第71話 継承される想い
教会からの帰り道。
何も変わらない日常の風景が、教会へ向かう前の物と違って見えるのは、やはり心の持ち方なのだろうか。
アルバトールはアデライードとアリアを連れて歩きながら、先ほど教会の中で交わされた会話を思い出していた。
「アデライード様とアリアの想いは確かに受け取りました。僕のような者に対し、二人も思いを寄せてくれている女性がいることに、胸の内は嬉しさで溢れんばかりです。しかし国法や教会の教えによれば、一生を添い遂げることが出来るのは……」
アルバトールと同じくエルザの見舞いに来た二人の女性、アデライードとアリアから愛していると告げられた彼は、喜びと戸惑いの二つの理由で悩んでいた。
のだが。
「二人と結婚したらいいだけですわね」
「ジュリエンヌ様もそう仰っていました」
「と言う訳なのです、アルバトール様」
「なるほど」
答えは簡単だった。
「……あれ?」
新たな疑問は生まれたが。
よってアルバトールは、事情を把握しているらしい三人に話を聞く。
すると特例として国王以外でも、教会が承認した者に限って二人まで結婚することが出来る制度があるとの返答が返ってきたのだった。
その制度の実施を熱心に働きかけたのが、ジュリエンヌと言うことが気になったアルバトールは、怪訝そうな表情で寝台から半身を起こしたエルザへ顔を向ける。
「しかし母上は公的な立場にありません。父上は侯爵ゆえに多少は国内の施策について発言できるでしょうが、そもそも国政は王都の宮殿内で行われるもの。そこから考えれば、例え父上であろうとも法改正の発言は極めて難しいはずですが」
疑問を口にした後、アルバトールはベッドの横に置かれた椅子の上で首を捻る。
「私も少なからず尽力させていただきましたわ」
「なるほど、物理的な力を尽くしたと」
「……そうしても良かったのですが、ジュリエンヌ様がひどく反対なされまして」
「……誰でも反対しますよ」
頭をさすりながらアルバトールが指摘すると、先ほどまで微笑んでいたアデライードが表情を少し硬いものとする。
「かなりの反対があったそうです。特に教会からは、国を揺るがしかねない程の批判の声が上がり、その説得にエルザ様は随分と骨を折られたとか」
「骨を……」
「折られたいのですか?」
いつの間にか背後に忍び寄っていたエルザの気配を感じ取るやいなや、アルバトールは椅子から飛び退って彼女から間合いを取り、安全を確保する。
「しかし、母上はなぜその制度を勧めたのでしょう? 女性から見れば、あまり好ましいとは思えぬ制度に見えますが」
そしてエルザの動きに注意を払いつつ問いかけるが、彼の質問に答えたのは横に居るアリアだった。
「アルバ様、それも少し違うかと。愛する人を独占したいという感情は、性別に関わらず誰でも持ちうる感情です。そして、独占することが当然の価値観として受け入れられている世界を、つらく思う者もいるのです」
その感情を抱き、またその想いのためにアリアがずっと悩んでいたことをつい先ほど知ったアルバトールは素直に頷いた。
「なので、ジュリエンヌ様はそのようなフィリップ様の姿を見ている内に……」
「ちょっと待ったアリア! 父上が母上以外の女性を愛していたなんて今まで聞いたことが無いよ!?」
「まぁ、それについてはいわゆる不義の恋だったから、ということもありますわね」
「不義の恋……つまり父、あるいは父が思いを寄せていた相手のどちらかが、結婚していたのに恋に落ちたと」
エルザは神妙な顔で首を縦に振る。
「よって教会としては断じて認める訳にはいきませんでした。かと言ってフォルセール領主の嫡男であるフィリップ様を、表立って断罪する訳にもいきません。仕方なく少しの期間だけ辺境の領地で民の暮らしぶりを学ぶ、と言った名目でフィリップ様に流罪の刑を与え、二人を遠ざけたのです。ジュリエンヌ様とお会いなされたのはその時です」
「国が断罪……つまりその相手は」
「我が母、リディアーヌです」
アルバトールの言葉を継ぎ、アデライードが目を伏せて答える。
かつて母が犯した罪を償うかのように。
「経緯は知りません。ただ母が父と結婚する以前に二人は出会い、恋に落ちたそうです。頑ななまでに祖父に結婚を反対され、血筋を重んじる貴族たちに説得され、父上との結婚が決まってからは、お互いに忍んで逢うくらいが精一杯だったそうです」
その声は震えていた。
つい最近まで知らなかった、ジュリエンヌから聞いて初めて知ることとなった母の秘め事について、アデライードは絞り出すような声で語っていった。
「ですが人の口に戸は立てられぬもの。噂になった段階で、すぐに二人は引き離されたそうです」
そこで耐えきれなくなったのか。
アデライードは脇に控えるアリアの顔を見て、会話のバトンを受け渡そうとする。
「その配流先でフィリップ様はジュリエンヌ様とお会いになりました。最初の内こそ悄然とした日々を過ごされていたフィリップ様も、天真爛漫と言ったジュリエンヌ様と共に過ごす間に心が癒されていきます」
