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第9話 決意を秘めて

 次の日の早朝。


 ベッドの上で上半身のみを起こし、アルバトールは自分の掌を見つめていた。


(……天使の力、か)


 自らの肉体に宿った力は、目が覚めた直後から感じていた。


 しかしその力の強大さゆえに、正体を見極める決断を彼にさせなかったのだ。


 あの時ですら、使用するはずではなかった。



――だが――



(気持ちがたかぶったから……? 気持ちが散漫に過ぎたから?)


 今更悔いても、昨日の過ちが無かった事になるわけではない。


 現実を受け止め、顔を上げる?


 だが顔を上げてそこに何もなかったときは?



(堂々巡りか。もうそろそろベルトラムが起こしに来る時間だし、そろそろ……あ)



 彼は机の上の紙の束を見て、冷や汗を垂らした。




 昨日、あの後に城に泊まっていったエンツォ夫妻とエルザを迎え、朝から広間は賑やかな雰囲気で包まれている。


 だがその中で一人だけ、黙々とパンやサラダを口にし、その味すら判らぬままに飲み下していく者が居た。


「あらあら、今日は随分と食欲があるようですね、アルバトール卿」


 軽口にも反応しない。


 その様子を見て、顔を曇らせるエルザにも気付かない。


 実はいつものように考えごとで反応が鈍いのだけなのだが、今日に限ってはそれを止めておくべきだっただろう。


 結果、誰よりも早く食事を終えてしまい、顔を上げたアルバトールは、そこにあった自分に集中する視線の数々を見て、気まずい思いをする事になる。



(……しまった。昨日の今日でこれでは、未だに落ち込んでいると思われて、皆に心配をかけさせてしまう)


 かと言って何か気の利いたことを言い出そうにも、昨日の一件が頭をよぎり、自分が反省していないのではないか、と皆に思われるのが怖くて口に出せない。


 一件に関係のない世間話をしようとしても、あせって思いつけない。


 アルバトールは自分の経験の浅さに歯がゆい思いをするのみであった。



(そ、そうだ! あらためてここで挨拶をして、心配ないことを宣言すれば!)


