第76-1話 二人の試験官
王都偵察の為、フォルセール城を出発したアルバトールたち。
だが領境まで数時間ほどの森の中で馬を休ませている時、早くも彼らは予想していなかったアクシデントに遭遇することとなる。
「人数が三人多い」
「それは変ですねー、ベルナール様」
潜入の偽装に協力してもらう為に呼び寄せた討伐隊と、実際に王都で調査をするフォルセール騎士団のメンバーたちが、三人の男女を取り囲んで冷たい視線を送っている。
しかしその三人のうち、一人の女性だけが悪びれもせず、ベルナールの疑問に平然と同意をしていた。
「変なのはフォルセールにいるはずのお前がここに居ることだレナ。おまけに宮廷魔術師の一人であるナターシャはまだ判るとして、思慮深いと思っていたマティオ殿までこっそりと着いてくるとは……お前たちはこの重要な任務を何と心得ているのだ」
ベルナールの怒気を含んだ静かな声にナターシャとマティオは身をすくませ、流石のレナもブラウンの大きめの瞳に涙を浮かべながら、責任は全て自分にある、と謝罪をするが、ベルナールの怒りは一向に収まらない。
よってレナは頭を深く下げ、着いてきた理由を正直に話し始める。
「ナターシャ、マティオ、私を含め、術士部隊の皆が王都に残してきた家族の安否を気にかけており、これを放置しておけば部隊の士気に関わります。一目、一目だけで良いのです。王都の様子をこの目で確認できれば、それだけで安心できます」
「いずれ王都を奪回する時には、その家族がいる場所を攻めるのだぞ。未練は今のうちに断ち切っておけ」
「それは……」
目から涙をこぼしつつ、しおらしくレナが弁解をして許しを請うが、ベルナールの返事は冷たいものだった。
昔からの知り合いと言うこともあってか、ベルナールは遠慮の無い叱責をレナに与え、その一枚岩のような頑迷な指摘を聞いたレナは地面に視線を落とし、それ以上の言葉を紡げなくなって肩を震わせる。
そんなレナに代わってベルナールに彼女たちの随行の許可を求めたのは、レナのもう一人の昔なじみだった。
「家族が王都にいる、すなわち人質にとられているも同然の今の状況において、その安否を気遣うのは当然かと思われます。少し残酷なことを言いますが、王都の家族がいかなる運命を辿ったかだけでも確認できれば、一つの区切りが着けられるかと」
ベルナールは発言した若者の顔を見ると、即座に首を振る。
「アルバトールよ。家族の安否を知るだけなら、後で我々の口から聞けば良いだけの話だろう。それに私がなぜこうまで怒っているのか、君は判っているのではないか?」
そして腕を組み、鋭い視線をレナへと向けた。
「王都の民衆に馴染みの深い、つまり正体がばれやすい者が三人も我々に黙って勝手に着いてきて、尚且つ変装などの対策も講じていない。我々全員に命の危険を及ぼすその不用意かつ身勝手な行動を、私情によって不問にしては組織の規律が保てん」
ベルナールの厳しい眼光と反論。
だがアルバトールは諦めず、更なる提言をする。
「団長の言う事は御尤もです。しかし物は考えよう」
変わる気配を見せぬベルナールの意思に怯むこと無く、諦めること無く、更にアルバトールは声を張り上げた。
「討伐隊の者たちを除けば、我々に魔術に長けた者は殆どいません。私にしても天使となって日が浅く、攻撃に使う魔術は知っていても、回復やメンバーのサポートの術にまで造詣が深いわけではありません」
「それで?」
「レナ殿たちを王都に連れて行くリスクは確かに高いでしょう。しかしそれによって得られるメリットにも、また一考すべき価値があると思いますが」
そのアルバトールの答弁にベルナールが考え込む素振りを見せたことにより、アルバトールは一旦安堵の吐息をつく。
「あらあら、サポートなどの術の知識であれば私が王都まで着いていけば……」
「知識を得ても、実戦などで経験を積まなければ旧神や堕天使などの恐るべき敵に対抗できないかな!」
その直後にエルザが余計な口を挟んできてしまい、彼はその想定外、いや想定内とも言える彼女の発言に噛み付くように口を開く。
「回復やサポートに実戦はあまり関係ありませんわ。現に貴方が座天使になったときに、随分と法術の腕が上がったでしょう」
「……納得いかない」
してやったりといった顔をするエルザを見て、アルバトールは肩を落として恐る恐るベルナールの様子を見るが、ベルナールが次に呈した論点は別にあった。
「君の言いたいことも判る。だがレナたちを連れて行った結果、魔族に我々の正体がばれてしまった時はどうする? 王都の住人は未だ人が殆どを占めるとは言え、今では魔族の本拠地でもあるのだ。発見された場合、全員が無事に帰還できるとは限らん」
