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第85話 遺された者たち

 初夏の青く澄み渡った空に、王都テイレシアが包まれたある日のこと。


「なんじゃ? 市中の身回りはお前に任せたはずじゃろ」


 八雲は渋るフェルナンを外回りに連れ出そうとしていた。


「たまには陽の光を浴びないと病気になるぞ。少しは自分の年齢を考えることだ」 



 最初に言った通り、王都テイレシアは初夏の青く澄み渡った空に包まれている。


 しかしその一角にある自警団詰所の、更に一室のみはなぜか激しい雷がひとしきり落ちることとなっていた。


「では団長と一緒に出掛けてくる。後は頼んだぞセファール」


 そして部屋の中が静まり返ると、先ほどの異変を引き起こしたフェルナンが疲れた顔で、先ほどの異変を引き起こす原因となった八雲が苦笑いで部屋を後にし、笑顔のセファールに手を振られながら見回りに出たのだった。



「やれやれ、足腰の弱くなった老人を見回りに連れ出すとは」


「なんだ、もうおんぶを所望か?」


「ワシを老人扱いするな!」


「老将軍フェルナン、以前はそう呼ばれていたと報告が入っている」



 途端に顔を真っ赤にして、威勢よく歩き始めるフェルナンを八雲は上手く誘導しつつ、さながら迷子にでもなったように市中をグルグルと回る。


 しばらく後、彼らが辿り着いたのは旅芸人の一座が芸を見せている広場だった。



「これをワシに見せたかったのか?」


「正確にはこれも見せたかった、だな」


 満足げな笑みを浮かべた八雲は休憩をする旨を団員に伝えると、周囲の者たちに気付かれないように辺りを物珍しそうに見渡すフェルナンを置いて、広場にいるあちこちの芸人に挨拶をしていく。



 気がつくと、フェルナンは一人になっていた。



(やれやれ、気晴らしをしろと言うことか。確かに最近は詰所と言う名が示すとおり、あの中にずっと居たからのう……奴の評判を高める為とは言え、実際には市中に出ないと判らんことも……)


 そこでフェルナンはハッとし、自分の考えを改めるように首を激しく振った。


(いや、それではまるで八雲の報告を取るに足らない物の如く扱っているようではないか。奴はワシが見込んだ男だ。信じてやらずにどうする)


「じっちゃん、一人か?」


「む? う、うむ。何かワシに用でもあるのか坊や?」


 しかし周囲に注意を払わず、黙考していたフェルナンは一人の少年に声を掛けられただけで少なからず動揺してしまい、慌ててその声の持ち主に返事をする。


 そしてそれを誤魔化すように、八雲の容姿を告げて姿を見なかったかと聞くと、目の前の少年は二ヒヒと笑って頭の後ろで手を組んだ。


「あー、その兄ちゃんならさっき人を連れて広場から出て行ったぜー。もしかしてじっちゃんの名前、フェルナンか?」


「そうか。如何にもワシの名はフェルナンじゃ」


 八雲が自分を放ってどこかへ行ったと聞いたフェルナンは憤慨をしたが、かと言ってそれを表に出して目の前の少年を驚かすのも気の毒と考えた彼は、なるべく感情を表に出さないように気をつけて返事をする。


「後はウチのだんちょに任せるって言ってたぜー。だからそんなに青筋立てて怒るなよフェルナンのじっちゃん!」


 しかし彼の心づかいはあっさりと見抜かれ、元気いっぱいに答える少年に毒気を抜かれたフェルナンは、久しぶりに爽やかな気分になるのを感じて静かに息を吐いた。


(やれやれ、機嫌の悪さを子供に見抜かれるほど落ちぶれていたとはの)


 どうやら伝言を頼まれていたらしき少年は、伝えた後もフェルナンをじっと見上げたままその場を離れない。


 その視線に少々居心地が悪くなったフェルナンは、目の前の少年に旅先の話や芸のことなどを聞き、少年の方と言えばフェルナンの身の上話、特に今までの戦いについて興味があるようで、フェルナンがそれを話すと目を輝かせて耳を傾けた。


