第68話 父と子
ジルダとテスタ村の者たちとの話し合いから三日が過ぎた日の朝。
「お世話になりました皆さん」
アルストリア騎士団の本陣には二十台ほどの馬車と、その一台一台に乗る村人たちの姿があった。
この三日間の間に、騎士たちの間ですっかり人気者となっていたノエルが頭を下げて挨拶をすると、周囲に居並ぶ騎士たちからため息や嘆きの声が湧き出でる。
「こちら側としてはようやく胸のつかえが降りた、と言った感じだが、本当に条件はその二つだけで良いのか?」
そのノエルの挨拶の直後、周囲の騎士たちが嘆く姿を苦笑交じりに見ていたジルダが一歩進み出でて口を開く。
「そなたらがアルストリアの保護下にあるとの布告、また貸し出していた穀物の返却などは、本来であれば当たり前に受け取るべき権利だ。今までにそなたらが辿った運命と年数を考えれば、村が楽に再建できるほどの金額が賠償されるのだぞ」
申し訳なさそうに聞いてくるジルダにノエルは微笑みかけ、そして生まれ育った故郷に帰れること、再建ができる喜びこそが自分たちにとっての報酬なのだと答える。
「あ! でも今年の穀物の納付は出来ません……すいません、条件に今年の年貢の免除を加えていただいても差し支えありませんか?」
それから慌てて一つの条件を申し出るが、それを聞いてもジルダの表情が変わる気配は無かった。
「謝るのはこちらのほうだ。そんなことは言うまでも無いことだと思って、言うのを忘れていた。まったく……こちらとしてはそれ以上の物を望んで欲しいのだぞ。差し出すものの重さに比例して、我々の心は軽くなっていくのだからな」
「えっと、そこは領地を治める立場と言うことで我慢してください。自分たちで使いきれないものを渡されても、私たちも困りますから」
「……そうだな、年長者の助言は聞いておこう」
「ねんちょ……」
ジルダの言葉に落ち込むノエル。
一応彼女の見た目は、十四~十六歳と言ったところである。
しかし吸血鬼であった時の年月を換算すれば実年齢は四十歳ほどとなるので、ジルダに年長者と言われても仕方がないのだが。
「おぉぃ、ノエル! そろそろ出発をするぞ!」
「はい! すぐに向かいます!」
しかしそこに、多くの荷物が乗せられた馬車の御者台に乗っているアルノーがノエルを呼ぶと、すぐさま彼女は顔を上げ、はつらつとした声で答える。
アルノーが乗っている一台もそうだが、彼らに貸し出された馬車にはふんだんに食料が乗せられていた。
それはアルストリア騎士団の糧食から供出したもの、またジルダが近隣の村に呼びかけを行って集めたものを合わせた、村人全員の十日分にあたる食料。
またテスタ村の復興に必要な工具、農機具類が乗っており、加えて彼らが村に戻った数日内には彼らが昔供出した穀物にあたる分量が戻る手はずとなっていた。
そしてスタニック、アルノー、エミリアン。
今までずっとテスタ村の住民たちを守ってきた三人の騎士は、今度は田畑の作物を狙ってくる獣たちを退ける為に、テスタ村へ向かうことが決まっている。
「なな、なんだ?」
「今度は何をしたんですかアルノーさん!」
その若い騎士二人の乗る馬車に、近づく巨大な影があった。
「餞別だ。持っていくがいい」
「……毛?」
「三日前の酒宴で、貴様等うっかり口を滑らせておっただろう。任務の間に良く釣りをしていたと」
「ゲッ、聞いてたのか!」
しまったとばかりに右手で口を塞ぐアルノーを見て、隣に座るエミリアンは十字を切って天を仰ぐ。
その二人をバヤールは半眼で見つめると、ニタリと笑みを浮かべた。
「私の毛を抜いて何に使うのかと不思議だったが、あれで合点がいった。私の毛で作った疑似餌は魚を枯らすほど釣れてしまうから、使用には十分気をつけるのだな」
その笑みを見た途端にアルノーとエミリアンは顔を真っ青にするが、それを見たバヤールの顔はやや不機嫌な物になっていた。