「それは……私が責任をもって何とか……」
「何とか? そんな曖昧な誓いに我々全員の命を預けよと言うのか?」
ベルナールの表情は、いよいよもって厳しい物となる。
それはなまなかの者では、彼の視線を受け止めることすら出来ないとまで思わせる物であった。
面白そうに周囲を見渡し、事の成り行きを見つめるエルザ。
対して彼女以外の全員、アルバトールを含めた全員がベルナールに視線を集める中、一陣の風が吹いて彼の二つ名である白銀の騎士の由来、白い髪の毛を揺らした。
「……責任をもつというのならその始末も取ってもらおう。もし敵に発見された場合は君を置いて我々は逃げ、君にはその後備えを務めてもらう。敵を引き連れ、我々とは別の方向に逃走してもらうことでな」
「しかしそれでは……」
「不服か? 確かに君はもう騎士団の一員ではない。私の命令に逆らうことも、やぶさかではないだろう」
「いえ、承知しました。見事その役目、果たして見せましょう」
――何かあった時には一人で逃げるように――
そうエルザがアルバトールに指示したことは、ベルナールも知っている。
出発前にベルトラムが口にしたことを思い出したアルバトールは、内心ほぞを噛みながら承諾の返事をした。
「今日はここで野営をし、明日の朝一番に領境を越える! 各自周囲への警戒を怠ることの無いように!」
ベルナールのその指示を以って結論とし、全員が野営の準備に取り掛かっていく。
だが、それでベルナールの話がすべて終わったわけではなかった。
「ああ、そう言えばアルバトール」
そう言ってベルナールはアルバトールを呼びとめ、耳打ちをする。
「レナは昔から嘘泣きが得意だから覚えておくといい」
ぽかんと口を開け、言葉を失うアルバトールを見てニヤリと笑うと、ベルナールは森の中へと足を踏み入れていった。
「さて、試験官の目から見た愛弟子の回答は如何なものでしたか? ベルナール様」
野営の準備が進む中、周辺の様子を見る為に一人野営地を離れたベルナール。
その見回りの途中で一本の木の陰から、こちらもいつの間にか野営地を離れていたエルザが出てきてベルナールに声をかけた。
「妙な所で横槍を入れると思えば、やはり見抜かれておりましたか。さて、私がアルバトールを愛弟子と呼べるほど色々と教えた覚えはありませんが……そうですな、及第点。それもほぼ満点に近い物と言ってよろしいでしょう」
ベルナールはエルザの問いに軽い調子で返答すると、先ほどのやりとりを思い出して満足そうに顔をほころばせる。
「あらあら、あれでも満点ではありませんか。自他の情報を分析し、随員の突然の増加という予想外の事態を、任務に足りない要素の補強へと切り替えましたわ。加えてこの取り成しで術士たちも彼に一目置くようになるでしょう。これらを以ってしても?」
「そう。何とかするではなく、自分が後備えをする、と宣言していれば満点でしたな。あの咄嗟の状況で、貴女の言いつけを逆転の発想によって後備えと表現する。それが出来ればすぐにでも私の代わりが務まるでしょう」
「厳しいですわね」
「厳しくもなりましょう。後備えで一人で別の方向に逃げ、敵を誘導する……悪い言い方をすれば我々を見捨て、一人で逃走する、ですかな」
エルザは微笑みを崩さず、ベルナールの皮肉気な笑みを見つめる。
「ですが彼は先ほどその発想を口にしなかった。つまりアルバトールには我々を見捨てて一人で逃げることができない。それどころか危険を顧みずに助けようとしかねないと言うことです」
「自分の価値を理解していないと?」
「価値を理解していても、叙階の誓いを優先させれば一緒でしょう」
二人が天使叙階の誓いを思い出してしばし口をつぐんだ後、やがて思い切ったようにエルザがアルバトールを偵察から外すように、と提案をする。
「得がたい機会。今回の偵察はその一言につきます。天使としても、フォルセール領主としても」
だがそれは彼の予想の範囲内だったのか、ベルナールは即座に首を振った。
「……判りましたわ」
エルザはベルナールの返答に思うところがあったのか、迷う素振りは見せたものの、すぐにベルナールの決定を承諾する。
それを受け、再び周囲の警戒にあたるべく歩き出すベルナールの背中を見送りながら、エルザは胸中に湧き上がってきた抑えがたい不安を抱き、それをかき消すかのように胸の十字架を握り締める。
(天使としても、領主としても、そして……すべてを等しく見つめなければならぬ神としても)
その裏には、かつて見捨てるべき者たちすら見捨てることが出来ずに犠牲となった、ある一人の人物の名前が刻まれていた。