 そう彼が決断して立ち上がろうとする寸前、エルザが声をかけてくる。


「アルバトール卿、報告書はまとまりましたの?」


 おまけにその内容は、自然にアルバトールがこの場を退出できるものであった。


「それがまだ」


「では私が今日もお手伝いさせていただきますわ。教会の方は侍祭のラファエラに任せておりますのでお気になさらず」


「……それではお言葉に甘えさせていただきます」


 少し迷いはしたものの、珍しいことにエルザの言葉に素直に従い、アルバトールは広間を退出しようとする。


 だがこれもまた珍しいことに、フィリップが退出を認めない旨を彼に告げていた。


「ベルトラム、今日の午前中の予定はどうなっている?」


「食事を終えてから休憩を挟み、八時よりベルナール様の定例謁見がございます」


「わかった、そこまでで良い。エンツォ、アルバトール両君はこれより私についてきてもらう。エルザ司祭にも申し訳ないが、御足労願いたい」


「御命令とあらば」


「承知いたしましたわ」


「アルバトール隊長、復唱が無いが、了承したと受け取って良いのかな?」


「フォルセール騎士団隊長、アルバトール承知いたしました」


 自らの蒔いた種である。


 だが、自分が立ち直っていることを説明する、良い機会とも言えた。


 普段より少し難しい顔をしたフィリップに復唱し、彼は庭へ続くバルコニーへと足を向けた。



「昨日の一件は聞いている。エンツォ、愚息が迷惑をかけたようだな」


「もったいないお言葉。ですがあれしきのことで迷惑などと申されては、これから騎士働きが出来なくなってしまいます」


 フィリップはゆっくりと頷き、エンツォを眩しそうに見つめる。


「お前に剣を捧げてもらったことを私は誇りに思うぞ。さてアルバ……トール」


「はっ」


「自らの力を暴走させた挙句エンツォを傷つけ、その結果に錯乱したそうだな。それについてどう思う」


 そのフィリップの問いかけに対し、答えたのはエルザであった。


「昨晩の件、私にも責任はあります。叱責であれば私もお受けいたしますわ」


「叱責ではなく確認だよ。少し過敏になっているようだし、あちらのベンチで少し休んでもらってもよろしいですかな?」


「……分かりましたわ」


 幾度か振り返りつつ、エルザは少し離れたところに設置してあるベンチに向かう。


 それを見送ると、アルバトールは姿勢を正し、父であり、仕える主でもあるフィリップの方へ向き直った。


「二度と無闇に人を傷つけることが無いよう、精進します」


「模範的な解答だな」


「自らの規範を以って、他者への模範となすべき立場でございますゆえ」


「では、その力、何のために使う」


「何のために……」



 アルバトールは言葉に詰る。


 父の質問に対する解答は、一瞬にして頭の中に浮かんでいた。


 だが騎士にとって当然とも言える答えは、逆に彼を迷わせた。



「どうした? 分からないのであれば分からぬでも良いが」


「……この力で……魔を打ち倒し……人々を守る……事です」


 言葉を選ぶように、慎重に答えるアルバトールを見て、フィリップは微笑んだ。


「迷っているのだな。我が息子よ」


「……!」



 確かに彼は迷っていた。


 彼の身は既に天使であり、人を超えた強大な力を備えてしかるべきもの。


 だが普通の人間として育ってきた彼には、すぐに受け入れることが出来ないものでもあった。



「正直に言わせてもらえば、不安です。これほどの力が僕に使いこなせるのかと」


 庭にいる全員が、その言葉と同時にアルバトールに注目する。


 そんな中、真っ先に口を開いたのはエンツォであった。



「ふむ、確かに今は若様の手に余る力かもしれませぬ。必要以上の力と思い、手放したくなることもあるかもしれませぬ。しかしそれは、持てる者のエゴと言うもの」


 エンツォの眼差しはアルバトールの方を向いていながら、その焦点はどこか遠くに合わせられていた。



「戦場では、つい先ほどまで隣で喋っていた戦友が物言わぬ肉塊となる。または昨日まで共に同じ釜の飯を食っていた同輩の上を走り抜け、敵に向かうなど日常茶飯事」


 エンツォは自らの体を見下ろし、一つ一つの傷を確認するように見つめる。


「今までに何度思ったことか。ワシにもっと力があれば戦友を死なせることは無かった、民を苦しめる事は無かった、と」


 その姿を見た誰もが、言葉を差しはさむことは出来なかった。


「不要に見えるもので苦しめば、捨てたくなるは当然。ですが掛け違えたボタンは、間違った選択による結果は、時間をかけて取り戻せても、無かった事にはできませぬ」


 二度と戻らぬ命。


 それが次々と失われていく戦場を、幾度も経験してきた男の言葉。


「時々思うことがございます。ワシは今まで若い者たちに日々の鍛錬、強くなる為の努力を見せずに、軽薄な態度のみを見せてきた。つまり努力もせずに人は強くなれぬと言う重要な事を、皆に伝えてこなかったのです」


 エンツォは続ける。


 自分が間違った選択をしてきたという、後悔の言葉を。


「最近では、経験を積ませるための仕事を任せようとすると、なぜ自分に頼むのか。他の者は何もしていないのに、と言った雰囲気が漂ってくる有様でございます」


「それは……」


 アルバトールは言葉に詰まる。


 強大な力を恐れるばかりで、自分から使いこなそうと考えていなかったことに、彼は今更のように気付いたのだ。


「他の者も苦労している、苦労してきたと知らないため、力を得る機会の貴重さと、力を得る対価の重要さに気付かない。この当然のことを、もっと早く伝えるべきでした」


「……」



 アルバトールは、自分を情けなく思った。


 そしてエンツォの存在をこの上なく貴重に感じ、同時にいつしか越えなければいけない目標と悟った。



 その目標となったエンツォは、自分の考えに沈むアルバトールを見て、深刻な顔からいつもの豪快な笑い顔に切り替え、自分の背後にいる女性に向けて軽口をたたく。


「ハッハハ! 気分が沈む時は、気分転換をして浮かれる方向へ変えればよろしい! と言うわけでエステル、ワシが任務中に少しばかり羽目を外しても、見逃すのが内助の功と言う奴じゃぞ?」


