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第80話 心の隙間

 エリザベートに注意をされたバアル=ゼブルは、しばらく居心地が悪そうにあたりをキョロキョロと見回した後に、口の横に手を当ててこそこそと話を再開する。


[とりあえずだ。俺は復讐の為にサンダルフォンの情報を得たい。お前らは正体を隠したまま王都の情報を得たい。だからよ、こいつはギブアンドテイクって奴だ。お前らの正体を黙っておく代わりに、もしサンダルフォンの手がかりを得たら俺に教えてくれ]


「自分で探せばいいんじゃないか? 君の飛行術は僕から見ても大した腕前だし、移動に支障は無いだろう」


「いや、俺は今このテイレシアを迂闊に離れられねえんだ。他の魔族に頼もうにも、ジョーカーの目的とはおそらく関係ないサンダルフォンの情報を集める為に、奴らを勝手に動かすわけにもいかねえ。外の情報を得るにはお前らの手を借りるしかねえんだよ]


「離れられないって、僕を襲って来た時は普通に飛んできたみたいだけど? それにジョーカーの目的ってなんなんだい?」


 アルバトールが冷たい言葉で追求すると、バアル=ゼブルは少し悩んで口を開く。


[あー……まぁ言っちまってもいいか。ジョーカーの目的は俺も知らねえし、知ってても教える訳にはいかねえだろうから、俺が王都を離れられない理由のほうだけどな]


「うん」


[この前、お前と戦った時に左腕を失くしちまっただろ? あれでアナトが激怒しちまってな。まったく今思い出しても身震いが……笑いごとじゃねえぞ八雲]


 いきなり背中を向けて全身を震わせ始めた八雲を半眼で睨み付け、バアル=ゼブルは話を続ける。


[そんで今度からお兄様が戦いに赴く時は私も御一緒させて頂きます! とか言いだしてよ。風の俺と土のアイツじゃ相性が悪いから戦場を共にする訳にはいかねえんだが……あ、言ったらいけねえヤツまで言っちまったか?]


「お前はその口の軽さを本当に何とかしろ」


「まぁまぁ。その話が本当なら、の話でしょう。八雲殿」


 呆れた顔の八雲がバアル=ゼブルに忠告をすると、すぐにベルナールがその場をとりなして会話の先を促す。


[ま、そう言った訳で、当ての無い情報を求めて俺がうろうろするとアナトの奴も着いてきちまう可能性が高い。ンなことになりゃあ、またジョーカーの奴からねちねちと説教を喰らうのが確実になっちまうからな。そいつはゴメンだ]


 一通り説明を聞いたアルバトールは、腕を組んで考え込む。


 この場合、バアル=ゼブルの提案を飲むのが一番賢い対処であることは間違いないし、周囲に聞いても全員が彼と同意見であった。


 しかしそれを聞いても彼は真剣に悩み、一向にバアル=ゼブルに承諾の返事をする様子が見られない。


[おそらくサンダルフォンの手がかりを得る確率が一番高いのがお前だ。奴の対たる存在であるメタトロン、そいつをその身に宿らせし天使アルバトール]


 そんな迷ったままの彼の瞳を真っ直ぐに見つめて真摯に頼んでくる、いや、もはや懇願と言ってもいいほどの熱意でバアル=ゼブルは詰め寄るが、それでもアルバトールは返答しようとはしなかった。


 バアル=ゼブルはそんなアルバトールを、目の前の問題を自分だけで解決しようと必死に考える我が子を見る親のような優しい目で見つめ、諭すように語り始める。


[……なんでお前さんが迷ってるかは薄々見当がついてる。今の自分にはサンダルフォンに関する情報の手がかりが全く無いし、これから得られるかどうかの保障も無い。だからそんな空手形を使った取引は出来ない、とでもバカ正直に悩んでるんだろう?]