それを見たアリアは右手でアデライードの手を取り、更にその上に左手を重ねて笑みを浮かべ、バトンを受け取って話し始める。
「ですがフィリップ様のお父君が体調を崩され、床に伏す日が多くなったことでフィリップ様の流罪の期限が縮まりました。そこで帰還するフィリップ様が皆に別れを告げた時、ジュリエンヌ様が申されたそうです。あたしと結婚するって言ったのに! と」
「……母上らしいな」
頬を膨らませて怒るジュリエンヌの姿が目に浮かび、アルバトールは苦笑する。
苦笑しながらも彼は、子供との間に交わした約束に真剣に向き合ったその時のフィリップの心情を思い、胸が締め付けられる思いであった。
「フォルセールに戻ったフィリップ様は程なく領主と侯爵の地位を継ぎ、その使命を果たす忙しい日々を送ります。しかし時々寂しそうになさる姿を見て、ジュリエンヌ様は思ったそうです。なぜ自分に会ってからずっと寂しそうにしているのだろう、と」
そこでアリアは話を止め、こらえ切れないようにクスリと小さく噴き出す。
「とうとう我慢できなくなったジュリエンヌ様は、フィリップ様に寂しそうにする訳を聞きました。ここからがあの方らしいのですが……」
そしてとうとう口に手を当ててクスクスと笑い出し、そこから晴れやかな笑顔となったアリアは胸を張り、誇らしげに口を開いた。
「じゃあ、今からその人とも結婚したらいいじゃない! と言ったらしいのです。既にリシャール陛下と結婚しているリディアーヌ様と」
「そんな無茶な!?」
唖然とするアルバトールに相槌をうち、アリアは再び話し始める。
「寂しそうにしているフィル君を見るのは嫌だ! 恋愛してる時あたしは幸せだし、恋愛をしてるあたしを見る人も幸せにしてくれる、どんどん幸せを広めてくれるものなんだから、恋愛で不幸になる人がいちゃいけないんだ! と」
「それはそうかも知れないけど、でも無理な話じゃないか? 制度的にも、倫理的にも反してるし」
アリアは素直に頷き、だがその視線は伏せないままに次の句を告げた。
「当然フィリップ様とリディアーヌ様が結婚されることはありませんでした。しかし複雑になった人間関係を解決する一つの案として、教会が特例として承認した者に限り、二人まで結婚できる制度が導入されたのです」
「子供の考え……で切り捨ててはいけないものなのかな。一つの理想ではあるし」
「真理、とも言えますわ。永遠に辿り着くことの出来ない境地。それ故に真理」
アリアから聞いた過去の話に、脱力したアルバトールが思わず口にした言葉にエルザが答える。
「かけがえの無い思いは、代わりになるものが無いにも関わらず、一人に対して複数の人が持ち得ます。ですが終わりのない感情の螺旋を人は制御できぬもの。ですから私も婚姻できるのは二人までで、特例の者のみ。そこまでの譲歩が精一杯でしたわ」
そこまで説明すると、エルザはやはり疲労が抜けていなかったのか、その場に居る三人に断りをいれて再び寝台の上に移動する。
「何故母上の願いを叶えようと思ったのです?」
「そうですわね……これはジュリエンヌ様のお言葉ですが」
横たわったエルザは天井ではなく、さらなる高みを見つめながら答えていた。
「全員を救えぬからと言って、一人も救わないのは間違っている。例え全員を救えなくても、一人を救ったことがより多くの人を救うきっかけを与えてくれるかも知れない。座して行く末を待つだけなら、何の為に国や教会は存在するのか。と」
「国や教会と、恋愛に何の関係が?」
アルバトールはそう口にした後に、エルザの意識がやや混迷していることに気付く。
「……なるほど、国や教会は民衆を助けるために存在する、そう言うことですね?」
エルザは微笑むことで返事の代わりとし、ゆるやかに言葉を口にしていく。
「かつて人は自ら、あるいは自らの家族を生かすだけで精一杯でした。その内に集落ができ、お互いを助け合うようになり、村、町、国と、その規模が大きくなるにつれ、相互扶助の規模も大きくなりました」
アデライードとアリアもエルザの体調に気付いたのか、休んだ方がいいと遠慮がちに告げるも、エルザは軽く首を振って話を続けた。
「しかし規模が大きくなれば、生活に必要な資源や食べ物も増えるもの。足りなくなれば他から得るしかありません。やがて人々は自分たちの大切な人たちや、土地から得られる資源や食べ物を守るために拠点を作り、争うようになっていきます」
「生きるための戦い、生存競争ですね」
「最初のうちこそ私たちはそれを防ごうとして、主の声を聞くことができた一部の人たちに教えを伝え、人の心の成長を促していきました。ですが色々な解釈も産まれ……」
「司祭様」
幾分声を低めてアルバトールはエルザを呼び、手土産のスウィーツを差し出す。
彼女は淡く光り始め、頭上にはうっすらと天使の輪が形を成そうとしていたのだ。
