第102話 可愛い物には
美しい物は毒を持ち、綺麗なバラには棘がある。
では可愛い物には何があるのだろうか。
「う~ん……これと言って思いつく回答が無いかな」
「はてさて、さしあたっての回答を出して解決しない限りは、新たな問題が積みあがっていくばかりでございますが」
「君はいつも冷静だねベルトラム」
「フォルセールに来るまでは、些少のことで動揺していては身が持たぬ環境におりましたから」
「ああ、凄く良く判るよそれ」
可愛い物には何があるのか。
ロビーに置いてあった花瓶の破片を片付けるベルトラムが、溜息と共に発した先ほどの質問に対し、アルバトールはお茶を濁すことしか出来なかった。
「それでは私は夕餉の支度もございますので、後はお任せいたしますアルバ様」
「うん、任せてくれ」
そう答えるアルバトールの背後からは、通常あり得ないほどのけたたましい笑い声が聞こえてくる。
「あははははははははははは」
「待て待てー! うきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃ」
そこには二人の子供……ではなく、このフォルセールを治めるフィリップ侯爵の妻であり、彼の母親であるはずのジュリエンヌと、自称東方教会からの使者ガビーと言う名前になったガブリエルが、カーテンの端切れをまとって駆けまわっている。
その光景を見たアルバトールはやりきれない思いを抱え、新たに制作されていくゴミを拾いながら天を仰ぐのだった。
「こうなると判ってたはずなのに、なんでエルザ司祭はガブ……ガビーを城に……」
ジグソーパズルのようになったカーテンを見たアルバトールは頭を抱え、拾い集めて修復していきながら、ガブリエルを城に連れてきた時のことを思い出すのだった。
「……ガブリエル、何をしにここへ来たのですか」
アルバトールの顔を見て大体の事情は察したのだろうが、それでも事実の確認をする為にベルトラムは質問をする。
「この子に着いていけって言われたから着いてきたんだけど、何か問題でもあるのかしら? 後、今のあたしはガブリエルではなくガビーよ。良く覚えておくことね」
その言葉に押し黙るベルトラムを見たガブリエル――ガビーは鼻でせせら笑うと、当てつけのようにアルバトールの腕にしなだれかかる。
ひいき目に見ても、父親の腕に必死にしがみついている子供……にしか見えないその仕草を見たベルトラムは、ガブリエルを手で追い払い、アルバトールに耳打ちをした。
「様子を見る限り、我々四大天使のことは内緒にしておくように言い含められているようですが、大丈夫でございますか」
「まぁ、それなりに司祭様も予防策は講じていたみたいだけど……」
後ろで騒ぐガブリエルを余所に、二人は深刻な顔をして話し合う。
「予防策?」
アルバトールの返答を聞いて、きょとんとした顔になったベルトラムはオウム返しで説明の補足を促した。
「うん。さっきガブリエルがエルザ司祭が愛用してるサークレットをつけてたよね? アレは元々エルザ司祭が悪さをした時に罰せられる為の物だったらしいんだけど」
「たかが人間の小娘がこの天ぐあしびびびびびびびびびっ!?」
突如として響いてきたガブリエルの叫び声に二人が振り向けば、そこには痙攣しながら床に倒れ伏すガブリエルと、哀れな格好となったガブリエルを指でつつくジュリエンヌがいた。
「君たちや自分のことについて話そうとしたら電撃が全身に走るんだって。何で本人に言わずに僕にだけ伝えたのかは判らないけど」
「……なるほど」
すぐに電撃による昏倒から復活したガビーは、彼女の容態を気遣うジュリエンヌの姿を見た途端にその目を感動したように光らせ始め。
ひしと抱き合う二人の様子を見つめたベルトラムは、その日何度目かの溜息をつきながらアルバトールに忠告をした。
「ああ見えましても、四大天使の一人であり、天軍の副官であることは間違いありません。持てる力に嘘偽りはなく、寝ぼけた思考回路から繰り出される災害はエルザ司祭の比では無いことは重々ご承知を」
「やだなぁベルトラム、あのサークレットもあるし、心配ない……」