 アルバトールはその指摘に顔を上げ、バアル=ゼブルの顔を見てまばたきをした。


[だがそいつをお前さんが気にする必要はまるで無いのさ。なぜなら俺が、お前さんを勝手に信用して勝手に取引を持ち掛けてるだけなんだからな]


 そう語るバアル=ゼブルの軽薄そうな笑みを、アルバトールはじっと見つめた。



 重く感じていた心が少しずつ軽くなり、難解と感じていた問題が薄れて消えていくような、そんな不思議な笑顔を。



[おそらく、お前さんは一度約束したことを自分の都合だけで勝手に反故にはしない。例えその相手が、いずれ殺しあう相手である俺であったとしてもな]


 バアル=ゼブルはそこまで喋ると今度は不敵に笑い、アルバトールの胸にトンと軽く拳を押しつけた。


[サンダルフォンの情報を得るためには猫の手でも借りたい。それが今の俺の偽らざる気持ちだ]


 笑みを浮かべながら喋るバアル=ゼブルの口調は、アルバトールには長い月日を共に過ごした親友に対する物のように聞こえ、その心を優しく包んでいく。


「どうするのだ? アルバトール」


 だが緊張感がとけ、表情が柔らかくなっていくアルバトールとは対照的に、ベルナールとフェルナンの顔は険しくなっていった。


 いずれにせよ、その場に居る者たちは旧神バアル=ゼブルの提案を、それぞれの立場や思考に基づいた決断や、アルバトールへの助言をしなければならなかったのだ。


 だが、それは半ばにして打ち切られる。



 何故ならバアル=ゼブルの帰りが遅いことを心配した闇の土、アナトがフェルナンの家に彼を迎えに来たからであった。



[ちょっ……! おいおいおい! 何でアイツ俺も知らなかった爺さんの家にあっさり来てんだオイ! って今はそれどころじゃねえ! 早く返事をくれアルバトール!]


 エリザベートに頭を下げてまで時間稼ぎを頼み込んだバアル=ゼブルは、必死の形相でアルバトールに決断をするように迫る。


[このような夜分遅くにお邪魔してしまい申し訳ありません。ええ、うちの兄が御迷惑をおかけしていないかと心配で……]


 旧神であるはずのアナトが、妙に世間慣れしている挨拶を玄関でエリザベートと交わしている間に、バアル=ゼブルは慌ててサンダルフォンに関する情報提供の密約を、何とかアルバトールと締結しようとする。


[三秒以内で返事しないとお前たちの正体を思わず口走るかも知れねえぞなので早く返事をしろ下さいお願いします]


 この場でアナトに正体をばらすと脅迫までして情報を欲する彼の願いの承諾を、アルバトールが未だ迷っていた次の瞬間。


[……判った。この場で決めなくてもいい。爺さん、こいつらの公演予定は?]


「一週間らしいが、聞いてどうするんじゃ? その前にトール家の御子息たちが王都からいなくなったら、お主に打つ手は無いのではないか?」


[その時はその時さ。何も言わずに姿を消すような奴を見込んだ俺が愚かだったというだけの話だ。爺さんたちは馬鹿にするかも知れねえけどな]



 下を向き、寂しそうに呟くバアル=ゼブル。


 それは見事な泣き落としだった。



「……判った。サンダルフォンの情報を得たら君に提供するよ。その代わりに僕たちの正体は黙っていてもらうよ」


[おおそうか! やっぱりお前さんは下手に出られると弱い性格だったか! あ、やべ]


 しかし直後にバアル=ゼブルが放った一言が元で、アルバトールの頭の中は風雲急を告げて思考を停止させる。


 それを見たベルナールは慰めるようにアルバトールの肩に手を置き、そして取引が無事に成立したことに安堵した八雲たちは、家の主人に遅くまで居たことを詫びてそれぞれの家へ戻っていった。


「それでは、連絡方法はどのように?」


 しばらく意識が戻りそうにないアルバトールの頬をペチペチと叩きつつ、ベルナールはバアル=ゼブルに尋ねる。


[ああ、そうだな。とりあえずこの真っ白になってる天使様が正気に戻らねえと意味が無え。と言う訳で明日から怪しいお前らの監視役を務めるってジョーカーには言っておくからよ、今度会った時にでも伝えるとしよう。それじゃあなベルナール]


