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第100-2話 副官の帰還

――ヘプルクロシアの国王とアデライードが婚姻するなら、税や港湾使用料の免除を求めることはしない――



 そのシルヴェールの発言の後、執務室の中は長い沈黙に包まれる。


 シルヴェールはこれから口にする内容を吟味し。


 アルバトールは自らに関わるその件について自分から口を開く無作法を慎み。


 フィリップは王家と血縁関係になる可能性を含んだ話題に口を挟むことを恐れ、書類に目を通してその中身を選り分けていたがゆえに。


 だが遂に決心がついたか、それとも自らの感情に言葉が追いついたか。


 シルヴェールが息を吸い、そして言葉を吐き出し始めた。



「……ダリウス司祭は、相手が出してきたその条件に付いて即答を避けた。当然だろう。アデライードはお前と婚約しているのだからな。だが我々が今置かれた状況に於いては国庫を潤すことが何より優先……いや、これは失言だった。必要不可欠だった」


 言葉に詰まったシルヴェールは、彼に代わって執務を遂行しているフィリップに視線を向けるが、その相手が一向に顔を上げず、仕事に専念している理由にすぐに気づくと苦笑を浮かべて溜息をつき、アルバトールに視線を戻す。



 先ほど感じた不安の原因はこれであったかとアルバトールは思い、続くシルヴェールの言葉に耳を傾けた。



「元々、他国から持ち込まれる物品に対する税や港湾使用料は、ディオニシオ伯爵の治めるレオディール領の重要な財源だ。つまり、ヘプルクロシアの免除の要請を我らが承諾すれば、ディオニシオが被る損失を補填する為に、他領地からの援助が必要となる」


 アギルス領からの援助が無くなった現状についてアルバトールは考え、そして忙しく書類に目を通す父フィリップに申し訳なさそうな視線を送る。


「その上、我らとディオニシオとの関係が微妙に変化する可能性を考え、ダリウス司祭は本国に戻って相談してまいります、と答えてくれたのだろう。まったくそれを聞いた時ほど、金が天から降ってくれれば、などと言う埒もない考えをしたことは無い」


 枯れた表情と、枯れた笑い声を友とし、シルヴェールは我が身を嘆いた。


 未だ完全な中央集権国家たりえぬ聖テイレシア王国では、各地を治める諸侯との関係悪化は最も避けるべき愚行だった。


 諸侯にとって国王は敬意を払う存在であっても、妄信、崇拝すべき対象ではない。


 聖テイレシア王国の樹立に際し、開祖アレクサンドル=デスティン=テイレシアと共に戦場を駆け抜けたクリストファー=ヴォロンテ=アギルスの血を継ぐテオドール公爵は王家に対し絶対の忠誠を誓ってはいたが、その他の諸侯は協力関係であって主従関係では無かった。


「つまり、私のその苦悩を汲んでしまったのだ。アデライードは」



 簡単に弱音を吐いてはいけない立場にあるはずのシルヴェールは、あっさりとこの時弱音を吐いていた。


 なぜなら今のシルヴェールの周囲には、弱音の原因に対して共に立ち向かってくれる者だけが居た故に、隠していた本音を見せることが出来たのだ。


 彼が弱音を見せてはいけない相手は、共に立ち向かえる立場にない大事な家族は、既に遠いヘプルクロシアの地に連れ去られていた。


「私が着いた時、アデライードはルーと共に宙に浮かんでおり、そして私に言った」


――アルバトール様にはこうお伝えください。仕事に溺れ、各地を転戦し、私の身を顧みることのない人にはもう愛想が尽きた。私は富が集まり、平和と優雅な暮らしが約束されているヘプルクロシアに嫁ぐ、そう言っていたと――


