二人はお互いを認めて意識する
この小説は「私」と「彼女」と「私の父」しか登場することは無いと思います。
この小説は脳科学を利用する社会をテーマに今現在でも出来る可能性のある事を中心に書いていくつもりです。
もし出来ないという場面がありましたらご意見よろしくお願いします。
彼女と初めて面識を持ったのは、市内の総合病院だった。同じ高校に通っているというのと、その端麗な容姿と優秀な成績から先生たちはもちろん、生徒たちからも一目おかれている彼女の事を私は一方的に知っていた。
私がこの病院にきたのは熱中症で倒れた祖母のお見舞いに着た行きのこと。廊下の奥のドアが開き、車椅子にのった彼女が無数のコードを頭からたらして出てきたのが見えた。
見られてしまって後悔したのは私のほうだった。
そんなことを思うのはきっと疚しいことをやっている方が感じることなのだと一般的には思う。別に私はごく普通の高校生だし、普通の家族、普通の成績、普通のレベルの要姿。(高校から直接きているので紺の制服のままだから無個性は最高レベルだ)
そんな普通の生き物である私が、ただ人を見てだけなら「後悔」なんて出来るはずは無いと思う。これが親にお酒やタバコをやっている場面を見られたとかなら「こんな普通の私」でも後悔するだろうが、今のところそういったことをやる度胸はない。
だからこそ、こんな私だからこのときばかりは「後悔」てしまったのだろうと後になって思った。
つまりこの瞬間、彼女が廊下の奥の部屋から私の父が押す車椅子に乗り、無数のコードを頭に付けた姿で二人と目が合ったこの瞬間、私は逃げ出した。
祖母のお見舞いも忘れて一目散に病院から出て、自転車に跨り、一気に坂を下っていった。
気持ちが悪かった。一言で言ってしまえばそれまでだけれども、なぜこんな行動に出たのか。それはただ私の父親が関係していた。
私の父は脳科学者として大学で教鞭をとっている。そして研究の課題として人の学習のメカニズムをテーマとしている。さらに詳しく言うなら、脳波形を使って個々人の学習の法則を見つけ出してより学習しやすい方法を示すことは出来ないかを研究している。
その為には動物実験では限界があるので実験に協力してもらえる人間は必要となる。
そういったことを踏まえると、状況的に彼女は父の研究の協力者で、私の父のモルモットだったということなのだろう。そして全国でも優秀な成績を出している彼女は、父の研究における優秀なサンプルであり、優秀な教え子でもあるということ。 私は坂も下り終わり、昇りに差し掛かる前に一度呼吸を落ち着けようと自転車をこいでいる足を止めた。頭がこんがらがってしまって仕方が無い。足も息も脳も、全てがハイギアで回りすぎて熱暴走から形状が変化して変な挙動をしだしてきている。
簡潔に、体を動かすことが出来ないのなら、せめて頭の中だけでも簡潔にしよう。
彼女が科学の力で強化した知識を持っていることに私は驚きと恐怖をもってしまい逃げたした。そうしてそう感じてしまったことに後悔し、
彼女と私の父に私の存在を気付かせてしまったことに一番後悔した。
この作品は自分としては怖いです。でもこれからの社会からしてみたら必要かもしれません。
勉強が出来ないよりも、出来るほうが良いに決まっています。
天才や秀才になれないよりも、なれたる方が良いに決まっています。
でも人間をやめることは人には出来ません。自分はそうであってほしいと願います。
しかし社会は進歩して行こうと思ってしまう。仕方が無いことなんだと思います。何より、より豊かな生活をほしいと思うのは人として仕方が無いことです。
サイボーグの体を手に入れて永遠の命をほしいと思う人だって居ると思います。
宇宙に人間が生活圏を移住するような社会が着てほしいと願う人は居ると思います。
時間旅行が出来るような乗り物に乗って、過去の自分に会いたいと思う人も居ると思います。
私はそんな社会は怖いと思います。
願わくば私は人のまま人間として生きることが出来る社会が残ってほしいと思います。
長く、意味不明な言葉の羅列になってしまっていると思いますが、今の気持ちをとりあえず文章として書いてしまい申し訳ありません。
これからちょくちょく更新していけたらと思いますのでよろしくお願いします。