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世界征服をやめたい魔王が、結婚相談所へやって来ました

作者: 石崎さかな
掲載日:2026/08/21

 王都結婚相談所《青い鳥》には、どんな方でもご相談いただけます。


 初婚、再婚、年の差、身分差、種族差。


 秘密厳守。成婚後の生活相談も承ります。


 ただし、世界を滅ぼしかねない方は、事前にその旨を申告してください。


 これは後日、主任相談員セレナ・ウェルナーが利用規約へ書き足した一文である。


 その日、相談所の扉が開いた瞬間、待合室にいた客は全員逃げた。


 窓から逃げようとした子爵令息がカーテンに絡まり、椅子の下に隠れた伯爵令嬢が椅子ごと運び出され、受付係のマルタは悲鳴を上げる代わりに気絶した。


 扉の向こうに立っていたのは、一目で人間ではないと分かる男だった。


 頭には二本の黒い角。長い黒髪。金色の瞳。仕立てのよい黒衣の上には、夜そのものを織ったような外套。


 何より、その頭上に浮かぶ王冠から、床板が軋むほどの魔力が放たれている。


 セレナは逃げ遅れた。


 正確には、受付台の金庫を閉め、顧客名簿を鍵付きの引き出しへ入れ、気絶したマルタを足で机の下へ押し込んでいたため、逃げる時間を失った。


 男は受付台の前まで来た。


「ここは、婚姻を望む者へ相手を紹介する場所で間違いないか」


「はい。王都結婚相談所《青い鳥》でございます」


「では、私に婚約者を紹介してほしい」


 セレナは受付台の下にある警報紐へ手を伸ばした。


 魔王が片手を上げる。


「待て。今日は世界を滅ぼしに来たのではない」


「今日は」


「言葉の綾だ」


「ご予約はされていますか?」


 金色の目が、わずかに見開かれた。


「魔王に予約が必要なのか」


「ほかのお客様にもお待ちいただいておりますので」


 セレナが受付票を差し出すと、魔王は空になった待合室を振り返った。


「待っている者は一人もいないようだが」


「皆様、急用を思い出されたようです」


 窓の外を、先ほどの子爵令息が全力で走り抜けていった。


「そうか」


 魔王は納得し、番号札を取った。


「四十二番か」


「お呼びしますので、お掛けになってお待ちください」


 魔王が長椅子へ座る。


 重圧で長椅子が沈んだ。


 セレナは番号表示を確認した。現在の受付番号は四十一番。四十一番の伯爵令嬢は椅子ごと運び出されたので、待ち時間はない。


「四十二番のお客様」


「私だ」


「面談室へどうぞ」


 魔王は立ち上がった。


「早かったな。この相談所は仕事が速い」


「恐縮です」


 褒められている気はしなかった。


     ◇


 魔王の名はヴァルハルト。


 八百七十二歳。男性。初婚。


 職業欄には「魔王」と書いた。


 年収欄で手が止まった。


「魔族領全土の税収でよいか」


「個人で自由に使える範囲をお願いいたします」


「では、北方金山三つと竜の国からの朝貢品、それに人間界から奪った」


「犯罪収益は除外してください」


「分かった。では北方金山三つだ」


 セレナは年収欄へ「十分」と書いた。


「休日の過ごし方は?」


「国境線の確認。陳情書の処理。処刑命令の却下。庭の薬草の世話」


「休日とは」


「政務が半日で終わる日のことだろう」


「違います」


「そうなのか」


 魔王ヴァルハルトは、王都へ攻め入れば一夜で王城を落とせる存在である。


 しかし婚活面談票を前にすると、叱られた大型犬のようにおとなしかった。


「結婚相手へ希望される条件をお聞きします。まず容姿は?」


「健康であればよい」


「年齢は?」


「私より年下」


「ほぼすべての女性が対象になりますね」


「そうなる」


「種族は?」


「問わない」


「性格は?」


「私を恐れず、嘘をつかず、必要なら私に反対できる者」


 セレナのペンが止まった。


「従順な方ではなく?」


「従順では困る」


「なぜです?」


「世界征服を許可されてしまう」