「途中で声を詰まらせながらも……アデライードは私にそう告げてルーにその身を預け、去っていったのだ」


 一瞬シルヴェールが机に視線を落とし、そして顔を上げた時。


「陛下、そろそろ書類にサインをお願いいたします。後は私にお任せください」


 今まで書類の処理のみに徹していたフィリップも、共に顔を上げて口を開いていた。


 シルヴェールはまだアルバトールに何かを言いたげな様子ではあったが、フィリップが書類をシルヴェールの机の上に置き、その言葉を紙で作られた壁の奥に追いやる。


「アルバ、後は別室で説明するから着いてきてくれ」


 アルバトールは先に出ていった父フィリップに従い、シルヴェールに一礼をして執務室を出ていく。


 シルヴェールの言おうとした言葉が気にならないと言えば嘘になるが、それでも彼は素直にフィリップの後を追っていた。


 なぜなら、書類に目を通す前にシルヴェールがアルバトールに向けた顔。


 またフィリップが執務室を出ていく際に彼の横を通り過ぎた時の顔から、シルヴェールが口にできなかった言葉について、一つの答えを出していたからだった。



 そしておそらくその言葉は、王が臣下に向けて易々と発して良い物では無い。



 誘拐の現場に居ながらも、手をこまねいて妹が連れ去られるのを見ているだけしか出来なかった王の無念。


 その悔しさを思い、彼は奥歯を噛みしめて廊下を歩いて行った。



 やがて彼らはゲスト用の部屋の一つに着き、そこでフィリップはアルバトールに一つの頼みごとをする。


「アルバ、すまないがアリアを探してきてくれ。そして一緒にこの部屋に戻ってきてくれないか。彼女はアデライード様が連れ去られた時に一緒に居たから、これからする話に欠かせないのだよ」


「承知しました父上。アリアの所在について心当たりは?」


「おそらく中庭だろう。私の話が終わった後にアリアを励ますことも忘れずにな」


 笑みと称するには華やかさに欠け、冷やかしと称するには毒気に欠ける。


 そんな微妙な表情を浮かべながら、フィリップはアルバトールの背中を見送った。



(慌ただしい……何もかもが一度に起き、一度に解決されていく。僕の生は何ものかに急かされ、背中から突き動かされているんじゃないかって気がしてくるよ)


 中庭に向かう途中、アルバトールは彼の内なる存在、天使メタトロンに向けて意思を投げかけていた。


 だが八雲と戦っている最中、あれほど鮮明に彼の質問に対して受け答えをしていたメタトロンは、八雲と迦具土のいさかいの事後処理が終わった後は、まるで死んでしまったかのように口を閉ざしたままだった。


 やがて中庭についたアルバトールは、そこで見えない相手に懸命に剣を振るアリアを見つけ、近づいていく。


「お帰りなさいませ、アルバ様」


「ただいまアリア。父上と君に少し聞きたい話があるから、ゲストルームまで着いてきてくれるかい?」


 彼が久しぶりに会ったアリアは、以前の冷たい表情に戻っていた。


 肩ほどまで伸びていた黒髪は、今度は襟足が見えるほど短く切り取られ、トール家の家事を取り仕切っていたその手には、今は武骨な小剣が握られている。


 畏まりながら頷いてくる彼女を見たアルバトールは、思わず首を振ってアリアへ一つの質問をしていた。


 それは彼が城に戻ってきた時に、真っ先に駆けよってくるはずの母、ジュリエンヌが未だ姿を現していないことに端を発するものだった。



「部屋に行く前に、一つアリアに聞いておきたいことがあるんだ」


「はい。何でございましょうアルバ様」


「君が武術を修めようと鍛錬に励んでいることをベルトラムから聞いたんだが、その鍛錬の間に誰か君に話しかけてきたことはあるかい? 世間話でも何でもいい」


「は? いえ。誰も……いえ……どなたも話しかけてはこられませんでした……」



 表情を変え、言葉少なに視線を落とすアリアを見たアルバトールは彼女に近づき、そっと抱きしめる。


「エンツォ殿が言っていた。こういう時は黙って抱きしめてあげるのです、ってね。もう僕と君は将来を誓った仲でもあるんだし、この位は怒らずに見逃してくれるよね」


 アルバトールは黙ったままのアリアをしばらく抱きしめると、その横に回って腕を組み、そして先に軽く一歩を踏み出して共に歩き出す。


「僕たちが安心して外征できるのは、君たちが帰る場所を守ってくれているからだ。それを疎かにして、僕たちの領分である戦いにも手を出そうとするのは良くない。それに気づいてくれたなら、僕はそれでいいよアリア」


 そして二人は中庭を出ていった。



 柱の陰から彼らを見つめていた存在に気付くこと無く。



「あれが天使アルバトールか。ふん、この有事の最中に色事にうつつを抜かす余裕があるとは、確かに大物だな……ってあれ? いたたたたたっ!? 何すんのよウリエル! 痛い痛い痛い! お願い頭ぐりぐりするのやめて!」


「……何をしているのですかガブリエル。覗き見などと言う下賎の輩がするようなことはやめて、さっさとミカエルの所に戻って準備をしてください」


 中庭に数本立っている柱の影に立っているのは、先ほど館の外で手に入れてきた食材を持っているベルトラム。


 そしてエルザと似た白い服を着た、背中まで真っ直ぐに伸びた金髪を持つ一人の少女であった。


 戻ってきたベルトラムはその少女を見るなり、背後に忍び寄って頭を掴むという彼にしてはかなりの暴挙を行っていた。


 そして元々顔見知りであったのか、手中にある頭の持ち主の名を呼んでいきなり本気で力を籠めた折檻を始めたのだが、ガブリエルと呼ばれた少女はすぐにするりと抜け出すと左手を腰に当て、右手でベルトラムを指さして高飛車な態度で罵倒を始める。


