第83話 最期の願い
「どう言うことだ?」
「ほう、少し遅れただけで随分と気が立っているようだ。どう言うことだ、とは何についてだ?」
悠然とした足取りで階段を降りてくる八雲。
相手を怒らせることが目的のようなその態度に、アルバトールは目を吊り上げて八雲を詰問し、しかしその鋭い視線の先に居る、問い詰められているはずの人物は、場に漂う雰囲気を理解できないといった返事をしながら軽く頭を振った。
「な……!?」
「どうしたアル……ッ」
それと同時にアルバトールが軽く驚いた様子を見せ、左足を一歩後退させて体勢を安定させると、更にそこから力を込めて何かに抵抗しようとする気配がベルナールには感じられたが、そればかりに気を配る余裕は今のベルナールには無かった。
なぜなら彼は数年ぶりの動揺に、その身を包まれていたのだ。
(特に何をされた訳でもない。奴は軽口を叩いた後、アルバトールの問いに対して何のことだ、と問い返しただけだ。だが……だがなぜその当たり前の返事に、私はここまで動揺しているのだ!?)
生唾をゴクリと飲み込み、八雲から目を離せなくなってしまうベルナール。
だがその時、ベルナールの後ろからやや苦しげな声が発せられ、それと同時にベルナールの動揺は少し収束を見せた。
「貴方は聖テイレシア自警団、副官の八雲殿に相違ないか?」
ベルナールの力と理解が及ばない領域で何かが行われていたのか、アルバトールの声には少し疲労が感じられたが、それでも彼は八雲に対して正体を問いただす。
「如何にも相違ない。俺は聖テイレシア自警団の副官を拝命している八雲だ。そちらは先日、団長の家で顔を合わせたベルナール、アルバトール両者に相違ないな? そちらの女性は信を置いて良い者か?」
「然り、僕の名はアルバトール。前に居る男性はフォルセール騎士団、団長のベルナール。隣に居る女性は騎士団で小隊長を務めるエレーヌだ。続けて問う。なぜ貴方は団長に対し、精神支配をかけようとした? 答え次第ではただでは済まさないが如何に?」
「む? ……ふむ、これはすまないことをした」
息を荒げながら激しく責め立てて来るアルバトールを見て、初めて気がついたように八雲は顎に手をかけ、納得したように息を吐いた。
「ここに来る途中で周囲の小物を散らす必要があったので、少々気を張っていたからそれに中てられたのだろう。通常の人間なら気付かずにやり過ごしてしまう程度の気だが、ベルナール殿はそうもいかなかったようだ」
そう説明すると八雲は軽く両手を合わせ、空気に躍動感と張りを持たせるような音を立てると、アルバトールたちに無感動な視線を向ける。
「これでいいはずだ。さてブエル……ではないな、コランタン。先ほどからの彼らの様子から察するに、何か俺の良くないことをお前が吹き込んだのではないか?」
「あぁん? 俺ぁお前が遅れるって聞いたから先に説明を済ませただけだ。それでも来ねぇから、こいつらが帰らないように足留めをしていたって言っただけだぞ」
「どうせお前が変な伝え方をしたのだろう。バアル=ゼブルと言い、お前と言い、どうして魔族は平時に乱を起こす真似をする奴が多いのか……どうしたお前たち、コランタンに文句の一つでも言いたいのか」
「あ、いえ……」
八雲の言葉に沈黙を保ったまま、互いに気まずそうな視線を交わして頷きあうアルバトールたちに八雲が不思議そうな顔をして首を傾げ、それを見たアルバトールは言葉を濁して返答をする。
(あれ? ってことは、八雲殿は実は裏で魔族と繋がっていて、僕たちを騙そうとしていたんじゃないかってのは勘違い?)
