第1話 星祈ミウは、私の祈りだ
「え、ちょ、うそ、待って……やだっ、そっちから来るの!?」
画面の中で、白銀の髪を揺らした少女が小さく肩を跳ねさせる。
青紫の瞳を見開き、胸元に寄せた両手がLive2Dの光の中できらめいた。
ホラーゲームの追跡演出に、配信画面のコメント欄が一気に加速する。
『悲鳴たすかる』
『今のかわいすぎか???』
『ミウちゃん逃げてえええ!』
『耳が幸せになるタイプのビビり声助かる』
『その顔は反則』
「ち、違……っ、これは普通にびっくりするでしょぉ……!」
少しだけ唇を尖らせて、上目遣いにカメラを睨む。
怒っているのではない。ほんのちょっぴり拗ねてみせる、計算された小悪魔のあざとさ。
『拗ね顔かわいいいいい』
『はい可愛い』
『今日の拗ね助かる』
『ごちそうさまです』
よし、手応えあり。
声の上ずり方は悪くなかった。裏声への移行も滑らかで、語尾も0.2秒ほど甘く残して切った。わざとらしさの手前、一番リスナーが悶絶する境界線に着地できている。
私は小さく息を整え、ほっと胸を撫で下ろすように可憐に微笑んだ。
「もー……じゃあ、今日はここまでにしよっか。これ以上やると、ミウの寿命が縮んじゃうので」
『草』
『寿命あるんだw』
『もっと見たいけど助かる』
『今日も最高の配信だった!』
『おつミウ!』
「ふふっ、来てくれてありがと。……また次の配信でも、ちゃんと会いに来てね? 約束だよ」
小首をかしげ、画面越しに瞳を覗き込むようにして、最後にそっと手を振る。
角度は斜め十五度。声の甘さは蜂蜜をティースプーン半分。すべて、何十時間も手鏡と録音で叩き込んだ理想の運用だ。
「それじゃあ、おやすみなさい。おつミウ~」
配信終了ボタンをクリックする。
静かなクリック音が響き、ブロードキャストが途切れた。
ふっと、自室に静寂が戻る。
モニターの中では、配信ソフト上の星祈ミウがまだ微笑んでいる。
けれどマイクを切った瞬間、張り巡らせていた緊張が、息とともに抜けていった。
「ふぅ……」
椅子の背もたれに体重を預け、息を吐く。
だらける暇はない。すぐさま手帳と細縁メガネを取り出し、手鏡を立てた。
ここからが、本日のメインイベントだ。
「さて……点検といきますか」
今しがた終わったアーカイブを読み込み、再生速度を0.75倍速に設定する。
大型ヘッドホンを深く当て、少し遅いテンポで聴き直す。こうすることでピッチのズレや息遣いの荒さが浮き彫りになる。
「……うん。序盤の雑談は合格。ホラゲ中のリアクションも、三回目の悲鳴までは周波数が綺麗にまとまってる。耳障りな絶叫じゃなくて、“可憐な女の子が驚いている”の枠に収まってる。よし」
だが、問題は中盤以降だ。
シークバーを四十二分地点に合わせる。
「……ほら、ここ」
画面の中でミウが笑っている。一見すると可愛らしい笑顔だ。
けれど私の耳は、決定的な違和感を逃さなかった。
「笑い声のピッチが、0.5音落ちてる」
喉の支えが緩んだせいで、声の芯が太くなっている。あれでは“守ってあげたくなる小悪魔ふわふわ天使”ではない。居酒屋で枝豆をつつきながら相槌を打つ、気の抜けた三十代のリアクションだ。
「……って、おっさん臭い比喩! 脳内議事録から即刻抹消」
私は手帳に赤ペンを走らせる。
『42:15 笑い声のピッチ低下。腹筋の支えを意識すること。マイナス5点』
妥協は許されない。
理想の自分は、偶然なんかじゃ手に入らないのだから。
ペンを置き、私はふと手鏡を覗き込んだ。
鏡の向こうにいるのは、黒髪セミロングの華奢な女子高生――雨宮澪だ。
すっぴんだというのに肌は白く、瞳には透明感がある。前世の私が見たら拝んでいただろう。
前世の私は、冴えない中年男だった。
安物のスーツを着て、終電の窓ガラスに映るくたびれた顔を見ては、虚しさに胸を締め付けられていた男だ。
深くなるシワ、後退する生え際、加齢臭と肩こり。
ただ――どうしても、可愛い女の子になりたかった。
心の底に沈殿していた、誰にも言えない憧憬だった。
だから雨宮澪として生まれ直した日、鏡の中の美少女を見た時の衝撃は今でも覚えている。世界のバグだと思った。奇跡なんて言葉では足りない。
今の私は、誰が見ても可愛い女子高生だ。
けれど――それだけでは満たされなかった。
雨宮澪という肉体は、偶然与えられただけの借り物にすぎない。
