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第90話 集う者たち

(リュファスとロザリーは噴水の前、見張りは見えている範囲で七~八体だが、その内の一人は闇の土アナト。側にいるのはこの前アンドラスと呼ばれていた上位魔神か。見えない所にも魔族がいる可能性を考えれば、私だけで二人を助けるのは絶望的だな)


 群衆に紛れ込んだ一人のハーフのダークエルフ。


 油断なく周囲に鋭い視線を送った後に見つめた先には、二人の子供がいた。


 先ほどジョーカーが鐘楼の上から発した、リュファス、ロザリーの二人を人質に取ったという叫びは、脱出しようとしていたフォルセール勢をすべて広場に呼び寄せる呼び水となることに成功していた。


 その内の一人、フォルセール騎士団小隊の長エレーヌは、叫びを受けて広場に集まった野次馬の中に紛れ込んで二人を救う機会を伺っていたのだが、見張りの魔族に隙を見出すことが出来ず、少なからずの焦燥感をその胸に渦巻かせていた。


(せめて何か奴らの気を引くような出来事があれば、隙をついて二人を逃がすこともでき……何だ!?)


 突如として空から響いてきた轟音にエレーヌは驚き、上を見上げる。


 そこには二つの光が在り、まるで彗星の如く尾を引きながら激しくぶつかりあい、離れれば数々の光彩を見せる攻撃を互いに仕掛けていた。


 その度に大気が震え、体の芯まで揺り動かすような轟音が辺りを押しつぶさんばかりに響き渡り、広場に集まっていた群衆はどよめきをあげた。


(一体何が……と言っている場合ではない! この好機を逃すわけにはいかん!)


 見れば注意すべき相手であるアナトやアンドラスも上空を見上げており、リュファスやロザリーに対する注意も逸れている。


 まさに絶好の機会であった。



 助けるべき二人の姿が、既に噴水を挟んで彼女と逆方向に離れていたことを除けば。



「ロザリー! もっと早く走れよ!」


「そんなこと言っても、立ちっ放しだったから足が痛いです!」


 いきなり空から響いてきた轟音。


 と同時に、彼らを見張っている魔族の注意が上空に向いたのを見たリュファスとロザリーは逃走を即断する。


 いや、即断では無かった。


 二人の見張りがバアル=ゼブルからアナトに変わった後、リュファスとロザリーの二人は、何かを考え込むように無口を貫いていた。


 その裏で彼らはお互いの手の平に、指で文字を書いて脱出の相談をしていたのだ。


「道を開けておくれよお集りのお兄さん方お姉さん方!」


 リュファスの叫びに応じ、目の前を塞ぐ人の壁にいくつかの隙間が生じては、他から押し寄せた人波に押されて閉じて行く。


 だが二人は子供の小さい体の利点を活かし、逃走経路を見つけたようではあった。


「じゃあなロザリー! フォルセールでまた会おうぜ!」


「リュファスが自分の面倒を見られるか心配です! フォルセールで待ってるですよ!」


 そして彼らは走っていく。


 両手の拘束があっさりと解けたことを、少しも不思議にも思わずに。



[ふむ。アナト殿、子供が逃げようとしているようですな]


 アンドラスの報告を受けたアナトは、拘束らしい拘束もしていなかったのだから、逃げるのは当然だろうとばかりに二人の子供を何の気なしに見つめる。


 何故ならアナトが二人に構っていたのは、愛するバアル=ゼブルの顔見知りだからであり、それ以上でもそれ以下でも無かった。


 故にバアル=ゼブルが姿を消した今、子供たちが何をしようとも関心は無く、ただ人質としての価値しか見出していない、つまり噴水のそばに置かれた置物のように思っていたのである。


 よってアナトが二人を拘束するなどの、手を煩わせる必要は無かった。



 彼らが何をしようとも、旧神である彼女から逃げおおせることは不可能なのだから。



[……アンドラスよ、それはこのアナトが受ける必要がある報告か?] 


