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第70-1話 導く手

「ほうほう、そのような次第でありましたか」


「はい」



 トイレから出てきたアルバトールは、目の前に壁のような広い背中が立ち塞がっていることに気付いて動揺するも、その時には既に手遅れだった。


 何故ならその壁のような背中の持ち主はエンツォ。


 つまりは同僚であり、師であり、お守り役でもあったエンツォに先ほどの叫びを聞かれたアルバトールは、すべての経緯いきさつを白状する羽目になったのである。



「しかし非常事態であったとは言え、女性を騙すような真似はこのエンツォ感心しませんな。例え若様でも」


「エンツォ殿もしょっちゅうエステル殿やエレーヌ殿を騙そうとしているような」


 しかし先ほどから自分だけが引け目に感じていることを喋るだけで、それを聞くエンツォがどんどん楽し気な顔になって行くのを見たアルバトールは、何となく自分だけが損をしているような気分になって、思わずエンツォにチクリとした一言を送る。


「ウェッホン! して、どうなさるのですか。若様の説明からこのエンツォが察するに、姫様は間違いなく求婚してくると勘違いされておりますぞ」


 その効果はたちまちにして現れるが、彼の不利な状況を覆すには到底足りるものでは無かったようだった。


「間違いなくなの!?」


「むしろそれ以外で重要な話が、今の若様と姫様の間にあるのかとワシは問いたくなりますがのう」


 途方に暮れて叫びを上げるアルバトールを見たエンツォは、やや呆れた表情となって助言を口にする。


「うう……」


 その指摘を聞いたアルバトールは頭を抱え、腕を組んで仁王立ちになっているエンツォの前でかがみこんでしまっていた。


「覚悟を決めなされ若様。ワシが見た所では、姫様の方もまんざらでは無い様子。それに今であれば姫様の兄君であらせられるシルヴェール殿下も、丁度ここフォルセールに逗留しておられます。婚姻の話も通しやすいことでしょう」


「し、しかし国が危機に陥っているこの大事な時に婚姻を申し込むなんて不謹慎では」


 自らの幸せだけを願うにも見える不埒な考えを振り払うように、アルバトールはしゃがみ込んだままエンツォの前で激しく首を振る。


「しっかりなされませい! このまま指を咥えて姫様を取り逃すおつもりですか! 目の前の問題から逃げたいのなら、穴を掘ってそこに叫べば少しは気も晴れましょう! しかしそんなことでは、将来このフォルセール領を背負って立つなど到底望めませんぞ!」


「ううううう」


 しゃがみ込んだままアルバトールは呻き、エンツォの前で苦しそうな声を出す。


「判った! 行くよ!」


「……トイレの前でお前たちは一体何をして、何を言っているのだ。しっかりだの、咥えてだの、掘ってだのと……この国家存亡の時に、まさか二人で臭い仲になっているのではあるまいな」


 その声に気付いた二人が横を見れば、そこには腕組みをしたベルナールが苦り切った顔をして立っていたのだった。



 と言うわけで。



「つまりアルバトールがアデライード王女に求婚すると。そう言うことかエンツォ」


「然り」


 アルバトールの敵は、更に一人増えてしまっていた。


「いや、そう言う訳ではなく……」


「ではどう言う訳だ。私もそれほど時間がある訳ではない。用件の要点を手短にまとめて教えてくれ」


「ベルナール団長、顔がニヤけております」


「気にするな。エンツォなぞだらしが無い顔の域まで症状が進んでいるではないか」


「これは申し訳ありませぬ団長殿。幼少の頃から見守り参ってきた若様がとうとう結婚されるのかと思うと、つい顔が」


 悩んでいるアルバトールを見て、明らかに楽しんでいる二人。


 アルバトールは思わず仏頂面になって不満を口にするのだが。


「一応、私は真剣なのですが」


「その場しのぎで適当なことを言う君が悪いのだ。観念したまえアルバトール」


 自らの言い分を即座に一刀両断にしたベルナールの指摘にぐうの音も出ず、アルバトールは落ち着かなそうに周囲をキョロキョロと見渡し始め、程なく物陰でニタリと笑うジュリエンヌの姿を見つけてしまった彼は、慌てて視線を地面に落とす。


「若様、一度踏ん切りをつけなされ。例え空振りに終わったとしても、そこですべてが終わるような間柄でもありますまい」


「そ、そうかな……」


「老婆心ながら言わせてもらいますが、この悩みを放置したままにしておけば、後々それが戦場に於ける判断を狂わせ、命を落とす原因になるやも知れませんぞ」


「今のエンツォ殿の表情を見ていると、とてもそうは受け取れないんだけど」


 顔が緩み切ったエンツォをアルバトールが半眼で見つめていると、そこにやや普段の口調を取り戻したベルナールが、優しそうな声をかけてくる。


「アルバトール、私もエンツォの意見に賛成だ。私は君が何を迷っているのかは知らない。だがこれから話すことが君の悩みの解決につながる糸口となることを信じて、少し聞いて欲しいのだ」


