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第69話 その功績

 アルストリア騎士団が遠征から戻った次の日。


「そうか、お前の父は生きていたか」


「つつがなく」


 謁見室に面したバルコニーには、ガスパールとスタニスラスの姿があった。


「どうであった、自分の年齢と十歳ほどしか違わぬ父の姿と言うものは」


「何と言うことは無く」


「きちんとジルダを紹介したのか」



 会話はそこで止まり、暇を持て余したガスパールは肩に乗ってきた猫に指を当て、その喉をくすぐる。



「思い切りと言うのは必要だぞスタニスラス。人は産まれた瞬間から時間と言う機会が誰にでも平等に与えられる。しかしその機会を逃さずに捕まえ、手繰り寄せて自らのモノとするのは個人の才覚と決断だ」


「は、はっ……それがしには何の、ことやらさっぱりで、なのでございましたて……」


 ようやく口を開くことができたスタニスラスの、だが挙動不審な口調の返事を聞いたガスパールはため息をつき、右手をバルコニーの手すりへ差し出す。


 すると彼の肩に乗っていた猫が右手を伝って手すりへ乗り、そこで顔を洗う仕草を始めたかと思うと、いきなり動揺を隠せないスタニスラスの顔に目掛けて飛び掛る。


「わぎゃあっ!?」


「これが機会をモノにする決断と言うものよ。猫にすら負けてどうするスタニスラス。ジルダが欲しいのであれば、貴様のこれからの働きと態度で示せ」


 ガスパールは慌てふためくスタニスラスを笑い飛ばした後、バルコニーの下の広場で急いで帰還の準備をする金髪の若者を見つめた。


(ふん。内心はどうあれ、外面は取り繕った涼しい顔をしておるわ。そんな所も父親そっくりでまったく腹が立つ)


 ガスパールは金髪の若者、つまりアルバトールを見つめて不敵な笑みを浮かべる。



 アルストリア騎士団の凱旋より十日ほど前のこと。


 アルバトールがエカルラート=コミュヌと戦うべく領境へ出立するのと前後して、アルストリアには聖テイレシア王国の各地から情報が届けられていた。


 フォルセールにはようやくシルヴェールが到着。


 その際に闇の土であるアナトを退けはしたものの、肝心かなめのエルザは原因不明の昏睡に陥ったままなど、なかなか信じられぬ情報が数多くあった。


 だが領境から戻ったアルバトールが聞いた情報の中で、最も驚愕したものは別のものだった。



 聖テイレシアの隣国、フェストリアと魔族との間に同盟成立。


 人と魔族の同盟、そのようなことは今まであり得ない話だった。




「あり得ない、と言っても始まらん。そもそも王都が陥落した原因の一つが、魔族の戦術の変更……長年に渡るゲリラ戦術から本拠地急襲への転換という、あり得ないものだったのだからな」


 アルバトールたちがアルストリア城に戻った日の夜。


 騎士団の勝利を祝う酒宴が街や城で繰り広げられている頃、城の謁見室にはアルストリア領を牽引するガスパール、ジェラール、カロンの三人と、アルバトール、ベルトラム、バヤールの三人が再び顔を並べていた。


「現在の状況について、貴様の私見を述べよジェラール。我らが祖国と、我が領土の二つについてだ」


 ガスパールの求めにジェラールは頷き、机の上に置かれた地図を指し示す。


「まず現在テイレシアが置かれた状況は、非常にゆゆしきものでございます。国土の中心に位置する王都が落ちているのは勿論ですが、そこから北西のアギルス領、そして今回の北国フェストリア国との同盟によって、国が半ば分断された形となっております」


