第93-2話 戦う心構え
鈍る決心を押し、アナトへと切りかかっていくアルバトール。
しかしその足はもたついており、とても戦おうとしているようには見えなかった。
「何をしているアルバトール! どこか調子が悪いのか!? そやつは我らが国王を殺し、王都を占領している敵なのだぞ!」
動きに精彩を欠くアルバトールを見たベルナールが叫び、奮起を促すが、それでもアルバトールの剣先には明らかに迷いがあった。
「まずいな……結界があるとは言え、先ほど広場に駆けつけて来た時に比べて明らかに動きが鈍い」
ベルナールの言葉に周囲に居る者たちはざわつきはじめ、天にも祈るような表情でアルバトールを見つめる。
「元々アルバトールは争いごとが苦手な性格と言うこともあるのだろう。しかし相手は旧神の一人であり、王都を守護していた騎士たちを何百人も殺した憎き魔族を率いる将。倒すことを迷う必要は無いのだが」
ベルナールはそう言うと、自分の発した言葉に含まれている意味に気付き、奥歯を噛みしめる。
それは戦いを好まぬはずのアルバトールに、戦いを無理強いして彼を苦しめているだけなのではないかという後悔だった。
(愛されているらしいな、あの若者は)
巨大な剣を軽々と振るうアナトの連撃に一方的に押されるアルバトールと、その姿をやきもきしながら見つめる人々。
横目でそれを見た八雲は苦笑し、再び戦う二人に視線を戻す。
激しいアナトの攻撃をかわしつつ、反撃の機会をうかがうアルバトールを見た八雲は、我知らず青い髪を持つ一人の旧神を思い浮かべていた。
そこにアナトが発した術が流れてきたことに気付いた彼はそれを防ぎ、後ろに庇っている人間たちに当たらないものは流れるままに結界に吸収させる。
最初こそ荒いように見えていた結界は、どうやら普段は中に居る者の力を抑えるだけに徹し、戦いの余波が流れてきた時などは必要に応じて成長してその目を塞ぐ。
そして用が無くなれば再び元に戻って、力の無駄な放出と精神の疲労を抑える仕組みになっているようだった。
(さて、どんな言いがかりをつけて強制的に戦いを終わらせるか……ふむ? この気配は……どうやら来たようだ)
八雲はこちらの方角へ飛んでくる存在を感じ取り、ニヤリと口を歪ませた。
(事態をややこしくするには持ってこいの奴がな)
八雲は右手を顎に当て、これからの展開を引っ掻き回すトリックスターの到着を不敵な笑みを浮かべながら待ち構えた。
程なく風の精霊たちが脇へよけ、青い髪を持つ一人の旧神が音もなく現れる。
[よう、頑張ってるじゃねえかアナト]
[あ、兄上!]
バアル=ゼブルがそう声をかけた瞬間、アナトは即座にアルバトールを大剣の一撃で吹き飛ばした後、アスワド=タキールで念入りに追い討ちをかけ、頬を染めつつバアル=ゼブルの元へ駆け寄る。
[おいおい、お前は天使と戦ってる最中だろ? その途中で俺の所へ来るなんざ、両天秤にかけられてるみたいで面白くねえなぁ? 俺と語らいあいたいなら、アイツをキッチリ片付けてからにしな]
顔を上気させ、バアル=ゼブルに何度も頷き、その間にも背後のアルバトールに向けて数知れずのアスワド=タキールを撃ち込んでいたアナトは、どことなく浮付いた足取りで背後の天使のところへ戻っていった。
「ふむ、これで互角だな」
[あ? 互角って何のことだ?]