[とんでもございませぬ。今のは言わば世間話のようなもので]


 並みの魔神であれば、首筋を押さえて謝罪を始めかねないほどのアナトの返答を、アンドラスは恐れる様子もなく軽く頭を下げて受け止める。


 アナトの副官として補佐することひと月以上。


 口調によって怒りの度合いを推し量ることにも慣れてきたアンドラスは、アナトの返答も待たずに顔を上げ、逃げる二人を人差し指で指し示して軽く円を描く。


 既に二人は三十メートル以上噴水から離れていたが、アンドラスのその仕草の後にいきなりロザリーの足元の景色が歪みを見せ。



 次の瞬間、ロザリーは軽く悲鳴を上げながら転倒していた。



「ロザリー!」


 リュファスはロザリーの悲鳴を聞いて立ち止まり、慌てて戻りだす。


 彼らが逃げようとした先には、下位に属するとは言え全身を白い毛に包まれた、二足歩行をする雄羊のような姿の魔神が立ちはだかっており、またロザリーの後ろには、既にアンドラスが歩み寄っていた。


「ちくしょう……大丈夫か? ロザリー」


「ごめんなさいですリュファス……」


 観念したリュファスとロザリーを連れ、再び噴水の側にいるアナトの所にアンドラスが戻ろうとした時。


 不満げな口調で、下位魔神が言葉を発した。


[アナト様もアンドラス様も甘いですな。道理の判らぬ子供は、手足の一本でも折って逃げられぬようにしておく物です]


 言うが早いか、魔神の両目が赤い光を帯びる。


 と同時にロザリーの右足から鈍い音がし、それを遥かに上回る絶叫が広場に響いた。


[法術で治せば再び折る。その次からは痛む箇所が徐々に増えることとなる。痛みで発狂したいのであれば、怪我を治すことを許そう。もっともその方が、我らにとっては好都合だがな。さて、次は……]



「待て!」



 足を抑え、もがき苦しむロザリーを見下ろして笑みを浮かべた魔神が、リュファスの方を向こうとした瞬間。


 広場の群衆の中から鋭い制止の声が飛び、一見日焼けしているかのように見える黒い肌を持った一人の女性が歩み出でてくる。


 それは普段の皮鎧ではなく、金属の退魔装備に身を包んだエレーヌだった。



「人質ならば私が代わろう! だからその二人を解放してくれ!」


 毅然とした態度で交渉を始めるエレーヌを見たアンドラスは、くちばしをカチカチと開け閉めしながらの嘲笑で応じた。


[武装した者を人質にするバカがどこにいる。あまりふざけたことを言っていると人質がどうなってもしらんぞ、女]


 それを聞き、エレーヌは即座に言葉を継いだ。


「ならばこちらが武装を解けば、人質を交換すると言うことだな?」


[そんなことは誰も……]


「ほう? 魔族、それも上位にいる者が複数揃っていながら、武装もしていないただ一人のハーフエルフを恐れるのか?」



 詭弁だった。



 そもそも強固な意志や力を持たない子供の方が、屈強な大人より人質として扱いやすいに決まっている。


 その人質にとるかどうかの判断基準を、武装をしているかしていないかで決定しているかのようにエレーヌは勘違いさせようとしていた。


 なおかつ相手を挑発することで正常な思考を妨害し、冷静な判断力を奪っていく。


 身体の自由を奪う毒を、少しずつ相手の食事に忍ばせる暗殺者のように。


 そして上空で未だ繰り広げられている戦いに気を取られている魔族が、おそらく未だ気付いていないであろう事実に気付く前に。


(団長より学んだ交渉術……うまくいってくれ!)


 鋭い眼光でアンドラスの返答を待つエレーヌ。


 しかしその時背後から聞こえてきた声に、今まで一言も発することのなかった声の持ち主に、エレーヌは体を強張らせた。



[人質を交換する必要は無い]



 ゆっくりと話すその声は。


 エレーヌの耳から入ってくること無く、まるで凍り付いた背中を駆け上って直接頭に響いてくるように感じられるその声は。


 低く、冷たく、感情を持たなかった。



[どうやらお前は勘違いしている。いや、我々にさせようとしている]


 そしてアナトが次に発した声と同時に、エレーヌは身体の芯で刃物が暴れ、えぐられるような痛みに全身を襲われ、その激痛に耐えられなかった彼女は、意識を半ば失いながら地面に倒れこんだ。


[その子らは、屠るべき対象であるお前たちをおびき寄せる為の人質。その倒すべき標的のお前を、なぜ人質と言う、ある意味安全な立場に置き換える必要があるのか]


