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第94-1話 自由の墓場

 闇に抱かれるのは気持ちがいい。


 人はまどろみ、眠り、闇に包まれなければ死んでしまう。


 しかしその中には、世の中の殆どの人が望まぬ結果、闇に抱かれて死ぬことも含まれているのだ。


 同じ闇でありながら、人は一方の闇を望み、もう一方の闇は望まない。


 今自分を包んでいる闇は、そのどちらなのだろう。



 アナトの術と大剣によって吹き飛ばされ、一瞬意識が遠ざかっていたアルバトールは、そんなことを考えていた。



[どうした天使。貴様が障壁で術の直撃を交わしたことは判っているぞ。さっさと立ち上がるがいい]


 術を避けたはずのアルバトールが地面に転がったままなのを見たアナトは、目の前の敵が一芝居うっていると思ったのか、迂闊に近寄らず冷たい声のみをかける。


 しかし八雲の後ろで戦いの行方を凝視していた人々には、ただアルバトールが立ち上がれないほどの怪我を負ったようにしか見えなかった。


「団長! 兄ちゃんが! アルバ兄ちゃんが!」


「落ち着けリュファス! 今のアナトの言葉を信用するなら、アルバトールはまだ生きているはずだ!」


 だがそう叫んだ直後、ベルナールは自分が発した言葉の意味を反芻してぞっとした。


(まだ生きている……それではまるで、アルバトールの死が避けられない決定事項のようではないか!)


 出立前のエルザの警告。


 また有事の際にアルバトールが一人で行動しやすいように、彼に後備えを命じたことを思い出し、ベルナールは更に後悔の念に包まれる。


(何故あの時、私はアルバトールに一人で敵をひきつけた後はそのまま撤退しろと厳命しなかったのか……いや、今は後悔している時では無い)


 ベルナールは下がりかけていた顔を上げ、アナトと対峙するアルバトールの勝利を祈りながら自分を鼓舞した。


(まだアルバトールは生きている。それは我々がまだ戦いの結果に介入できる機会も残されていると言うことだ! 天使と旧神という強大な存在の前に、矮小な人間に打てる手は無いと考えるな! 矮小な人間だからこそ打てる手があると考えろベルナール! 戦っている本人より先に我々が絶望してどうするのだ!)


 絶体絶命の危機。


 しかしそれを打ち破るべく、ベルナールはその頭脳にあるすべての知識を総動員し、常識に拘らない、非常識を含めた計画を練っていく。


 そしてその視線の先で倒れていたアルバトールが立ち上がる姿を見たベルナールは、不意にある一つの考え、ある一つの報告を思い出していた。



「確かに直撃はしていないが、それでもかなり痛いんだ。無理はさせないで欲しいな」


 八雲の背後に立つベルナールたちが、倒れ伏した自分を気遣う表情。


 そしてニヤけた笑顔の裏に見え隠れする焦りを隠そうともしない、青い髪を持つお人よしの旧神を見たアルバトールは、心配ないとばかりに笑顔を作って立ち上がり、下手にアナトが暴発しないように軽く説明をする。


「天使の自己治癒能力で痛みはそこそこ消えるんだけど、痛みを完全に消すことは出来ない。負傷の存在を忘れちゃうからね。決して油断させる為に倒れてた訳じゃない」


 先ほどアナトの逆鱗に触れた原因となったもの、自分が手抜きをしているという意味に繋がらないように、彼は発言の内容に気を使いながら理由を説明した。


「さて……旧神アナト。再開する前に聞きたいことがある」


[時間稼ぎか? それも良かろう。弱者には自らが持つ力の不足を知恵によって補い、強者に立ち向かう権利がある]


 美しく微笑むアナトに、アルバトールは少々の怒りを込めた問いをした。


「なぜ関係の無い人々を巻き込む必要がある? 僕と戦いたいだけなら皆を巻き込む必要は無いだろう。それとも単に自分の強さの確認、自己満足を得たいが為に、僕の本気を引き出す為だけに皆を巻き込もうとしているのか?」


――だがその問いがアナトにもたらした変化は――


[まだそんなことを言っているのか。呆れた男だ]


 アナトは侮蔑の表情を浮かべると、ただちに剣を軽く横へ薙いでアスワド=タキールを作り出す。


[天地開闢(かいびゃく)以来、無関係の者を巻き込まぬ戦争は存在していない! 貴様は今まで一体どこで何を見、何を聞いてきたのだ! この愚か者が!]