とぼけた口調で問いかけてくるバアル=ゼブルの方へ八雲は振り返ると、呆れたようにここに来た用件を聞く。
[何で来たかって、そりゃ来るだろ。俺を何だと思ってるんだまったくヤグルシ]
その質問に答える最中、ごく自然に。
まるで動きが鈍いアルバトールに向けて野次を飛ばすかのように、バアル=ゼブルは渾身の力でヤグルシを放つ。
しかしその威力が結界で殆どかき消されたことに面食らった彼は、感嘆の口笛を吹いた後に腕を組んだ。
[こいつぁ大したモンだ……俺のヤグルシがここまで威力を減衰させられるとはな]
「……ひきょ……う……」
だがまったくの予想外の方向から攻撃を浴びせられたアルバトールは、まるで防御の手段が講じれなかったためにヤグルシの電撃に痺れて地面に倒れてしまっていた。
地面に転がった体を少々痙攣させつつ、上手く回らない口を駆使してバアル=ゼブルを罵るアルバトール。
しかしその呪詛を浴びせた相手は、自分は何も知らないとばかりに八雲へと視線を逸らしていた。
「こう言う一対一の決闘形式の戦いでは、外部の者は普通手を出さないものだぞ。次回から気をつけろ」
一旦戦いを中止させ、アルバトールの回復をする八雲。
しかし注意されたバアル=ゼブルはそれほど反省した様子も見せないまま、結界の中の戦いを注視すると眉を寄せ、不可解な表情へと変化させる。
[にしても、アルバトールの動きが鈍すぎるな。結界のせいだけじゃなさそうだ]
先ほどヤグルシによる不意打ちを行った本人が、まるで他人事のように呟くのを聞いたベルナールは、呆れた口調でバアル=ゼブルを咎めた。
「いきなりヤグルシを当てたことには触れずに良く言うものだ。そうだな……私が思うに、おそらく安全な場所に来たことと、瀕死であった我々の傷が癒えたことで戦う目的を見失っているのだろう」
[なんだそりゃ。あのボウヤまーだ戦いってものが判ってねえのか?]
首を振るバアル=ゼブルにベルナールは頷き、撃ち込んだ剣があっさりとアナトに弾き返されたアルバトールへ溜息をつく。
「困ったものだ。倒すべき敵を憎みきれずに太刀筋が鈍る所など、まったく父君に似て甘い性格をしている」
(今回アルバトールを随伴させたのは、偵察による情報分析もさることながら、戦いという物をその肌で感じてもらうこと、また魔族の圧制に苦しむ民衆を見てもらって魔族への闘争心をかきたてる目的があったのだが……どうやら裏目に出たか)
少々焦りつつ現在の状況をまとめたベルナールは、周囲に居る討伐隊と同じようなやきもきした表情となったバアル=ゼブルを見て苦笑いを浮かべた。
「旧神の正体がお主のようなものでは、戦う相手と見るどころか、逆に身近な人間のように感じてしまっても仕方が無い。あのアナトですら、広場で我々の芸を見て普通の人間の娘のようにはしゃいでいたからな」
アナトの大剣がアルバトールの体にかすったのを見て、渋面となったベルナールが呟いた内容に、八雲とバアル=ゼブルは顔を見合わせる。
[瀕死になっていた我々、か……その件については後で詳しく聞かせてもらうとして]
バアル=ゼブルはアンドラスを睨み付け、震えあがる彼から視線を外すと深刻な表情で八雲へ話しかけた。
[これからどうすんだよ八雲]
「どうするって……アナトが優位に立つのはむしろお前にとって望む所ではないのか」
[まぁ、そりゃそうなんだがよ]
少し離れた所で戦いを見守るアンドラスへチラリと視線を送ると、バアル=ゼブルは困ったように頭を掻いてアルバトールを見る。
[アイツを倒す権利は俺だけに許されたものと思ってたからな、チョイと複雑な気持ちつーかなんつーかよ……ああクソ、めんどくせえな。そういうお前はどうなんだよ八雲。ここでアルバトールが倒れたらお前だって困るんじゃねえのか?]
「何も困ることは無いな。いざとなればアナトを殺してしまえばいいだけの話だ」
[あっさりと言うなオイ……それが俺たちとの全面戦争に直結することだと判って言ってんのか?]
困惑するバアル=ゼブルに、八雲は今さら何をと言った表情で口を開いた。
「別に構わん。俺一人でお前たちに勝つことは無理だろうが、それなりに戦力を削ることは出来る。そしてその後にお前たちを待っているのは、天使たちの総攻撃による敗北だ。王都を手に入れる機会が再び訪れるのは、どれほど先になることだろうな」
[チッ、お見通しかよ]
拗ねた口調で答えるバアル=ゼブルを涼し気な表情で見た八雲は、この青い髪の旧神が来た途端に、アナトの繰り出す攻撃がおよぼす周囲への危険度が、数段低くなったことに気づいて微笑みを浮かべる。
「三すくみとは良く言ったものだ。例え一つが一つを死闘の末に喰らっても、生き延びた方は残ったもう一つの無傷の勢力に飲み込まれるのみ。まぁ俺は当分の間、高みの見物と決め込ませてもらうかな」
[当分の間ってことは、その先にある何かを見据えてそうするってことか?]