「餞別と言ったであろう、まったく……男であれば、騎士であるならば、自らの言ったことや選んだ道に責任を持て。特にそちらの小僧」
バヤールに睨みつけられたエミリアンは何事かと身構え、即座に腰を浮かせて逃げる体勢を作り出す。
だがバヤールが繰り出したのは拳ではなく、普通の忠告であった。
「苦難の道を自分で選んでおきながら、その道に見返りを望むとは何事だ。選んだ後で泣き言を言うのなら、最初から楽な方へ逃げる人生を選べばいい。だが貴様は騎士として、弱き者たちを救うべく敢えて苦難の道を選んだのだろう」
「う……」
「その自分の選択に自信と誇りを持て。それが出来るなら、私はいずれ貴様をこの背に乗せてやってもよい」
その言葉に対し、露骨に嫌な顔をする二人にバヤールはゆっくりと近づいていき、突如上がった悲鳴に馬車に繋げられた馬が驚く。
そしてその後方では、スタニックとアルバトールが別れの挨拶を交わしていた。
「では私も失礼する。色々とあったが君には……いや、貴方には本当に感謝している」
スタニックはアルバトールにその頭を深く下げ、感謝の言葉を述べた。
「こちらこそ。貴方の誇り、信念、共に敬意を表さずにはいられません。この先私が困難に際した時には、貴方との出会いがきっと力になってくれることでしょう」
そして頭を上げた二人は固く握手を交わして離れる。
「……御子息には?」
「テスタ村が落ち着けば必ず顔を出す。終生を共に歩むと誓った相手の元へ。それだけを伝えおきました」
「……長い戦いが終わるなどと無責任なことを言ってしまい、本当に申し訳ないと思っております」
「気になさるな。これは私が息子……今となっては弟と言った感じですが、スタニスラスと話した上で自ら選んだ道。それに対して責任を取るのも当然私自身なのだから、貴方が気に病む必要は無い」
スタニックは力強い笑みを浮かべ、申し訳なさそうな表情になっているアルバトールを力づけるように、その肩に軽く手を乗せる。
「それにこの戦いはとっくの昔に始まっていたもので、私がずっと待ち望んでいたものなのだから」
「……戦い?」
スタニックは戸惑うアルバトールに頭を下げ、別れの言葉を送った後に誇らしげに言い放った。
「親と子の戦いは、永遠の別れまで終わることが無きもの。子は親に追いつこうと懸命に人生を歩き、親は後ろに続く子のために人生を切り開きつつも、子に追いつかれることの無きように歩き続け、時には道標である自分を見失わないように人生に迷った子の手を引いて導き、その生涯を閉じるのです」
そして、テスタ村へ彼らは旅立って行った。
本陣の片隅で天幕に隠れ、見送る者の存在に気付かないままに。
「複雑な思いですかな、スタニスラス殿」
「まさかこの年になって親子で共に暮らすことを強要も出来まい。俺は既に自分で歩く道を決めており、それは父がこれから歩く道とは違っているのだから。今の俺に出来ることは、かつての母のように父を信じて待つことくらいだ」
テスタ村の人々を見送ろうにも見送ることが出来ない心境である為に、本陣に張られた天幕の影から旅立つ者たちを見送っていた二人は、万感の思いを胸に抱きながら、彼らの姿が見えなくなるまでその背中を見つめた。
「では、我々も帰還するぞ!」
ジルダの声に騎士団の面々が応じ、アルバトールやベルトラムもその声に続く。
不死の王とも言われる吸血鬼の集団、エカルラート=コミュヌとの戦いは、アルバトールの到着から事後処理を加えても、一週間以内であっさりと決着を見る。
アルストリア騎士団の面々は野営の片付けに勤しみながら、その間を忙しく動き回る天使に敬意の眼を向けるのだった。
その二日後、かつての住民が戻ったテスタ村では。
「……何をしてるんですかジョーカー」
[見ての通り休憩中だ]
「ふぅ、天使様に貴方の対処を聞いてはいましたが、まさか本当にいるとは思いませんでした」
[対処?]
