第75話 王都へ
「これは?」
「司祭様より預かりました無銘の剣でございます」
王都に発つ日、アルバトールは一振りの小剣をベルトラムより受け取る。
「潜入ではミスリル剣を持っていくことは出来ないでしょう、との仰せでした」
「確かにね」
受け取った剣を軽く振った後にアルバトールは剣をじっと見つめ、その本質を見極めていく。
だがその中には何も入っていないのか、うっかりすると彼の意識すら吸い込まれそうな虚ろなものに感じられたため、彼は慌てて強度の解析へと切り替える。
「伝言も預かっております。戦闘を避けること、またやむを得ない状況に陥り、メタトロンの力が解放されそうな場合には、力が暴走して王都が消失するのを防ぐために最悪他の三人を見捨てて逃走するように、と」
「……プレッシャーだね」
「本当ならばガブリエルの到着を待った方がいいのですが、とも仰られていました」
「ガブリエルか……」
アルバトールは真っ直ぐに自分を見据えてくるベルトラムの視線に耐えられず、再び剣を見る振りをして目を逸らした後に願望めいた説明をする。
「大丈夫。今回は偵察だけだし、戦うことは無いだろう。ちなみに他の人を見捨てて逃走と言うエルザ司祭の指示を、団長やエレーヌ小隊長は知っているのかい?」
「ベルナール様直々に司祭様へ、領境を越える際の陽動の助力を要請にきたようですので、その際に説明されたそうです。偵察そのものを止めるように、と何度も厳しく言ったようですが」
「そうか。剣を預かってきてくれてありがとうベルトラム。ミスリル剣に比べて少し切れ味は劣るみたいだけど、その分頑丈そうだよ。それにしても、無銘と言うのであればミスリル剣も無銘のはずだけど?」
「もったいないお言葉にございます。剣については、無銘が無名で終わるか、有名となるかはアルバ様次第と言うことでございましょう」
その返答を聞いたアルバトールは軽くため息をつくと鞘に剣を納め、主人に一礼をして部屋の扉を開けるベルトラムの横を通り過ぎ、外で待つバヤールの所へと向かった。
「だからバヤールは無理。馬の姿だろうと人の姿だろうと、君を一度でも見た人なら誰でもすぐに見破っちゃうよ」
ぶつぶつと文句を言うバヤールに乗ってアルバトールが騎士団の詰所に着くと、門前でブライアンが一人の恰幅の良い商人のような男と話をしており、ベルナール、エレーヌの姿は未だ見えない。
二人とも席を外しているのかとアルバトールが周囲を見渡すと、背後よりベルナールの出発を告げる声がしたために慌てて振り向けば、そこには商人から飛び退ったブライアンが、ひきつらせた顔と共にアルバトールの方を見ていた。
「王都へ旅立つ皆を見送りに来たぞ……どうした二人とも狐につままれたような顔をして。ベルナールとエレーヌはまだ来ていないのか?」
そこにラビカンに乗ったシルヴェールが彼らの見送りに来た為に、とりあえずアルバトールは彼の方へ向き直り、続いて先ほどからいる商人が気安い態度でシルヴェールに近づいていくと、今回の偵察の流れを簡単に説明していく。
「やれやれ、どうもフォルセール騎士団の連中は性格に問題がある者が多すぎるきらいがあるな。団長からしてこうでは先が思いやられる」
「人は本音と建前を使い分けますからな。騎士団長と言う身分では話してくれない情報が多いもので」