八雲が口にした内容に聞き捨てならないものを感じたのか、バアル=ゼブルはその顔を覗き込む。
[そう言えばお前さん東方から来たんだよな? どのくらい遠くから来たんだ? このテイレシアに来た目的は何だ?]
「残念だが何も覚えていない……はずだ。もしくは周囲にそう思わせるように俺が記憶を封印したのかもしれん」
[何だそりゃ。お前さん周囲に知れたらまずいような目的を持ってるってことかよ]
「最近そんな気がするようになっただけだ。何しろタカマガハラを出てから……タカマガハラ?」
八雲はある言葉を発した途端に頭を押さえてよろめくが、バアル=ゼブルに肩を掴まれて何とか体勢を持ち直す。
[おいおい、大丈夫かよ……]
バアル=ゼブルは八雲を支えると、アルバトールの様子をうかがった。
その時アルバトールは炎の槍の術を放つ所だったが、先ほど王都の上空で彼と戦った時に放った術と比べれば、今放ったそれは十分の一程度の力しかない、言わば炎の矢としか見えない物だった。
(こっちもこっちでヤベえな。どうすんだよこの先の展開は。どう収拾をつける……? そう言えばさっきベルナールが話した内容じゃあ、奴が甘ちゃんだからアナトと戦うのを躊躇ってるって話だったっけか)
バアル=ゼブルは即座に一つの考えを頭の中に浮かばせ、それを実行した。
[おい! 何を迷ってやがるアルバトール! 万が一まぐれでお前さんが勝ったとしても、お前がアナトを殺さずに国へ帰ればいいだけの話だろうが! チンタラやってんじゃねえぞ! お前もだアナト! 相手が不調に見えるからって手を抜くんじゃねえ!]
真意を見抜かせぬ為に、アナトにもハッパをかけたバアル=ゼブルだったが、その効果は絶大な物だった。
彼の思惑とは違った方向で。
[まさかお前も手を抜いていたというのか?]
「それは……いや、手を抜いていたわけじゃない。ただ、戦う目的が判らなくなってきただけだ」
攻撃を止め、質問をしてきたアナトに対し、アルバトールは素直に答えた。
[未熟なお前が、このアナトに対して情けをかけたというのか?]
「それは断じて違う!」
明らかに先ほどまでの気配とは違う、肌を刺してくるようなアナトの殺気にアルバトールは肝を冷やす。
[……もう良い。天使よ。この戦い私が勝てば、お前の命は元より八雲の背後に隠れている人間どもも皆殺しにさせてもらう]
アナトが発した言葉の内容に、アルバトールは心臓が口から飛び出すほどの衝撃を受け、思わず目を見開いてアナトを見つめた。
「約定を違えた時点でお前を切り捨てるぞアナト」
[やれる物ならやってみるがいい。この天使を倒した後はお前だと言ったはずだ]
頭痛をこらえるかのように、額に手を当てた八雲が静かに警告を発するも、アナトはそちらへ吐き捨てるように宣戦布告をした後、アルバトールに向かって大剣を構えた。
[お前が勝ったなら、その後は私を好きにするがいい。だがお前が私に負けて死ねば、その後は私と八雲との戦いになってどちらかが死ぬ。更にその戦いに私が勝てば、お前の仲間も皆殺しとなる。お前の甘さが次々と余計な犠牲を生むことになるのだ]
「何故そうまでして僕に戦わせようとする!」
顔を歪め、アナトに向かって叫ぶアルバトールに対し、アナトも叫び返した。
[それが戦いというものだからだ! サルブ=トゥルバ!]
見る間に硬化、黒く結晶化した地面が、まるで蛇のようにうねりながらアルバトールに向かっていく。
それと併行して高速で飛び込んでくるアナトに対し、アルバトールは呆然と立ちすくむことしか出来なかった。
「アルバ兄ちゃん!」
リュファスの悲鳴の直前、アルバトールは結晶に四肢を打たれ、アナトの大剣によって吹き飛ばされていた。