第81話 地下への誘い
武装した賊や猛獣のみならず、魔物すら徘徊する世界セテルニウス。
旅に危険が付き物であるこの世界で、老若男女が入り混じって統一性が無く、かつ長距離を移動する集団には、主に二つの種類があった。
一つは聖地に巡礼する為、自らの財産を投げ打って旅をする巡礼団。
そしてもう一つが各地を巡り、身につけた芸や詩を旅先で披露して収入を得る旅芸人の一座である。
世界に眠る財宝を得るために聖テイレシアの各領地、場合によっては国境を越えて移動をする討伐隊は、移動時や到着した先々で怪しまれぬ為に旅芸人の偽装をしており、披露する技も聖テイレシア内でトップレベルのものだった。
おそらく技の完成度と披露できる種類においても、このアルメトラ大陸で屈指の水準であっただろう。
アルバトールたちが王都テイレシアに潜入して二日目。
その討伐隊の面々は王都中央の広場に集まり、曲を奏で、英雄譚を歌い、権力者を面白おかしくけなし、または法の不条理を、あるいは道徳を守るしかできない堅物を、嘲笑うかのような誌を吟じていく。
その中央では大きな玉の上に乗った二人の男性が自由自在に玉を操って移動しながら、お互いが持った幾つものボールをリズミカルに投げあっては受け取っていき、更に広場の噴水の横では、扇情的な服装をして丸い板に固定されている若い女性のすぐ脇を狙って、目隠しをした男が短剣を投げていた。
「盛況だな」
「そうですね。団長、そろそろ時間かと」
「では行くか」
広場の外れ、石畳の隙間に杭を打って張られていた天幕の中から太った中年の男が姿を現した後、続いて長い金色の髪をなびかせた長身の若い男が眩しそうに太陽へと手をかざし、日差しを遮りながら出てくる。
その後からはさらに猫、豚、犬の着ぐるみを着たレナ、ナターシャ、マティオの三人が出てきて、くるみが入ったクッキーを子供連れの見物客に配っていった。
「うう~、手が痛いですよぉベルナール様ぁ」
「子供の前で喋るな。お前たちはお菓子ではなく夢を配っているのだぞ」
「でもー、昨晩ずっとクルミを割ってたから指先がぁ」
猫レナはそう言うと、肉球がついた手をベルナールにふりふりしてアピールをする。
だがその可愛い仕草に返ってきたのは、素っ気ない返事だけだった。
「我慢したまえ。お前たちの目の届かない所で、お前たち以上に艱難辛苦に耐えている者もいるのだ」
「私たちが苦労しなければならない理由にはなってないようなー?」
「苦労しなければならなくなった理由をこれから受け取りに行く。判ったら皆様に愛想を振り撒くくらいはしておくのだな」
「はい」
愚痴ばかり言っている猫レナの口部分を、犬マティオが塞いで代わりに返事をする。
それを見届けると太った中年の男(に変装した)ベルナールと、身長は高いものの、やや細長く見える剣士アルバトールは、昨日の食事のお礼をフェルナンにする為に、自警団の詰所に出かけていく。
そのついでと言ってはいけないのだが、レナたちが苦労する原因となったものも受け取る手筈となっていた。
途中で視界の端をよぎった、子供たちに囲まれて狼狽して悲鳴をあげる豚ナターシャに眼をつぶり、彼らは広場を出ていく。
「……ちょ、ちょっと! 恥ずかしいからやめてええええ!」
しかしちょうど吟じられ始めた一つの英雄譚を聞いた途端、アルドと呼ばれた男がなぜか走って広場に戻っていこうとしたのだが、すぐさま団長と呼ばれた男がその首根っこを掴み、広場の外へ引きずって姿を消した。
「レナ殿に厳しいですね、団長」
昨日アナトに絡まれたことがもう街に知れ渡っているのか、それとも金色の美しい髪が人目を引くのか。
街を行く女性はアルバトールとすれ違う際に熱のこもった視線を送り、男性は感心したように敬意を含んだ視線を送る。
「あのくらいで厳しいなどと言うのであれば、君は虐待に等しい環境で育ってきたことになるな」
ベルナールはそう返すと、周囲の人々を軽く見渡してふうむと唸った。
先ほどからアルバトールに注がれる人々の興味に対し、脇を歩くベルナールには軽く確認をするための一瞥すら送られてこない。
彼がテイレシアに公務で来た時の街の人々の反応が、そのままそっくりアルバトールと入れ替わったように感じたベルナールは、面白そうに詰め物をした腹を撫でた。
