第10ー1話 法則の一端
「こんなものかな? ありがとう二人とも」
アルバトールは三日分の服、非常食、飲料水が入ったケースを括り付けた馬を見て、準備を手伝ってくれたベルトラムとアリアに礼を言う。
そして二階の窓から手を振るフィリップ、ベルナールに頭を下げた彼は、馬の手綱を軽く握りしめながら、先ほどベルナールに言われたことを思い出していた。
(報告書はエンツォ殿に任せるか。確かに途中から気絶していた僕より適任だけど)
エルザに訓練をつけてもらう。
そうベルナールに告げると、報告書の提出は不要と言われたのだ。
(それだけこの修業が重要と言うことか)
ブルルルル……。
アルバトールは馬の鼻息を聞いて我に返ると、ケースを気にする馬を見て、その首を軽く叩く。
その時、館の方へ戻ろうとしたアリアが彼に再び近づき、引き結んでいた唇をわずかに動かした。
「アルバ様、くれぐれもお気をつけて」
「大げさだね、大丈夫だよ。エルザ司祭が一緒だし」
「だから心配なのです」
「なるほど」
同時に表情を陰らせるアルバトールに、今度はベルトラムが剣を渡す。
「ありがとう」
さすがに覚悟を決めたのか、アルバトールはすぐに顔を引き締め、腰のベルトに剣の鞘を通して固定し、ベルトラムへ礼を言った。
「一週間後を楽しみにしておりますアルバ様。それと、ケースの中には司祭様への手土産も入っておりますので、お早めにお渡しくださいませ」
「流石に気が利くね」
「本来なら、昨日お出しする予定だったものでございます」
「なるほど、運が良ければご相伴にあずかれるかな」
ケースを見て少々だらしない顔になった後、二人から激励の言葉を受けてアルバトールは教会へと向かう。
その顔はしっかりと前を、未来を、ついでにケースも見据えた頼もしいものだった。
「あらあら、随分と勇ましい顔になられましたわね。それでは出かける前に」
アルバトールが教会に着くなり建物から出てきたエルザは、傍に居た尼僧に侍祭を呼んでくるように伝える。
その間にアルバトールは、エルザにある質問をしていた。
「そう言えば、どこで修行を?」
「郊外にある教会保有の土地です」
「そんな物があるとは聞いたことがありませんが。おや、尼僧が戻ってき……へ?」
戻って来た尼僧が連れてきたのは、どう見ても十歳ほどの少女であった。
「教会は秘匿主義ですからね。それではラファエラ、私はアルバトール卿と一週間ほど出かけますので、後の事は頼みましたよ」
「はい司祭様。あまりアルバトール様を困らせないようにしてくださいね」
「あらあら、人聞きの悪い……それではまるで、私がいつもアルバトール卿に迷惑をかけているように聞こえますわ」
「はい、その通りです」
金髪のおかっぱ頭に、若草色の帽子を被った少女は、青い瞳でエルザを見つめながら正直な感想を述べ、可愛らしい笑みを浮かべた。
「その歯に衣着せぬ物言いは誰に似たことやら。それでは行って来ますよ」
「行ってらっしゃいませ。お早いお戻りを心待ちにしております」
小さい手を振るラファエラに見送られ、郊外に向けて二人は歩き出す。
その途中、アルバトールは挨拶をしてくる町の人々に軽く手を振りながら、先ほどの少女について質問をしていた。
「先ほどのラファエラと言う娘、侍祭という地位に見合わぬ容姿でしたが年齢は?」
「十一歳ですわ」
「じゅっ……!? なぜそのような幼い娘が侍祭に!?」
「私が任命したからに決まってますわ」
顔色一つ変えずにいうエルザを見て、アルバトールは唖然とする。
「それはそうでしょう。私が聞きたいのは任命した理由です」
「お気に入りだからです」
「その割には苦手にしているように見えましたが」
「融通がきかず、冗談も通じない。本当にアリアと似ていますわ。でも私が教会を頻繁に留守に出来るのは、あの子が居てくれるからです」
「納得しました」
クスクスと笑うアルバトールを見て、エルザはその顔に微笑を浮かべた。
「……随分と元気を取り戻しましたわね。安心しましたわ」
「御心配をおかけしました」
女神を思い浮かばせるエルザの微笑。
謝罪したアルバトールが顔を上げた時、それは悪魔の笑みになっていた。
「これで気がね無く修行ができますわね。いやですわそんな顔をして。冗談ですわ」
「……今の言葉は聖職者であるエルザ司祭が発したものですよね?」
「もちろんですわ」
信用も重みもないその言葉を心の支えにして、アルバトールはご機嫌なエルザと共に城の外へ進んでいった。
「さて、到着するまでに術について、おおまかにお話しますわね」
即諾するアルバトールに、エルザは説明を始める。