「こらリュファス! フェルナン様に向かって失礼なのです!」


 そしてフェルナンと少年が話していると、広場の奥からまた一人、今度は少女が歩いてきて、近づいてくるなりいきなり目の前の少年の頭を殴り、頭を掴んでフェルナンに一緒に頭を下げ始める。


「ごめんなさいなのです。大将軍フェルナン様に対しての非礼の数々、お許しくださいです」


「う、うむ……お前はリュファスと言う名前なのか。お主の方は?」


 名前も聞かずに少年と話し込んでいたことにフェルナンは気付き、油断していた自分を戒めようとするが、ふとその名前に聞き覚えがある事を思い出したフェルナンは、少女の方を向いて名前を聞く。


「私の名前はロザリーなのです。父が……いえ、母が……あれあれ? えっと、アル……ド兄様がいつも……いつもじゃないですこの前はお世話になりましたです!」


 途端に先ほどまでしっかりした受け答えをしていた少女が、自分の正体を誤魔化す為か、しどろもどろになってしまう。


 しかしそれでも懸命に答える様子に、フェルナンは久しぶりに覚える感情――慈しみ――を覚え、思わず顔が緩むのを感じた彼は、周囲の目を気にするかのように口に手を当てて苦笑する。


 しかしその直後、目の前にいるロザリーが顔を真っ赤にしていることに気付いたフェルナンは、気まずい雰囲気を誤魔化す為に大きく咳払いをした。


「ウォッホン! お前たちも芸をして生計を立てておるのか?」


「おうよ! こう見えても座の中じゃちょっとした顔なんだぜー!」


「わ、私たち、二人で劇をしたりしてるです! えっと、最近は私が王子でリュファスが姫なのです」


「……役が反対ではないのか?」


 フェルナンが発した疑問に、さっきまでモジモジとしていたロザリーが急に胸を張り、元気一杯だったリュファスはしょげ返ってうな垂れてしまう。


「こいつが最近、急に背が高くなっちゃってさ……」


「ちびっ子でみすぼらしい王子なんて皆見てくれないですから、仕方ないのです!」


「皆も面白がっちゃってさ、最近じゃ俺の化粧に座のねーちゃんたちが群がってくるんだぜ……たかんなおとしごろって奴なのにさ」


「そうかそうか」


 口を尖らせ、一人前の男に見てもらいたいと言う願望を隠そうともしないリュファスの発言に、フェルナンは顔をほころばせると肩に手を置いて慰め、そして普通の子供であれば何のことは無い質問を口にする。


「そう言えばお前たち、両親はどこに居るんじゃ?」


 その質問に二人は視線を一瞬だけ下に向け、しかしすぐに笑顔を作ると、ここには居ないが会おうと思えば会えるから大丈夫と答え、劇の出番だと断って場を離れた。



「健気、と言うべきかの……」


 ロザリーとリュファス。


 フォルセール領の騎士団の一人にして、テイレシア全土でも屈指の強さを持つエンツォに同じ名前の子供がいることを思い出し、フェルナンは溜息をついた。


(あの髪、あの肌、そしてやや大きめの尖った耳……まず間違いあるまい。そしてその二人が旅芸人の座に入り込んでいると言うことは、彼らが噂の討伐隊か)


 さすがに聖テイレシア王国の大将軍を務めていたフェルナンであれば、噂の域を出ないまでも、フォルセール領の討伐隊の話を聞いたことがあった。


(魔物を討伐しながら各地を回り、手に入れた宝物や素材の一部をその領地に於ける領主に納めずに、大半をフォルセールの公庫に入れる、か……噂に聞いたことはあるが、このような超法規的組織が表向きは一領地に過ぎぬフォルセールに存在するとは)


 フェルナンにしても、ベルナールやアルバトールが彼の元を訪れていなければ単なる噂として一笑に付したであろう。


(なんせやっとることの実情はただの強奪、盗掘。納めるべき税すら納めぬ犯罪集団じゃからのう。今まで捕まっていないのが不思議なくらいじゃ。それにしても)


