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第73話 アイギス

――座天使は父の位階に属する天使であり、その名は玉座や車輪を表す――


 アルストリア領から自分の馬が戻ったと聞き、騎士団の詰所に向かっていたアルバトールは空を見上げ、立ち止まる。


 アーカイブ術によって強制的に自分の中に送り込まれた情報、あるいは取り出せるようになった知識をそらんじたアルバトールは、座天使の力がどれほどの物なのかを知りたい気持ちに駆られていた。



(何にせよ、天使メタトロンがどんな状態か分からない今は自粛の時か。しかし、天使ガブリエルの到着を待つ必要があるとは……そもそも天使を束ねるエルザ司祭、ミカエルが眠らせられないメタトロンとは、本当に天使に類する存在なのだろうか)



 教会からの帰り際にエルザから受けた言葉、今一度メタトロンが顕在した時に、貴方がその強大な力に耐えられる保障は無い、との忠告を思い出して彼は首を振った。


(神気を自在に操る天使……これも神へと通じる道の一つなのかもしれない……)


 自傷行為のため、天使の自動治癒の効果が発揮されない剃刀負けの傷でひりひりとする頬を撫で、彼は詰所へ向かった。



「身分証明書を……おや、どこかで見た顔だと思えばアルバトール隊長でしたか」


「色々あってね。お役目ご苦労様」


 思いもよらぬ理由で一気に変化した風貌で、アルバトールは詰所の中に入っていく。


 さすがに見知った顔である者たちは身分証明と顔を見せればすぐに納得をしてもらえたのだが。


「誰だ貴様! さては魔物の密偵か!」


 見知らぬ顔の者に対してはそうはいかないようだった。


 アルバトールが詰所の廊下を歩いていた時、脇の部屋から出てきた女性が彼の顔を見るなりそう叫ぶと周囲は爆風で包まれ、建物の中に轟音が響き渡った。



「……うん? エンツォが目の前にいるのに爆発が起こるとは珍しいな。姉上の差し入れにもまだ時間があるはずなのだが」


「人を歩く危険物のように言うのはやめぬかエレーヌ。まぁ否定はせんが、義兄に対して礼を失した発言とは思わんか」


「配下に対しての発言であるのだから問題はあるまい。フェリクス殿、エンツォと少し様子を見てくるのでここで待っていてくれ」


 城での仕事が多くなったベルナールに代わり、騎士団の詰所に居ることが多くなったフェリクスにそう言い残すと、エレーヌとエンツォの二人は詰所の執務室を飛び出して爆音が聞こえてきた方角へ向かう。


「……誰だ貴様」


 だがエレーヌは宮廷魔術師の一人であるナターシャと対峙している人物を目にした途端に膝から床に崩れ落ち、床に手を付きながら詰問をしていた。


 なぜならそこに居たのは彼女の見知った童顔の天使ではなく、年齢に見合う容姿である、堂々の偉丈夫となったアルバトールであったからだった。



「お久しぶりですエレーヌ小隊長。ところでこの女性はどなたでしょう? 見たところ騎士では無いようですが」


 再会の挨拶を口にするアルバトールは顔色一つ変えておらず、彼の周りにある壁や床、天井にも変化は認められない。


 先ほどナターシャが起こした爆風は、彼の力によってまるで涼風が通り抜けただけとでもいうように、自らや建物に影響を及ぼさない程度に無力化されていたのだ。


「ハッハハ! 少し見ない間に随分と頼もしくなられましたのう若様! その女性はシルヴェール殿下と共に入城した宮廷魔術士の一人、ナターシャ殿でございますな!」


「……初めまして、宮廷魔術師を務めるナターシャでございます」


 アルバトールを睨み付けていたナターシャは、エンツォが若様と呼んだことで自分の術を無力化した人物の正体を察したのか、渋々会釈をし自己紹介をする。


「初めまして。フォルセール領主フィリップが一子、アルバトールと申します」


 顔の剃刀負けの為にいまいち締りの無い挨拶になったものの、面通しという必要最小限のラインをぎりぎりクリアしたといった感じの言葉をナターシャと交わすと、アルバトールは今日詰所に来た用件をエレーヌに伝える。


