第70-2話 相談
ある一つの決断をするため、自らの考えに沈んでいたアルバトール。
そこに一人の女性から声をかけられた彼は、まだ動揺が収まらぬうちに背後の女性、アデライードの方を向いてしまい、慌てて平静を取り戻す時間稼ぎの為に会釈をする。
「ええ、まさかエルザ司祭がこのようなことになっていたとは思いもしませんでした。アデライード姫もお見舞いですか」
「はい。毎日アリアと交代で見舞っておりましたが、今日は城の雑用も一段落しておりますので二人で伺わせていただきました」
それを聞いたアルバトールは、扉の向こうに慎ましく控える一人の女性の気配を感じ取り、声をかける。
「アリア、そんな所に立ってないで部屋に入ってきたら?」
「失礼いたします」
必要最小限、それ以外の印象を人に与えない挨拶でアリアが部屋の中に入ってくる。
「アルストリアに行っている間に少し髪が伸びたかな? 何だか雰囲気が柔らかくなった気がするよ」
「アルバ様も随分とお世辞が上手くなられたようで」
(お世辞じゃないんだけどな)
まるで憑き物が取れたかのような笑顔をアルバトールに向けるアリアを見て、嬉しそうにするアデライード。
(年が近いと言えばこの二人もそうだったか……そう言えば、アデライード姫は王都ではどんな風に過ごされていたのだろう)
二人が笑う声に、アルバトールは先ほどまで思いつめていた自分の肩の力が抜け、緊張感が緩むのを覚える。
そして、彼女たちの笑い声に反応するようにエルザの寝息が長くなり。
「おや? エルザ司祭の様子が……」
アルバトールの見ている前で一瞬止まったかと思うと、すぐにエルザの眼が開き、ゆっくりと上半身を起こした後に背伸びをした。
「あらあら、アデライード様だけではなく、天使アルバトールまで連れてきたのですねアリア」
長い間眠っていたことを感じさせない、言うなればたった今昼寝から起きたばかりといった感じでエルザは口を開く。
「偶然お見舞いで一緒になっただけです」
その様子を見たアリアは、以前の融通のきかなさが復活した口調となっていた。
「司祭様があまりに長い間お眠りになられていたので、その間に説明するのも馬鹿馬鹿しくなるほど色々なことが起こったのですよ」
「あらあら。仕方が無かったのですわ。何しろ吸血鬼の少女にまで見境無く手を出した天使がいましたので、その後始末にかなりの力を使ったものですから」
その時のエルザに悪気は皆無。
バラされた当人から見れば、悪意の塊だったが。
「……エルザ司祭、少しお話が」
当然アルバトールが抗議をするべく、かつ他の二人に内容が聞こえないようにエルザに内密の話を持ちかけると。
「そんな面倒なことをせずとも、アーカイブの術を使えばいいではありませんか」
エルザはそう答え、瞬時に周りに光るプレートを数枚ほど浮かび上がらせる。
何も無かった表面には一瞬にして文字が描かれ、それらはアルバトールの周囲に移動するやいなや霧散し、光の粒子がアルバトールに降り注ぐ。
「制御できない術は諸刃の剣。貴方が適当に、良く考えもせずアーカイブ術を使って報告書をまとめようとしたことで、フォルセールを発ってからの大体の行動はすでに把握できていましたわ」
穏やかに述べるエルザに対し、アルバトールは無反応だった。
と言うのも、今の彼は流れ込んできた膨大な情報を処理するので精一杯だったのだ。
それが天使の上位位階についての情報だと気がついた時には、アルバトールは地面に転がって天井を見上げており。
ついでに倒れ込んだ彼を見たアデライードとアリアがエルザに詰め寄っていたため、二人のスカートの中も見えそうな位置にあったのだった。
「起きたようですわね天使アルバトール、さて、今宵改めて貴方と話がしたいのですが、予定は空いておりますか?」
「用事があるのでダメです。……そんな上目遣いをしてもダメなものはダメです」
「あらあら、私ではアルストリアのジルダ姫のようにはいきませんか?」
「何を……ちょっと待って二人とも! 誤解です! 何もなかったからね!?」
先ほどのエルザのように、アデライードとアリアに詰め寄られるアルバトール。
必死に彼は釈明をしていくも、いつの時代においても女性の目が届かない場所に行った男性の信用度と言うものはゼロである。
「アルバ様。エンツォ様がエステル様やエレーヌ様に何も無いと説明した後、決まって瀕死になるまで追い詰められるのは何故なのでしょう……」
「え、ああ、え? ……えええ!?」
「誤解をされるような行為があった……それだけで十分とは思いませんか? アリア」
「確かに」
「誤解の時点で明らかに冤罪です! エルザ司祭もきちんと説明して下さい!」
よってあっさりと絶体絶命の状況に追いやられたアルバトールは、原因となったエルザに助けを求めた。
「天使アルバトール。男性である貴方は自分がしでかしたことについて、女性である二人に説明をする責任と義務がありますわ」