 バアル=ゼブルが部屋を出て行くと、玄関の方から何やら女性二人のかしましい会話と男性の拗ねたような声が聞こえ、ドアが開く音とともに静かになる。


 一気に静寂に包まれたフェルナン家の中を、今度は隙間を吹き抜ける風のような声が通り抜けていった。



「……いずれ殺しあうべき運命の敵と馴れ合う。これを知ったら奴らに殺された陛下や騎士たちはどう思うでしょうな」


 それはベルナールの独り言か、それともフェルナンへの相談か、はたまた死んでいった者たちへの弁解だっただろうか。


 そのいずれとも判断のつかぬ言葉に、かつてリシャールの元で大将軍を務め、王国すべての騎士を指揮し、そしてその多くが死ぬ結果を自らの眼で見てきたフェルナンはワイングラスを揺らし、血のような赤ワインの揺らぎを見つめながらぽつりと答えた。


「陛下たちは逝き、ワシらは生きている。死者の考えを気にするのは、我らが死んでからでも良かろう」


 答えにもならぬ答えを返され、しかし答えが無い質問をしたことをベルナールは詫びると、ようやく正気に戻ったアルバトールを連れて帰って行った。



「皆さんお帰りになってしまいましたね、あなた」


 時間稼ぎの為、玄関でしばしアナトと話し込んでいたエリザベートは、ソファでグラスを弄ぶフェルナンを見て察したように彼に話しかける。


「家に来た者が帰って行く。当たり前のことじゃろう」


「家を出た者が帰って来る。昔はそれが当たり前だと信じていました」


 エリザベートは壁に掛けてある二枚の肖像画を見つめ、寂しそうに呟く。


「今日はあの子たちがまだ生きていた頃を忘れるほど楽しかったですわ。あなたもそうでしょう? あの青い髪の方と話されている時は、まるでジェフやケヴィンと議論していた昔のように楽しげでした」


「……今夜はもう遅い。明日も早いからワシはもう寝るぞエリザベート」


「はいはい。私はもう少し食事の仕込みを済ませてからにしますね」



 宴の後の寂しさと虚しさ。


 宴が楽しい物であればあるほど、それは大きい。



 などと言うことを考えまいと、エリザベートは手を硬く握り締めた。


(二人きりになってからの年月が経ちすぎた、と言うことかしらね)


 そして肖像画に描かれた、かつてこの家で彼女たちと暮らしていた二人の勇敢な騎士、ジェフとケヴィンの名前を呼び、お休みなさいと言ってリビングの灯りを消し。


「ワシに唯一残された安息の場所にどかどかと土足で入ってきおって……ふん」


 フェルナンが潜り込んだ寝床の中からは、感情を読みとりにくい声が布団の隙間から漏れ聞こえたのだった。




「随分と機嫌が……良さそうでもないな二人とも。フェルナン将軍の家で派手に飲み食いをしてきたのではなかったのか?」


 宿でリュファスとロザリーと共に留守番をしていたエレーヌは、先に彼らが寝てしまっていたせいか、普段どおりの口調でアルバトールたちを出迎えていた。


「少しあってな」


 だが楽しい時間を過ごしたとばかり思っていた二人が、深刻な顔で戻ってきたのを見たエレーヌは、ベルナールに宴で何があったのか聞き出そうとする。


 最初は冷静に聞いていたエレーヌだったが、正体がばれてしまったと聞いた彼女は眼を鋭くし、リュファスたちの方を見てから今後の対応をベルナールに聞いた。


 だがベルナールは厳しい顔で何も無い、と答えてため息をつくばかりであった。


「打てる手が無いと言うより、打つ必要がない。こちらから約束の担保として差し出すものが何も無く、向こうがアルバトールの善意を全面的に信用した取引だからな」


 だからこそタチが悪い。


 さすがにそうは口に出せずにベルナールはアルバトールを見るが、その横顔を見た彼は不安を色濃いものとする。


 この裏取引はこれからの彼の行動に悪影響を与える呪縛になりかねない、そんな危険な予感をベルナールは抱き、自らの不手際に内心舌打ちをした。


「アルバトール、君は呆然としていたから覚えていないかもしれないが、バアル=ゼブルは明日……もう今日か? 我々の監視をすると言って接触してくるらしい。その時に詳細を説明すると言っていたから、とりあえず今は寝て頭をすっきりさせたまえ」


