第104話 新たな試練
「やれやれ、まさかベルナール殿まであのような冗談を言われるとは」
ベルナールと別れた後、アルバトールはエルザとガビーが待つ自室へ戻る為に再び廊下を一人で歩いていた……が。
(様子がおかしい)
自分の部屋に近づくにつれ、彼は不安感がどんどん膨らむのを感じていた。
エルザとガビーを部屋に入れた時点である程度の覚悟はしていたが、それは彼が今感じている物とはまったく異なるもの。
(あの二人が同じ場所に居ると言うのに静かすぎる……まさか)
扉を開け、中にある事実を目の当たりにするのを恐れているかのように、アルバトールはゆっくりとドアノブに手を伸ばし、視界を防いでいた障害を取り除く。
「あらあら、御自分の部屋に戻るのにこれだけ時間をおかけになるとは、まさか城の中で迷子にでもなっていたのですか?」
しかし先ほどの彼の不安を掻き消すかのように、部屋の中には何事もなく椅子に深く腰かけるエルザと、カウチの背もたれに体を預け、うとうとと微睡むガビーがいた。
「申し訳ありません、少々ベルナール殿と話をしておりました」
アルバトールは安堵の息をつくと部屋の隅に行き、厚手の上着を取ってガビーの肩にかける。
するとその感触に眠気が覚めたのかガビーは一瞬眼を開くが、またすぐに目を閉じてカウチに寄りかかってしまっていた。
「あらあら、子供の姿をとっているだけかと思っていたら、本当に子供のようになっていますわね」
優しい目をガビーへ向け、静かに微笑むエルザ。
その彼女を見つめるアルバトールの顔も、また優しい物だった。
「司祭様もお眠りになっていたのでは? 随分と気配が小さくなっていたようですが」
「あらあら、私に妙に優しく接してくれると思えば、お気づきでしたか」
「今まで見えなかった物が見えるようになれば、とる態度も自ずと違ってくると言う物でしょう。司祭様が教会を出る時の様子がおかしいとは思っていましたが、僕の部屋で待つ間の少々の時間すら、魂の眠りに充てるほど衰弱されていたとは」
寝返りをうったガビーから上着がずれるのを見たアルバトールは、カウチに近づいてそっと上着をかけなおし、一瞬ためらうような様子を見せた後、振り返ってまっすぐにエルザの目を見つめ、口を開く。
「アナト来襲の時に意識を取り戻せなかったのを、まだ悔やんでおられるのですか?」
その言葉にエルザはほんの一瞬、彼女の顔を注視していたアルバトールのみが気づき得たであろう間だけ厳しい目をする。
しかし彼がその鋭い目に秘められた感情に気付いた時には、彼女は再びいつもの顔に戻っていた。
「随分と生意気なことを言うようになりましたね。……いえ、これは失言でした。そうなるように仕向けたのは私たちなのですから」
「お気遣いなく。それにしても、司祭様が陛下や父に弱音を吐きたくない気持ちは判りますが、それでは司祭様と共にあるこのフォルセールの存在価値も薄れてしまいます。体調がすぐれぬ時には誘いを断ることも必要かと」
「あらあら、私に意見をする者が増えるのは数十年ぶりですわね、ありがたく心に留めておきましょう。それでは貴方が王都に発ってからのことを話すとしましょうか」
「ではアーカイブ術を」
アルバトールの返事とほぼ同時に、ガビーの寝息がそよぐ部屋の空中に輝くプレートが産まれ、お互いの周囲に緩やかな弧を描いて吸い込まれていく。
数瞬の後に軽い金属音が鳴った後、エルザの顔にははっきりとした怒りの表情が浮かんでいた。
「あらあら、あの底抜け能天気ド腐れハエ野郎が、言うに事欠いて私のことをサボっていると評するとは……今度会ったら二度と地上に戻れないくらいに埋め込んで差し上げる事に致しましょう」
「え、あー……でもエルザ司祭が僕にアーカイブ術の詳細を教えてくれなかったのは事実……ですよね?」
「貴方がアルストリアから戻ってくるなり、そのまま王都に偵察に行ったから時間が無かったのですわ!」
「むにゃ……ごめんにゃさ……ミカぎゃぎゃぎゃぎゃっ!?」
エルザが発したアルバトールへの反論に、ガビーが寝言で答えた次の瞬間、彼女はサークレットからの電撃で、何かが焦げる嫌な臭いと共に目を覚まし。
「な、なななな何事ッ!? もしや敵襲!? この水のガブウウブウヴゥゥッ!?」
そして気絶する。