 ジェラールは地図に描かれたテイレシアの中心から地図の左上に指を動かし、テイレシアの上部から左上に隣接するフェストリアで止める。


「つまり王領テイレシアの西に位置するレオディール領と、北東に位置する我らアルストリア領の連携は、ほぼ望めない物となっております」


 そして左に描かれたレオディール、右上に描かれたアルストリアを指し示したジェラールの額には、新たなしわが作り出されていた。


「王都を落としただけでは孤立するだけ。奴らも少しは考えているようだな」


 そこに感心したように呟くカロンを見て、ジェラールの額にはさらに新しいしわが積み重なっていく。


「こちらとしてはあまり歓迎できないことですがな、カロン殿。そして我々アルストリアですが……」


 ジェラールはテイレシアの地図に、レオディールを起点としたアルファベットのユーの字をなぞり、アルストリアでその指を止める。


「二つの先端部となった西のレオディールと同じく、アルストリアはテイレシアの東の先端部の位置にあり、そしてアギルス、フェストリアと隣接するレオディールと同じく、我々の隣にはアギルスに加えてヴェイラーグ帝国という厄介な国がございます」


「つまりフェストリアが魔族と同盟を組んだと言うことは、ヴェイラーグも人側から魔族に寝返る恐れがあると言うことですか? ジェラール殿」


 テスタ村の悲劇の一端を担ったヴェイラーグの侵攻。


 ジェラールの説明を聞いたアルバトールは、再びヴェイラーグが侵攻してくるのではないかとの考えが頭をよぎり質問するが、それに答えたのはガスパールだった。


「そうでもない。と言うよりむしろ信用せざるを得ないと言うのがワシの考えだ。ワシの妃だったオレーシャが、ヴェイラーグ帝国の王女だったことは知っておるな?」


 アルバトールが頷くと、ガスパールは眉間にシワを寄せ、自らの内に渦巻く複雑な感情を周囲に見せる。


「つまりワシ自身はともかく、子供たちはヴェイラーグ帝国の皇帝の血筋を引くものとなる。それに二十年前に奴等と和睦した時に、不可侵の取り付けもしておる。これを破れば信義にもとる国として、奴らはこのアルメトラ大陸で孤立することとなるからな」


 まるで自分自身に説明し、言い聞かせるような険しい顔つきをしながら、ガスパールはアルバトールたちに説明をした。


「しかし伯、それでは約定を破っても孤立しない状況であれば、ヴェイラーグは攻めてくると言うことになるのでは? 今であれば魔物と手を組んだフェストリアと同盟を組むことも可能でございますし」


 痛いところを突かれたのか、ベルトラムの質問にガスパールは渋面となる。


 だがすぐに表情を戻し、彼は説明を続けた。


「心配無用だ。奴らはつい三年ほど前にフェストリアと戦端を開き、両国の間にはその火種が今もくすぶっている。そこを突く」


「……つまり?」


 アルバトールの疑念に対し、ガスパールは不敵に笑って答えた。


「双方の国に、互いが再び侵攻してくる噂を流す。しかるのちに工作兵を送り、近隣の村を荒らす。動かざるを得ない状況を作れば、奴らはたやすく乗ってこよう」


「それは危険では。既にフェストリアとヴェイラーグの間に何らかの密約が交わされていれば何としますか。フェストリアと魔物との同盟が成る前ならいざ知らず、現在は状況が動いてしまった後……」


「だからこそ急がねばならんのだアルバトール殿。奴らの間に信用が構築されてからでは遅い。未だ同盟が交わされていない、交わされていても互いに信頼していない今でなければな」


 反論するアルバトールに、ガスパールはゆっくりと首を振る。


「今の聖テイレシアに三つの勢力を同時に相手する国力は無い。例えフォルセールに異常な戦力があるとしてもそれは少数。すべての国土をカバー出来る訳ではないのだ」


 ガスパールの指摘にアルバトールは押し黙るが、その姿を見て今度はベルトラムが控えめに申し出る。


「伯、むしろフェストリアと魔族の間に離間の策を仕掛けた方がよろしいのでは? 今までにあり得ない状況に戸惑っているのは、我々だけではなくフェストリアや魔族も同様と思われますが」