「まずは精霊魔術。アルバトール卿、四大元素の種類と、その役割は御存知ですか?」
「火、風、水、土、ですね」
「よろしい。火は命と、命が宿す力。風は命が持つ意思、また力の方向性を決める役割を持ちます。それでは水と土は?」
「水は意思や生命を宿す器に柔軟性を持たせ、土は全てを形作っている器の元となり、その身に命、力などを定着、固着させる……ですね」
エルザは頷き、補足を加える。
「火は赤、風は緑、水は青、土は黄がそれぞれを象徴する色になっております。昨晩、アルバトール卿はそれをご覧になっておりますね?」
「……エステル夫人の背後に浮かんでいた光の玉の事ですか?」
「ええ。光り輝く玉達の一つ一つが、それぞれ四大元素に連なる精霊達。その精霊たちの力を借りることによって行使する魔術が精霊魔術と呼ばれるものです」
アルバトールはそれを聞き、自分たちの使う術とはどのように違うのか質問する。
「騎士の方々が使う術は、自らの精神力を拠り所にする精神魔術。扱いやすくはありますが、精霊魔術に比べて効果は小さく、種類は少ないものです。アルバトール卿は、人が土から作られた、と言う教えは御存知ですわね?」
それを聞き、アルバトールは軽く首肯した。
本当に土その物から作られたかどうかは疑わしいものだが、土と言い表す他の何かから産み出されたのかも知れない。
以前ベルナールからそう聞いた彼は、言い伝えをすべて否定することを避けていた。
「よって先ほど四大元素で説明した通り、基本的に人は自らに秘められた力を解放する事が出来ません。精霊魔術は基本的に精霊の力を借りるので、強大な力を振るえる、というわけです」
「なるほど。しかしどうすれば精霊魔術が使えるように?」
「七つの過程。すなわち探知、交信、制御、演算、調整、安定、行使。これが精霊魔術の使用に必要な手順です」
「どう言った物なのです?」
アルバトールは、剣術や槍術、馬術などの騎士に必要な教えは受けたことがあるが、魔術については完全なる門外漢である。
精霊の姿を見ることは出来ても、その力を借りることはまったくの別物なので、一から十まで質問をするしか今の彼には出来なかった。
「我々が今いる世界は物質界。精霊たちは精霊界という別の世界の存在です。つまり彼らの力を借りるには、彼らをこちらに呼び出さなければなりません。そのためにまず、彼らが精霊界のどこに居るか、探すのが探知ですわね」
「どうやって探すのです?」
「気合です。……あらやだ怖い顔。怖くて泣いてしまいそうですわ」
引いている馬の耳が伏せているのを見て、アルバトールは溜息を一つつき、話の続きをエルザに促した。
「要は精霊界に精神を同調させ、住人である精霊たちの興味を引く波長を送るのです。精霊たちが興味を持てば、術者に何らかの接触を試みてきますから、そこで交信、まぁ呪文ですわね、人であればこれを唱えます」
「つまり天使は不要と?」
「悠長に唱えていては死んでしまいますわ」
冷や汗を一つ垂らすアルバトール。
「交信が成功すれば、自分の望む効果を得るために精霊の力を制御し、演算します」
「制御は解りますが、演算とは?」
「望む術の効果を得るには、気ままで気まぐれな精霊の力を制御して、一定の範囲内の属性値に収める必要があります。その作業が演算で、多くの者がここで挫折します」
「術の属性値が判っていれば、すぐに範囲内に収められそうですが……」
エルザはゆっくりと首を振る。
「気ままで気まぐれ。どの精霊が来るか分からず、来てもそのまま居てくれるとは限らない。要は解が判っていても、式の数値が常に変化する計算ですわ」
「なるほど」
「いやに神妙に私の顔を見ますわね、アルバトール卿」
「それだけ真剣に聞いていると言うことですよ」
エルザの張り付いたような笑顔に、アルバトールは凍り付いたような笑顔を返し、逃げ出しそうな馬をなだめた。
「演算の次は調整。ある程度の範囲に属性値を収め続けること。そうしたら土の精霊力をほんの少し加えて、安定させます」
「加えなければ?」
「精霊界から物質界に通じる扉を通すときに霧散してしまいます。逆に扉を通してしまえば、安定に満ちた物質界の法則に囚われるので、それ以上の変化はいたしませんわ」
そしてエルザは足を止めると軽く手を振り、その背後に数々の光点を産み出す。
「赤はサラマンダー、緑はシルフ、青はウンディーネ、黄はノーム。この子達は魔術の行使による結果、珍しいものや派手なものに非常に興味があります」
「ますますエルザ司祭に……いえ、続きをどうぞ」
「修行が楽しみですわね」
エルザは短く感想を述べて再び歩き出し、アルバトールは慌てて後を追った。