話し声以外の音が色々と響き渡るようになったロビーの様子を耳で伺いながら、ベルトラムを慰めようとしたアルバトールの頭の中に一つの声が入ってくる。
「あ」
ガブリエルが発した、間の抜けた声に二人が振り向くと。
「あー……」
ジュリエンヌの沈んだ声とは対照的な、何か硬い物が割れる甲高い音がロビーに響き渡った。
「……重々ご承知を」
「……うん、確かあの花瓶、父上が先王から直々に賜った品だったはず……」
そして話は冒頭へと戻るのであった。
一と一が合わさった結果が、二ではなく十になる。
そんなあり得ない事象を目の当たりにしながら、アルバトールは二人に呼び掛けた。
「母上、そろそろ夕餉の時間ですので準備を。ガビー、すまないが君は僕たちとは別の場所で食事をしてもらうよ。いくらエルザ司祭の紹介とは言え、会って間もない君を国の重要人物が集まる食事に同席させるわけにはいかないからね」
もちろんこれは建前だった。
ガブリエルの口から情報が洩れることは無くても、その仕草などで余計な情報が洩れる事は考えられる。
何といっても、彼女は一応四大天使の内の一人なのだから。
「は? 何ですって? この四だだだびゃびびぶびびびべっ!?」
「……よん?」
首を傾げ、ガビーの発言を気にする素振りを見せるジュリエンヌを見て、アルバトールは疑心を確信へと切り替え、すぐさまガビーの手を取ると自室へ向かった。
「じゃあ、君はこの中で待っていてくれ、すぐに食事を持ってこさせるから……何ですか母上その目は」
部屋の中でアルバトールと二人きりになったガビーは、何を勘違いしたのか顔を赤らめさせて体をくねくねさせ始め、それを見たジュリエンヌが体をのけぞらせてショックを隠し切れない口調で話し始める。
「せっかくアル君が大人になったと思ってたのに、女性の好みは逆行してたなんてあたし悲しい……アリアちゃん、これはきっと何かの間違いだよ信じてあげて。アル君が女児を部屋の中に連れ込むだなんて、それなりの理由があるんだよ」
「いや母上ちょっと待って……ってアリア? え、いつからそこに?」
ジュリエンヌの言葉に驚いたアルバトールが周囲を見渡すと、ドアの死角にその体を隠していたアリアと視線が合う。
彼の眼に見えるアリアは表情を凍りつかせており、手を繋いでいるアルバトールとガビーを見て、信じられないと言わんばかりに体をぶるぶると震わせていた。
「わ、わたわた、私……ジュリエンヌ様をお迎えに……いえあの、わ、私何も見てませんから!」
アルバトールは走り去るアリアに説明しようとしてその背中に声をかけるが、その甲斐もなく彼女は一目散にその場を走り去ってしまい。
後には茫然自失とするアルバトール。
狼狽して悲しむような素振りを見せるジュリエンヌ。
そして自分のせいで気まずい雰囲気になったことを感じ取り、不安げな表情で二人の顔を交互に見つめるガビーの三人が取り残された。
「さっき廊下で会ったから、アル君をびっくりさせようと思ってこっそり着いてきてもらったんだけど……裏目に出ちゃったね。あたしもまさかこんなことになるなんて思ってなかったから……アル君?」
「母上、会食に出る準備を。アリアが先に部屋で待っているはずですから」
「アル君の顔こわい」
アルバトールはひきつった笑みを浮かべながら、ジュリエンヌに部屋へ向かうように説得を試みる。
その間にも、次の危険は忍び寄っていた。
「おや、これはアルバトール殿。無事の御帰還おめ……で……ッ!?」
背後からの声にアルバトールが振り向いてみれば、そこには驚愕の面持ちをしたフェリクスが居た。
「あ、ああ、お取込み中でした、か。しかしあれですな、天使になると、やはり世間に擦れた大人より穢れのない子供に興味がお湧きになるのでしょうか」
「申し訳ありません急いでおりますので失礼」
ぎこちない笑みを浮かべながら、言葉を(主に悪い意味のみを)選んで喋っているように感じるフェリクスに対してアルバトールはお茶を濁すような返事をし、ガビーの手を取って足早にその場を立ち去る。
(衆寡敵せず……! 城の中では圧倒的にこちらが不利だ。場所を変えねば!)