「うむ、ワシもそれを考えなくは無かったのだが、フェストリアから帰ってきた商人の話を聞くと、そうでもないらしい」


「何ゆえでございますか?」


 ベルトラムの問いにガスパールはすぐに答えず、側にあった酒器を手に取ると、喉の奥にわだかまる感情を押し流すかのように中にあったワイン水を飲み干す。


「フェストリア旧神の一人、ロキとバアル=ゼブルが以前より懇意にしていた関係で、同盟は思ったよりすんなりと締結されたらしいのだ」


「なんと……」


 絶句するベルトラムをよそに、アルバトールは美しくも人懐こい表情を見せるバアル=ゼブルの顔を思い出す。


 それからフェストリアの旧神、美しいが悪戯者で周囲の評判があまり良くないとの噂があるロキが並んでいる姿を思い浮かべ、彼は軽く首をひねった。


(存外、お似合いなのかも知れないな)


 そしてクスクスと笑い出すアルバトールを見て、周囲の者は奇異の目を彼に向ける。


「うぉっほん! よろしいですかな? アルバトール殿」


「あ、はい!」


 ジェラールの冷たい視線を浴びたアルバトールが我に返った後、話は続けられる。


「現在の状況はこのような感じでございます。当面、我々は謀略の準備に動きますゆえ、仔細を綴った書簡をシルヴェール殿下にお渡し願えますかな? アルバトール殿」


 アルバトールがジェラールに頷くと、ガスパールが書簡の概要を口にした。


「我々はシルヴェール殿下の即位を認め、更にアデライード殿下の無罪を追認する。殿下に……いや、シルヴェール陛下によろしく伝えておいてくれアルバトール殿」


 そう告げた後、ガスパールは椅子に肘をついて顔を支え、その眉間にしわを寄せる。


「しかし、まさかテオドールが堕天使に操られて裏切ったとは思いつかなかった。常であれば突拍子も無いたわ言だと思う所だが、流石に信じざるを得ない状況だからな」


「伯父上、他の領主は大丈夫なのだろうか?」


 不安げに呟くカロンの問いを、ガスパールは一蹴した。


「聖テイレシアを始め、各国の要職にある者はすべて教会の祝福と加護を受けている。自らが望みでもせん限り堕天使や魔神の誘惑に屈することは無い。だからこそテオドールの反逆は不思議なのだ。奴が進んで王国を裏切るなど、考えられぬことだからな」


 最後に、謀略についてはジェラールに一任するとガスパールは告げ、椅子から立ち上がって解散を告げる。


 それを聞いた全員が退出しようとする中、ガスパールは一人の名前を呼んだ。


「アルバトール殿」


「まだ何か……お、およし下さい! 何事でございますか!?」


 名を呼ばれたことを不思議に思ったアルバトールが振り返ると、そこには深々と頭を下げたガスパールの姿があった。


「テスタ村の一件では本当に世話になった。貴殿には返しきれぬ恩が出来た。何かあればいつでも言ってきてほしい。このガスパールに出来うることであれば何でもしよう」


「ガスパール伯」


 アルバトールは頭を下げたままのガスパールの手を取ると、その目前に膝をつく。


「私は出来ることをやったまで。伯は出来なかったのではなく、出来ない状況に追い込まれていただけでございます。私の望みは、今の伯に出来うること、今の伯にしか出来ないこと……テスタ村の今後をお願いいたします」