 ベルナールはやや時間をかけて表情を硬くし、口を開く。


「君が今回の天魔大戦で今までに挙げた功績は、聖テイレシア中を見ても最大のものだ。そして天魔大戦に於ける最大の功労者は、その力に目を付けた他国に引き抜かれたりしないように、王族の身内と婚姻を結ばせて国内に留め置こうとすることが多い」


「それは勿論知っておりますが、功績をあせって判断を誤る原因にもなるのでは」


「失敗をしない完璧な人間などいない。私も王都が陥落した際の魔族の戦術の転換を見抜けなかった。それに闇の土アナトも討ちとれず、みすみす見逃してしまった。君が過ちを恐れているように、他の皆も恐れているのだ」


「ベルナール団長、肩が痛いです」


 虚ろな眼で肩を握り締めてくるベルナールに、アルバトールはたじろぐ。


「王都が陥落した今、人々は不安にさいなまれている。しかしここで数々の功績を挙げている君と、アデライード王女の婚約が発表されたらどうだ? 人々はその報せに心を明るくし、これほどの武功を挙げている天使が居れば国も安泰だと勇気付けられるだろう」


「それも一理ありますが、しかしシルヴェール様の御意向も無視するわけには……」


「……そうだな。それにしても……」


 ベルナールは話の途中で、やや失望したように溜息をつく。


「君は自分の都合ばかり我々に話しているが、アデライード王女の気持ちは考えたことがあるのか?」


 続いて発せられたベルナールの指摘に、アルバトールは息を呑んだ。


「国王夫妻は既に亡く、祖父はつい最近まで逆賊と呼ばれ、その疑念は完全に晴らされたわけではない。生まれ育った王都や馴染みの者とも離れ、兄であるシルヴェール殿下は同じ城にいるものの、公務に追われている身ではそうそう会って話も出来ない」


「それは……シルヴェール様もお忙しく……」


「黙って聞きたまえ。おまけに心許せる仲と頼ろうとした近い年齢の幼馴染、この領地の子息は王女が到着して十日もせずにアルストリア領への使者へ発ち、長い間フォルセールを留守にし、更にその間に旧神、吸血鬼、堕天使と生死にかかわる戦闘の連続」


「……」


「如何に王女という公的な立場に生まれ、気丈な態度をとることを自らに義務付けている御方とは言え、その本質は一人のか弱き女性……いや、か細き少女なのだ。そのことを少しは気に留めておいてくれ。天使アルバトールよ」



 ベルナールとエンツォが去った後、アルバトールはしばらく動く事もできずに、トイレの前で立ちつくして自らの思案に耽った後、何処いずこへか歩き始めた。



「まだ司祭様は目を覚まされていませんよ」


「構わない。少し心を整理させたいんだ」


 判断に迷ったアルバトールは、未だ昏睡状態にあるエルザの見舞いに来ていた。


(司祭として、敢えて威厳と自信に満ちた行動をとっている。か……今の僕を見たら、エルザ司祭は何と言うだろうか)


 寝室のベッドの上に寝かせられているエルザは、規則正しい寝息をたてては居るものの、その顔色は白磁と言うよりは水面に映し出された夜空の月の如く、少しの揺れで散りゆく儚い白さを感じさせた。


「居て欲しくない時に顔を出し、居て欲しい時には意識が無い、か……」


 そう独り言を言った後に、アルバトールはゆっくりと首を振る。


(いや、そうじゃない、居て欲しい時にも常に居てくれた。心が折れそうな時に、力が尽きそうな時に。行く道を見失いそうな時には先に立ち、行く道を違えた時には叱り付けて手を差し伸べ……ああ、そうか)


 アルストリアで会った一人の騎士の、一人の親の言葉を思い出したアルバトールは胸にほのかな温かみを感じ、掌を胸に当てた。


――この女性ひとは、親も同然だったのだ――


(居なくなって、初めてそのありがたさに気付く。良くある話で、誰にでも起こりうることなのに、それを経験する誰もがあらかじめ気付くわけじゃない)


 目を閉じ、軽く首を振り、アルバトールは再び目を開ける。


(だからこそ良くある話になるのかな)


 ゆっくりと息を吐いた彼は、既に決断をしていた。


 居なくなる前に、存在の掛け替えの無さに気付く前に。


 王女である前に一人の女性であり、一人の少女である人の手を取ることを。



「アルバトール様もエルザ様のお見舞いですか?」



 背後よりかけられた声に、心臓が口から飛び出しそうな程アルバトールは驚く。


 なぜならつい先ほど、彼はその声の持ち主に求婚しようと決意したばかりだったのだから。


 かろうじて平静を保つことに成功したアルバトールは後ろを向き、そこに一人の清楚で可憐な面影を持つ、長い黒髪の女性が立っていることを確かめたのだった。

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