ようやく辿り着いた真相の一端に足を引っ掛け、その中身をぶちまけてしまったかのように(しかもその中身は別ものである)茫然とするアルバトール。
心の中で動揺しまくっている彼がごまかす手段を考える間にも、八雲とコランタンによって事情の背景が説明されていった。
「そんなこたぁ知るかよ。大体お前が遅れたのがぁそもそもの原因だろうが。何でこんなに遅くなったんだぁ?」
その問いに八雲は嘆息し、うんざりした声色でコランタンに答える。
「こちらに向かっている途中で、いつもの馬鹿が広場でやらかした馬鹿騒ぎの後始末に呼び出された。いくら気の長い俺でも、そろそろ愛想が尽きるぞまったく」
(ん? いつもの馬鹿?……と、広場……そのキーワードから導き出される人物は……)
八雲の説明を聞いたアルバトールは、お調子者の旧神の顔と、先ほど広場から出かけようとした時に慌てた様子で問い詰めてきた美しい女性の顔を思い浮かべる。
「年がら年中、王都のあらゆる所で騒ぎを起こして回ってはこちらの手を煩わせる。今度からはバアル=ゼブルではなく、バカル=ゼブルとでも呼んでやろうか」
(なるほどこれは少々マズい展開のようだ)
つまり事態をややこしくする原因の一つとなった八雲の遅刻は、アルバトールたちがバアル=ゼブルの身柄をアナトに売り渡したからと言う事になる。
(こんな時に打つ手は一つだな。あまり使いたくない手段だが、仕方ない)
雲行きが怪しくなってきた対策として、アルバトールは目の前の相手からやや視線を逸らし、知らんぷりを決め込む。
「つまり八雲殿は魔族に加担している訳ではないのだな? 先ほど聞かされたコランタンの話では、フェルナン殿を裏切って魔族に加担しているようにしか聞こえなくてな」
しらばっくれるアルバトールを余所に、豪胆なベルナールは現状把握に努める為にすぐに話を切り出す。
しかしその問いに返ってきた八雲の答えは、彼の予想の範囲の内であり、外でもあるものだった。
「バカな! 貴方は自分のやっていることが判っているのか!?」
「アルバトールと言ったか。すまないが、もう少し静かに話して貰えるか? 魔族の余計な興味を引かないように最小限の力で結界、障壁を張っているから、力を持っている君が感情的になって騒ぐと話の内容が外に漏れてしまう可能性がある」
「そうは言うが八雲殿、アルバトールが騒ぐのも当たり前だ。貴公がやっていることは、これまでとは次元の違う力を魔族に与えていることに他ならないのだぞ」
静かな怒りを内に秘めたベルナールに対し、烈火の如き怒りを発して八雲に詰め寄るアルバトールを見たコランタンは、楽しそうにグラスを揺らしつつ更なる油を注ぐ。
「まぁ、ベルナールの言うとおりだわなぁ。そうそう、最近じゃあ下級魔物くらいなら凌ぐ力を持つ人間がちらほらと出てきてなぁ。そいつらぁどうなったと思う?」
一触即発と言った雰囲気の中、からかうように口を挟んでくるコランタンに、ベルナールが抜き身の剣のような鋭さを持つ口調で、得た情報に基づいた解答を口にした。
「さすがは冷血、冷徹、冷酷と三拍子揃ったベルナール、正解だ。そいつらは魔族に収穫、出荷されたよ」
「盗賊ギルドの構成員の失踪を聞かされた後なら、誰でも帰結する推論だ。くだらん」
「クヒヒ。人の命を、ジャグラーが扱う玉のように右から左へ動かす奴だけが言える台詞だがなぁ?」
「……そのくらいにしておけコランタン」
不機嫌になったベルナールを見て、ますます楽し気な表情となったコランタンを止めたのは八雲だった。
「魔族の嗜好について、今更とやかくは言わん。だが俺は目の前に汚物が存在することに、時々我慢が出来なくなる性格だ」
八雲が剣の柄に手をやる姿を見たコランタンはすぐに口をつぐみ、ベルナールの漏れ出る怒りを見て逆に冷静さを取り戻したアルバトールは、更なる説明を八雲に求めた。
「なぜ魔族の頼みを聞き、魔族に力を与えるような真似をするんだ? そんなことをすれば魔族の力が増すばかりで王都の解放なぞ到底望めない……」
「それはそちらの都合だ。こちらはこちらの都合で動かせてもらう。余計な口出しをするな若き天使よ」
たちまち激昂して詰め寄るアルバトールに対し、八雲は何かを諦めたような表情をすると、周囲を見渡して少し息を吐き、結界と障壁に力を込めた。
「こちらの都合だと!? 王都の人たちだって、魔族の支配から解放してほしいに決まっている!」
「では、やはりこのまま人々に力を込めた食料を提供するしか無い。断れば魔族は用済みとなった人間たちを皆殺しにするだけだろうからな」