食事に関してうるさく質問してくるガビーの口を塞ぎ、ついに小脇に抱えて走り始めたアルバトールだったが、廊下の曲がり角で人にぶつかりそうになった彼は、慌てて身を翻して間合いを取り、驚いた顔で問い詰めてくる見知った人物に言い訳をする。
「そんなに急いでどうしたアル……バ……その少女をどうするつもりだ。返答次第によってはお前を拘束せねばならんぞ」
「何でもありませんシルヴェール様急いでおりますのでまた後程」
主君、あるいは義兄になる予定の人物に対する挨拶もそこそこに立ち去る非礼を詫びながら、アルバトールは逃げるようにその場を立ち去った。
(まずい、いくら城の中とは言っても普段はこれほど人に会うことはないのに、何故今日に限って……!)
先ほどシルヴェールにぶつかりそうになった後、慌ててガビーの手を取って駆けだしたことをアルバトールはこの時完全に失念している。
そして中庭に出ると同時に飛行術を発動させ、この事態に限っての安全な場所である教会に彼は向かおうとしたのだが。
「いたぞ! 逃がすな!」
「その声はベルナール殿!?」
「アルバトール! 君には幼女誘拐の嫌疑がかけられている! 御両親の名誉を思うならば、悪足掻きはやめて大人しく釈明の場に立つのだ!」
「仔細は後程! 今は釈明の時ではありませぬ!」
止める間もなく、全身を光で包みながら空に飛び立ったアルバトールの後姿を見て、ベルナールはその顔に若干の後悔を浮かべた。
「軽い冗談だったのだが。まぁその内戻ってくるだろう。では行くぞフェリクス」
ベルナールが傍らに立つフェリクスに声をかけると、フェリクスは人の好さそうな顔に苦笑を浮かべた。
「ベルナール殿もお人が悪い」
「早合点、早計は失敗の元だ」
「迅速果断と言う言葉もございますが」
フェリクスの指摘に、珍しくベルナールは反論をせずに少しの間だけ口を閉じる。
「これは一本取られたか。私もまさかあんな冗談で逃げてしまうほど彼が追い詰められていたことには、さすがに気付かなかったからな」
そしてベルナールはばつの悪そうな顔でフェリクスに言い訳をすると、食事が行われる広間へと向かった。
(何なんだ一体! 何で僕が誘拐犯に……って、あの場に踏み止まってベルトラムを呼んでから釈明した方が良かったか!)
飛行術で上空へ逃走したことにより、ようやく一人でゆっくりと考えられるようになったアルバトール。
そこで初めて脇に抱えていた少女が苦痛の呻きを上げていることに気付いた彼は、慰めの言葉をかけようかと思ってそちらに意識を向けた。
「痛いよう……うう」
「あ、ごめん夢中になってたから……あれ、何で傷が回復してないの」
そこには額に青あざを作り、膝をちょっぴり擦りむいたりしているガビー。
その悲惨な姿を見て慌てて謝罪をした後、なぜ天使の自己治癒能力が効いていないのか不思議に思ったアルバトールが問いかけると、ガビーは目を潤ませ、黙って彼をじっと見つめ上げてくる。
日頃の口調からは想像もつかない、少し垂れ下がった気弱で控えめそうな目。
サークレットによって髪を上げられ、露わにされている顔には親しみやすさを感じさせる、幼さを残す丸めの頬があった。
そして小さい唇には宿している属性故か、潤みと若干の光沢を帯びており、成長すれば美しい女性になるであろうと、女性に疎い彼にすら容易に想像させるものだった。
「自分で転んだから治らないに決まってるじゃない! 手を掴んだままいきなり駆けだすなんて、レディのエスコートしたこと無いんじゃないのアンタ! か弱い女性を連れて二人きりで逃げていることを忘れないことね!」
だが、現在はこまっしゃくれた子供でしかないのである。
