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第92話 光の翼

 その時アナトは、風の精霊たちが脇へ退いてここへ向かってくる者の道を開けるのを感じた。


 良くあることだった。


 風の精霊にとっての王の一人、バアル=ゼブルが飛行術を使った時は、彼の移動を妨げぬように精霊たちが脇へ避けるのは至極当然のことなのだから。


 程なく風が舞い、影が過ぎ、ほぼ無音のままに一人の男が現れる。


 しかし現れた男の使う飛行術は、いつものものに比べてやや未熟に感じられた。



 彼が気付いた時、その体は天高く跳ね上げられていた。


 何が起こったのか理解は出来なかったが、何をするべきかは即座に判断できた。


 即ち飛行術を発動し、地面に降り立つこと。



 だが、それは叶わなかった。



 彼は飛行術を発動させようとしたのだが、何者かの妨害によって精霊との交信すら出来なかった。


 仕方なく彼は受身を取ることにする。


 相応の負傷はするだろうが、人間と違って魔神である彼の体は、かなりの高さから落ちても命は取り留められるはずだった。


 しかしそれすら叶わなかった。


 彼の全身は痙攣し、まったく自由を奪われていたのだ。


 為す術も無く地面に落下していく彼は、偶然目に入った地上の様子を見てすべてを理解し、そして底知れぬ恐怖に背筋を凍らせる。


 そこには十数メートルに及ぶ巨大な光の翼を広げた一人の天使が、彼に向けて右手を掲げていた。



 眩い光が天使の右手に宿り、巨大な光の柱が魔神を包む。


 次の瞬間、彼の体は跡形もなく消え去っていた。



「にぃ……ぢゃああん……」


 自分の頭を掴んでいた魔神の腕を切り落とし、その体を天に向けて放り投げた一人の天使に向かって、リュファスは泣いていた。


「俺のせいで……ねぇちゃん……みんな……も……」


「遅くなってごめんなリュファス。大丈夫だ、後は兄ちゃんが何とかするから泣くな」


 アルバトールはリュファスの頭を撫で、数瞬で全員の体を解析する。


(団長がこの中では一番の重体か。だがその治療をするには……)


 旧神の内で最強、闇の土アナト。


 彼女の向こうにベルナールは倒れていた。


 かと言ってベルナールの治療を行うまで他の者たちを放っておくわけにもいかず、アルバトールはリュファスから治療を行う。


 だが顔の負傷だけがどうしても治らないことを不思議に思った彼は、そこでリュファスの右目が潰れていることに気付いた。


「リュファス、お前目はどうした」


「俺……片目で済んだけど……エレーヌ姉ちゃんは……俺たちを庇って両目を……」


 しゃくりながら地面に数滴の染みを作るリュファスの言葉にすべてを察し、アルバトールはエレーヌの方を見る。


「遅刻だぞアルバトール、来月の減俸を覚悟しておけ」


 彼女はいつものように、整った口を開け力強く言葉を発したが、美しい切れ長の両目は閉じられたままだった。


「エレーヌ殿、白馬の王子は業務外の慈善活動ですよ」


 現在のアルバトールの力をもってしても、消え去った部位の復元は出来ない。


 歯噛みをし、自分の無力さを呪うアルバトールは、リュファスの傷を癒しながら少し震えた声で軽口を叩いてみせる。


「白馬の王子様は、笑顔で姫を迎えに来る物だぞ。そんな情けない声を出すな」


 アルバトールはエレーヌに無言で頷き、リュファスの治療を終えた。


 そしてやはり重傷であったロザリーの方を向くが、既に彼女は自分で治療を行ったようだった。


[では、始めようか天使よ]


 その他のものも自分で治癒したのか、目立った外傷は見受けられず、それを確認したアルバトールはベルナールの方へ向き直るが、そこには大剣を手に持ったアナトが、うっすらと笑みを浮かべていた。


「まだ治療が必要な人間が残っているんだが」


[そちらの治療は私を倒してから。それがこの状況における定番と言う奴だろう?]


 アルバトールも剣を抜き、アナトに向かって構える。


「座天使アルバトール、そこを通してもらうぞ旧神アナト」


[安心するんだね。お前が死んでも通してあげるよ!]


