第79話 晩餐会
興行の許可を取り付け、更にフェルナンとの会食の約束もして無事に宿に戻ったアルバトールたち。
しかしそれは魔族の巧妙な罠だった。
「ハハハ、まさかバアル=ゼブルがお目付け役で同席するとは思わなかったぞ」
「コロス……コロシテ……殺せれば……殺してしまえ……フフ、ウフフフ」
一本とられたと言った調子で軽く笑い声を立てるベルナールの向こうでは、先ほどのアナトとアルバトールの口付けにエレーヌが怨念じみた愚痴をこぼしており、周囲を気にせずに力が出せれば、などと怒りに身を震わせて何やら呟いている。
そんなエレーヌを見上げたリュファスは、なんか陸に打ち上げられた魚みたいにビクンビクンしてんなエレーヌねーちゃん、などと余計なことを言ってしまい、ロザリーに引っぱたかれていた。
「ふー、確かに笑うしか出来ませんが、夕食の招きはどうされますか? 今から断りに行っては失礼にあたりますし、フェルナン殿、魔族の双方に不信感を招きましょう」
フェルナンの副官と紹介された為、セファールの誘いに迂闊にも乗ってしまったが、考えてみれば彼女も魔族である。
自警団の仕事と見せかけて、何らかの罠を仕掛けてくる可能性は考えに入れておくべきだっただろう。
またフェルナンとの食事で腹を満たし、その後にアルコールが入れば、バアル=ゼブルの前で口を滑らしてしまう可能性も十分に考えられるのだ。
そのアルバトールの心配をよそに、ベルナールはあっさり晩餐会の参加を表明する。
「当然行くしかあるまい。幸いにして人数の指定はされておらんし、お前たちは宿に残っているといい」
「それは余りにも危険では。詰所で見た限りでは、フェルナン殿が魔族の傀儡との町の噂は的外れなものと思えます。しかしそれでも団長が一人きりになるのはあまりにも危険。オートクレールも持てぬ今は、せめて行き帰りだけでも僕を御一緒させて下さい」
「問題ない、と強がる意味が無いな。では頼むぞ天使様」
「お任せください我らが団長様」
今までに無いほどアルバトールの自信に満ちたその返答にベルナールはやや鼻白むが、すぐに机に向かって何やら単語の列をしたためていく。
それを見ていたアルバトールは窓の外に探索の触手が伸びてくる気配を感じ取り、ベルナールに忠告をした。
「少しお待ちください。何やら下級魔物らしき気配が、何体かこちらの様子をうかがってきております」
アルバトールは障壁を張って魔術の眼を遮蔽しようとするが、ベルナールは構わないと彼に告げ、作業を続けた。
「このメモは単なる嫌がらせだよ。魔族の眼は放っておいていい」
不思議に思ったアルバトールがのぞき見れば、メモの内容はカフェのメニューであり、そこには星が二つ書かれた後に味が若干落ちている、新メニューはなかなか、などの批評が書かれていた。
「食材の質によるものか、それとも他の原因によるものかは判らないがね」
ニヤリと笑うベルナールにアルバトールは両手を上げ、降参といった様子で部屋の隅に歩み寄り、置いてある荷物を解いていく。
「ではそろそろ出かけるか」
そして城壁の向こうに太陽が隠れていくのを見つめていたベルナールが、そろそろ時間だなと呟いた後に出発する旨を口にした。
「やれやれ。王都の中は城壁に光が遮られるから、さすがに暗くなるのが早いな」
夜の闇が差し迫りつつある町は、昼間とは明らかに住民が変わっていると感じさせる雰囲気が漂う。
歩く人も殆ど居なくなった通りを、ベルナールとアルバトールの二人は油断なく周囲に気を配りながら、招待されたフェルナンの家へ向かっていた。
「目撃者がいない、これは犯罪をする上で最も重要なことだ」
「嫌なことを言わないでください。上級はもちろん、下級魔物ですら数が多ければ押し切られることが十分に考えられるのですから」
「その時は警備の不備を魔族に訴える。物は考えようだよアルド君」
「訴える口が残っていれば良いのですが……団長、後ろにこちらを尾行してくるものが居ます」
その言葉を合図に二人は歩く道を変えて路地裏に入り込み、一つ裏の道をフェルナンの家へ向かう経路に選ぶ。
しかし後をつけてくる気配も進路を変え、彼らの後ろに着いてきたままであった。
「走るぞ」
ベルナールが短く呟くと同時に、身体強化の術をかけて二人は走り始める。
既にアルバトールが人以上の存在であると魔族に知られている以上、力を出し惜しみする必要は無い。
そう判断したのだが、驚いたことに後ろから着いてくる気配はそれ以上の速さで彼らに向かってきていた。
「そこの曲がり角を曲がったら待ち伏せをして対処しよう」
しかし彼らは曲がり角に着く前に、背後より迫り来る気配に追いつかれてしまう。
[おい待ってくれ! 俺は爺さんの家の場所を教えてもらってねえんだ!]
