第87話 王都脱出
一方、王都追放を言い渡された討伐隊は静かなものであった。
「王都追放の件、お前たちはどう思う」
「臭いわ暑いわ見えないわでー、牢獄に入った方がまだマシー! って思わせてくれるこの着ぐるみをもう着なくて済むと思うとー、よくぞ言ってくれたという感じですー」
「そうか、もう良いぞレナ。ゆっくり休んでくれ」
いつもより口調が弱々しいレナを見たベルナールは休憩を彼女に言い渡し、その後にアルバトールの方を向いてその意見を求めた。
「我々を泳がせ、尻尾を掴むまで今まで時間がかかった、と言うことでは」
「アルバトール、それでは私たちを追放だけで済ませる理由にはならないのではありませんか?」
「ああ……説明不足でしたね。申し訳ありませんエレーヌ殿」
エレーヌが口にした疑問を聞いたアルバトールは、自分の頭の中でまとめた考えの一部しか口にしなかったことに気付き、謝罪をしてから説明を始める。
「いきなり捕縛せずに最初に追放の命を下したのは、我々を油断させる為でしょう。あの品性下劣で人を陥れることしか考えていない下衆なら絶対にそうします」
「……なるほど。しかし君がそこまで人を貶すのは珍しいな。まぁ今までに聞いた限りでは私もその評価、判断を下さざるを得んが。そうか、我々を油断させる為か」
「狼少年ですね。ジョーカーが下した命令でなければ、そして奴と今まで接したことが無ければ、このような卑怯なだまし討ちを見破ることは難しかったでしょう」
「そうだな」
そうアルバトールに同意しつつも、ベルナールは自分がジョーカーの立場でも同じことをしただろう、とは考えていた。
(やれやれ、これではコランタンの指摘そのものだな)
心の中で苦笑し、ベルナールは自らの考えを述べる前に対策を周囲に求める。
多少議論に時間がかかることになるが、何かが起きた時に自分一人に頼ろうとすることを回避する為、また一人一人の自主性を高める為にも必要な手順ではあった。
様々な意見が出され、常識的なもの、荒唐無稽なもの、色とりどりの対策が出されるが、結局は襲撃に備えて警戒する、と言った無難なものに落ち着くと、ベルナールは自らと同じく、周囲の意見に耳を傾けるのみに徹していた一人の天使へと顔を向けた。
「アルバトール、君の意見はどうだ?」
フォルセール領主の息子であり、座天使であるアルバトール。
彼の意見もまた、述べられるだけで他の意見を塗り潰し、無造作に多数の者たちに賛成される可能性が大であるゆえに黙っていたのだろう。
しかし名を呼ばれてはさすがに黙ってはいられず、アルバトールは静かにベルナールと視線を合わせた。
「魔族の襲撃はほぼ確定。次は魔族が想定した戦場、そこへどうやって我々を誘導するのか、それへの対策が欲しい所かと」
「ふむ、まずは奴らが想定した戦闘場所を予想する所から始めるか。どこがいい、アルバトール」
「まず城外、城壁の外です。彼らの狙いがコランタンの言うとおり人の家畜化にあるとするなら、人々に危害を与える城内での戦闘は避けたいでしょうし、城壁の外に出てしまえば、これで安全だと思って我々が油断すると考えているでしょうから」
アルバトールは地面を指し示し、一メートル四方の王都を模した溝を掘り上げると説明を始める。
「次が城外に出る寸前、城門の内側に設けられた広場。ここであれば周辺住民も避難がしやすく、またいざとなれば彼らを人質にとった戦闘が可能となるからです。最後はこの広場ですが、ここで襲撃されることはまず無いと考えてよいでしょう」
「なぜだ?」
「町の真ん中である広場で我々を襲えば、否応なく戦闘に民衆を巻き込むこと、また我々の油断を誘えないこと、この二つの不利益に当てはまりますから」
「その裏をかかれた場合は?」
ベルナールが意地の悪い笑みを浮かべながら質問してきた内容に対し、アルバトールは静かに首を振って否定した。
「もしもを考え始めればキリがありません。今までに得た情報を、今置かれた状況に応じ、今成し遂げられる条件を選択して対策を立てるしかありませんので。現実味のある対策を実行に移すことが、今の我々には必要でしょう」
「合格だ。可能性が低いものまで考えに入れると動けなくなってしまうからな。暴論だが、隕石が落ちてくるかも知れないから、どこで誰と戦っても一緒と言われてしまえば兵法は成り立たん」