 その忠告に従い、ふらふらとベッドに潜り込んですぐに寝息を立て始めるアルバトールを見て、ベルナールとエレーヌは顔を見合わせる。


「とりあえずは明日だな。どこまでアルバトールをフォローできるか判らないが、出来るだけのことはしよう」


 エレーヌもその意見に同意し、彼らは床に着く。


 こうして王都に潜入した彼らの一日目はエルザが起こした波乱に始まり、バアル=ゼブルのもたらした騒動で幕を閉じたのだった。




 そして、城に戻ったバアル=ゼブルとアナトの二人は、闇の炎であるモートの出迎えを受けていた。


[兄妹揃って仲睦まじく上機嫌で御帰宅。誠に望ましい……本当に二人とも上機嫌だな、何があった]


[何もねえよ。ジョーカーはどこにいる? モート]


[屋上だ。お前たちが作り上げた芸術作品を一刻も早く撤去して、城を元の姿に戻したいらしい]


[他人事みたいに言ってるが、お前も原因の一つである事に変わりはねえからな? そんじゃアナト、先に部屋に戻ってな]


 そう言うとバアル=ゼブルは不満げな表情になったアナトを置いたまま、城に開いた口のような穴の一つから外に出て、ジョーカーが居る屋上へと飛んでいった。



[……お前か。どうだった(あいつらの正体は)]  

 

[悪くなかった(宴の事か? ワインもメシも結構美味かったぞ)] 

    

[と言うことは敵か(悪くなかった……? 善人、天使と言うことか?)]


[フェルナン爺さんは元から俺たちを敵視してなかったか?]


[ん?][ん?]



 勿体つけて話すと会話が成り立たないという典型的な一例を経た後に、二人の話は再開された。



[そうか、宴は楽しかったか。で、あの金髪の男は天使などでは無かったのだな?]


[まぁ断定はできねえが、おそらく違うだろう。つーかお前がデキる悪役を装って余計な演出をするから、報告に無駄な時間がかかっちまったんだ。報告は簡潔に結果から言えというが、その求めている結果を言わずに俺に怒るのはお門違いだぞ]


[……運命の紡ぎ手は無駄な演出が好みらしいぞ]


 普段とは反対に、そう言って誤魔化そうとするジョーカーをバアル=ゼブルが呆れたように見つめ、首を振る。


[モートかよ。そんじゃ俺はもう寝るぜ。一応、明日も奴らの監視についておくが、期待すんなよ?]


[判った。念のために芸人たちの方は、見物客の中に下級魔物どもを忍ばせて目を光らせておく予定だから、そちらの方は気にしなくていいぞ]


[相変わらず細かいことまで気にするな、お前さんは]


[細かいことができない奴に大掛かりな仕事は任せられんと言うのが私の主義だ]


 背中越しに手を振ってバアル=ゼブルが去った後、冷たい風をその身に受けながらジョーカーは城を見下ろし、新しい部材の構成、城だった痕跡を解析していく。


[……この痕跡はモートか?]


 城に開いた目のような穴の側に、溶岩が固まったような穴だらけの部材があるのを見て、ジョーカーは嘆息した。


[蟻の一穴で崩れる城壁もあると言うのにあやつ等は……]


 こんな素材では、術で強化しても結界や障壁の基盤としての物質足りえぬ。


 そう口の中で毒づいた彼は、一つの決断をした。


[……そろそろ召還せざるを得んな。アーシラト……いや、同胞アスタロトよ]


 バアル=ゼブルたちと袂を分かった後に紆余曲折を辿り、今では堕天使を率いる存在となった元旧神の名前を呼んだジョーカーは、ダークマターによる念話を遠く東の地にいるアスタロトに送ったのだった。

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