朝起きたら浮腫むこともあるし、油断すれば前世の亡霊のようにガサツな仕草が出そうになる。生身の人間である以上、不純物とノイズが混ざってしまうのだ。
私は、もっと澄み切った“理想”を選び取りたかった。
どんな声でささやき、どんな瞳で見つめ、どんな仕草で誰かを惹きつけるのか。そのすべてを一ミリ単位で設計し、自らの手で実装したかった。
だからこそ――VTuberは、最高の舞台だった。
画面の向こうなら、生身のノイズを脱ぎ捨てられる。
過去の履歴書も不完全さも削ぎ落とし、「こう生きたい」という純粋な祈りだけを差し出せる。
アバターは仮面じゃない。私という存在の本質を抽出した、魂の結晶そのものなのだ。
「星祈ミウは、私の祈りだ」
机の上の液晶タブレットに視線を移す。
開かれているのは、神絵師・花守しずく先生から届いたばかりの待機画面用イラストだ。
光の加減で水色や薄紫に透ける銀髪の繊細な毛束。
夜空と薄明の狭間を閉じ込めたような、星を宿す青紫の瞳。
白を基調としたワンピースのレースの一筋に至るまで、息を呑むほどの神聖さと可憐さが宿っている。
「……はぁ。やっぱりママは天才だ。全人類がひれ伏すべきご神体だよ……」
私が言葉にできなかった理想を、しずく先生は見事に掬い上げてくれた。
儚いだけじゃない、自分の可愛さを知っていて見る者を虜にする星の少女。
この完璧な器を与えてくれたママの筆を、私の中途半端な運用で汚すわけにはいかない。
ピロン、と卓上のスマートフォンが短く震えた。
画面を見ると、Discordの通知が表示されていた。
送信者は――花守しずく先生。
『配信お疲れさま。今日もミウちゃん、すごくかわいかったよ』
たった一行。
けれどその文面を目にした瞬間、私の心臓が跳ね上がった。
「~~~~っ!」
声にならない叫びが漏れ、私は両手で顔を覆って身悶えた。
だめだ、尊さで胸が焼き切れそうだ。
しかも先生は、“澪ちゃん”ではなく“ミウちゃん”と書いてくれている。
私が画面越しに必死に咲かせた理想の少女を、真正面から受け止め、肯定してくれているのだ。
「ふーっ……ふーっ……落ち着け私。深呼吸だ」
天井を見上げ、何度も息を整える。
緩みきった頬を手でペチペチと叩き、平常心を取り戻した。
けれど、浮かれて終わるわけにはいかない。
手帳を開き、今日の改善点を丁寧に清書した。
- 終盤の笑い声、ピッチ0.5音低下(腹筋の支えを意識)
- ホラゲの悲鳴周波数、良好。次回の別ゲームでも継続
- 拗ね顔の角度、十五度を厳守。完璧な小悪魔感を維持
- 締めの「また来てね」の余韻、継続
ペンを置き、画面の中の星祈ミウをもう一度見つめる。
雨宮澪に生まれ直せたことは、人生最大の幸運だった。
けれど星祈ミウとしてここに立っていることは、運なんかじゃない。
私が欲しがり、選び、努力で磨き上げてきた、まぎれもない私の生きた証だ。
「明日はもっと、理想の私に近づける」
手鏡の中の自分に向かって、静かに微笑みかける。
明日もまた、理想の私で笑うために。
私は次の配信スケジュールのカレンダーを開いた。
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ここまでお読みいただきありがとうございます。
星祈ミウのチャンネル設定です。
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◆◇◆ 星祈ミウ Channel / 配信概要 ◆◇◆
「こんばんは、夜に会いに来る星——星祈ミウです!」
【配信時間】21:00〜23:00(夜帯メイン)
【主なコンテンツ】
・雑談 / ほのぼのゲーム実況(癒やしトーク)
・ホラーゲーム実況(※可愛い悲鳴つき)
・各種企画(不定期)
・歌(※現在、裏で猛練習中!)
【各種タグ&ファンネーム】
・ファンネーム:星見守
・配信タグ :#ミウ流星群
・ファンアート:#ミウの星描
・切り抜き :#きらめきミウクリップ
【お決まりの挨拶】
・開始:「こんミウ〜。星祈ミウです」「こんばんは、会いに来てくれてありがとう」
・終了:「今日も来てくれてありがとう。おつミウ〜」「いい子で待っててくれたらうれしいな」
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