呆れた表情をしたシルヴェールに商人はそう答えると、口から綿を吐き、腹部に詰め物をして膨らませた服を脱ぐ。
「まだ二人とも少し混乱しているようだが、化粧はやり直すのが面倒だからこのままにしておくぞ。エレーヌは城門前の広場で待っているはずだ。それでは出発する」
「あー……はい」
二人が今まで毎日顔をあわせ、その指示を仰いでいたベルナール。
その二人をして、先ほどまで全くの部外者と思い込んでいた小太りの商人が先ほどまで発していたくぐもった声は、彼らが毎日聞いていた明朗で快活なものに変わっていたのだった。
「行ったか。では私は少しフェリクスに話があるのでそこで待っていてくれラビカン」
「承知しました。……陛下、入り口はこちらです」
「む? そうか、まだここには慣れていないのでな」
馬屋の方向へ向かおうとするシルヴェールをラビカンが呼び止める。
しかし仮の戴冠を終えたばかりの新王は、了承の返答をしながら詰所の入り口とは反対側にある武器庫へと入っていこうとしていた。
「なかなか苦労しているようだな、ラビカンよ」
その様子を見ていたバヤールは、腕組みをして口を真一文字に引き結んだ岩のような表情をしたまま、ラビカンに同情してみせる。
「そう言う貴女こそ、しばらくフォルセールで主を待つだけしかできぬ、という気苦労を今からするのではありませんか?」
「ククク、違いない」
含み笑いをするバヤールを見上げるラビカンに対し、武器庫に入ることを止められたシルヴェールが戻ってきて知り合いなのか、と声をかける。
「バヤールは私の許婚なのです」
「ほう、それは頼もしい。これほどの偉丈夫であれば、確かにそなたと契りを結ぶに相応しい相手であろうな」
「ふ、世辞と判っていても照れるものだな。だが確かにラビカンは我が身を預けても構わないと思えた唯一の者だ。情け無いことにこの私ともあろう者が、ラビカンとの久しぶりの再会にいささか緊張している」
「そのようなことを人目のある所で言わないでください、恥ずかしい」
二人は顔を赤らめるが、バヤールは腕組みをしたまま高笑いをし、ラビカンは顔を両手で隠して下を向くと言う対照的な仕草をとる。
(……我が身を預ける? はて、普通は女性が男性に身を委ねるものだが……)
そのやりとりを見て何か不自然なものを感じたシルヴェールは、しばし考え込んで二人に世間話を持ち掛ける。
「ああ、そう言えば二人とも良く似た服を着ているが、何か由来があるのか?」
地球で例えるなら、いわゆる東欧の民族衣装である。
このテイレシアでは滅多に見かけない、様々な色の糸を使って華やかな紋様が織り込まれたその衣装を見ながら、シルヴェールは探りを入れる。
「フ、さすがに王ともなれば目が高いな。この服は私が織ったものでな、婚姻の約束を交わした時にラビカンに精一杯の真心を込めて贈ったものだ」
バヤールが答えるとラビカンは嬉しそうにはにかみ、シルヴェールは先ほどの疑問がまた少し大きくなるのを感じた。
「……ところで、神馬には人のように性別は存在するのか?」
少し混乱を始めた頭を整理する為、またフェリクスに用事がある為に、仕方なくシルヴェールは直球勝負に出る。
「無論ある」
(あるならどっちが雄でどっちが雌か言え!)