 闇の土アナト。


 黒真珠のような艶やかな肌を持つエレーヌと対照的な、白磁の煌びやかな肌を持つ旧神は、虚ろな目で周囲に居る者すべてを凍らせるような殺気を全身から迸らせていた。


[お前に人質の資格は無い]


 アナトはそう断じると右手に巨大な剣を具現化させ、エレーヌに向かって優雅とも見える歩を進めた。




 その頃、上位魔神アガレスと対峙していたベルナールも上空の異変に気付いていたが、彼にそちらに意識を振り向ける余裕は無かった。


「ぐ……ぬ……」


 呻き声をあげながら、ベルナールは叩きつけられた壁から体を起こす。


[もう諦めたらどうだ、人間よ]


 アガレスの忠告に対し、ベルナールは口に含まれた血を吐き捨てることで返答とすると、再び右手に持ったオートクレールで切りかかっていく。


[無駄だ]


「……がっ!?」


 間違いなくアガレスの肩に食い込んだと見えたオートクレールの刃は、魔神の持つ強靭な鱗によって弾き返され、切りつけた当のベルナールは、アガレスの体当たりによる反撃によって再び宙を舞った。


「ベルナール様!」


 駆け寄ってきたレナに体を支えられ、何とか立ち上がるベルナール。


 だが体のあちこちからは血が流れ、更には内出血による無数のアザが出来上がっており、その姿はまさに満身創痍と言ったものであった。


 彼を支えるレナにしても衣服は泥にまみれ、その顔や腕に裂傷を作っており、加えて疲労の色も濃いように見える。


 戦いを開始した直後は、レナのサポートでアガレスと互角に戦っているかに見えたベルナールは、戦いが長引くにつれて地力の違いをまざまざと見せ付けられていた。



[いかに名剣の名高いオートクレールと言えども、使い手が人間ではこのワシに傷をつけることは難しい。不可能とまでは言わぬが、老年に差しかかりつつある貴様では天と地が引っくり返ろうとも無理な話よ]


 それを告げるアガレスの顔が老人のものという皮肉を受け、ベルナールは不遜とも言える笑い声をあげた。


[この絶望的状況でも笑ってみせるか。先ほどの大言壮語といい、どうも貴様ら人間は我々にとって不可解な行動が多いようだ]


 そう言いながら、アガレスはメイスをベルナールに打ち据えようとする。


 傍らで支えるレナの障壁によってかなりの勢いが削がれたものの、満足に体を動かせなくなっている今のベルナールには、剣や体術でメイスの一撃を受け流せなかった。


 骨が砕け、力を入れることが出来なくなったベルナールの右腕と、とうとう魔力が尽きたのか地面に倒れこんだレナを見て、アガレスは哀れみの視線を送りつつメイスを掲げて勝者の威厳を周囲に示す。


[その腕では最早剣を握ることもできまい。矮小な人間の身で魔族に逆らった愚を、冥界で後悔するのだな。さらばだ人間よ]


 アガレスがメイスを持つ腕に力を込めると、その先端が光り輝き始める。


 続いてカラスの鳴き声のような耳障りな音が、連続して周囲に響き渡り始めた。



 その瞬間だった。



「今だ!」


 ベルナールの掛け声と共にレナが立ち上がり、両手を重ねてアガレスに突き出して力を込める。


[まだそのような力が残っていたか! だがその程度……の……!? 何だと!?]


 レナの結界に閉じ込められながらも、余裕の笑みを浮かべていたアガレスが驚愕の声を上げた瞬間、先刻レナが飛び降りてきた屋根の上からマティオ、ナターシャが顔を出し、ベルナールに向けて頷いて見せた。



「複数の術士による相互強化での結界、障壁だ。いかに上位魔神と言えども動けまい。勝利する瞬間に油断をするのは人間と変わりないようで安心したぞ」



[まさか貴様……自分の体を犠牲にして、ワシが油断する瞬間を待っていたと言うのか]


 ベルナールは激痛に顔を歪めながらも、口調だけは冷静を保ったまま答えた。


「非力な人間ゆえに、超えられぬ壁はある。だが非力な人間ゆえに、その壁を越える方法を我々は模索し続けるのだ。諦めること無くな。貴公が私の最初の大言壮語を、意図を持った挑発ではなく、力を過信した慢心と受け取った時……この結果は定まった」