「もし貴方に会った時には、十字架の方を見るように伝えてくれ、と承っています」
テスタ村に着いたノエルたちは、村の真ん中で鼻ちょうちんを盛大に膨らませながら、大の字になって熟睡している堕天使を見つけていた。
[ん……? このメモは捨てたはずだが……?]
十字架の下には、ジョーカーが四日前に近くにある草むらへポイ捨てをしたはずの、見覚えのある文面のメモがあった。
彼が不思議そうにそのメモを再び手に取ると、ノエルが裏を見るように言ってくる。
{この礼状は連鎖の礼状です。この礼状を見た貴方は、全ての村人に『ありがとう』を百回ずつ言わなければ、大変なことが起きます}
[……とても天使が書いたとは思えぬ見事な脅迫文だが、私がこれを真に受けるとでも思っているのか?]
「条件を満たし、村から出て行けば何も起こらないと天使様が仰ってました」
[言われずとも体力が回復した時点で帰るつもりだったが、そう言われると逆らいたくなるのが堕天使と言うものだ。そもそも神に逆らって堕天する時点で他者の言うことを素直に聞くような存在では無いと……む]
ジョーカーは喋っている最中で体に力が入らなくなり、人間が見ている前で不覚にも地面に膝をついてしまう。
「えっと、試しに一回だけ私に『ありがとう』と言ってみますか? 顔を近づけますから、他の人に聞こえないように小声で言ってみて下さい」
[このジョーカーがそのような小人の真似が出来るか! 言わなければならぬのなら、この村中に聞こえる声量で言ってみせよう!]
言うが早いか、ジョーカーは歯を食いしばり、震える膝に手をあて、そのままの姿勢でしばらく固まる。
[ありがとうございます!]
いつの間にか全身の至る所にモグサがつき、そこから煙を発し始めていたジョーカーは、約束どおり村中に聞こえる大音量で、感謝の言葉を叫び始めたのだった。
しばらく後。
「お疲れ様でした。体の方はどんな感じですか?」
息も絶え絶えと言った様子のジョーカーに対し、ノエルが心配そうに声をかける。
その周囲では村の人々が、一定のタイミングで響いてくるジョーカーの感謝のリズムに乗りながら雑草を刈ったり、家の修繕作業などにとりかかっていたのだが、彼らは一瞬手を止めてジョーカーの方を少し向くと、再び作業に戻っていった。
[……最悪だ。魔族にとって正や陽の感情は、耐え難い苦痛となるのだからな]
「でしたね。アルノー、エミリアン、ちょっとこちらに来ていただけますか?」
[だからこの村に貴様等が戻ってきた時点で……何だ?]
ノエルに呼ばれたアルノーとエミリアンは、何かあったのかと不思議そうな顔をして駆け寄ってくる。
「貴方たち、偶然とは言ってましたがバヤールさんの沐浴を覗いたんですよね」
次の瞬間二人は血の気を失い、否定や抗議をする力すら消え失せたのか無言でノエルの前に膝を屈した。
[うむ、何と言う絶望感……極限まで追い詰められた肉体と精神の苦痛が極上のハーモニーを奏で、頭の中を陶酔感が包んでいく]
「それは良かったです。では体力が回復したのであれば出立していただけますか? そこに貴方が居座っていると、草刈や畑をおこすのに邪魔ですから。近くに人が来る度に起きて移動するのも面倒でしょう」
[癪だがそうしよう。お前たちが戻ってきた以上、この地の雰囲気は私に合わぬ物となっているからな。それにしても――]
ジョーカーは顎に手を当て、少しの間考え込む。
[負の感情で私を回復させるのなら、お前が私に今までの恨みつらみを言えば良かっただけではないか?]