「……分かった」


 その願いにガスパールは頷き、周囲の者たちは胸を熱くして二人を見守った。



 ガスパールと約束を交わした次の日。


 慌しく出立の準備を終えたアルバトールたちは、幾つもの思い出が出来たアルストリアを後にしようとしていた。


 見送りにはガスパールを始め、ミュール家の面々、そしてジェラールやカロン、スタニスラス、ロジィなどの近習たちも顔をそろえている。


「では、我々はこれで失礼します」


 それらそうそうたる面々に対してアルバトールは頭を下げ、正式に拝領を受けたバヤールに跨り、ベルトラムがその後ろに乗る。


「フィリップ候に言っておいてくれ。いつまでも善人ヅラをしていると、そのうちに痛い目に会うぞ、とな」


 馬上の人となったアルバトールを見上げたガスパールはニヤリと笑い、頭の上でヅラが毛を振る。


 それがガスパールの、彼への別れの挨拶であった。




 アルストリア領を発って二日後。


 フォルセールに戻ったアルバトールを待っていたのは、叱責の嵐だった。


 言っている内容だけを見れば、軽いお小言や心配をしたといった内容ではある。


 だが彼の任務と言えば、アルストリアに行って書簡を渡し、戻ってくるだけ。


 当初の予定であれば一週間程度で済むものを、およそ三倍の二十日以上をかけていたアルバトールにとっては、その軽い叱責が苦痛以外の何者でもなかったのだ。


 彼がアルストリアで挙げた功績を考えれば、落ち込むどころか勲章モノであったのだが……。



「う~、トイレトイレ」


 長い謁見を終えた後、アルバトールは途中でもよおした尿意を解消する為に廊下を走っていた。


 通常であれば、どこからともなく現れては鋭い叱責を飛ばすベルナールを恐れて出来ないのだが、彼は現在シルヴェールと父フィリップとの長い話し合いに入っている。


 走るなら今のうちとばかりに、アルバトールは廊下をひた走りに走っていた。



「きゃっ!?」


「ご、ごめ……! アデライード姫!」


「アルバトール様! お、お久しぶりでございます……」


 だが勢いよく走っていたばかりに、廊下の曲がり角でアルバトールはアデライードとぶつかり、その拍子に彼の尿意は更なる高みへと昇りつめることとなる。


 二十歳を越えた年齢でお漏らしは、天使である以前に大人として失格の烙印を押されかねない非常事態。


 だが何という運命の悪戯だろうか。


 妙な痛みすら下半身に走り始めた彼の前で、アデライードは少々顔を赤らめておずおずと口を開き、久しぶりに会うアルバトールへ祝いの言葉を述べ始めてしまったのだ。


「あ、あの、アルストリア領からの無事の御帰還、お喜び申し上げます……アルバトール様が居ない間、アデライードは心寂しく、不安な思いをしておりました……」



 長話になる予感。



 そう判断した彼の行動は迅速、神速を極めた。


「アデライード様。ここでは話せない大切な話がございます。よろしければ今晩にでもお会いしていただけませんか?」


「大切な……」


 必死、あるいは熱意の篭った表情で自分の瞳を見つめるアルバトールに対し、アデライードは顔を真っ赤にし、頬に手を当てながら恥ずかしそうに頷いた。


「それではまた後ほど」


 内股で走り去っていくアルバトールの後姿に惚けた表情を向けて見送ると、アデライードは決心を固めてどこかへ足早に走り去っていく。


「ほほう、これはこれは……にゅふふふ」


 自分だけの世界に閉じこもっていた二人は、気づいていなかった。


 後方の廊下の物陰より、眼を光らせて彼らを見つめていた小さな影に。


 そしてトイレに着いて用を足したアルバトールと言えば。


「うわああああああああああ! 何であんなこと言っちゃったんだああああああ!!」


 尿意と共に、顔から血の気も引かせて壁に頭突きをしていた。


 そして取り返しのつかないことを言ってしまったことを、彼は後で二重の意味で悔やむこととなる。



 トイレの順番待ちをしていたエンツォの前で叫んだことを。

 御存知の方も多いとは思いますが、中世ヨーロッパでは水洗のトイレなんてものはありませんでした。

 なので今回のトイレの仕組みは……魔術によるものと思ってください。

 古代の帝国、〇ーマ帝国の遺産にしても良かったんですけど、そこまで調べる気力はございませんでした。

 一応二階以上の高さに住んでいた住民は一階まで降りて用を足していたとか、古代ギリシャにはトイレが殆ど無かったとかそんなのはトイレの歴史で調べましたけど。

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