 怒りのままにアナトが放った、数え切れぬほどのアスワド=タキール。


 アルバトールはその威力を減衰させながら、何重にも重ねた障壁で防いでいく。


 しかしそれでさえ、唸りを上げながら無数に飛んでくる黒い球体を完全に防ぐことは出来なかった。


(まだ炎の森は使える段階に無いか……!)


 仕方なくアルバトールは最も安定した状態の物質、つまりは固体を防壁とする。


 地面を爆発させ、大量の土や石の破片を浮き上がらせてアスワド=タキールへの最後の対抗とするが、最初の二~三発でそれは殆ど吸い取られ、弾かれ、残った数発が土煙の向こうにいる彼に襲い掛かっていく。


[その程度の強さで、よくこの王都に潜り込もうと思ったものだ……おっと]


 アルバトールが浮き上がらせた大量の土砂の向こうに、僅かな光が灯る。


 それを見たアナトは即座に暗黒魔術の障壁を展開させ、土煙の向こうから放たれた聖天術を防いだ。


[天使たちが格上の敵に対して聖天術を使うことは織り込み済みだ。何とかして当てる為に無駄な努力をすることもな]


 そしてアナトは再びアスワド=タキールを撃ち込み、アルバトールが防壁に使った――と見せかけて目くらましに使った――土煙はすべて消去されてしまう。


 しかしその向こうから現れた天使に、アナトは少々訝し気な表情を浮かべていた。


(聖天術を使った後は、天主へ感謝の祈りを捧げる必要があるはずだが……?)


 一向に祈りを捧げる様子の無いアルバトールを見て、何か罠を張ったのかとアナトは疑いの目を向ける。


 だが余計なことに意識を向け、眼前の相手の行動を見逃す愚は避けるべき、と判断した彼女はすぐに罠の存在を頭から取り除き、剣をこちらに向けて構えるアルバトールを見据えた。


「これは戦争じゃない! 一対一の決闘じゃないか! それに皆を巻き込む必要がどこにあるって言うんだ!」


[お前たちは、我々との戦いを天魔大戦と呼んでいるのではないか?]


 反論の言葉に詰まったのか、口をつぐんだアルバトールを見るアナトの視線は冷たいものだった。


[お前たちの王都は落ち、国王は戦死。守っていた部隊はほぼ壊滅。これらの事実を見てもなお、お前は自分たちを蚊帳の外に置いて見るのか? この戦いは自分たちに関係の無い者が勝手にやっていることだと]


 アナトは大剣の切っ先をゆっくりとアルバトールへ向ける。


[戦い抗うことを放棄した、あるいは考え論ずることをやめた家畜と戦うなど、如何に永劫の時を生きる我々でも割くには惜しい時間だ。そろそろ終わらせよう]


 目の前の相手に興味を無くしたように見えるアナトに対し、剣を構えるアルバトールは問いを止めようとしない。


 心の迷いは剣先の迷いに通じ、行き先に迷った剣先は自らに還る。


 騎士の養成所時代に習った言葉を思い出しながら、アルバトールは自らの迷いを捨てようとしていたのだ。


「もう一つの質問に答えていないぞアナト! 貴女は自己満足の為に僕たちに戦いを仕掛けているのか!? 平和を忌み、争いを嫌う者を忌み、戦いの結果こそが正義とでも考えているのか!」


 しかしそのアルバトールの問いに対し、アナトは失望の色を隠さぬまま首を振る。


[戦争は自己満足の押し付け合いで始まり、相手に自分の考えを押し付けた後に終わる。つまりお前らが信じる唯一神を掲げ、他教を認めず人々の教えや考えを一体化すれば、ひょっとすれば多くの戦いが無くなるかもしれん]


「それじゃあ……」


 アルバトールの顔が明るくなり、何かを口にしようとした瞬間、アナトの大剣が大きく振り下ろされて辺り一体を轟音が包んだ。


[だがそれは一つの教義という地面の下に、すべての個々の自由を埋め尽くした後に残る物だ。領土、宗教、言語、人種など、人と人の間に存在する壁は、そこにある個人の自由や権利、誇りを内包している]


 直後にアナトがそう告げると、アルバトールの顔は見る間に硬いものへと変わる。


[それに気付かず、あるいは目を逸らして、自分たちにとって都合の悪い物すべてを記憶の底に埋没させようとしているのがお前たちの信奉する天主! それに抗い、個々の自由を守る為に我々は戦っているのだ!]