 二人が駆け寄ろうとした瞬間。



「双方待て、街中の破壊活動は基本的に禁じられている」



 小さく、低く、だが力強さを感じさせる不思議な声が二人の横から発せられ、驚いた両者が振り向いたそこには空間の揺らぎが生じていた。


「八雲殿……」


 揺らぎから姿を見せたのは、自警団副団長の一人である八雲。


 闇の土アナト、上位魔神アンドラスなど多数の魔族が集まっている広場に、いつも通りの辺りを一向にはばからぬ態度で現れた彼は、周囲の様子を見て眉をひそめた。


「ひどい有様だな。少々時間を貰うぞ」


 そして八雲は静かな息吹と共に、目を閉じる。


「八坂の勾玉よ、虚の海に消えしモノを従え現世へ。我はスサノオ也」


 詠唱が終わった途端、その場に倒れていたすべての者たちは回復していた。


 いや、単なる回復というだけであれば、先ほど済んでいただろう。


 しかし八雲の施術は、魔神に飲み込まれて失われたはずのエレーヌの目も再生させており、更にアナトの向こうで倒れていたベルナールすら無傷で立ち上がっている。


 自分の法術すら応急処置に過ぎなかったと言うような、信じられない光景を目の当たりにしたアルバトールは絶句し、呆然と立ちすくんだ。


「これで戦う理由は無くなったな。ではフォルセールの者たちはここから帰るといい。アナトとアンドラスはこの者たちを傷つけた理由について、じっくりと詰所で聞かせてもらおう」


 そう言い放つと八雲はアナトに歩み寄っていくが、そうはさせじとアンドラスが慌てて横から口を挟み、八雲の足を止めた。



[ま、待て! 我々とこいつらは戦争をしている間柄だぞ! ここであっさり見過ごす道理があるか!]


「ほう? これは妙なことを言うものだ」


 八雲が軽く睨むとアンドラスは怯んで後ずさるが、それでも先ほどの発言を撤回する様子は無かった。


 それを見た八雲は体をアンドラスの方へ向け、向けられた上位魔神と言えばそれだけで耐えられぬと言わんばかりにもう半歩ほど後ずさり、腰を落として身構える。


「アンドラスとか言う名前だったか。そもそもこの者たちが命じられたのはここテイレシアからの追放ではないか。それを見過ごす道理が無いとはどういうことか説明しろ」


[そそっそ……それは……それは! 追放するとは言ったが、その後追い討ちをしないとは言っていない!]


 うろたえるアンドラスが思わず口走った内容。


 それを聞いた瞬間、八雲の瞳には雷光のような鋭い光が宿っていた。


「それを二枚舌と言うのだ痴れ者が! あまり俺を怒らせるな! 街から追放すると言ったからには、街から出るまでの安全を保障するのが当たり前ではないか! それを彼らが街を出る前から騒ぎを起こした上に街の破壊! あまつさえ年端も行かぬ子供への残虐な仕打ち! これを見過ごしてもらえると思ったか下劣な鬼が!」


[いや、少し待て八雲よ]


 激怒する八雲に対し、アナトが困惑したように声をかける。


[そもそも街を出る直前に霧を発生させ、混乱の原因を招いたのはこやつら……]


「この者たちが起こしたという証拠はあるのか? いや、あったとしても、街の中から多くの魔物たちが外に向かって飛び出していった証言は得ている。貴様等が最初から町の中で騒ぎを起こす目的があったことは明白だ」



 アナトは舌打ちをした。



 伏兵ではなく、野次馬としての魔物を遠ざけなかったのは明らかに失態だった。


 だが追放の命から実行までに、あまりに時間が無かったこと。


 統率と言う言葉に縁が無い下位魔物たちを、力ずくで遠ざける時間が無かったこと。


 それを押して無理矢理に遠ざけようとすれば、無用な騒ぎが起こって要らぬ警戒心を人間たちに与えてしまうことに成りかねない。


 よって下位魔物たちを放置しておいたのだが、今となっては遅かった。



(こんな時に限ってあの道化師はどこをうろついているのだ! そもそも奴が勝手に立てた計画ではないか!)


 アナトは心の中で毒づくが、それで事態が好転するわけではない。


 加えて彼女は無力な人間、特に子供が混ざっている相手を倒して誇るような性格はしていなかった。


 目の前にいる八雲や、向こうからこちらを見ている天使のような、彼女と互角に勝負できる敵と戦い、勝利を得ることに満足感は得ても、非戦闘員である民衆を巻き添えにしてしまうような場所で、無理に戦う必要性は感じなかったのだ。


「だが、そなたたちにも面子があり、引くに引けない状況であることも理解出来ないわけではない。そこで一つ俺から提案がある」


 八雲の提案にその場にいる人々は耳を傾け、その内容に多少の驚きを見せたものの、すぐに納得をして広場に散開していった。


 この場に現れていない一人の堕天使のことを、心の片隅で不安、あるいは不満に思いながらも。




[待てアガレス! 貴様一体どういうつもりだ!]


 その広場に現れていない堕天使、アナトが毒づいた相手であるジョーカーは、人質の子供に釣られて広場に次々と人間が集まっているのを感じ取り、鐘楼から広場に向かおうとしていた。


 しかしその途中で彫像と化したアガレスを発見した彼は、迂闊にもベルナールたちがかけた幻術にかかったままの魔神に近づき、メイスの一撃を受けてしまっていた。


(これは幻術か!? しかしこいつほどの力を持つ魔神に幻術を掛けられる者がそうそう居るとも思えん。アルバトールは向こうでバアル=ゼブルと戦って……うおっ!?)