そう叫びたい気持ちをシルヴェールはコメカミを抑えることで押し殺し、バヤールから聞き出すことを諦めて疲れたようにラビカンに質問をする。
「そなたたちさえ良ければ結婚衣装を進呈したいのだが、お前は男性か? 女性か?」
「男です」
「……そうか、では私はフェリクスの所へ行って来るぞ」
バヤールの相手をして疲れていたシルヴェールは、驚く元気も残っていないのか表情には疲労だけを浮かべ、生返事をラビカンに返して詰所の入り口に向かった。
「図体がでかい割には頼りなさそうな男だな、お前はあんな奴を主に選んだのか?」
「私も貴女も、惹かれるのは気高い魂であって屈強な肉体では無いでしょう」
バヤールはラビカンの返答に納得し、執務室とは別の方向に繋がる廊下をふらふらと歩くシルヴェールを見て、二人は無言でその後を追った。
フォルセールの外へ続く門。
その内側には数組の隊商と、いつもよりは露出の少ない服を着たエレーヌがいた。
その割には周囲にいる男たちの視線は彼女に集まっており、それを見たベルナールは外套を着るように彼女に指示をする。
「いつもより露出が低い物にしろと言ったのにこれか……帰って来たらエレーヌの装備について再考する必要がありそうだな」
呆れた声で感想を述べながらエレーヌを見つめるベルナールの視線の先には、いつものピッチリした革鎧の上に袖なしのチョッキ、そして足元から膝までしか覆っていない、太ももが露わになったままの黒のブーツをはいたエレーヌの姿があった。
「うう、申し訳ありません団長。防具に頼る戦いをする必要が無いもので、私が持っている物は動きやすさを追求した装備ばかりで……これでもかなり頑張ったのですが」
「エレーヌ、防具と違って服と言うものは防御力を重視しなくてもいいのだぞ」
「し、知ってます! 攻撃力も必要なんですよね!」
「……何に対しての攻撃力だ。旅の途中で余計な揉め事の原因にならないように、外套を着て攻撃力を落としておけ」
城外に出る前から早速ベルナールに咎められたエレーヌは、しょんぼりしながら人目を引く体を外套で隠していく。
「それから結んでいる髪をほどき、顔がなるべく隠れるようにしてくれ。顔を見せろと言われた時には片目を閉じるように。これから少し化粧をするから我慢をしてくれ」
「団長、司祭様が来ましたが」
「少し待ってもらうように伝えてくれるかアルバトール。リュファスとロザリーの二人がまだ迎えに来ていないようだ」
目を閉じたエレーヌの顔に、何やら粉を着けた筆をこすりつけながらベルナールが応えると、その背後には既にいつもの笑顔を浮かべたエルザが立っていた。
「あらあら、何を急いで偵察に行きたがるのかと思えば、討伐隊が戻ってきているのですか?」
「旅慣れている彼らの手助けがどうしても必要ですからな」
近くに寄ってきたエルザの質問に、ベルナールはエレーヌに施す化粧の手を休めないままに肯定の返事をした。
エンツォとエステルの子供であるリュファスとロザリー。
二人はそれぞれ親の特徴を受け継いでおり、男児のリュファスが剣、女児のロザリーは魔術に長けている。
二人が討伐隊の監視役にあたっている関係上、アルバトールは二人にしばらく会っていなかったが、飲み込みが早い年少の時期を実戦を絶えず行う討伐隊と共に過ごしていることで、二人の腕が相当な物になっていることは想像に難くなかった。
「しかし団長、両親であるエンツォ殿やエステル殿と顔を合わせず、そのまま偵察に発つと言うのは厳しくありませんか?」
「あの二人がその方がいいと言うのだから仕方あるまい。そろそろ親の過剰な干渉を嫌いはじめる年頃でもあるし、エルフの血を引くあの二人は独立独歩の気風が強い。今回の任務が終われば実家に帰ろうと考えるかも知れんが……よし、こんなものだろう」
エレーヌの化粧が完成したのか、ベルナールが立ち上がってアルバトールとエルザの方へ向き直り、挨拶をする。
「あらあら……少しやり過ぎではありませんか? ベルナール様」
「騒ぎが一番の支障となる偵察では、強い態度に出て片をつけることがなかなか出来ませんからな。病気ということにするのが一番です」
そう説明するベルナールの影から現れたエレーヌの顔は所々が赤くなっており、目の周囲には紫色のアザの様な化粧がなされていた。
「アデライード王女とアリアの手前、アルバトールと夫婦と言うことにもできませんし、これが一番の解決方法でしょう」
「別に貴方と夫婦と言うことにしてもいいではありませんか。純粋なエルフならともかく、ハーフエルフと人間が結婚するのは珍しくもないでしょうに」
「私は知の神にこの身を捧げておりますので」
「知の神ですか」
途端にエルザはベルナールに意味ありげな笑みを向け、両手を後ろに回すと彼にすっと顔を近づける。
「異教の神を信奉なされますか? 元王都神殿騎士のベルナール様」
そのエルザの行動に周囲の温度は一気に下がり、危険を察したアルバトールはその場をそれとなく離れるが、当のベルナールと言えばどこ吹く風と言わんばかりに、静かにエルザの目を見つめ返していた。
「私は美の神や愛の神も信奉しておりますよエルザ司祭。ただしそれは人の内に在り、女性という名称が頭につくものですが」
エルザは目を細め、女性の印象を神に例えるのは感心しませんね、とだけ告げてベルナールから顔を離す。
(さすが団長だ……あのエルザ司祭に一歩も退かないとは……いてっ?)