「……あのような幼子が、両親の元を離れて生きねばならんとはのう」


 フェルナンは再びため息をつき、最近痛んでくるようになった膝を押さえながら立ち上がろうとした。


「だが、その両親すら失くした者もこの王都には居るそうだ」


 いきなり掛けられた声の方へ振り向こうとしたフェルナンだったが、その直前に脇に手が差し入れられ、抗議する間も与えられずに彼の体は持ち上げられる。


「椅子に座って仕事ばかりしているから体が衰える。毎日とは言わんが、散歩を兼ねた見回りくらいはすることだ」


 いつの間にか広場に戻ってきた八雲の忠告に対し、フェルナンは反論できずにもごもごと口を動かして歩き始め、八雲は黙ってその横に並んだ。


「団長、話がある」


「なんじゃ」


 フェルナンは先ほどの八雲の発言を思い出し、殊更に機嫌を悪くして返事をした。


「王都が魔族の手に落ちた時に騎士や一般市民にかなりの犠牲が出ている。その結果、孤児や未亡人が相当数出ているようだ」


「知っておる。じゃが解決策が無い」


 その言葉に反し、フェルナンは解決方法を知っていた。


 しかしそれを現実に行おうにも、今の彼には不可能ということも知っていた。


 そしてフェルナンの答えを聞いた八雲が口にした提案は、そのジレンマを解決するものであり、だが新たな二律背反を産みだす物でもあった。


「王都が魔族に支配されてから、まるで組織の体を為していない教会に代わって孤児院を作りたい。金は魔族との取引で俺が何とかした。今のところ、その新設する孤児院で未亡人たちに孤児の面倒を見てもらう予定になっている。そこで団長には、新設する孤児院の院長を兼務してもらいたい」


 フェルナンは八雲の提案に即答できず、寂しげに空を見上げた。


「……運営費を魔族との取引で捻出し続けるのは少し無理があるのではないか? そもそも取引とは何じゃ? ワシはまったく聞いておらんぞ」


 喉から手が出るほど欲していた条件、しかしそれを受け入れるわけにはいかない無念さを表情に表したフェルナンに、八雲はすべてを語った。



 自警団の運営費が厳しいとセファールから聞き、団員のやる気を高める為にも報酬を上げたいと考えていたこと。


 このまま何もせずに放置しておけば、人間たちはやがて魔族に淘汰される運命しか待ち受けていないと考えたこと。


 人々に力を与えれば、蜂起する機会を得た時に役に立つであろうと考えていたこと。


 何よりもフェルナンに、天寿をまっとうして貰いたいと考えたことなどなどを。



「だが所詮は魔族の取引で得た資金。入手経路が不明な金では賄賂を受け取ったのではないかと団長に疑われるだろうし、かと言って魔族と取引したと正直に話しても許してくれないだろう」