ベルナールは満足そうに笑い、アルバトール以外の者たちが出した意見も取り入れた対応策を出した後、採用されなかった意見に対しての彼の考えを述べていく。
「さてアルバトール、正体がばれてしまった今となっては我々の本気を隠し立てしてもしょうがあるまい。全力を以って魔族に当たるのが礼儀と言えるだろうからな。よって君のミスリル装備、そして私のオートクレールを今ここに呼び寄せられるか?」
頷くアルバトールを見て、ベルナールは自分たちが置かれた危機的状況を解決する為に、物質瞬間移動を改めて頼んだのだった。
翌朝の広場。
旅芸人をその隠れ蓑とする討伐隊は、今までの公演とは比較にならない数の聴衆、つまりは野次馬に見守られることとなっていた。
「では諸君、出立するとしようか」
その大人数の視線を軽く受け止めたベルナールは、落ち着いた声でフォルセールへの帰還を口にする。
広場を埋め尽くしたテイレシア住民の目は、俺たちを助けてくれないのか、という厳しい物から、自分たちを助けようとこんな危険な所まで来てくれたのだ、と言った好意的な物まで様々である。
しかしその奥底に一様に感じられるのは、フォルセール騎士団への期待だった。
それだけに、ここで自分たちが討ち果たされるのは、何としても避けねばならない最重要事項だった。
(全員を無事にフォルセールへ帰す……それが僕の役目だ)
荷物を乗せ、奇襲による分断を避ける為に纏まって移動する馬車に揺られながら、アルバトールは昨日の話を思い出していた。
「次はどうやって我々を戦場へ追い込み、逃がさずに殲滅させるかの方法だな。戦力に於いて圧倒的に劣る我々にとって、一番の良策は戦わずに逃げること。つまりは逃げる我々を、どうやって魔族が追い詰めるか、だ」
ベルナールはそこで横に座るエレーヌへ顔を向ける。
「エレーヌ、お前なら逃げることを第一に考えている敵をどうやって誘導、殲滅する」
エレーヌは手を顎に当て、しばらく考えた後に門や通りを封鎖して我々の足を止め、そこに脇に布陣させた伏兵に突撃させると答える。
「封鎖すると言っても、我々の逃亡を防げるだけの戦力を脇道、裏道まで配置するのは不可能と言っていいだろう。お前もロザリーやリュファスの子守をしていた時にはそうしたいと言っていた程だから、それがどれだけ困難なことかは判っているはずだ」
ベルナールはエレーヌに優しく微笑み、更に彼女の意見に注釈を加える。
「それに見えない場所に伏兵を置くのは常道だ。そして存在を警戒され、見抜かれた伏兵は各個撃破の格好の的となる」
「つまり警戒が解ける場所に伏兵を置く、と言うことですか?」
ベルナールはエレーヌに頷き、小石を使って移動の説明をしていく。
「周囲への警戒を解くのも、周囲を警戒する余裕が無い状況に陥るのも結局は同じこと。少数の強力な伏兵……例えば旧神のような敵に我々の後背を突かせれば、我らは退却する為に安全と思われる前方へ急いで向かうだろう」
「確かに」
「命の危険を感じた時、人の意識は目の前の景色だけ、逃走することだけに向き、他への注意……つまり伏兵に対しての意識は薄くなる。つまり我々が想定していなかった方向からの奇襲は、魔族が想定した戦場への誘導を容易いものとするのだ」
そこで一旦言葉を区切り、周囲を見渡してからベルナールは話を続ける。
「そして逃走を選んだ我々が戦わざるを得なくなる状況は、逃げ道を断たれた時、もしくは逃げようとしても身を隠す場所がない時。あるいは我々が動揺して伏兵の存在に気付かず、戦えば血路を開けると判断した時」
そしてベルナールは、先ほどアルバトールが指し示した箇所と同じところ、四角の外側を指し示す。
「故に私は、魔族はその三つの条件を満たす城外に布陣すると思う」
その後に彼は、何より城壁から見やすい場所だからな、と笑えない冗談を飛ばした。
「こりゃ参りましたな。これから俺たちを待ち受ける舞台は、負けられないどころか逃げることも出来ない戦いの戯曲ですか。観客の満員御礼が見込めるとは言え、正直言って今の内に逃げ出したいですな」
討伐隊の一人からうんざりとした声が発せられ、それに呼応して全員に笑いが伝播していく。
「そこでだ」