「よって術を使えば使うほど扉の向こうに集まるので、術を連続で行使すればするほど強力な魔術が行使できるようになります」
「おお、では人間でもやり方次第では……」
「ですが一つ術を使うだけでも大変な労力ですので、よほどの術者でないと強力な術は使用できません。魔術士に天賦の才能が必要と言われる由縁です」
「ですか」
(それにしても……)
精霊魔術について何も知らないアルバトールに対しても、楽しそうに説明をするエルザを見て、彼は内心で賞讃をする。
やはりエルザも聖職者の端くれと言うべきか、甘い物を食べている時を除けば、教え導くときが一番生き生きとしているように見えた。
(ちょっと質問をして流れを変えるか。天使についても聞きたいし)
今まで知らなかった世界。
術者と呼ばれる者たちだけが見ることのできる景色に、彼は魅了されていた。
「エルザ司祭の法術はどうなっているのでしょう?」
「法術はこの物質界を満たす存在、聖霊の力を借りるものです。神聖かつ強大な力ではありますが、聖霊と言う一つの存在を大勢で使う関係上、非常に不安定なものです」
「満たしているのに不安定なのですか?」
「満たしているからこそ、ですわ。大掛かりな術の使用、あるいは未熟な術者の浪費によってたやすく偏在が起き、力が得づらくなります」
「偏在……流動性に欠ける、と言うことでしょうか」
「物質界の特徴の一つが、土の精霊力による定着、固着ですからね。信者の皆様に奇跡を起こす時に、法外な値段の免罪符を購入してもらったり、もっともらしい理由をつけて断るのは、法術の乱用を防ぐ苦肉の策と言う訳ですわ」
「……では、天使の力は?」
なかなか天使についての話題が出ないことにより、痺れを切らしたアルバトールは、ついに自ら口に出して話題を切り替える。
「物質界に満ちる聖霊に対し、天界に満ちる神。それが天使の力、聖天術です」
「神の……主の力ですか?」
「力と言うわけではございません。また天使と言えども、思うがままに行使するのは至難の業です」
「ですが、それを制御する為に私はここに来たのです」
「……頼もしいですわね。さて、後少しで目的地ですし、最後に魔族の術について簡単に言っておきますわ」
「魔族の術ですか」
「彼らの術の力の源となるのは、この世界の外側に存在する暗黒」
「世界の外側?」
アルバトールは驚く。
このセテルニウス以外にも世界は存在し、そこにも人が住んでいるのだろうか。
「そうです。我々の世界と他の世界の狭間に漂う暗黒の物質、ダークマターと呼ばれるものが魔族の術の源」
「暗黒物質……ダークマター」
「その効果は法術と似て非なるもので、生き物を腐敗させたり、不死生物を作り上げたりする事ができ、また魔に属する者の回復を行ったりもできます」
「魔に属するものの回復……つまり"我々のような人間"は回復できないのですか?」
そのアルバトールの言葉を聞き、エルザは一瞬驚いたように目を見開く。
そして彼から目を背け、目的地らしき小さい建物へ顔を向けた。
「人間も回復できます。なぜならば、貴方たちはそのように産み出されたからですわ。光と闇を同時に許容できる魂、それを包み込む安定した肉体を兼ね備えた存在として」
(貴方たち、か……)
エルザが何者なのかを、修行の間に聞こうと思っていたアルバトールだったが、図らずもエルザ自身が、自分を人間以外の存在と認める言葉を喋っていく。
正直、拍子抜けとも言える展開であった。
「しかし、光と闇を許容ですか……その言葉を聞く限りでは、どんな相手にも負けない最強の生物に思えますね」
エルザの顔を見ながら、アルバトールは答える。
「そんな力強い存在であれば、私達も苦労しないのですが」
珍しく弱音を吐くと、エルザは道の脇にある林へと近づいていった。
「ここが目的の場所ですわ。小さい礼拝堂ですが、きちんと選任の管理者がいますので、一週間の滞在程度では不自由しないはずです」
そして彼らは、小さな雑木林へと近づいていった。
免罪符。
この作品内では、実際の物とは多少設定が違います。
人が怪我や病気をしたりするのは前世や現世での罪によるもの。
その罪を無くせば怪我や病気と言う罰を受ける事は無くなる。
つまり免罪符を購入し、前世の罪を帳消しにすれば、罰である怪我や病気が消える。
と言う教えに基づいて免罪符が発行されています。重い症状になっていくほど値段が高くなるって寸法ですね。
医者もいて、そちらの方が料金が安いので、急患でなければ医者に診てもらいます。
また、免罪符の代金は教会への信仰、つまり神への祈りによって代替も可能です。
このシステムにより、教会と言う組織は国より巨大なものとなっています。