「レナに対する私の真意を引き出したいのかも知れんが、それは無駄だぞ。聞きたいことがあるなら男らしく真正面から聞いてきたまえ、アルド」
「真正面と言われましても、団長の歩く先を塞ぐわけにもいかないでしょう」
その返答を聞いたベルナールは笑い声を上げ、アルバトールの背中を叩いた。
「君も随分と軽口が上手くなった。相手のことを理解し、自分のことを理解してもらわなければ、なかなか軽口は言えないものだ」
「理解されずに放つ軽口は、嫌がらせでしかありませんから」
しばらく二人は談笑しつつ、尚且つ周囲の様子に目を配って歩き、やがて自警団詰所についた彼らは門の衛兵に軽く挨拶をすると建物の中に入っていった。
詰所の待合室は午前という時間帯もあってか、数名の先客が待っていた。
商人らしき人物とベルナールが話し始める中、それを見ていたアルバトールは部屋の入口扉の窓の向こうを青い髪の男が通る姿を見て、やや困惑の表情を浮かべる。
そのすぐ後に自分たちの名前が呼ばれ、同時に席を立った二人は顔を見合わせながら執務室へ向かった。
向かった先には予想どおり、バアル=ゼブルが二人を歓迎するように笑顔で待ち構えており、その直視を避けたい類の表情を見た二人は、フェルナンとの情報交換を諦めて昨晩の招待についての礼を述べる。
ついでに嫌々ながらバアル=ゼブルに昨日の話の続きを聞こうとするが、彼はニヤニヤとしながらこちらを見つめるだけであった。
「ではこちらの用件は済んだので帰らせていただきますね」
よって他の用件もあるために無駄な時間を過ごしたくないアルバトールは、あっさりと目の前の旧神を見限って帰ろうとする。
[ちょっと待てアルバトール! 演出だ演出! こっちが黙ってたらあれから何かあったのかってお前さんが勘違いするのがスジだろうが!]
「だって今の君の信用度ゼロだし。それから僕の今の名前はアルドだ。先に言っておくが、君にその気が無くても僕たちの正体が君の口からばれてしまった場合、情報提供の約束は反故にさせてもらうからね」
慌てて呼び止めるバアル=ゼブルに、アルバトールは冷たい視線を返しつつ警告を飛ばし、それを聞いて首を傾げる目の前の旧神に溜息をついた。
「お前さんそうは言うがな、俺はアルドなんて名前聞いてないぞ」
「昨日の晩餐会の時に君以外の全員に言ってるし、僕が君以外の人と交わした会話で何度も聞いてるよね?」
[それ俺には何も言ってないってことじゃねえか!]
「うんそうだよ。どうでもいいけど早くそっちが話したいことを話してくれないかな」
肝心なことを言わないバヤールとは違った方向、主にボケの方向で話が進まないバアル=ゼブルとの会話をアルバトールは無理やり進め、彼にサンダルフォンの情報を得た時の連絡方法を聞く。
黙ったままだったら今度こそ本当に帰ると付け加えることを忘れずに。
「暗黒魔術か。名前だけは聞いたことがあるけど、本当にそれで安全確実に君だけと連絡が取れるのかい?」
アルバトールは以前エルザから聞いた、暗黒魔術についての知識を思い出す。
しかし似て非なる、とは聞いていたが、その中に遠話ができるという情報は無かったはずだった。
[何の為のアーカイブ術だと思ってるんだよ……ってお前さんは魔族じゃねえから、天使側で蓄積したものしか見れねえのか]
「天使側で蓄積?」
[ああ、アーカイブ術に使う領域はお前さんたち天使側と、俺たち魔族側の二つが殆どを占めてて、んで同じ陣営が蓄積した情報は、術を使うことでその殆どを自由に取り出せる。だが別の陣営が蓄積した知識は自由に取り出せないのさ」
「そうなのか」
アルバトールは饒舌になった目の前の旧神を見て、修行の時に術について説明を始めた時のエルザを思い出す。
[魔術関係の知識なんかも入ってて、いわゆる高位魔術は上位者に教えてもらって覚えるわけだが、それ以外にも位階が上がったり、精霊魔術の連続使用で一時的に自分の力が上がったりすると、術の知識が自動的に降りてきて使えるようになるわけだな]
「ん? 別の陣営に属している知識が取り出せないと言うことは、高位魔術で君たちと僕たちで使える術も違ってくるってこと?」
「物分かりがいいな、その通りだ。天使と魔族で使う術に違うものがあったり、八雲が俺たちに理解できねえ術を使用することがあるのは、他陣営に属してるって証拠だな]