気付いたエルザは物質界に存在を傾斜させるために、アルバトールからスウィーツを受け取って口にする。
「あらあら、気が利きますわね」
「アーカイブ術を習得したお陰でしょう。それでは今宵また参上いたしますゆえ、それまでゆっくりとお休みください。ラファエラ侍祭には私の方からエルザ司祭の回復を伝えておきます」
エルザにそう告げると、アルバトールは不思議がるアデライードとアリアを連れ、エルザの寝室を退出したのだった。
「本当にわずかの間であそこまで成長されるとは。しかし……危うさもまた……」
エルザはそう呟くと手土産のスウィーツに再び手を出し、物質界にその存在を更に強めた後で眠りについた。
「ラファエラ侍祭」
外に出たアルバトールは、エルザが目覚めたことをラファエラに伝え、現在の容態について耳打ちをし、寝室に慌てて走っていくラファエラを見送ると、少し離れた所で笑いあう二人の女性とクレイへ視線を送る。
「クレイも随分と育ったな……いや、こんなものなのかな」
いつの間にか歩けるようになっていたクレイを見て、アルバトールは驚くと同時に悔しさも感じていた。
「そうなんです! アルバトール様がアルストリアに行っていた間に歩けるようになったんですよクレイちゃん!」
「まるでアルバ様が居ない間を見計らったようでしたね」
「……いや、僕はクレイの父親じゃないからね。歩き始める所を見れなかったからって何とも思ってないから」
「そう仰られる割には、少々顔がお歪みになられているようですが……あら、大丈夫ですかアデライード様」
歩き疲れて倒れそうになるクレイを慌ててアデライードが抱きかかえる姿を見て、アリアが側に駆け寄ってあやし始める。
だが何か不機嫌になるようなことがあったのか、クレイは突然泣き出してそれを見たアリアはうろたえてしまう。
「アデライード姫、少々クレイをこちらへ」
そう言ってアルバトールがクレイを抱きかかえ、持っている手を上に伸ばしてあやすと、クレイが笑い出し、ホッとしたアリアが次第にむすっとした顔になると、それをアデライードが慰める。
「お待たせしました皆さ……ん……あ、あら?」
エルザの様子を見に行っていたラファエラが戻った時、そこには一つの家族が形を成していたのだった。
(子供……家族か)
教会からの帰り道。
何も変わらない日常の風景が教会へ向かう前の物と違って見えるのは、やはり心の持ち方なのだろう。
何も変わらない関係、何も変わらない立ち位置でも、内側に秘める思いが違えばお互いの距離も違うように感じられてくる。
アルバトールは愛しく感じる二人の女性を連れて歩きながら、先ほど教会の中で交わされた会話を思い出し。
町に、町の人々に、自分を包む世界に感謝をするように微笑んだ。
「うむ判ったアルバトール。ではいつ結婚するのだ?」
「天魔大戦が終了した後、頃合を見て」
城に戻ったアルバトールは、アデライードと同じく小さい頃に会ってから殆ど顔を合わせていなかったシルヴェールと偶然廊下で会い、婚約についての話をしていた。
「では、婚約の報せを各領地に回しておこう……どうした、不思議そうな顔をして」
「い、いえ、てっきり反対されるものかと。妹君を花嫁にしたいというだけならともかく、最初から二人を共に娶るという前代未聞のことでございますし」
「将を射んと欲すればまず馬から。根回しが既に終わっていたのだから、不思議でも何でもないぞ。なかなかに策士だったな、ジュリエンヌ様とフィリップ候は」
あずかり知らぬは自分のみ。
何となく釈然としない思いを飲み込み、アルバトールは生返事をするのみに留める。
「義母上の遺言のようなものでもあるし、アデライードとお主の婚姻に反対する理由はなにも無い。またアデライードとジュリエンヌ様のたっての願いとあれば、アリアとお主の婚姻も認めないわけにはいかん、と言うことだ」
「遺言……ですか」
「頼まれたわけではないし、内容を本人から直接聞いたわけでもない。だが残された娘の頼みを叶えない訳にはいかんだろう。私がこうして無事にいられるのは、義母上に命を助けて頂いたお陰なのだからな。用事は他に無いのか?」
「今のところ特には」
「ではこれで失礼するぞ」
小走りでトイレに向かうシルヴェールを見てばつの悪い思いをした後、アルバトールは幼少の頃を思い出す。
(小さい頃はよくおねしょをしてシーツに大海原を作っていたなぁ……海か……ん?)
そして彼は現在の聖テイレシアが置かれている状況を考え、シルヴェールへの献策を思いつく。
(陸の上にある国が分断されても、それを外側から更に包む場所からの包囲網……海洋国家へプルクロシア王国の助力によって……つまり海の封鎖でフェストリア王国を干上がらせ、魔物たちとの同盟を解消させる!)
そしてアルバトールは、トイレの前でそわそわしながらシルヴェールが出てくるのを待つのだった。
遠くで見つめるベルナールの冷たい視線に気付くこと無く。