「……しかし何故そこまでバアル=ゼブルを毛嫌いなさるのです?」
目を閉じ、静かにカウチに横になったガビーに再び上着をかけなおすと、アルバトールはエルザに事の仔細を聞く。
「以前アレにナンパされまして」
「なるほど判りました」
もう結構です、との意味合いを込めたアルバトールの笑顔はあっさりと無視される。
「で、さっさと消えろこの薄汚いハエ野郎と言って断ったら、それが妙にアレの名前とフィットしたらしく」
「いや、判りましたからもういいですよ」
「いつの間にか彼は崇高な王と言う名前から、ハエの王と言う名前で呼ばれるように」
ちょっとしつこいですよ、との笑顔も無視された彼は、頭を抑えながら首を振った。
「なるほど人でなしですね。立派な加害者ですよとても天使の所業とは思えません」
そう断罪する彼の視線の先では、天使である自分が魔族に口説かれたことを嘆いているのか、それとも自分の迂闊? な発言のためにクソバエ扱いされるようになったバアル=ゼブルを憐れんでいるのか、顔に手を当てて泣くような仕草をしているエルザ。
「そもそも僕が聞いたのは、司祭様がバアル=ゼブルを毛嫌いするようになった理由です。今の話の内容では、むしろバアル=ゼブルが司祭様を毛嫌いするようになった理由になってしまうのですが」
しかし嘆いているように見えたエルザは、アルバトールの言葉に何やらショックを受けた様子で、椅子ごと大きくその身を引いて顔を凍り付かせる。
「何をおっしゃるのですか! 貴方はナンパされたことが無いから、しょせん他人事だと思ってそのような無責任なことを言うのです! ……あ、いえ、貴方にナンパされるほどの魅力が無いとか、そんな失礼なことを言っているのではありませんよ?」
「本当に失礼ですね、私だってナンパされる……いや、無いです」
心の底から憐れむような眼でエルザに見下されたアルバトールは、反論しようと王都で初めてアナトに会った時のことを思い出そうとするが、その相手が旧神の一人だったとあっては具合が悪いことに気付いた彼は、慌てて否定しようとする。
「あらあら、考えが顔に出ていますわよ?」
それを照れによる誤魔化しと見たのか、エルザは腰をかがめてアルバトールの顔を下から見上げ、ニヤリと笑った後にわざとらしく彼から視線を外し、目を閉じる。
「アーカイブ術は本当に便利ですわね……あらあら……あ、あら?」
だが悦に入った表情となったエルザが訝し気な声を上げるた瞬間、その体から金のプレートが浮き出でてアルバトールの方へ向かい、彼はそれが完全に体の中に吸い込まれたことを確認すると、溜息をついてエルザを半眼で見つめる。
「まったく油断も隙も無い。タグですぐに検索できるようにしておいて正解でした」
重要な情報が封じられたプレートを奪われるエルザ。
しかし不機嫌そうに呟くアルバトールに答えるその口調は、楽し気なものだった。
「まぁ、既にアナトに抱きつかれてカチカチに硬くなった貴方自身の映像を見た後だった訳ですが。しかし私に送ったアーカイブの情報を再び自分に取り戻すとは、正直驚きましたわ」
「褒められたのに全然嬉しくない……」
ますます不機嫌になるアルバトールを見たエルザは軽く笑い声をあげ。
「さて、おふざけはこれまでです。天使アルバトール、貴方に一つ頼みたいことがあります。此度の王女様誘拐に関しての対応を放置しておく訳には参りませんが、それ以外にも問題が発生しましたので、そちらの処置もやらなければならなくなったのです」
そして真顔となって、アルバトールの目を真正面から見つめた。
「……それはエルザ司祭と、ラファエラ侍祭の体調に関係がある問題ですか?」
「ええ。貴方もご承知の、あの土の妖精達がまたとんでもない事をしでかしまして」
「土の妖精……ドワーフですか?」
頷くエルザを見たアルバトールは、先ほど彼が引き起こした問題を思い出す。
夕方に教会で湯浴みをしていたラファエラのそばに、ガビーと共に落ちた彼は、動揺したラファエラから漏れた力と、自分の顔に喰らったビンタの威力が、普段よりかなり弱かったこと(別に頻繁に喰らっているわけではないが)を思い出し。
そして彼が天使になりたての頃に修行で訪問した礼拝堂で出会った、気さくなドワーフたちの様子を思い出して首をかしげる。