得意げに話すバアル=ゼブルを見て、フェルナンが口髭を撫でながら問いかける。
「ワシが言うのも何じゃが、この場で喋って良かったのか? バアル=ゼブルよ」
[ヘッ、こんなのは俺たちや天使なら常識の類だ。大方天使の大ボス、ミカエルの野郎がサボってアル……ドに教えるのを忘れてただけだろうよ]
ミカエルの名を呼んだ時、バアル=ゼブルの顔が少し歪んだのを見て取ったアルバトールは、二人の間にはやはり浅からぬ因縁があるのだろうかと考え始め、しかしフェルナンが再び口を開くのを見た彼は、フェルナンの方へ意識を向けた。
「いや、ワシが言っとるのは、ワシやベルナールの前で喋って良かったのか、と言うことなんじゃが」
[ああ、それは問題ない……はずだ、と思うぜ? 何せアーカイブ術を能動的に使って知識を取り出せるのは父の位階以上の天使か、それに相当する力の持ち主だけ。人間や下級魔族は天啓とか閃きとか言われる、偶発的でかつ受動的な現象によって、稀におこぼれの知識を得るくらいしか出来ないからな]
「なるほどのう、術の存在を知っているだけでは意味が無いと言うことか」
「それはそれでいいのだが、一つ聞きたいことがある。バアル=ゼブルよ」
[突然どうしたベルナール。お前さんは知識に貪欲と聞いているが、今言ったとおりアーカイブ術は人間には……]
ベルナールは首を振り、バアル=ゼブルを睨みつけながら鋭い舌鋒を突きつける。
「魔族が主に使う暗黒魔術と、天使のみが使える聖天術は相対する術。その暗黒魔術を天使が使った場合の安全性はどうなっているのだ?」
[知らねえが、まぁ何とかなるんじゃねえか? 確かアルド? は元人間なんだろ? 初歩の暗黒魔術は人間も使えるから、元人間のこいつなら大丈夫だろ]
その返事にベルナールは、いつも冷静である彼からは考えられないほどの怒りを露わにし、バアル=ゼブルに吐き捨てるように答えていた。
「希望的観測で物事を語るか? 話にならん! 真にサンダルフォンの情報を欲するなら、我々が滞在している間に他の手段を考えてくれ」
はっきりとした拒否の意思を口にするベルナールをバアル=ゼブルは非難するが、ベルナールはまるで相手をしようとせずに話をそこで終わらせた。
「期限は一週間。思いついたなら広場に来てくれ」
交渉が区切りを見せたと判断したのか、それとも打ち切った方が良いと感じ取ったのか、ベルナールの提案を聞いたフェルナンが即座に立ち上がり、セファールに後を頼むと告げて部屋を出て行く。
その後にベルナール、アルバトールが続き、部屋に一人残されたバアル=ゼブルは自らの失敗を悔いて床に視線を落とした。
……はずだった。
「で、何で着いてきてるの」
[用が無いなら帰ってくれってセファールに怒られた]
「……後で美味しい物でも食べに行こうか?」
[やめろ俺を哀れみの眼で見るんじゃねえ]
執務室を出た後、彼らは詰所の隣の屋敷にある地下留置場の廊下を歩いていた。
「しかし、ワシもまさかこんなことになっているとは気付かなかったぞ。どうも変に気を利かせた部下が、こちらに連絡をするのを遅らせたようでな」
「私も今朝になって知らされ、驚いていたところです」
先頭を歩くフェルナンとベルナールが、互いを見合って肩をすくめる。
大人が五人程度なら楽に並んで歩ける石造りの廊下は、魔術の光で照らされてはいるものの薄暗く、天井からは所々水が染み出て床に溜まりを作り、周囲の牢屋からはひどい異臭が流れてきている。
「しかし王城の中ならともかく、城下町の建物の中にこれほどの設備があったとは驚きですな」
ベルナールの言葉にフェルナンは頷き、今まで通ってきた通路ですらその一部でしかない、と恐れを為した様子で答えた。
「探索が済んでいる場所は?」
「この地下牢に使っている区画のみ。百メートルも行けば下に行く階段はあるが、魔術で強化された鉄柵で仕切られていてな。無理をして先に行く時間も人員も足りぬので放置しておる」
「魔術を扱える人間はそうそういませんからな」
慰めるように返答するベルナールに、フェルナンは苦笑して通路の先を見つめる。