そこにはアルバトールたちと同じく、晩餐会に招待されているはずのバアル=ゼブルが居たのだった。
「何で招待された客が主催の家の場所を知らないんですか」
アルバトールはバアル=ゼブルに驚かされたことを根に持っているのか、口を尖らせてぶつぶつと文句を言う。
[確か唯一残された安息の場所を穢されたくないとか言ってた気がするな。しかしあれだけ年を食っても知られたくないものがある、恥じらいを残しているとはまったく人間には恐れ入るぜ。悠久の時を生きる俺たちには理解できねえ感情だ]
傍若無人、そう感じられるバアル=ゼブルの言葉。
だが考えてみればエルザやバヤール、ヤム=ナハルも人を顧みぬ性格だし、神や天使などはそう言った思考……にならないことは、ラファエラやベルトラム、ラビカンを見れば明らかだった。
「フェルナン様の家はここ……らしいです、バアル=ゼブル様」
とりあえずの問題が解決したアルバトールとバアル=ゼブルがフェルナンについて世間話をしていると、ベルナールが目的地に到着したことを告げる。
ベルナール自身は何度も来たことがあり、間違いなくこの家がフェルナンの家であると知っているのだが、今は変装している身である。
ここである、と断言する表現を用いるといらぬ詮索をされる恐れがある為、わざわざぼかした到着の表現をしたのだろうと推察したアルバトールは、凝っているなと感心をしながら家の中に入っていった。
家の中には先に到着していた八雲、セファール、そして自宅でも不機嫌な表情をしたままのフェルナンと、こちらを包み込むような柔和な笑顔をした老婦人がいた。
「家内のエリザベートじゃ」
不機嫌な顔をしたまま顔を赤らめ、エリザベートを紹介するという器用な真似をするフェルナン。
紹介されたエリザベートの方も、食事の準備がまだ残っているからと言って一礼をして中座する姿を見たアルバトールは、そこに家庭の一つの理想を感じ取っていた。
「今日はお招きいただき、感謝の念に耐えません。つまらない物ですがこれを。ローテ地方のワインでございます」
「ふむ、聞いたことが無い蔵じゃの」
「近頃評判がうなぎ上りの、若い作り手がやっている蔵でございます」
ローテ地方と聞いたアルバトールは、ベルナールがフェルナンに手渡すワインをそれとなく横目で確認する。
それにはシュヴァリエと読めるラベルが貼ってあり、彼はそれを見てベルナールの情報収集能力に舌を巻いた。
[爺さん、今日は招いてくれてすまねえな。俺も忙しい身なもんで今日は手土産を持ってくるのを忘れちまったが、今度の招待からはきちんと持ってくるぜ]
「二度は無いと思え」
[何だよその脅迫じみた言い方は]
「日頃から脅迫されるようなことをしているからそう感じるんじゃ、たわけめ」
対して手土産を持たずに堂々と乗り込み、主催のフェルナンに胸を張って挨拶をしたバアル=ゼブルは手ひどい対応を受け、落ち込んだ彼は壁に頭を押し付けながら横目でチラチラと様子を伺う。
「そうか、殿下は無事にフォルセールにお付きあそばされたか……」
そんなバアル=ゼブルをよそに、フェルナン、八雲とベルナールは外の状況について話し始めていた。
しかしアルバトールだけは壁に頭をぐりぐりと押し込み始める青い髪の青年と、床に落ちた何本かの髪の毛を見て、慰めの言葉をかけるべきかどうかを悩み始める。
結局余計な手出しをするとこちらにも火が回ってきそうと言うことで、彼は放置を決め込んでしまうのだが、そこに台所から戻ってきたエリザベートがバアル=ゼブルを見つけてしまい、たちまち彼女はフェルナンをたしなめ始めた。
「まぁまぁ、ダメですよあなた。そちらのお若いかたが、壁の華になっているではありませんか」
「こやつは元々客ではないぞ」
「では私のお客と言うことにしましょう。きちんとゲストを持て成してあげてくださいね。セファールさん、すいませんが食事を運ぶのを手伝っていただけませんか?」
それを聞いたセファールは、黙り込んだフェルナンに涼やかな笑顔を向けてから台所へ向かい、一人分が空いた場所へ入れ替わるように、嬉々とした表情のバアル=ゼブルが会話の輪へ入ってくる。
たちまちフェルナンが眉間にシワと青筋を立てて睨みつけるのだが、バアル=ゼブルにまるでこたえた様子は無かった。
[そう睨むなよ爺さん。そもそも俺が参加するってのがこいつらと食事をする条件だろ?]