しかしすぐに共に笑っていたベルナールがいきなり顔を引き締め、説明を始めた。
「城門そばの広場に入る直前に、領境を越えた時のように飛行術を展開する。ただし、今度飛ばすのは馬車のみだ」
「そいつは構いませんが、あの中には今回の遠征で貯めこんだ財宝や素材がまだ残ってますぜ、団長」
「構わん。むしろそれが目的だ。せいぜい魔物たちには財宝や素材の権利を争ってもらい、そして我々が王都に戻ってくるまで預かっておいて貰おう」
ベルナールは質問してきた討伐隊の者に人の悪い笑みを浮かべ、その間に我々は貧民街を通って各自バラバラにフォルセールを目指す、と指示を下す。
しかし、それに反対する者が一人居た。
「それでは団長とアルバトールが危険すぎるのではありませんか? 舞台の衣装や化粧などで外見を変えていた我々はともかく、二人は魔族に姿を晒しすぎております」
難色を示すエレーヌの質問に、ベルナールは答える。
危険に陥るのはアルバトール一人、それは最初に決まっていたことだと。
「と、言うことですよエレーヌ小隊長。大丈夫、むしろ危険なのは団長でしょう。黄金色に美しく輝くオートクレールは目立ちすぎますからね」
「君の容貌も大概だがな。さて、正体がバレてしまっては隠し立てする必要も無し。王都を去る前にコランタンに別れの挨拶をしてくるか」
そうして彼らが王都に滞在する最後の夜は更けていったのだった。
ガタン。
そこまで思い出した彼は、馬車が石畳の段差を超えた衝撃で我に返ると一つの考えを思い付き、隣に座るベルナールに告げる。
「団長」
「どうしたアルド……おっと、もうアルバトールでいいのか」
ベルナールが珍しく失敗をするのを見て、アルバトールはクスクスと笑い出す。
「討伐隊を含む我々を戦いに引きずり込む、その方法は確かに思案しましたが、討伐隊を除いた我々二人を戦いに引きずり込む方法を思案しておりません」
ベルナールは感心したようにアルバトールを見つめ、君ならどうすると質問する。
「未熟で我々と近しい、ロザリーとリュファスの二名を人質に取ります」
「防ぐ方法は?」
「先に二人を殺すことでしょうか」
その提案を彼は軽い口調で、冗談めいて言ったはずだったが、自分が発したその言葉の威力にアルバトールは即座に後悔をした。
「じゃあ今の内に死ぬですの」「短い生涯だったなー」
外からは見えない幌馬車の中で腰の短剣を抜き、あっさりと自分の喉に突き刺そうとする双子の兄妹の手を慌てて掴み、アルバトールは二人の自殺を止める。
「大丈夫だ、二人は兄ちゃんが死んでも守ってやるから!」
「じゃあやっぱり今の内に死ぬですの」「太い生涯だったしまぁいっかー」
「判った! 僕は二人を守って無事にフォルセールに戻る!」
二人はその言葉を聞くとにんまりと笑い、指きりをアルバトールに求めてくる。
「……しょうがないなまったく。二人ともまだまだ子供だな」
彼は溜息をつきながら二人と指きりをし、死ねない理由をその手に刻み付け、それを軽く握り締めた後にじっと見つめた。
そこから全身に満ちていく、灼熱の如き力。
人の心より得られる力を感じながら。
そうしている間にも馬車は特に問題を生じないまま進み、前方に巨大な城門と、それに隣接する広場が見えてくる。
「では、打ち合わせ通りにいくぞ。アルバトール、レナ、ナターシャ、私の二回目の掛け声と共に飛行術を発動してくれ」
そして頃合いを見て、ベルナールは腰のオートクレールを抜き放った。
それは初夏の眩しい光を受けて、それ以上の光を周囲に撒き散らし、直後にベルナールの心の昂ぶりにあわせるかのように濃い水煙が発せられたかと思うと、あっという間に広場の区画周辺に広がっていく。
「何だこれは! 魔物の仕業か!」
そのベルナールの掛け声に合わせて討伐隊の面々は馬車から飛び出し、地面に降り立って周囲の逃走ルートを確認する。
「くそ! 前方の城門を突破するぞ! フォルセールで会おう諸君!」
二回目の掛け声と共に飛行術が発動し、馬車が前方の城門へ凄まじい速度で飛んでいくと、それに引っ張られるように多くの魔の気配が王都の外へと向かう。
その気配の動きと前後して、討伐隊の面々は街中へと姿を消していた。
[おいおい、何だこりゃ……ヤム=ナハル爺の仕業か?]