「加えてこの屋敷を所持していた者の正体が不明でな。そんな建物をなぜ使っているかと言うと、そもそも自警団は犯罪者を捕えることはしても、取り調べや収監は専門外じゃ。以前は神殿騎士団に突き出せば良かったが、今はそうもいかんでな」
「治安活動で協力関係にある魔族に突き出せば良いのでは?」
薄暗い通路のせいとばかりは言えぬ顔と声でベルナールの口から出された提案に、フェルナンは首を振って後ろを歩くバアル=ゼブルへ肩越しに視線を送る。
「罪を犯したとはいえ、同じ人間を処刑場へ送りだすには忍びないからの。そこでジョーカーに何とかしろと言ったら、空き家だったここを使えと言って来てのう」
「そうですか」
短く答えるベルナールを見たフェルナンは短く溜息をつき、説明を続けた。
「しかし勝手に使用するわけにもいかんから、一応こちらで調べたのじゃよ。すると屋敷の所持者と住人の名が別々で、しかも屋敷に人が出入りする姿を見たものがいなかったんじゃ。被疑者を収監できそうな建物が近くに無いから使ってはいるがの」
「それはまた面妖な」
「面妖と言うなら、この地下牢も面妖じゃ。なぜ地面をわざわざ掘り下げてまで地下に作る必要があったのかさっぱり判らん。作成や維持にかかる手間、金、時間、すべてが無駄でしかない。普通に地上に牢を作った方がよっぽど効率的じゃ」
顔をしかめ、この屋敷の持ち主だった人物の考えを幾度と無く読み取ろうとしたであろうフェルナンに、ベルナールは何かを隠す必要があったのかもありませんな、とあまり興味が無さそうな返事をするが、そこにバアル=ゼブルが口を挟む。
[上の屋敷に住んでた奴が、何か人に言えない趣味でも持ってたんじゃねえのか? 例えば人攫いをして、騒いでも気づかれにくい地下牢に監禁する、とかな]
「ほう、さすがに魔族だけあって目の付け所が違うのう」
軽蔑の眼差しを送ってくるフェルナンに、バアル=ゼブルはうっすらと笑みを浮かべて両手を広げる。
[例えばって言ったじゃねえか。それはそれとして、先々週あたりに下級魔物からここの地下に侵入できないって報告が上がってたから、ジョーカーがそのうち調査隊を組むって言ってたぜ]
「む……」
バアル=ゼブルの一言を聞いたフェルナンは顔をしかめ、何か考える様子を見せるが、それを見たバアル=ゼブルは即座に笑い声を上げ、フェルナンと肩を組んだ。
[わりぃわりぃ、調査隊を組むって話は嘘だから、無理に張り合おうとするなよ? 他人の行動に理由があると考えるのはいいが、そいつを固定観念にしちまうと痛い目に遭うぜ。こいつは神様からのありがたい忠告と思って、素直に受け取っておくんだな]
「バアル=ゼブルよ。人は無意味なことに時間を費やせるほど長寿ではないし、未知の物に対して時に宝石以上の価値を見出すものなのだよ。未開拓の土地には黄金が埋まっている、だ」
[ああ、俺もその意見には賛成だベルナール。だがそれは自分や周囲の面倒を見て、なお余裕のある奴だけが挑めることなのさ。仮にジョーカーがこの奥に調査隊を派遣すると決めたとしても、お前さんたちがそれに張り合う必要はねえよ]
「たまにはいいことを言うではないか。理由が無い行動と発言ばかりするお前にしては、じゃが」
フェルナンが意地の悪い笑みを浮かべて言うと、すぐにバアル=ゼブルは発言の前半部分だけを強調して調子に乗り始め、それを見たフェルナンはすぐに不機嫌な顔へと戻り、すたすたと先に立って歩き始める。
皮肉を逆手に取られ、バアル=ゼブルにからかわれるフェルナンを見てアルバトールは苦笑し、その雰囲気を入れ替えるべく自らの意見を述べた。
「先ほどのバアル=ゼブルの話しぶりだと、屋敷の持ち主がこの下に何か目的があって地面を掘った。この地下牢は後から偽装で作り上げた、と言うことも考えられますね」
アルバトールの発言にベルナールは同意し、フェルナンをからかっていたバアル=ゼブルは若干目を細める。
だが、それに気付いた者は居なかった。
「ここじゃ」
「ここが……」
フェルナンの顔を見て、牢のそばに立っていた見張りが頭を下げて鍵を開ける。
「迎えに来たぞブライアン。騒ぎの仲裁に入ったのに当事者として牢屋に入れられるとは災難だったな」
げっそりとした様子で鉄柵の向こうから姿を現したのは、ナターシャが昨日起こした騒ぎに巻き込まれ、おまけに手違いで牢屋に入れられたブライアンであった。