その言葉に衝撃を受け、二の句を継げられなくなるアルバトール。
少しの沈黙を置いた後、下を向いたアルバトールを見たベルナールは腰に手を当てて溜め息をつき、八雲へと視線を移した。
「つまり、食物に召喚魔法をかけることをやめるつもりは無いと?」
「力をつけた人間の感情を食って魔族が力を得るなど最初から承知の上だ。だがそれで苦戦するのはお前たちであって我々ではない。俺は自警団の役目に従い、王都の民衆を守ることを最優先に動かせてもらう。お前たちはお前たちの役目に従い、魔族を打ち破って王都を解放することに尽力するのだな」
「そんなことをされては勝てる戦も勝てなくなってしまうが」
そのベルナールの苦情を聞いた後、何かの気配を感じたのか。
八雲は目を瞑り、不愉快そうに眉間にしわを寄せると、外へ向けて力を放出する。
「それを勝つようにするのがお前たちの仕事だ。俺は王都が解放されるその時まで、守るべき対象の犠牲を最小限にする方策を立てて実行するのみ」
「このことをフェルナン殿は知っているのかね?」
「副官は自警団の活動についてある程度の裁量権を持っている。俺はそれに従って動いているだけだ」
首を振り、答える八雲にベルナールは冷笑を向ける。
「残念ながら越権行為だな。王都以外にも悪影響が出る行為は、フェルナン殿の性格から言っても決して認めないはずだ」
「団長の性格を考えるなら、最終的に俺のやっていることを是とするだろう。どちらにしろこの話題はこれで終わりだ。お前たちが俺を止めたいのなら腕ずくで来い。いつでも相手になってやろう」
両者の争いを横から面白そうに見つめていたコランタンだったが、そこで話が終わったと判断したのか、今日はこいつらに別の話があったんじゃねぇのか、とからかうような口調で八雲に発言を促す。
「最初はそのつもりだったが、この分ではどうも聞いてくれそうにないな」
八雲はアルバトールやベルナールの方を向くと天井を見つめ、諦めたような返事をコランタンに返した。
「つってもよぉ、こいつらが王都にいる時間はそんなにねぇんだろう? お前があの爺さんを翻意させられなかったんならよぉ、こいつらに頼むしかねぇだろう」
ため息をつき、壁に手を当てて力を込めた後に、八雲はアルバトールたちの方を向いて頭を下げた。
「団長を救う手立てを考えてくれ」
その予想外の展開に頼まれた方は息を呑み、八雲の続きの言葉を待つしか出来なくなっていた。
「あれは、バアル=ゼブルが痛手を負って戻ってきてから数日後のことだった」
自警団の詰所にひょっこりと顔を出したバアル=ゼブルは、天使と戦い、敗北したことを楽しそうに彼らに話し、口止めもせずに帰っていったと言う。
「その噂が街に広まり始めた頃だ。俺が団長に呼び出されたのは……」
八雲はアルバトールたちを見つめ、その日のことを語り始めた。
「八雲よ。すまんがこれから市中の見回りはお前に任せて良いかの?」
「それは構わんが、どうした団長、腰でも痛めたか?」
フェルナンの横に置いてある机で執務をしていたセファールは、ずけずけと物を言う八雲の発言に肝を冷やすが、フェルナンがその言葉に怒った様子は見られなかった。
「いや、団員たちと交流を深めて欲しいだけじゃ。出来ればワシよりお前の方の意見を聞くくらいにな」
「……どういうことだ?」
八雲は戸惑った。
フェルナンの穏やかな口調とは裏腹に、その口から出た内容は聞き捨てならないものだったゆえに。
「何を考えている? 自警団の団長はお前であって俺ではない。団長であるお前より副官である俺の意見を皆が尊重するようになっては、組織の規律が保てなくなるだろう」
「規律の保持を考える必要はない。どうせワシの次の団長はお前になるじゃろうし、問題はないじゃろ」
事も無げに言うフェルナンの顔は、至極まじめと言えるものだっただろう。
だろう、というあやふやなものに感じたのは、八雲が生きてきた中で初めて味わう感情――動揺――に陥っていたからか。
「問題だ。俺には団長の言っていることがまるで理解できん。もう少し解るように言ってくれ」
机に手を叩きつける八雲の横で民衆の要望をまとめていたセファールも、ペンを持つ手を止めて呆然とフェルナンを見つめていた。
――まるで家族に遺言を残そうとする、重篤の老人を見るかのように――
「ワシは年を取りすぎた。もはや次代の責を担うことはできん。八雲よ、お前なら立派にその責を負うことができるだろう」
「それは団員が俺を受け入れるかどうかについての補足であって、団長の真意に関する説明ではない。回りくどい言い方はやめてくれ団長」