思わず口を突いた独り言。
しかしその内容の馬鹿らしさに、バアル=ゼブルは即座に首を振った。
[あの爺さんがこんな回りくどいことをするはずがねえか。物物交換で遊んでる時はともかく、戦いに関しちゃ短気そのものだからな]
――城門広場に出たらモートと共に奴らの後背を突け――
そしてジョーカーの指示を思い出した彼は、側に立つ同胞に声をかける。
[どうするよモート。あの水煙、強い精霊力が混ざり込んでやがるから俺たちの目でも見通せねえぞ]
黒いマント、そして無駄に体にフィットした黒い服を着て腕を組み、威圧を周囲に振り撒いている暑苦しい筋肉ハゲ男を、バアル=ゼブルはやや冷めた目で見つめる。
[そうだな……お前が奴らならどうする]
[さっさとこの場からトンズラするに決まってんだろ。こいつぁ勝っても負けても意味が無い戦いだ]
[まるで戦いに意味があるような言い方だな。それとも戦いに意味を見出したいのか?]
バアル=ゼブルは大仰に嘆息した後、冷たいものと転じた視線をモートに突き刺して答えた。
[お前そんなことを言ってよく恥ずかしくないよな……気弱な本性を隠す為にやたら飾り付けた発言や強気な発言をしてるって、ジョーカーに言いつけちまうぞ?]
呆れた口調で指摘をしてくるバアル=ゼブルからほんのちょっと顔を背けるモート。
そして性懲りもなく、それが運命の紡ぎ手の意思であれば云々などと、口をモゴモゴさせて言い訳を始めるその顔は少々赤かった。
[だーから昔お前に冥界に閉じ篭ってばっかいないで外に出ろって俺が言ったんだよ。しょうがねえ、とりあえず周辺を探してみっか。そうすりゃ手ぶらで帰ってもジョーカーに言い訳は立つだろ]
バアル=ゼブルはそう言うと、モートの返事を待たずに周辺の探索にかかる。
だが、彼がその決定を後悔するのに数分もかからなかった。
[やれやれ、まさかお前さんたちを見つけるとは思わなかったぜ]
頭を掻きながら顔を斜め下に向けるバアル=ゼブルの視線の先には、偶然近くの路地裏を通りがかったリュファスとロザリーが、口を尖らせて立っていた。
見つかるなり腰の短剣を抜き、あっさりと自分の喉に突き刺そうとする双子の兄妹の手を、バアル=ゼブルは慌てて掴んで止めたのだが、タイミングの悪いことにモートにその現場を見られてしまい、二人を見過ごしてやることも出来なくなった彼は、ばつの悪い顔をしたまま途方に暮れていた。
[何だ? その子供たちは]
[あ、あー……こいつらはな……]
聞かれてしまったら答えない訳にはいかない。
しかし、どんな答えを?
バアル=ゼブルはモートへ振り返る途中で頭をフル回転させ、その場をやり過ごす解答を導き出そうとするがその前に双子が名乗りを上げた為、彼はその場で体もフル回転させた後に頭を抱えてうずくまることとなる。
[そうか、しかしどうしたものか……俺は女子供を手にかけない主義でな]
(おっ!? いいこと言うぜ流石モートかっこいい!!)
あっさりと手の平を返し、先ほどまでの酷評を無かったことにしてモートの生き方を絶賛するバアル=ゼブル。
だが彼の思いを余所に、リュファスとロザリーは自分たちはもう一人前の戦士だから女子供は関係ない! と叫び出し、バアル=ゼブルが近くにある建物に八つ当たりしそうな程度にはその精神を痛めつけていた。
[……いいからちょっと黙っとけお前ら]
濁った色の青筋を額に浮かべながら、バアル=ゼブルは自分のつけている帯をカマイタチで引き裂き、それを猿ぐつわに使ってとりあえず二人の発言を封じる。
[さて、ようやく話が進みそうだが、これからどうすっかな]
ようやく落ち着いたとばかりに、バアル=ゼブルがこれからの行動をモートに相談しようとした時、表通りの方から名を呼ばれた彼は、モートと共にそちらへ顔を向ける。
[こんな裏道でどうなされたのです? 兄上の役目は憎き天使共の背後をつく重要な……おや、この子らは]
そこに現れたのがアナトだけであれば、リュファスとロザリーはその場で助かったかもしれない。
だが、そこに彼女の副官であるアンドラスも居たことが彼らの運命を決定付けた。
[おやおや、これは可愛いお坊ちゃん、お嬢ちゃんたちで……]
下品な笑い声がその場に響き、彼らの目は絶望に包まれた。