、ぼんやりとそんなことを考えるアルバトール。
そんな時。
「アル君ー? 廊下を歩いてたら部屋の中から女の子の悲鳴が聞こえてきたんだけど、中で何してるのー?」
「何でもありません母上ー、そろそろ寝ますのでお構いなくー」
いきなり扉の向こうから響いてきたジュリエンヌの声に、アルバトールは心臓が口から飛び出そうなほどに驚き、慌ててその場を誤魔化す。
「うん……でもガビーちゃんのことも心配だし、ちょっとだけ入ってもいい?」
「ナンデモナイデスヨー! ホントデスカラー!?」
必死になってジュリエンヌを部屋に入れないようにするアルバトール。
だから彼は気づかなかった。
その背後で進行している、あることに。
既に試練が、次の段階に進もうとしていることに。
「ではガビー、次はしりとりです。次々と答えていく中でも私たちの正体を連想させるような答えを口にしなければ、貴女はもう心配ないと言えるでしょう」
「司祭様、しりとりって何ですか?」
「簡単に言うと、知っている単語をお互いに言いあいます。その際に相手が言った単語のお尻の言葉を一番頭に持ってきます。フォルセール→ルキフグス、のように。ですがランタンなどのように【ン】が最後に来ては次の言葉が継げないので、言ってしまった方の負けです。その例外となる楽器のンゴマは今回除外しますね」
「はい! ランタンッ……きゃあああ!?」
「どうしたガビー!?」
「アル君!? 今の叫び声ガビーちゃんだよね!?」
「ちょちょちょ、ちょっとえーと、今のは今のは!?」
いきなり悲鳴と共に床に倒れたガビーに気付いたアルバトールは、恐慌状態に陥って慌てふためき、とりあえずガビーの横で我関せずと言った風にしらばっくれながらミカンを摘まんでいるエルザを見て逆上する。
それからエルザに詰め寄って怒りをぶつけると言う何ら問題の解決に寄与しない行動をとるが、それが事態を更に悪化させる原因となる。
「下がってくださいジュリエンヌ様! ここは私が強行突破します!」
「わかった! 任せたよアリアちゃん!」
異常事態と判断したのか、合鍵を持ってこずに強行突破すると宣言するアリア。
しかし彼女のその差し迫った声を聞いたアルバトールは、慌てるどころか逆に落ち着きを取り戻していた。
(この部屋は暗殺や強盗から身の安全を確保する為に、特注の頑丈な錠前をつけている。例え斧であろうともそう簡単には破れない……勝ったな)
その間に部屋の惨状を無かったことにするべく、素早く身を翻してガビーに近づく彼の背後では、軽い金属音と共にドアのフックが軽い音を立て、程なく扉は外からの光をゆっくりと部屋の中へ差し込ませる演出を見せ始めていた。
「ああ、そう言えば王女様が連れ去られた後にアリアが立てた志に感銘し、何でも斬れるデュランダルの小剣バージョンを進呈したのでしたわ」
「何余計なことしてんだアンタアアアァァァァァァアア!?」
再びエルザに詰め寄ったアルバトールの足元には、先ほど彼がエルザに詰め寄った際に彼女が取りこぼしたミカンの果肉が散らばっており。
「あ」
それを踏んだアルバトールは足を滑らせ、それを見たエルザが倒れそうになる彼を引き留めようとその腕を掴み、力を籠めて引っ張る。
ドスン
だがエルザが彼の腕をとって引き留めた甲斐も無く、アルバトールはガビーの上に倒れこんでいた。
「んっ……駄目……でも……ンゴッ……マって……?」
「……アル君?」
「アルバ様?」
部屋に踏み込んだジュリエンヌとアリアが見たその光景は、どう見てもガビーに不埒な行為を迫る為に力づくで押し倒したアルバトール。
そして恐れ多くも聖職者の眼前で、年端も行かぬ少女に襲い掛かると言う不遜極まりない行動をとった彼を、ガビーから引きはがそうとするエルザであった。
「……アリアちゃん、ちょっと腕が立つ人たちを呼んできてもらえる?」
「承知いたしましたジュリエンヌ様」
そしてその後も色々あった後、夜明けと共に試練は終了しました。
敢えて無事にとは言いますまい。
「まぁこれだけ痛い目に遭えば、ガビーもこれから多少は言動に気を付けることでしょう……それではアルバトール、ガビーにはこれから四六時中貴方の傍にいるように伝えましたから、ガビーが口を滑らせそうになった時はこの指輪に念を送り、貴方の判断で電撃を食らわせるようにしてください」
「それ最初にやってくださいよ! 母上やアリアへの言い訳にどれだけ僕が苦労したと思ってるんですか!?」
「それも貴方の成長に必要な試練ですわ」
「本当に試練が必要なのは司祭様なんじゃないですかね……」
こうして新たな試練は完了したのだった。
様々な犠牲のもとに。