「それは自由を盾に戦いを正当化しているだけじゃないのか!」


 再びアナトは大剣を地面に叩きつけ、叫びを上げた。


[平和を盾に他教を認めず、信じる神を選ばせず、滅ぼしてきた者の手先がそれを言うかこの偽善者が! 我々の信者がどれだけ貴様等に殺されたと思っているのだ!]


「それは……」


 アナトが暴露した彼らの目的と反論を聞き、アルバトールは今まで教えられて来たこと、それどころか自分の拠って立つべき根底すら崩れ去ったように感じ、愕然としながらガスパールの言葉を思い出していた。


(建物――国や領地――を支える柱は、価値観が多ければ多いほど多くの者を守れる……しかしそれは、唯一神である主の教えを否定することに繋がる……!?)


 アルバトールは混乱の海に落ちる。


 自分の今までの人生が否定され、今自分が踏みしめている大地ですら波に飲み込まれる寸前の砂城のように感じられるほどの大海へ。



[何ごちゃごちゃやってんだお前ら。お前らが今やるべきことは、この戦いの決着をつけることだろうが]



 だが、そこに一枚の言の葉が涼し気な風によって投げ込まれる。


 濁流に流され、天地の方向すら見失った者の目の前に投げ込まれた木片のように、その言の葉はアルバトールの意識を浮き上がらせていた。


[戦う意義や正当性? そんな小難しいことはそこに居るベルナールやモートに考えさせりゃあいい。お前らが面倒な物を抱え込んで戦う必要はまったくねえんだ。お前らは大切な人や物を守る為に戦って生きのび、その後は故郷に帰って大事な人たちに元気な顔を見せることだけ考えてりゃあいいんだよ]


 呆れたように軽い口調で。


 世の中のすべての悩みを馬鹿げたことだと笑い飛ばし、軽く吹き飛ばすような顔をしたバアル=ゼブルの発言が、その場の澱んだ空気を流し去る。


 それはまさしく自分の寄る辺を持つ者。


 過去の悩み、苦しみを乗り越えた者が持つ雰囲気が、敵味方を問わずその苦悩を掬い取って行った。


[アナト、お前が死んだら俺も生きちゃいられねえ。俺を殺さない為にも勝てよ]


 バアル=ゼブルが発するいたわりの声。


 それを聞いたアナトはたちまち腰砕けとなり、恥じらいの表情を浮かべる。


[それからアルバトール]


 バアル=ゼブルがアルバトールに声をかけた後もそれは変わらず、先ほどまで激しい戦闘が行われていたとは思えないほどに、辺りは厳かな雰囲気に包まれた。


[戦いってのは、相手のすべてを背負う覚悟が無いならやるべきじゃねえよ。戦った相手を殺した瞬間から、その相手の顔が、隣で死んでいった味方の顔が、お前さんのこの先の人生のすべてで浮かんでくる。食事、睡眠、恋愛、結婚、子育て、親の死、そのほかにおいても、事あるごとにお前さんは慙愧ざんきの念に囚われるだろう]


 寂しげに言うバアル=ゼブルを見たアルバトールは、かつてエンツォに諭された時の言葉を思い出しながらその忠告を聞いていた。


[その覚悟がねえならそこで自害しな。そうしたらお前さんの仲間だけは助けるように俺がアナトに言ってやる。だが、この先お前さんが生きることで助かる命がある。もちろん死ぬ命もな。だから簡単に答えを出すな。物事を一方向からだけで判断するなよ]


 言い終わると同時にいつもの軽薄な笑みを浮かべるバアル=ゼブル。


 この時、間違いなくアルバトールは敵が口にした言葉と笑顔に救われていた。

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