「またって、彼らが今まで一体何をしたというのですか。私が見たところ、彼らが悪事を働くようには……なるほど」
エルザが無言でガビーを指し示すのを見て納得したアルバトールは、再びエルザに注意を向ける。
「ドワーフたちがまた勝手に坑道を拡げまして、その際に龍脈の流れを固定していた魔法陣を破壊してしまったのです。そのお陰でフォルセールの結界を維持するのに、余計な力を消費する羽目になってしまいました」
「解決策は?」
「この杭を坑道の最奥にある魔法陣に打ち込んでください。ついでにドワーフたちの王であるドウェルグ族のアルヴィースに面通しをするように」
何の変哲もない木の杭をしげしげと見つめた後、アルバトールはエルザにジト目を向ける。
「僕が行った方がいいようなことを、今までドワーフたちにしてきた訳ですね」
「あまり察しがよろしいと人に嫌われますわよ」
「心しておきましょう。他には何か?」
「特には」
アルバトールの問いに、エルザは少し考える素振りを見せた後に答えを返し、椅子の背もたれに身体を預ける。
「別に私が行っても構いません。それを敢えて貴方に託したのは、この問題の解決を任せられるほどに貴方が成長したと言う証です。私の言いたいことは判りますね?」
「無論。それは騎士隊長の時に、ベルナール殿からもご教授頂きましたから」
「よろしい。それでは私は教会へ戻ります。何か問題が起きた場合にはいつでも念話で質問なさい智天使アルバトール」
「承知しました司祭様。ガビー、司祭様がお帰りになられるから起きてお見送りを」
立ち上がったことを感じさせないほどに、エルザは静かに椅子から身を起こし、それを見たアルバトールは僅かな不安を感じつつも、カウチの上に倒れているガビーに声をかける。
「むにゃ……えっ? ちょ、ちょっと待ってください! お帰りになる前にこのサークレットを何とかしてくれないと、私死んでしまいます!」
「えー」
「いや、えーじゃなくて至極まっとうなお願いだと思いますが」
先ほどまで死んだようにカウチに横になっていたガビーは、アルバトールに起こされてエルザが帰ると聞いた瞬間に血相を変え、必死にエルザの法衣にしがみついてこの場に留めようとしていた。
一見いたいけな少女に見えるガビーの懇願に不服の意を唱えるエルザに対し、流石に可哀想と思ったのかアルバトールはガビーの肩を持つが、それでもエルザが考えを変える様子はないようだった。
「だってこの子、すぐに私たちの正体をばらそうとするから危なっかしくて見てられませんわ」
「じゃあ僕に付けずに自分の傍に置いて見ててくださいよ……」
「……万が一メタトロンが完全に目覚めたら、貴方一人でどうするおつもりなのですか? 今までは様々な要因が貴方を助けてくれましたが、彼が今度暴走を始めた時に上手く状況が収まるとは限らないのですよ」
少々口を尖らせつつ答えるエルザを見たアルバトールは、再び押し切られてガビーを押し付けられないように、断固とした口調で声を張り上げた。
「本当に暴走する可能性があるのですか? 何だかんだ言って、メタトロンは常に私の力になってくれました」
「彼の本性は既に聞いているはずです。彼と貴方の利害が一致しなくなった時、ガビーが居てくれて良かったと貴方は思うことでしょう。それまで我慢するのです」
「がまん……」
「……司祭様、もう少し言葉を選ばれた方が。向こうでガビーがいじけております」
その言葉通り、彼の部屋の隅には今すぐにでもほうきで外に掃き出したくなる、黒い気と共にガビーがうずくまっており、壁に我慢と言う言葉を次々と指で書きこむ彼女は、何の意味があるかも判断のつかぬ言葉を延々と呟いていた。
「……仕方ありませんわね、そのサークレットを外しても良いかを判断する幾つかの試練をガビー、貴女に与えましょう。その試練を見事乗り越えてみせれば、晴れて貴女は自由の身ですわ。と言うわけで言い出しっぺの天使アルバトールはお手伝いです」
カベー、ではなくガビーを指差して宣言するエルザに対し、即座に顔を明るくして手を組み、感謝の祈りを捧げるガビー。
その美しい二人の天使の姿を見ながら、アルバトールはエルザに言い付けられた試練の準備をする為に部屋の外へ出て行った。
余計なことを言わなければ良かった、とぼやきつつ。