 ジョーカーはアガレスの攻撃を避けた際に、脇の路地に数体の魔物の死体が転がっているのを見て、歯噛みをしながら自らの治療をする。


[アガレス! 気をしっかり持て!]


 恐ろしい速さで振り回されるメイスを避けながら、ジョーカーはアガレスにかけられている幻術の解除を行うべく精神を集中させ、解析していく。


 しかしその精霊力はアガレスの精神状態、つまり動揺を示すかのように絶えず変動しており、尚且つ所々では強力な妨害がジョーカーの頭を揺さぶり、ようやく解析結果が得られたと思えば濃い霧がかかって何も見えないような状態にさせられた。


(小癪な……だが私にそんな妨害がいつまでも通用すると思うな!)


 ジョーカーが気合の声と共に手を突き出すと、アガレスの体がモザイクに包まれたように一瞬姿を消し、再びその姿を見せる。


(やったか!?)


 しかし、彼が止まることは無かった。


[何と!?]


 アガレスから飛んできた黒い羽根のような攻撃を受け、吹き飛ばされたジョーカーは息をつき、視線をギラついた物へと変えた。


[……仕方あるまい。貴様まで殺すのは痛手だが、ここで足留めを喰らうわけにはいかんのでな]


 ジョーカーが呟き、アガレスに向かおうとした瞬間、上から声がかけられる。



[何をしようとしてたんだい? ジョーカー]



 突如として響いたその声に、ジョーカーは多少の動揺を見せていた。


[ベリアル……いや、その投影か。何を遊んでいる]


 上を向いたジョーカーの視線の先には、半透明の姿をしたベリアルが浮いていた。


[何を遊んでいるとは心外だね。君の言ったとおり、城内で騒ぎが起きたから外で待っていれば、飛んで来たのは無人の馬車。そしてその後に上空で始まった激しい戦い。これで中に偵察に来ない者がいるかい?]


 無邪気な笑みを浮かべたベリアルは、アガレスの攻撃を避けながら徐々に力を溜めていくジョーカーに向け、一つの質問を飛ばす。


[さて、何でセーレとフェネクスを殺したんだい? ジョーカー]


[何をバカな……奴らを殺したのは天使とその仲間だぞ]


 ベリアルは口の端を吊り上げ、声を低めて更にジョーカーを質した。


[そうかい? さっき君がアガレスを攻撃しようとした時に、貴様まで殺すのは、なんて不要になった仲間を切り捨てるような言い草をしていたからちょっと気になってね」


[それは治安を乱す下級魔物たちが主だ! アンドラスやアガレスは我々に協力してくれる貴重な仲間だ!]


[まぁいいさ。ジョーカー、言っておくがアガレスを殺すことは僕が許さない。先だって始まった天使との戦いで、犠牲になっているのは何故か魔神ばかり。まるで僕たちが使い捨ての便利屋みたいに扱われてるようで、気に入らないんだよね]


 アガレスの攻撃が激しさを増した故か、それともベリアルの言うことに思い当たる節でもあるのか。


 ジョーカーが黙り込んだのを幸いに、ベリアルは難題を口にして押し付ける。


[と言う訳で、僕に出来る限りのサポートはしてあげるから頑張ってアガレスを幻術から助けておくれ]


[魔神ばかりが犠牲となっているのは、魔族の中で貴様等が最大勢力だから出番が多いだけだ! 決して他意は無い!]


[なるほど。最大勢力だから他意は無い、と。さて、それを判断するのは後としよう。僕がアガレスの気を引くから、君は何とかアガレスにかけられた術を解いてくれ]


[何をバカな……!]


 ジョーカーはここで足留めを喰らうこととなる。


 紆余曲折を経て彼がアガレスの術を解除できたのは、日も暮れてからであった。




「では始めるぞ。決着はどちらかが死ぬまで。立会人はこの俺が務めさせてもらう」


 アルバトールとアナトの二人が少し離れて対峙する中、中央にいる八雲が先ほどの提案について説明を始める。


 あれからアルバトールたちは八雲が使った術、天鳥船によって王都テイレシアから遠く離れた丘に来ていた。


 そこで互いに代表を出して戦い、それ以外の者たちには類を及ぼさないと言う八雲の提案に彼らは乗っていたのだ。



 正確には、乗らざるを得なかった。



 王都から数十キロメートルほど離れたこの丘。


 そこへアルバトール、アナト、アンドラス、エレーヌを含めた全員を一瞬にして転移させ、なおも平然とした表情をしている八雲の力に驚いた彼らは、下手に手を出して火傷をする可能性を恐れたのだ。


(なぜこれほどの力を持つ者が、自警団の副団長などに収まっているんだ……)


「では始めようか」


 アルバトールが八雲の正体について考えている間に八雲が戦闘開始の合図をし、アナトが構えるのを見たアルバトールは慌てて盾を構える。


 こうして天使と旧神の戦いは再び幕を開けた。

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