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第91-2話 生きる場所を守らんが為に


「こりゃ参ったぜ、手も足も出ねえとはこのこった。アナトとか言ったか。アンタ神様なんだろ? 俺を生贄にするから、一つ願いを聞いちゃくれねえか?」


[今さら命乞いか? だが……]


 冷笑を浮かべたアナトの言葉を、カロンが途中で遮る。


「あー、全員の命を助けてくれとは言わねえ。せめて身動きが出来るようにして、自分の運命を自分で決めれるチャンスを、もう一度こいつらに与えてやってほしいんだが」


 平然とした口調のままカロンが口にした言葉に討伐隊の顔色が、人間がアナトの言葉を遮るという不遜を目の当たりにした魔族の顔色が一変した。


「何言ってんだいアンタ!」


「うっせえ! 女はすっこんでろい! こいつぁ男の最後の意地って奴だ!」


「かしらー、見栄切ってカッコつけるのはいいですがケツから何か漏れてますぜー?」


「おおう……ヘマこいちまっただけじゃなくて、ミまでこいちまったかよ! こりゃしくったぜ!」


 豪快に笑うカロン。


 地面に転がったままだというのに、死を恐れぬ傲岸な態度をとる人間をアナトは見下ろし、静かに問うた。


[生贄になれば汝の魂は裂け、砕け散り、すべて私に吸収されて跡形も無くなる。それで良いのか?]


「ああ、悔いはねえ」


[如何に人の寿命が短いとは言え、見ればまだ死ぬような年でも無いのにか?]


 感情を見せぬままに問いかけてくるアナトへ、カロンは気持ちのいい笑みを見せた。


「俺ぁ農家の長男でな。下には四人の弟と三人の妹がいた。食う物はいつも無くてよ、育ち盛りの俺はいっつも野山に出かけちゃあ、ウサギやアナグマを探して獲ってた。ところがそいつは密漁って奴だったらしくてな。お尋ね者となって故郷から逃げ出した俺は、いつの間にか似たような境遇を持つ山賊の一員になってたのさ」


 地面に無様な醜態を晒したままのカロン。


 アナトはそんな男を静かに見つめ、その話を聞いた。


「そんな何の役にも立たねえ俺を……俺たちを……一宿一飯の恩義だけで、命がけで守ってくれた二人がいた。人様が汗水たらしてその手に得た金品を、奪うことしかできねえ俺たちを救い上げて下さった領主様がいたんだよ!」


 カロンは石畳の上で大の字になったまま、まごうことなき歓喜の声を天へ掲げる。


「命の恩人を! 恩人が産んだ子供たちを助けることが出来るならよ! 馬鹿で暴れることしか出来ねえ俺たちでも出来る仕事を提供してくれた、領主様に報いることが出来るならよ! 俺はこの命を何度でも捨ててやるぜ! 俺たちみてえな馬鹿でも生きていける場所を失くさねえ為にもよ!」


「かしらー、俺たちゃ神様と違って一度死んだらそれまでですぜー?」


「うっせえ! 感動的なシーンに水を差すんじゃねえこの役立たず共が! てめえら動けるようになったらきちんとフォルセールまで帰るんだぞ!」


「へーい、その努力だけはしてみますぜー」


 カロンへ返される、限りなく軽い口調の返答。


 その軽い口調からは想像も出来ない表情を、覚悟を、その場にいる全員がしていた。


 討伐隊ではなくとも、アナトの後方で身を裂かれんばかりの苦痛に呻いているベルナールも、血を流して倒れている三人も、それは同様であった。


[……お前はいい男という人間のようだな]


「そういうアンタはいい神様のようだな。それもとびきりの、だ」


 それを聞いた後、持つ当人の身長を超える巨大な剣をアナトは振りかざす。


 背中から聞こえてくる、倒れ伏したままの白髪の男が代わりに魂を捧げると叫んでいたような気もしたが、彼女にとってその叫びは少しも意味を持つものではなかった。



「ばっ……!? てめえ! 何してやがんだそこで!」


 なぜならその時既に、アナトとカロンの間には全身を震わせ、涙ぐんだリュファスが両手を広げて立ちすくんでいたのだ。



[どけ、子供よ]