「当然じゃ!」


 フェルナンは額に青筋を浮かべながら答え、八雲は予想した通りの返答が帰ってきたことに苦笑した。


「だから自警団のために金は使わず、他の方法で団長を助ける方法を模索した。そこに彼らが現れて良い知恵を貸してくれたという訳だ」


 フェルナンはいよいよふて腐れ、あやうくリュファスとロザリーが劇を行っている場所に気付かずに通り過ぎるところであった。


「ほほう、なかなか盛況じゃの……ところでやけに子供が多いようだがまさか」


「先ほど俺が招待した。自分の判断ミスによって産まれた、孤児や未亡人と言う現実から目を逸らして詰所に篭る老人の目を覚まさせる為にな」


「……その手には乗らんぞ」


 八雲は失望したように頭を振り、大仰なまでの溜息をついた。


「団長が乗ってこなければ、彼らは飢えて死ぬか、近く魔族の元に出荷されるかのどちらかだ。腹を決めろ」


「魔族の目を引くようなまねは慎め。これはワシの命令じゃ」


「あら、では院長の役目を引き受けてはいただけないのですか?」


「エリザベート!?」


 意固地になって答える老人を咎めたのは、いつの間にか彼らの近くに立っていたフェルナンの妻、エリザベートであった。


「奥方、聞いての通りだ。御主人は院長の職を受けるつもりが無いようだ」


 フェルナンは恨みがましい視線を八雲に向けると、エリザベートの方を向いて自分の不都合を隠すかのように声高にここに来た用件を聞いた。


「あなたが孤児院の院長を承諾するように説得して欲しいって八雲さんから言われて来たのだけれど……この分じゃ取り付く島も無いようですねえ」


「困った。このままでは飢えて死ぬ子供たちを黙って見ることしか出来ない。働き口が見つからない未亡人は体を張って身銭を稼ごうとし、その多くが病を患って悪ければ死に至るだろう。たった一人が我が儘を通すだけで、何と言う多くの悲劇がこの王都に幕を開けることになるのか」


「ワシにはまったく聞こえん。聞こえてくる音は意味が理解できんものじゃ」


 長年苦楽を共にしてきた妻が来たことでいよいよ頑なな態度となり、子供のように顔を背けてしまったフェルナンにエリザベートは困ったように眉根を寄せた。


「ふぅ、まったく困ったヘタレジジイですね。いいですわ、私が院長を引き受けます」


 ヘタレ呼ばわりされたジジイが激昂した次の瞬間、フェルナンは冷や水を浴びせられたかのような表情になり、金魚のように口をパクパクさせながら固まってしまう。


「文句はありませんね? あなた」


 ねめつける様な視線で下から見上げてくるエリザベートに対し、フェルナンはしばらく身振り手振りで何かを伝えようと試みたが、やがて諦めたのか勝手にせい、とだけエリザベートに告げて背中を向け、帰ろうとしたその時。


「まぁありがとうございます。八雲さん、ウチの亭主が院長の座を引き受けてくれるそうですわ」


 笑顔となったエリザベートが、嬉しそうに手を合わせて八雲を見上げていた。


「誰もそんなことは言っておらんぞ !」


 慌てて否定するフェルナンだったが、既にこの時彼の負け戦は確定していた。


「あら、でも今しがた私に向かって、勝手にせい、と言ったではありませんか。私はあなたの言いつけに従って、勝手にあなたを院長の座に指名しただけですのに」


「……事務仕事は自警団の物だけで手一杯じゃ」


「心配するな。なにやら暇を持て余している知り合いが居るから実務はそちらに押し付けよう。団長は名義だけを貸し、信用と箔を孤児院に着けてくれればいい」


「勝手にせ…………ふん! 名義だけは貸してやる! 後のことは任せたぞ八雲!」


「安んじてご照覧あれ」


 仰々しく頭を下げる八雲のつむじの辺りを睨みつけ、フェルナンは荒々しく足を踏み鳴らして広場を後にする。



 はずだった。



「団長、劇は見なくていいのか?」


 その言葉に、一人の老人は地面を憎々しげに何度も踏みつけた後、西日で表情が良く見えない顔を劇が行われている場所へ持って行く。


 僅かに見えたその仏頂面が持ったのは、数分だけであった。




 その頃、王城テイレシアでは。


[上位魔神が三体、下位魔神が六体、上級魔物、下級魔物の消失数に至っては不明。報告は以上でございます]


[判った。ゆっくり身体を休めるが良い]


 王都のすべてを見下ろせる頂点から、城下を見下ろす人影があった。


 話が終わると、人影に纏わり付くように揺らめいていた影が消え、残された一人は賑やかな広場へと目を向ける。


[やはり怪しい……だが追い出す決め手に欠ける。我々へ利をもたらすとあれば尚更だ]


 西日の故か、それとも別の理由か。


 屋根の上の人影、腕を組んで立つジョーカーは体の輪郭が定かでなくなっていた。


[さて、どうするであ~るか……]


 そして街の一角を歩く水色の髪を持つ男を見つけた彼は、一人呟いた。

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