「ああ、確かに馬は戻ってきているぞ」


「ありがとうございます。ではエレーヌ小隊長の体調もあまり良くないようですし僕はここで……」


「まぁ待て」


 先ほどエレーヌが倒れたのを見て、何やら嫌な予感に駆られたアルバトールはその場を逃げ出そうとしたのだが、馬屋に向かおうとして背後を振り向いた彼は、その瞬間に肩をエレーヌにがっしりと掴まれてしまっていた。


「少し話をしていかぬか? このナターシャ殿以外にも詰所には宮廷魔術士筆頭のレナ殿と、王都教会の次期司祭との噂もあるマティオ殿がいて、三人で我々の仕事を手伝ってもらっている。その二人にも顔を合わせておいた方が今後色々と都合がいいだろう」


「え、あー……」


「二人とも今はブライアンと一緒に市中の身回りに出ているが、もうすぐ戻ってくるはずだ。お前も忙しい身の上だとは思うが、少しくらいなら構うまい?」


 天使の叙階で使う肌着を取りに来た時も、このような展開で痛い目に会ったことを思い出すアルバトール。


 しかし座天使になった今であれば、それほど脅威になる事件も起こらないだろうと楽観的に考えた彼は、気楽に執務室に向かったのだった。



「旅に出る前とはまるで見違えましたね……と言うよりこれではもはや別人ですね」


 フェリクスは執務室に入ってきたアルバトールを見て目を丸くし、ダークブラウンの髪を持つ頭を振って苦笑する。


 そして手を差し伸べてきた目の前の若者と握手を交わした途端、その手から感じる力に内心で驚きを感じていた。


 一月ほど前に初めてアルバトールと会った時には子供のようだった顔つきが、今では精悍な青年のものとなっており、肩ほどまでしかなかった身長は、いつの間にか自分と同程度になっている。


 急激に成長したせいか、その体つきはやや細いものに感じられたが。


「随分と成長されたようですね。旅に出る少し前に大天使となったばかりだったのに、今ではもう座天使ですか」


 恐ろしいほどの速さで天使の位階を駆け抜けていく目の前の青年。


(この体と同様、急激な成長は彼にとって良い物とは思えない……エルザ司祭はどのようにお考えなのか)


 その成長速度に不安を感じたフェリクスは一つの懸念を抱いた後、その後ろに並ぶ面々へと視線を移す。


 何やら落ち込んでいる様子のエレーヌと、今にも飛び掛らんばかりにアルバトールの背中を睨んでいるナターシャ、いつもと変わらぬ力強い笑みのエンツォ。


(少し気晴らしをする必要がありそうですかね)


 それらを見た後に先ほどの爆音を加味したフェリクスは、レナとマティオが戻ってくるまでアルバトールと手合わせをしてみたいと申し出たのだった。



「そう言えば貴方と剣を合わせるのはこれが初めてですね」


 フェリクスはデュランダルを抜き、アルバトールのミスリル剣と剣先を合わせる。


 しかし直後に剣を持つ右手がまるで石のかせでもつけられたかのように重くなり、フェリクスは思わず目を剥いて自分の右手を見つめる。


(何だ今の感触は……もう消えうせてはいるものの、単に剣を合わせただけで腕が重く感じられるとは)


「では参ります」


 フェリクスが動揺から収まった後、アルバトールは手合わせの開始を宣言すると剣を無造作に振りかざし、フェリクスの脳天に振り下ろしてくる。


 だがフェリクスは蛇に睨まれたカエルのようにそれに反応できず、ただ自分の頭上に剣が迫るのを待つしか出来なかった。


(反応できなかった……? いや、反応する意思そのものが封じられているようなこの感覚は何だ!?)