「いやだ」


「そこを退けリュファス! ガキみてえに我が儘言って神様を困らせてんじゃねえ!」


「いやだ! 俺はまだ子供だ! 子供が我が儘を言って困らせるのは当たり前だろ!」


 顔を引きつらせ、叫ぶリュファスは無傷だった。


 彼以外の討伐隊やベルナール、エレーヌたちが地面に倒れ、彼と同じ年齢のロザリーですら右足、左腕を折られた激痛に顔を歪めながら耐えていると言うのに。



 彼以外の全員が負傷している中、彼だけが。



「おいおい、お前いつもあんなに一人前扱いされたがってた癖に、こんな時に限って俺は子供だとか通用するとでも……」


「一人前じゃなくてもいい!」


 リュファスは恐怖に涙をこぼれさせながら、アナトを睨みつけて叫んだ。



「一人前じゃなくていい! 子供でもいい! 俺は俺の我が儘を通す為に、ここを退いてやらない!」



――人間の持つ感情って衝動は、時々理性って制御を振り切り――



 リュファスはバアル=ゼブルの言った言葉を思い出しながら、震える膝を押さえつけ、自らの頬を殴りつけて痛みで正気を保とうとする。


(今なら判る……! 判るような気がする! 自分だけではどうにもならない時でも、咄嗟に体が動く訳を! そして今自分がやるべきことも!)


 歯を食いしばり、アナトに立ち塞がるリュファス。


 しかし神の行く手を遮るという不遜な行為は、相応の報いをもって彼の体に刻み付けられることとなった。


[アナト様に生贄を捧げる神事を妨げようとする身の程知らずな子供……この私めが処分いたしてもよろしいでしょうか]


 アナトの放った振動波によって討伐隊の全員が地に伏したことにより、先ほど動きを封じられたはずの下位魔神が再びリュファスの前に立っていた。



 一瞬の逡巡。



 その後アナトは身を翻すと無言で後ろへ下がっていき、それを好きにしろとの回答と理解した下位魔神が、リュファスの前で息を荒げた。


[一応先に警告だけはしてやろう。そこを退け子供]


 間近に迫った魔神の恐怖に口を開くことが出来ず、泣きながら顔を横に振ったリュファスに対し、魔神の一撃が飛んだ。


「リュファス!」


「どうしたロザリー! リュファスに何かあったのか!」


 眼を失くし、周囲を見ることが出来なくなったエレーヌが叫びをあげ、続いてカロンが怨嗟の声を下位魔神にぶつけ、そしてもがきながら必死にアナトへ体を向けた。


「てっめえ……おい! アナト! さっさと俺の魂を持っていきやがれ! 今すぐにこいつらを自由にしろ!!」


「ダメだ!」


 吹き飛ばされたリュファスが、即座に制止の声を上げる。


 そして体を震わせながらも立ち上がり、のろのろとカロンとアナトの間に歩いていくと、そこで両手を広げて再び立ち塞がった。


「ここは通さない」


[見上げた根性だ。しかし死ねばそこまでだと言うことには気付いていないようだな]


 再びリュファスは殴り飛ばされる。


 気絶でもしたのか、今度は立ち上がるまでに少し時間がかかったが、アナトは下がったまま動こうとはしなかった。


(時間稼ぎ……アルバ兄ちゃん……来る……きっとこいつら……を……)


 今度は吹き飛ばされなかった。


 その代わりにリュファスは両肩を外される。


 今度倒れた時に、立ち上がれないように。


「痛くない……通さない……」


 とうとうリュファスは痛みのあまり一種の催眠状態に陥り、子供には耐えられないほどの痛みを、五感すべての消耗と引き換えに耐えられるようになっていく。


 その異様な姿を見て下位魔神は恐れをなしたのか、それとも逆上したのか、大きく手を振りかぶった一撃をリュファスに加えようとしたその時。


「リュファスに何するですか!」


 手足を折られ、激痛に苦しんでいたはずのロザリーが、リュファスと下位魔神の間に飛び込んできていた。


「……!」


 しかし、リュファスの動きはそれ以上に素早かった。


 ぶらりと垂れ下がったままの腕を抱えてロザリーの前に回りこみ、背後に庇おうとした瞬間、下位魔神の手は振り下ろされていた。


 リュファスの右目から飛び散る鮮血。


 自らの怪我も省みず、必死にリュファスを呼んで無事を確かめようとするロザリー。


 リュファスは無言で魔神を睨み付けると、更に前に出た。


(もうすぐ兄ちゃんが来てくれる……そうしたらフォルセールに帰って……久しぶりに実家に顔を出そうかな……父ちゃんも母ちゃんも心配性だからな……俺ももう一人前だってのにさ……どうしたんだロザリー? 俺、すぐそこに居るぞ……?)


 意識が混濁するリュファスに迫る、魔神の屈強な腕。


 それが判っていても、彼は避けるという選択肢すら思いつかなかった。


(ごめん兄ちゃん……一緒に帰れないかも……俺、約束守れない……かも……)


「リュファス!」


 ロザリーの叫びが。


 討伐隊の、エレーヌの、ベルナールの叫びが、広場のみならず街全体を震わせる。


 リュファスの頭を握った魔神の手から血が飛び散り。


 一瞬、大きく跳ねた体を痙攣させたまま、宙に浮いた状態で彼は絶命した。

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