不思議そうに問いかけてくるジョーカーに、ノエルはとびきりの笑顔を向ける。
「それでも良かったんでしょうけど、貴方には感謝もしてますから」
[……そうか]
その笑顔に再びダメージを受けるジョーカー。
「はい。確かに貴方はテオドール様の心に入り込み、操り、名誉を損じたばかりか、その失われた名誉が回復できるとして私を騙し、人々と争わせました。ですが貴方の術によって餓死寸前だった村人は生き延び、貴方がここに導いたお陰で私たちは人間に戻り、元通りの生活に戻るきっかけとなったことも事実なんです」
ジョーカーは自分の目をまっすぐに見つめてくるノエルの瞳を見て、一つの考えを頭によぎらせる。
(穀物の貸し出し書類の紛失や、こいつの父を殺したのが私と言うことをこの場で打ち明ければ相当な量の負の感情が手に入る、か……)
二十年前。
この村の人々を見たジョーカーは一つの計画を思いつき、実行する。
その計画は彼の思った以上の事象を巻き込みながら転がり落ち、巨大に膨れ上がった岩は予想以上に大きくなってある一つの堤に当たり、ヒビを入れた。
その意味では、先ほどの村人たちに対する彼の感謝の言葉も、的外れと言う訳ではなかったのだ。
そして彼は、頭の中を一瞬よぎった考えを実行する。
[ノエル、礼をやろう。そうだな……]
礼と言う言葉に目を丸くするノエルをよそに、ジョーカーは村のはずれを指し示す。
[あの一角に私が作物を植えておく。収穫時期までは私の魔術で面倒を見るから、お前たちは何もしなくてよい。確かテオドールの所に居た時に文字の読み書きは覚えたはずだな? 栽培方法と調理法はおって文書にして送ることとしよう]
ジョーカーは黄金のプレートを浮き上がらせ、浮き上がった文字を読み取った後に、戸惑うノエルに別れを告げた。
[気に入らなければ捨てればよい。食するのが恐ろしければ、そのままに放置しておけば野山の獣が片付けてくれよう。植物の名はトウモロコシ。このアルメトラ大陸にはまだ伝わっていない、新大陸の作物だ]
そしてジョーカーは去っていった。
(だからあの村は手に負えぬのだ……近くに居るだけで魔族は身を削がれ、心が枯れていく。まったく忌々しい)
走るジョーカーの耳に、後方から二人の騎士がノエルへ抗議する声が入ってくる。
その内容にジョーカーは少しだけ笑みを浮かべ、そして自分自身の陽の感情にダメージを受けて転倒した。
――そしてアルストリア城への凱旋を果たしていたアルバトールは――
「アルバトール殿、先に私はジェラールとカロンに報告をしてくるから、その間に父上を呼んできてくれぬか?」
「それは構いませんが……ジルダ殿、実子の貴女ではなく、私でよろしいのですか?」
「むしろ貴殿が最も適当なのだ」
「……わかりました」
(むしろって何なんだ)
判らぬことを判った体で返事をし、ガスパールが居ると聞かされたバルコニーへ長い廊下を歩いてアルバトールが向かうと。
「にゃー」
ニャー
「フッフフ、可愛い奴だまったく。にゃー」
そこにはガスパールらしき人影が猫の前足を両手で捕まえ、戯れている姿があった。
「にゃー」
ニャー
「……」
アルバトールはそこに頑強な障壁の存在を感じ取り、一歩も進めなくなってしまう。
「……ガスパール伯、ジルダ殿がお呼びになっております」
だが留まっているだけでは事態が好転しないと気づいた彼は精神を集中させ、思い切った一歩を踏み出してガスパールを呼ぶ。
「うむご苦労」
即座に慌てて猫を後ろ手に隠すガスパールと、周囲に更なる刺客がいるのではないかと見渡し始める頭上のウィッグを見たアルバトールは、自分がガスパールを呼んで来る役に任命された訳を思い知ったのだった。