 頭の上ギリギリで止められた剣を見て、全身に冷や汗を噴き出したフェリクスは離れたアルバトールに左手を上げる。


「アルバトール殿、少し待っていただけますか?」


 素振りを行い、体をほぐし、フェリクスは再びアルバトールと剣を合わせるが、結果はやはり同じ物だった。


 観念した彼はエンツォの助成を頼み、二人掛りでアルバトールに挑むが、結果はやはり変わらなかった。


 フェリクスが剣を振り上げた瞬間にはその向かう先が判っている。


 そうとしか思えなかった。


 ゆっくりと動いているように見えるアルバトールに、彼らは剣をかすらせることもできなかったのだから。


「これではどうですかな若様……うおっとお!?」


 エンツォの剣の軌道を左拳で打ち払うことによって変えたアルバトールは、そのまま手首を極めて投げ飛ばし、その隙に背後より仕掛けてきたフェリクスの剣、切れぬ物は無いと謳われるデュランダルの一撃を背を向けたままミスリル剣で受け止める。


 そのまま拮抗したと見えた刹那、アルバトールの体はフェリクスをすり抜けて移動したのかと思うほどに一瞬のうちに背後へと回り込み、その首筋へ剣を這わせていた。


「……参りました」


「流石にデュランダルに認められしお方。とても人とは思えぬ強さです」


 アルバトールは彼に声を掛ける。


 嫌味でも謙遜でもない。


 それは厳然たる事実をフェリクスに告げるものだった。


 やや重くなりかけた雰囲気を振り払うべく、エンツォが会話に加わろうとした時。


「フェリクス殿、少しデュランダルをお借りしてもいいか?」


 その空気を振り払ったのはエレーヌだった。


「それは……しかしデュランダルが受け入れてくれるかどうか」


 フェリクスは不安げに呟いてデュランダルの柄をエレーヌに差し出すが、エレーヌはその柄を難なく受け取って握り締める。


「いい子だ」


 エレーヌは優しい目をし、子供をあやすかのようにデュランダルに話しかける。


 その光景にフェリクスは少なからず動揺をし、信じられないといったように目を丸くしてエレーヌを見つめた。


「私も人の範疇はんちゅうに納まらぬ存在ではあるからな」


 エレーヌは答え、数回素振りをした後に深呼吸をする。


 すると周囲の地面より溢れ出した光が左腕に集まり始め、それを見たエレーヌは短く呟いた。


「アイギス」


 その声と共にエレーヌの左手には白く輝く盾のような光が形を成し、同時に全身を淡い光が包み込む。


「では、今度は私と手合わせといこうか。アルバトール」


 微笑みかけてくるエレーヌに対してアルバトールが頷くと、彼女は鋭い踏み込みと共にデュランダルの一閃をアルバトールの胸目掛けて放つ。


「そう言えば小隊長と手合わせをするのはこれが初めてですね」


 アルバトールがその攻撃を剣で打ち払い、何も持っていない左手を軽く振って体の前に構えると、そこにはミスリルの盾が現れていた。


 まるで最初からそこにあったと言わんばかりに。


「如何にミスリルと言えども、デュランダルの一撃を防げるかな?」


「その確認が目的です」


 エレーヌはアルバトールの顔を面白そうに見つめると、恐ろしい速さでデュランダルの切っ先を繰り出していく。


 そのすべてを盾で受け止めたアルバトールは満足いくものが得られたのか、エレーヌに声をかけた後に反撃へと転じる。


 が、今度は先ほどまでのようにあっさりと勝負はつかなかった。


「そう言えばアイギスをお前に見せるのも初めてだったな。幻術は私には通じんぞ」


「惑わすつもりは無かったのですがね」


 余人の及ばぬ領域で打ち合う二人を、周囲が固唾を飲んで見守っていたその時。


「たっだいまー! ってあれ? 誰この人」


 脇から女性の声がかけられる。


 街の見回りから帰ってきた宮廷魔術士筆頭、レナの問いかけに皆が振り向くと、神官マティオの二人を連れたブライアンがあんぐりと口を開け、そこに立っていた。



「へー、ナターシャの魔術があっさり無効化されちゃったか」


 ナターシャは顔を赤くして反論するが、レナはからからと笑うばかりで一向に取り合わず、興味深そうにアルバトールを見つめる。


「それにしても、本当に王都に来ていた時とは変わっちゃったなー、あんなに可愛かったのに」


「お知り合いなんですか? レナ様」


 マティオの問いに、レナはアルバトールが王都に居た時に同居していたと伝える。


「そうか」


「ちょっとー、顔が怖いよエレーヌさん。言っておくけど、何かやましいことがあった訳じゃないからね」


「そうか」


「毎日のスキンシップはかかさなかったけどー、まぁ常識の範囲内!」


「……そうか」


 エレーヌの表情が変わるたびに顔を蒼白にしていくブライアン。


 ほぼ毎日のようにエレーヌと詰所で顔を合わせているブライアンは遂にアルバトールの影に隠れ、そのアルバトールはエンツォの影に隠れ、エンツォはフェリクスを探すが彼は既に執務室に戻った後だった。