アルバトールは落胆しつつも、体をもじもじとさせ始めた彼女の様子を見て不思議そうに口を開く。
「何で嬉しそうなんですか」
「そりゃもう二人の仲を周囲が認めなかった結果の愛の逃避行だなんて女の子にとっては……な、何を言わせるのかしらこの子はっ!?」
(何言ってんだこの人)
半眼になってガビーを見つめ、ベルトラムの忠告を思い出したアルバトールが溜息をついた瞬間、今度は地上から空中に居る彼らに向かって警告の声が発せられる。
「私はフォルセール騎士団小隊長エレーヌである! 上空に浮かぶそこの者! 夜間の飛行術は禁止されている! 速やかに降りてきなさ……いや、降りなくてもいいぞ、降りた瞬間に貴様の身がどうなるか判らんからな」
闇に紛れるような黒い髪、黒い肌をしたその声の持ち主の顔を想像し、アルバトールは恐怖に身体を震わせ……
「ですよねー……ってこっち来たあああああああ!!?」
説明しよう。
聖テイレシア王国を構成する所領の中で、その規模が小さいフォルセール騎士団に於いては、小隊長であるエレーヌが騎士団の実質的な副団長の立場となっている。
よって彼女には数々の権利が与えられており、その一つが彼女の姉であり、フォルセール自警団の団長でもあるエステルが作り上げる、魔術付与アイテムの使用である。
一年の間の一晩だけとは言え、エステルが制作する強力な魔術付与アイテムは、多くの兵士や騎士を抱えることが難しいフォルセールにとって、かなりの戦力となっており、よって黙認に近い形ではあるが、独断でのアイテム使用も許可されているのだ。
夜間飛行禁止令をちょくちょく破るエルザを捕まえる時には欠かせないアイテム、短時間の間だけ高速の飛行術を使えるようになる、風の精霊を付与した靴もその一つであり、エレーヌは今回もその靴を使用してアルバトールの元へ一直線に向かう。
「そこへなおれ! いつの間に四方八方の女性へ手を出すエンツォのような輩に成り下がったのだ! しかも年端もいかぬ子ども相手に欲情するとはこの恥知らずが! 今すぐ成敗してくれよう!」
自分を棚に上げ、割と自分勝手なことを言うエレーヌ。
「きっぱりと誤解です! と言うかこの子は……!」
そんなエレーヌに釈明しようとしたアルバトールは、少女が四大天使の一人ガブリエル、と口を滑らせそうになり、慌てて両手で口を押さえる。
よって脇に抱えていた何かを、彼は落としてしまっていた。
その何かである所のガビーは、自分の身に一体何が起こったのか判らないといった感じで目を丸め、何か掴めるものが無いかなーというように両手を上空に伸ばした体勢ですぃーっと落ちていく。
ちなみに天使としての身分を隠すために、今のガビーは力の大半を封じられている状態である。
つまり飛べない。
「ちょっとおおおおおお!? あんたこの天……しびゃああああばばばばっ!?」
トドメとばかりにサークレットからの電撃を受けたりして気絶した彼女は、湯気が立ち昇る教会の建物の一部へ真っ逆さまに落ちていった。
「……で、ここに戻ってきたと言う訳ですか。まったく貴方と言う人は智天使にまでなったと言うのに、女性に関してはまるで成長の兆しが見られませんね」
ぷんぷんと頬を膨らませたエルザの前には、何故か濡れ鼠になり、更には頬に手形までつけたアルバトール。
その背後にはエルザと同じように頬を膨らませたラファエラが、若干濡れた髪を振り乱しながらガビーへ苦情を申し立て。
ガビーはそのラファエラの苦情に耳を貸さず、ご機嫌な顔でなぜか飴を舐めている。
(可愛い物には何があるって……殺意しか覚えないな)
エルザの説教を受けながら、アルバトールはそんなことを考えたのだった。