 低い声で呟くと、ベルナールは左腕でオートクレールを軽々と振り、ある目的のためにゆっくりとその剣先をアガレスに向けた。


「私の元々の利き腕は左腕でな。訓練で右腕も使えるようにはしたが」


 ベルナールはその目的を完璧なものとするために、目の前の魔神へ更なる動揺と敗北感をもたらす言葉を口にすると、先ほどのアガレスのようにオートクレールを天高く振りかざし、そして振り下ろした。




「む……やれやれこれは……久しく戦場に出ていなかった身には流石に堪えるな」


 アガレスとの一戦に勝利した四人は、ベルナールの治療をしながら周辺の警戒にあたっていた。


「戦場を往来する傭兵でも堪える傷です! もう若くないんですよ! と言う訳でー、公私に渡って面倒を見てくれる者が必要なベルナール様は私と婚姻を?」


 ベルナールの愚痴にレナが口を尖らせ、苦情を喚き立てる。


「マティオ、ナターシャ、周囲に敵の気配はあるか?」


 しかしその実、体を近づけて婚姻を迫ってくるレナからベルナールは顔を背け、側で警戒をする二人に話を振った。


「おそらく魔神が一体……それも強力な力を持つものが」


 額に汗を滲ませながらナターシャが告げてきた内容に、さすがのベルナールも顔色を変えた。


「さすがは敵の本拠地と言った所だな。さて、どうするか」


「どうもしねぇだろ。まったく俺も人がいいぜぇ。自分の生命を危うくした本人の命をよぉ、助けようってんだからなぁ?」



 強力な力を持つ存在の接近をナターシャに告げられた全員に緊張が走った刹那、その場に姿を現したのはどこか愛嬌のある顔をした老人、コランタンだった。




「まぁこんなもんだろ。でよぉ、お前らぁこれからどうすんだぁ?」


 あっさりとベルナールの傷を癒したコランタンは、彼らから十メートルほど離れた場所に、彫像のように固まったまま立っているアガレスを見ながら質問をする。


「これがブエルの力か。大したものだ」


 傷や痛みが消え、体力すら戻った体を確かめると、ベルナールは感嘆を抑えきれない様子で呟き、先ほどのコランタンの質問に答えた。


「広場に向かい、全員をフォルセールに連れ帰る」


「あぁん? えらくあっさりと言うが、そんなことぉできんのかぁ? 広場には旧神でも最強のよぉ、アナトがいるんだろうがぁ?」


「無理でもやらねばならん。これでもフォルセール騎士団の団長だからな。私のプライドにかけても奴らを全員連れて帰り、たっぷりと処分を受けさせてやらねばならん」


「でもー? 既にベルナール様を含めた全員が命令違反のようなー?」


 レナの指摘を無視したベルナールが広場へ向かおうとした時、後ろにいるコランタンが制止の声をかけ、アガレスを指差してあれは放置していいのか、と問いかける。


 それに対し、ベルナールはニヤリと口を歪めて答えた。


「構わない。奴には動揺の極致まで追い込んだ後にかけることが出来る、ほぼ解除不可能な強力な幻術をオートクレールの力を借りてかけている。顔見知りの魔族が近づけば攻撃するようにな」


「めんどくせぇことぉしてんなぁ。さあぁっくり殺せばいいじゃねぇか」


 呆れたように溜息をつくコランタンへ、ベルナールは傷を回復してくれた礼だと断りを入れてから説明をする。


「殺せば減る敵は一体だが、幻術ならアガレスを回復しようとした奴らをまとめて足留めできる。うまくすれば同士討ちも期待できよう」


「敵ですらぁ利用し、使い捨てるってかぁ?」


 ベルナールはコランタンに背を向けると、顔だけを後ろに向けて答えた。


「他に何も無ければ行かせて貰うぞ」


 コランタンの中に潜むブエルは、ベルナールの目を見て発言の訂正をし、まぁ俺ならこの程度の幻術あっさり回復できるがな、と自慢をしてベルナールの余計な怒りをかった後に、再会を祈る挨拶をしてその場を去った。


「急ぐぞ、いらぬ時間を食った」


 そしてベルナールたちも彫像と化したアガレスを残し、広場へと走り去っていく。


 上空で鳴り響く、数々の轟音に見送られながら。

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