「参加は許しても余計な口を挟むことは許可しておらんぞ」
[そこら辺は上に立つ者の度量次第ってところだな]
それを聞いたフェルナンが、叫びを上げるべく口を大きく開けた所で料理が次々とリビングに持ち込まれ、エリザベートがテーブルに着くように全員に命じる。
「はいはい、お腹が減っては戦が出来ませんし、無用な争いも起こるってものですよ。随分とお待たせしたせいか、早速争いを起こそうとした気短な方もいらっしゃるようですけどね」
笑顔で仲裁をするエリザベートに恨みがましい視線を送った後、黙って席に着くフェルナンに続いてアルバトールたちも次々と着席していき、先ほどまでの騒ぎが嘘のように場は静かになる。
(とても敵わないな……流石はフェルナン殿を数十年来に渡り、お世話してきたお方だけのことはある)
席に着いたアルバトールはエリザベートへ感嘆の思いを抱きつつ、食事前の祈りを周囲と唱和し始めた。
「……何をしとるんじゃ? バアル=ゼブル」
[うるさい祈りを早く終わらせろ]
部屋の隅で座り込んで耳を塞いでいる一人を除き、全員が感謝の言葉を捧げてから晩餐は始まったのだった。
食事は進み、ベルナールが持ってきたワインとは別のワイン、エールも振舞われる。
全員が程よい満腹感と酔いに精神を高揚させた頃、食事会は何事も起こることなく終わりが告げられた。
バアル=ゼブルの前と言うこともあり、さほど突っ込んだ会話も出来なかったものの、彼らはその後もちょっとした歓談をしていた。
[やれやれ、何事も無く終わってくれて何よりだぜ]
「ふ、お前としては何か起こってくれたほうが良かったのではないか?」
バアル=ゼブルが何気なく発した一言に、八雲が応えただけ。
アルバトールにはそう見えたやり取りは、バアル=ゼブルの思ったより長い釈明と嫌味で会話が続けられた。
[ま、そりゃそうだがよ。たまにはこんな平穏な日々もいいもんだ。八雲みてえに平穏だけで生きてるようなやつにゃ判らねえだろうけどよ]
「平穏があるからこそ騒乱を楽しめるのだろうに。そもそもお前たちは今、天魔大戦とか言う争いをしている最中ではなかったのか?」
[あー、まぁそんな気もする]
ふてくされた表情になったバアル=ゼブルを見て、アルバトールは微笑ましい気分となり、それに勘付いたのかバアル=ゼブルはその顔をじっと見つめる。
「良ければこちらをどうぞ」
そこにエリザベートが食後のデザートとしてジェラートを配り始めるが、少し酔っていたのか、その途中で彼女は少しよろけてしまっていた。
[おいおい大丈夫か婆さん]
側に座っていたバアル=ゼブルがエリザベートを受け止め、代わりにジェラートを配り始めた時だった。
[ほらよ、アルバトール]
「あ、すいません……ん!?」
[へっ、やっぱりお前だったかよ。爺さんの家での食事、おまけに八雲やセファールまでいるこの場だったら油断すると思って、ちょっとカマかけたら案の定だ]
しまったという顔をするアルバトールを、バアル=ゼブルはニヤニヤと笑いながら指差し、血相を変えたベルナールに手の平を向けてその動きを止める。
[ああ、心配すんな。この戦力差でお前さんをどうにか出来るとか思っちゃいねえし、正体をジョーカーに報告するつもりならこの瞬間に暴いたりしねえよ]
「では何のつもりだ? そもそもお前のその強がり自体が、この場を凌ぐ為のハッタリでは無いと誰が保障できる」