「まぁ久しぶりに会えて嬉しいよアルバ君! 今度時間が合った時にどっか二人で遊びに行こう!」


「は、はぁ……」


「そんじゃあたしは仕事があるから! また後でねー」


 嬉しそうに歩いていくレナの後ろにナターシャとマティオが着いていくと、その場には拳を握り締めて全身をワナワナと震わせるエレーヌと男三人が取り残される。


「アルバトール!」


「はいっ!」


 そしてエレーヌに名前を呼ばれなかった二人はそそくさとその場を離れ。


(何という退却の速さ……流石に二人とも女性の機嫌をうかがうことにかけては歴戦の強者だ)


 不幸にも名前を呼ばれてしまったアルバトールは直立不動の姿勢を取り、自分を睨んでくるエレーヌに引きつった笑いを浮かべる。


「天使となり、その双肩に国の大事がかかっている身となっておきながら、女人にうつつを抜かすとは何事か!」


「しかしレナ殿の家に間借りしていたのは僕が王都にいた頃で……」


「うるさいうるさいうるさーい! 大体何なのだあの女は! 自分から逢引の約束を申し出るとは、最近の若い者は慎みという言葉を知らんのか!」


「まぁ、そもそもの寿命が人とエルフとでは……」


「デュラハンになりたいか?」


「すいません」


 死を告げる首なし妖精の名を告げられ、アルバトールは身をすくめる。


(やっぱり今日も痛い目に合うのか……それにしてもここまで動揺するエレーヌ殿は初めてだな。何だか今日は初めてのことづくしの日だ)


「何をニヤニヤしている! 私の話をちゃんと聞いているのか!」


「す、すいま……あ」


 現実逃避をしている最中に怒鳴られたアルバトールはバランスを崩し、たたらを踏んで後ろに下がってしまう。


 そこに石があったのは、誰かの差し金と言うものであっただろうか。


「危ないアルバトール!」


 崩れた体勢を立ち直すべくアルバトールが伸ばした手を、慌てた顔でエレーヌが掴むが、既にその勢いは彼女に支えきれぬものとなっていた。


「きゃっ」


 そしてまるでエレーヌが押し倒したような格好で二人は地面に折り重なり、その勢いに影響された何かが動き出す。


「す、すいませんエレーヌ小隊長……あれ、何か目がアブナクなってる」


「こ、こうなっては是非もなし……なに、行けばわかるさ行かねばわからん」


「頭でも打ったんですか……っていやあああああ!!」


「観念しろアルバトール! ただの常識内のスキンシップだ!」


 何ということだろうか。


 どこを見ているかわからない目つきをしたエレーヌが、いきなりアルバトールの胸元を何らかの目的を以って両手で握りしめたのだ。


 さすがの座天使もこの攻めは想定外、なす術無しと思われたその時。


「あら~何だか楽しそうですね二人とも~」


「あ、姉上!?」


 エレーヌの成すがままにされていたアルバトールが、いきなり発せられた驚きの声を聞いてその顔ごしに上空を見てみれば、そこには差し入れを持ったエステルが飛行術でふよふよと浮いていた。


(これぞ天の……助……け? アレ?)


「それではごゆっくり~ウフフ~」


 しかしエステルは二人に声援を送ると口に手をあて、ほがらかな笑いを顔に浮かべながら、若いっていいわね~と呟きつつそのまま詰所の中へ向かっていく。


「いや別に御休憩してるわけじゃないのでごゆっくりとか言われても! たすけてええええええ……」


 動揺しているアルバトールは、エレーヌの張り巡らした障壁によって助けを求める声すら遮られていることに気付かず、更にはこんな時に限って詰所から市街へ見回りに出る者も、見回りから帰って来る者もいない。



「……」



 代わりに来たのは、彼の帰りが遅いのを心配して迎えに来たアデライードとアリア、そしてその護衛役についたバヤールであった。

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