それを見てアルバトールが安堵のため息をついた時、彼の背中に小石がぶつかる。
「ん?」
振り返り、城門の方を見ると、その物陰には見覚えのある二人の子供がいた。
(リュファスとロザリーか? しかしあんな離れた所からよく僕に当てられたな……)
彼と城門とは百メートルほど離れており、しかも城門の近くということもあって人の往来も激しい。
そもそもそれだけ遠い場所から投げたにしては、石の勢いが軽すぎた。
(まぁ、ロザリーが魔術でも使ったんだろうけど)
そう思い、アルバトールは城門の方へ歩いていって双子に声をかける。
「どうしたんだ二人とも、ベルナール団長が待っているぞ」
「あの場から逃げ出したアルバにーちゃんが言うなよ!」
「逃げ出せる危険にわざわざ突っ込むのは馬鹿のやることだって、ジュリエンヌ様が言ってたです!」
「はいはい、僕が全部悪いんですよ、と……大丈夫、もう安全だからおいで二人とも」
先ほどのことを全部見られていた気恥ずかしさにアルバトールは苦笑いを浮かべ、もう危険は去ったことを二人に告げる。
その言葉に釣られ、城門の影から出てきた二人と共にアルバトールは戻っていった。
「それにしても大きくなったな二人とも。ロザリーなんかもう大人でも通用するんじゃないか?」
二人と再会したのが体が成長した後で良かった、と内心で冷や汗を流しながらアルバトールは軽口を叩く。
「えへへ、討伐隊の皆にも最近よく言われるです」
「こいつ、ちょっと俺よりでかくなったからって最近うるさいんだぜー。食事のマナーとか言い出しちゃってさ、討伐隊にそんなもん必要ないってのに」
手を頭の後ろで組み、不満げに口を尖らせるリュファスを見てロザリーは目を尖らせて説教を始める。
「いつまでも討伐隊に居られるわけじゃないでしょ! 王都が落とされちゃったんだから、そのうち私たちも団長や領主様と一緒に攻城戦に参加するかもしれないんだよ!」
「へいへーい、っと。にーちゃん、そういうわけだから今回の偵察がんばろうな!」
「ああ、そうだな……ってそう言えば何で二人とも僕って気づいたんだ? 以前とはまるで背格好が違ってしまったのに」
最近まで共に仕事をしていた同僚ですら、一目では分からないほどに変貌を遂げた自分にあっさりと双子が気付いたことに、アルバトールは不思議そうに首を傾げる。
「だってアルバ兄様、天使様になっちゃったんじゃないです?」
「だから姿形も変わったんじゃないかって思って、団長の近くにいて適当に目立ってて、尚且つ司祭様から逃げ出した金髪の人に小石をぶつけたんだよ。大正解だったね」
「……いい洞察力だね」
「洞察しなくても一目で判るよ」
子供の言葉に反論できず、すごすごと戻ってきたアルバトールを、偵察に出かける面々は怪訝そうに見つめつつ出迎えた。
「さて、それでは行こうか」
ベルナールの号令に、全員が城門を出ていく。
外には馬車が止まっており、御者には到底見えない強面の男たちが彼らを出迎えた。
「そんじゃ行きますぜ団長殿!」
そして数台の馬車に分譲した彼らは領境に向かっていった。
「いい度胸だな、新しく入った者か?」
しばらく後にそんな声と打撃音が、ある一台の馬車の御者台からあがったが、それに気付いた者は同乗したエルザだけであった。