あっさりと見捨てられたアルバトールは、天を仰いで自分の不幸とエルザを呪う。
なぜ居て欲しくない時に限って顔を出すのだろう。
彼は嘆いた。
ただそうすることしか出来なかったから。
「まぁ、大体の経緯は判りましたが……」
その後、必死にアルストリア領での出来事を掻い摘んで説明し、ようやく納得し始めるアデライードと、少し不満げに見えるも口をつぐんだアリアを見て、アルバトールは一息をつく。
「アルストリア領のジルダ様には何度か会ったことがございます。なかなか印象深いことを言っていたので、よく記憶に残っていますね。これは舞踏会でお会いした時なのですが、私も一度は髪を結い上げてみたいと仰っていました」
「それはまた……何か理由でもあるのでしょうか」
「父よりも頭が高くなってしまうから、と寂しげに笑っていらっしゃいました」
「なるほど」
だがアルバトールがアルストリアを発つ時に見たジルダは、誇らしげな表情で胸を張り、大輪の花のような笑顔で見送ってくれていた。
最初の内は、指揮の時はともかく、戦場以外では少々猫背気味で、時々ため息をつくなど悩みを抱えていた様子だったのだが、悩みが解消する何かがあったのだろうか。
「それからノエルという少女の方ですが、こちらは私もあまり知りません。エカルラート=コミュヌについて、祖父が詳しく教えてくれなかったこともありますが、彼ら……彼女たちは進んで人前に出ようとしなかったようですから」
アデライードは少しうつむき、考え込む様子を見せてアルバトールを見る。
「アルバトール様は、その理由について何か思い当たることはありませんか?」
「いえ、まったく」
(と、いうことにしておいたほうがいいだろうな……教会にとっては大スキャンダルだし、ノエルたちに余計な敵を作ることは避けなければ)
アデライードの問いに、アルバトールは物思いに沈む。
しかしその沈黙は、すぐにエルザによって破られることとなった。
「さて、天使アルバトール。先ほどの件に戻りますが」
「明日なら大丈夫です。むしろすぐに終わる用件であれば今からでも」
エルザはその答えにゆっくりと首を振った。
「貴方の用事こそ、今晩でなければダメなのですか? 今からでも済む用事であれば、今すぐに終わらせて欲しいのですが」
「それは……今すぐは……今すぐでも構わないのはイヤやっぱり構うような構うので」
悩むアルバトール。
それを見たアリアは、思い当たることがあるのか彼の近くにそっと歩み寄って発言の許可を求める。
「アルバ様、よろしいですか?」
「ちょっと待って、今考えて……あ、ごめんアリアか。エルザ司祭かと思ったよ」
実に失礼な発言の内容に、少々首を傾げるエルザ。
「今晩の用件であれば、アデライード様から私も伺っておりますが、まさか他の用事でもあるのですか?」
不思議そうに問いかけるアリアを見て、アデライードが何かを思いついたようにアルバトールへ不機嫌な声を投げかけた。
「……アルバトール様、まさか久しぶりにフォルセールに帰ってきたからと言って、色町で羽根を伸ばそうと企んでいるのでは」
「え? いや違うよ? 違いますよ?」
「アデライード様、そう言えばジュリエンヌ様より、アルバ様が先ほどトイレの前でエンツォ様、ベルナール様と怪しい話をしていたと伺っております」
「ファッ!?」
ジュリエンヌに口留めのお菓子を渡していなかったことを思い出し、アルバトールは悔恨の念に囚われる。
「まぁ、最近はあちこちに飛び回っていましたから、若い殿方としてはそのように考えるのも無理はありませんわね……」
「何で追認してるんですか! フォローくらい入れて下さいよ!」
先ほどの発言を根に持っているのか、即座にトドメを刺してくるエルザにアルバトールは悲鳴を上げ、色町に行く予定では無いと叫びを上げた。
「とりあえず私も目覚めたばかりですし、今すぐに準備を整えるのは厳しいですわ。しかしなるべく早めに済ませたいので今晩と言ったまでです。で、貴方の用事というのは何なのですか」
「それはちょっと二人きりで、と言うか……」
まるで子供のようにはっきりしない、もじもじとした様子のアルバトールを見て、エルザは察したように手をポンと打つ。
「仕方ないですわね。では叙階の後に二人きりで会ったあの井戸へ」
「何でそう誤解を産むような言い方を好むのか。そもそも二人きりになる相手は司祭様ではありません」
自分の後ろめたさを隠すように、殊更に憤慨してみせるアルバトールにアデライードが近づき、耳打ちをする。
「アルバトール様、ちょっとお耳を」
そこからアルバトールの顔色は様々な色へと変化し、やがて一つのため息で終息を告げた。
「アリア、せっかくですしエルザ司祭に御相談しましょうか」
「あのことですか? しかし既にジュリエンヌ様とお話して解決しておりますが」
アデライードはふわりとした笑顔を浮かべ、アルバトールの方を向く。
「ここにまだ悩めるお方が残っていますよ」
そして相談は始まった。