「ふ、ふん! ちょっと力が戻ったからって調子に乗らないことね! 天軍の副官であるあたしに逆らって無事に済むとでも思ってるのかしら!?」


 ちょっと声が震えてはいるものの、何とか見得を切ることに成功した少女を見たベルトラムは、その背後に向けて視線を泳がせてから口を開く。


「これはエルザ司祭。いきなりのご登城とは……おっと、見間違えをしてしまったようですね。このベルトラム一生の不覚」


 ベルトラムは喋っている途中で少女が姿を消したことに苦笑し、そして彼女が立っていた場所を見つめて軽く嘆息した。


「まったく間が悪い。夕餉は貴女の大好物の鯉ですよ、ガブリエル」


 そして堀で獲れた鯉を数匹乗せたざるを持った彼は、厨房へと姿を消していった。




 一方四大天使の一人であり、天軍の副官を務めるガブリエルの存在に気付くこと無くゲストルームに向かったアルバトールは、アデライードが連れ去られた状況についてアリアから詳しく説明を受けていた。


「つまり、最初のうちこそアデライード姫は婚姻について頑なに固辞していたものの、旧神ルーが税や港湾使用料の件について言及すると次第に態度を変え始めたと……」


 アルバトールは窓へと近づき、外に見える街並みに寂し気な視線を向ける。


 そこで忙しそうに働く市民の姿を見つめた彼は、王都で不安げに自分たちを見つめていた民の目を思い出していた。


 その姿はまるで、王女として日々王都の民の生活や、王国全体の民のことを考えながら見つめてきたアデライードの考えをなぞっているように見えた。



 そして説明を終えたアリアが部屋を辞した後、アルバトールはフィリップを見る。


「……今までの事情は分かりました。今からはどうなされる予定なのですか父上」


「お前はどうしたいのだ?」


 アルバトールは強い意志を顔に宿らせ、淀みなくフィリップに答える。


「許嫁をさらわれてすら黙っていては、与しやすいと見た相手に次の無理難題を押し付けられるのみ。何より私は姫を愛しており、これからの苦楽を共にしたい相手と思っております。よって私はヘプルクロシアに、アデライード姫を取り戻しに参ります」


 ともすれば、アルバトール個人の都合しか考えていないとも受け取れるその返答。


 しかしそれを聞いたフィリップは満足そうに頷き、優しく微笑んだ。


「ふっふ。少し前まで建前だけを口にし、本音を飲み込むしかできなかった者が言うようになった。では行くが良い……と言いたい所だが、まずは待機してくれアルバ」


 その頼みにアルバトールは素直に頷き、しかし次にフィリップが口にした言葉にヘプルクロシアへの隠しきれない怒りを感じた彼は、今まで見たことのない父の態度に内心で軽く驚く。


「相手の非道に対してこちらが正道で返せば、周辺諸国や領内に我々の正当性を示すこととなる。現在ダリウス司祭がヘプルクロシアに再び使者として発っている故に、その返答をひとまず待つこととしよう」


「承知しました」


 温厚で知られるフィリップにすら看過できぬ、ヘプルクロシアの非礼。


 もしもダリウスの交渉が失敗した時に備え、二人はその対処を話し合い始める。


 しかしその話は、あらかじめ定まっていたことを再確認するようにするすると進み、立て板に水といった感じで進んでいき。


 そして話が終わった後、アルバトールはエルザに会うべく教会へ向かった。




「井戸か……思えばあそこから僕の試練は始まったのかも知れないな」


 受付に出た尼僧に、アルバトールを呼んだ当人であるエルザが敷地内にある井戸で待っていると言われた彼は、そちらへ足早に向かう。


「お久しぶりです、エルザ司祭」


「久しぶりですわね天使アルバトール。さて貴方をお呼びだてし……」


 井戸の底を覗き込むようにその傍らに佇んでいたエルザは、アルバトールを見た途端に呼んだ理由を話そうとする。



 だがエルザ以外にもう一人、その話を途中で遮る者がその場に居た。



「理由は私が話しましょう。ミカエル様」


 横の茂みから声がしたかと思うと、その中から少々小柄な少女が頭に葉っぱをくっつけたまま二人の前に姿を現し、時間が惜しいとばかりにすぐに自己紹介を始める。


「天使アルバトールだな? 私は四大天使が一人にして天軍を指揮されるミカエル様の副官、水のガブリエルだ」


「貴女があの……」


 未だ彼の呼びかけに対して反応しない天使メタトロン。


 そのメタトロンを封じる為に東方から呼び戻された水のガブリエルが、無駄に得意気な顔をしてそこに立っていた。

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