そこでフェルナンは困ったように視線を落とし、椅子に体を預けた。
「バアル=ゼブルを破ったと言う、フォルセール領主フィリップ候の嫡男の天使の話を聞いてな。王都奪還の軍が動く日もそう遠くないとワシは思った。ならば王都に於いてその動きに呼応するのは、騎士団が消滅した今では自警団の役目になる」
「そんなことは当たり前だろう。俺もそのつもりだ」
「ふむ……ふむ」
その言葉を聞いたフェルナンは眼前の八雲を、八雲ではない誰かのように慈しみの視線で見つめた。
「じゃが長年鍛え上げられてきた騎士団と違い、自警団は日常の合間を縫って一般人が勤めるもの。それも結成して日の浅い彼らをまとめあげるのは、いかなお前でも容易なことではなかろう」
「叩きあげるという手段もある」
「雀の涙ほどの報酬でか?」
そう言うと、フェルナンは穏やかな笑顔を八雲へ向ける。
「と言うことで、ワシはこれから自警団の者たちや、民たちにとって憎むべき対象となると決めた。お前はその不満を掬い上げる精神的柱、皆を率いる中心的人物となってくれ。そうすればきっと皆はお前に……」
「やめろ団長」
八雲は組んでいた腕を解き、苛立たしげに頭を掻いて、フェルナンの話を遮るように強い口調で反論をした。
「俺には解らん。解らんことをするつもりはないし、するつもりがない物を承諾はできん。それに憎まれるようになった団長はどうなる」
「歴史を見る限りではあまりぞっとしない結末が待っているじゃろうな。だが八雲よ、これはワシからの命令じゃ。よってお前に逆らう権利は無い。そして自警団に入ったのであれば民衆を救う為の最善を常に考え、それを実行せねばならんのじゃ。いやはや、因果なところに勤めるようになったもんじゃな八雲よ。同情するぞ」
[他に方法は無いのですか?]
脇で二人の事の成り行きを見守っていたセファールは、唇を噛み締めながらフェルナンに悲壮な表情を見せ、口を開く。
八雲もまた、彼女の質問に勇気づけられたかのように矢継ぎ早に口を開いた。
「セファールの言うとおりだ。魔族が邪魔と言うなら俺が片付けよう。団員たちも今では俺の指示や行動を尊重するようになっているし問題ない。団長が憎まれ役を引き受ける必要はどこにもない」
「ダメじゃ」
だが、フェルナンは厳しい表情でそれを否定した。
「お前が問題の総てを事前に解決してしまっては、そのうちに人は自分が何をするべきか気付かぬまま生きることに慣れてしまう。下手をすれば、問題が生じてもそれを問題と認識することすら出来なくなってしまうじゃろう」
「そんなことは……」
しかし八雲は何か思い当たることがあったのか、口をつぐんで黙ってしまう。
「そしてお前が来るまで問題は解決しなくなる、問題を解決しようとしなくなる。何もせず停滞したままに生を垂れ流すもの、それはもう人ではない。ただの人形じゃ」
八雲は黙り込み、必死に反論の材料を探そうとする。
しかしフェルナンが続けた言葉が、更に彼を打ちのめした。
「お前も万能ではない。人々が抱えた問題の殆どを一時だけ解決できても、すべてを永遠に解決することはできんじゃろ。また流浪の身であったお前のことを考えれば、いつまでもここにいてくれる保障も無い。ならば人々が集結し、立ち上がる契機となる象徴になってもらい、その後はお前の自由にして貰うのが最善じゃとワシは考えたのじゃ」
痛い所を突かれた。
八雲は奥歯を噛み締めて恨みがましく目の前の老人を睨みつけるが、彼に出来たのはそこまでだった。
[……団長様のお気持ちは承りました。ですが八雲様もいきなりの話に動揺している様子。この話は一旦これまでと言うことにしては如何でしょう]
「そうじゃの。まぁ諦めい八雲。現状がこれから自然に帰結する先。今の話はそれを少し説明しただけのものじゃ。説明する必要も無かったかも知れんが、お前が承知していた方が物事を進めやすかったからの」
「……フォルセール軍が王都に来るまでに、俺の方も最善という奴を考えておく。これも自然な反応に従っての物だから止めても聞かんぞ」
フェルナンは勝手にせい、と諦めたように手を振り、セファールに民の要望がどんな物かを聞き始める。
そして二人が話し合いを始める姿を見た八雲は執務室の扉を開き、廊下に出ると同時にある術の展開を始めた。
「天鳥船」
声を発すると同時に彼の周囲を流水のような文字が包み、姿が消える。
と見えた刹那、八雲の姿は一瞬にして王城の謁見の間へと移動していた。
「この前の話の続きをしたい」
急に姿を現した八雲に慌てふためく旧神たちを余所に、ただ一人冷静に頷く道化師の姿をした堕天使へと、八雲は近づいていった。