「その声は……ベルナールかお主!?」
バアル=ゼブルの発した一言が元で、場は風雲急を告げる。
最初こそ事の次第が把握できないと見えた八雲やセファールも、すぐさまフェルナンの安全を確保する為にバアル=ゼブルとの間に立ちはだかっていた。
だが旧知のベルナールを目の前にしたフェルナンは、思わずその間から顔を出してベルナールに声をかける。
「少し見ない間に随分と太ったのう……お主も年には勝てんと言う事か」
フェルナンは自らの頭を撫で、寂しそうに呟く。
「詳しい話は後ほど」
ベルナールはアルバトールの正体がばれた今となっては、変装する意味も無いと思ってか、喋るのに邪魔な口に含んだ綿を吐き捨ててバアル=ゼブルに立ちはだかる。
[ああ、お前さんがあのベルナールか。昼間に会った時、腰が低い割には妙に肝が据わった野郎だと思っていたが、これで合点がいったぜ]
「身は低くても心は高くと言うのが我が信条でね。この変装とあの芝居を見抜けるとはたいしたものだ」
[いいや、単なる直感さ。ところでそろそろアルバトールの正体をここで口にした件について説明を始めたいんだが、いいかな? ベルナールの坊や]
ベルナールは目を細め、バアル=ゼブルに視線を合わせる。
「話す内容が真実とは限らないが、推測の一端とはなるか。承ろう」
[さすがに疑い深いな。まぁいい、今から話すことは俺の心底願っていることであり、俺がアルバトールの正体を黙っておく代わりにこちらが得たい物だ]
顔を引き締め、威厳をもって話すバアル=ゼブルにその場にいる者の視線が集まり、彼は厳かにその唇を動かし始める。
[天使サンダルフォンの今現在について何か知っていれば俺に教えること。知らないのであればその情報を入手したらすぐに俺に教えること。その二つを守るなら俺はアルバトールのことを他の魔族に報告しねえ]
天使サンダルフォンの名を聞いて全員が静まり返る。
だが、その中で一人だけは違う反応を見せていた。
「別にこの場でお前を始末しても丸く収まるのではないか? バアル=ゼブルよ」
はるか東方から来た男、八雲が発した台詞に新たな緊張感が場に加わる。
だがその脅しに動じること無く、バアル=ゼブルは笑いながら答えていた。
[ンなことしたら魔族がお前らに総攻撃してくるに決まってるだろ。俺がここに来てることは全員が知ってるんだぜ? ジョーカーの奴が何を考えているにしても、アナトが速攻でお前さんたちを潰しに来るに決まってる]
「奴か……」
魔族最強、かつ最恐の女性の名に、フェルナンが額に汗を滲ませる。
「しかし天使サンダルフォンは今、行方知れずなのではないか? バアル=ゼブルよ」
そのフェルナンの質問に、バアル=ゼブルは口を歪めてアルバトールを指差した。
[サンダルフォンと対を成す天使、メタトロンは既にそこに顕在している! ならばサンダルフォンもこの世のどこかに姿を現しているはずだ! 俺は奴を絶対に倒す! 我が信者たちが死ぬ原因になった奴をな! 今やそれが我が存在理由、存在価値だ!]
狂気に満ちた高笑いをするバアル=ゼブルに誰も声をかけることが出来ず、時は過ぎていく。
「バアル=ゼブルさん。もう夜も遅いし近所迷惑ですから、そろそろ黙っていただけませんか?」
[あ、すんません……]
そして台所で後片付けをしていたエリザベートの一言で黙ってしまったバアル=ゼブルに誰も声をかけることが出来ず、更に時は過ぎていったのだった。