「仕方ありませんね~では~、今度からそう心がける事に~しましょうか~」



 諦め半分、愛情半分。


 こんな男に惚れた自分に呆れ、これほどの男に惚れた自分を誇りに思う。



 エステルの表情が少し変化を見せたとき、時間となったのか、彼女の背後のバルコニーからは、銀色の髪を持つ執事が彼らの方へ近づいてきていた。



「お迎えに上がりましたフィリップ様。ベルナール様が執務室でお待ちです」


「すぐに向かう。エンツォ、これからもアルバの事を頼むぞ」


「御意」


 真っ直ぐ執務室に向かうかと思われたフィリップは、その前にエルザに近づき、優雅な姿でベンチに座る彼女に耳打ちをした。


「ダシに使うような真似をしてしまい申し訳ない。少し雰囲気が重いようだったから、それを和らげるためだけに連れ出してしまった」


「あらあら、聖職者としては、信者の役に立てたと言う結果を喜ぶだけですわ」


「……これからどうなると思う?」


「戦には勝てましょう。ですがその内容は不明です」


「そうか……。ベルナールには私から話を通しておく。息子の世話を頼むよ。我が家系に関わる事も含めてね」



 そう言い残すと、フィリップはその場を足早に立ち去る。


 その背中を見送ると、エルザは決意を秘めた表情で、アルバトールに向き直った。



「アルバトール卿。貴方に言い渡すことがございます」


「なんでしょう」


「貴方にはこれより一週間の休暇が与えられます。そして主が天地創造に費やした時間と同じ七日間の間に、天使としての力の制御、増幅、運用を覚えていただきますわ」


「……! 委細承知しました!」



 彼は顔を上げる。


 肉体的にも、精神的にも。


――その先に見えるのは、いくつもの道を持つ無限の草原――



 元気を取り戻した彼を見て、全員が安心した表情を見せた瞬間。


 庭に何かが飛び込んでくる。



「アルくううううううううううううん!!」


「う、うわっ!? 母上!?」



「あれ? 結構元気そうだね。さっきまであんなにゲッソリしてたから、アリアちゃんに頼み込んでアル君と一緒に食べるお菓子もらってきたよ」


「い、いや、これからエルザ司祭と一緒に出かける用事が出来まして……」


「問題ございませんわ。準備の時間もありますし、お母上とお菓子を食べる時間くらいは十分ありましてよ。それでは後ほど教会で」


「若様、ワシらも家の復元がありますのでこれにて」


「アルバトール様、ジュリエンヌ様。噂に名高いトール家の朝食をいただけた事は一生の記念にいたします。それでは失礼させていただきます」


 ニッコリと笑い、その場を辞するエルザとエンツォ夫妻。


 それを見送ると、アルバトールとジュリエンヌは仲良くベンチに座った。



「はいキャンディ」


「ありがとうございます」


「うん、これすっごく美味しいんだよ」


 ジュリエンヌの体温が程よく感じられ、少々手にべたついてくる飴を、アルバトールは口の中へ放り込む。


 エルザがあらかじめ聖別していたのか、馴染み深い甘さが口の中に拡がり、同時に彼は久しぶりに、幸せと言う単語を思い浮かべていた。



「あのね、アル君」


「なんでしょう母上」


 ジュリエンヌは足をぱたぱたとせわしなく揺り動かしながら、ゆっくりと喋り出す。


「悩みってね、壁みたいなものだと思うんだよね」


「はい」


「乗り越えるのはものすっごく大変な事だし、エルザちゃんみたいに粉砕しちゃうことも普通は出来ないから、だから、脇を通り抜けることもしていいんじゃないかな」


「……それズルくありませんか? 要は悩みを解決せずに放置するってことですよね」


「ズルくないよ! だってフィル君がそれでもいいって言ってくれたんだもん!」


 ふくれるジュリエンヌ。


 ちなみにフィル君とは、フィリップの愛称である。


「一番大事なのは壁の向こうにある物だって! 乗り越える行為が重要なんじゃなくて、壁の向こうにある問題を解決するのが重要なんだって言ってた!」


「だからその問題を解決するために壁を乗り越えるのでは……」


「えーと、えーと……そう! 手段の為に努力するんじゃなくて、目的の為に努力するんだって言ってたよ! 壁を乗り越える努力も、壁の脇をすり抜ける道を見つける努力も、同じくらい大切だって!」


「目的の為に……手段は一つではない……」



 彼は忘れていた。


 短期間の内にあまりにも多くの事が起きすぎて、一番大切な事を忘れていたのだ。



(民を守る騎士に……民を守るための……皆を守る……そのための天使……)


 一番重要な問題、壁の向こうにある目的。


 それはフォルセールに住む民を、聖テイレシア王国に住む民を、この世界に住む人々を守ること。


 そのための手段となるのが天使、そして天使の力。


 その力が如何に強大であろうが、恐ろしいものだろうが、それは問題では無い。


 その力を使い、人々を守ることこそが一番大切なことだった。



「ありがとうございます母上。これまでの問題も、これからの問題も、全て私の血肉として受け止める事にいたします」


 その言葉を聞いて安心したのか、ジュリエンヌはにっこりと微笑み、ベンチから飛び降りると手を振って、建物の中に入っていく。


「じゃあアル君、死なない程度に修行がんばってねー!」


「はい。一週間ほど留守にする事になるそうですが、母上も御息災で」


(……死なない程度? と言うかなぜ僕が修行に出るという事を知ってるんだろう?)


 首を傾げ、アルバトールは考え込む。


「おっと、決めたばかりのことを早くも破るところだった」


 だがすぐに彼は歩き出した。



 壁の向こう、一番大切な目標。


 それを達成するための力を手に入れるために。

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