 面談室の外で、何かが倒れる音がした。


 おそらく意識を取り戻して盗み聞きしていたマルタが、もう一度気絶したのだろう。


「恐れ入りますが、最初からご説明いただけますか」


 ヴァルハルトは王冠へ触れた。


「これは初代魔王から継承された王権具だ。魔族領を拡大し、人間界への侵攻を続けるよう、歴代魔王へ命じる」


「外せないのですか?」


「入浴時にもついてくる」


「寝るときも?」


「枕へ角と王冠の分の穴を空けている」


「大変ですね」


「分かってくれるか」


 魔王の顔に、この日初めて人間らしい疲労が浮かんだ。


「侵攻を長く止めると、王冠が私の理性を奪う。最近は朝起きるたびに『人間の王都を焼け』と命じられる」


「こちらの王都を?」


「ああ」


「朝から迷惑ですね」


「私もそう思う」


「では、なぜ結婚を?」


「魔王が正式な伴侶を得た場合、王権は二人で共有される。大規模な命令には伴侶の承認が必要となる」


 セレナは理解した。


「つまり、陛下が世界征服を命じるたび、奥様に却下してほしいと」


「そうだ」


「ずいぶん変わった結婚目的ですね」


「代理に探させたところ、三十六人の生贄が送られてきた」


「それは紹介ではありません」


「私もそう思う。全員、帰した」


「帰れました?」


「転移門で各実家へ送った。ただし三人ほど、実家へ戻りたくないと言うので城で雇った」


「職種は?」


「一人は会計官、一人は料理人、一人は近衛兵だ」


 三人とも生贄より大幅な待遇改善である。


「事情は分かりました。ただし、誰でもよいというお考えでしたら、結婚はおすすめできません」


「時間がない」


「時間がなくてもです。相手は王冠を止めるための道具ではありません」


 魔王の王冠が不穏に赤く光った。


《人間による侮辱を確認。王都への威嚇攻撃を提案》


 低い声が面談室へ響いた。


 セレナは王冠を見上げる。


「却下します」


《提案を棄却》


 赤い光が消えた。


 二人はしばらく王冠を見つめた。


「今、あなたの命令を聞かなかったか?」


「偶然でしょう」


「王冠は私の命令さえ時々無視する」


「日頃の信頼関係に問題があるのでは?」


「王冠との信頼関係を改善した方がよいのか」


「結婚相手を探す前に、そちらも検討事項へ入れておきます」


 セレナは面談票へ書き足した。


 希望条件。


 一、魔王を恐れない。


 二、嘘をつかない。


 三、世界征服へ反対できる。


 四、王冠の支配へ抵抗できる魔力を持つ。


 五、魔族領で長く生きられる。


 六、王冠と魔王の仲裁ができる。


 最後の条件を満たす女性がいるかは、かなり怪しかった。


     ◇


 最初の候補者は、女騎士アデリナだった。


 王国最強の剣士の一人で、魔王討伐隊の副隊長。魔王を恐れないどころか、彼を倒す日のために毎朝剣を振っている。


 紹介状を読んだアデリナは即答した。


「面白い。会おう」


 面談当日、彼女は愛剣を机へ置いた。


「結婚前に一つ確認したい」


「何だ」


「私が貴殿を倒した場合、魔王位は私のものになるのか?」


「正式な決闘であれば継承可能だ」


「では、結婚するより倒した方が早い」


 アデリナが剣の柄へ手を置いた。


 ヴァルハルトも姿勢を正す。


「場所を変えるか」


「表へ出ろ」


「お待ちください」


 セレナは二人の間へ面談票を立てた。


「本日は決闘の仲介ではなく、お見合いです」


 アデリナが不満そうに手を離す。


「では、質問を変えよう。結婚後も毎日決闘はできるか?」


「政務に支障がない範囲なら」


「週五日」


「多い」


「なら週四日」


「人間界への侵攻を止めるという目的を忘れていませんか?」


 セレナが確認すると、アデリナは胸を張った。


「私は和平を望んでいない。魔王にはもっと本気で攻めてきてほしい。最近の魔王軍は国境で隊列を組み、夕方になると帰る。遠足ではないか」


「兵士にも夕食の時間がある」


「戦場で食べろ」


「温かいものを食べさせたい」


 ヴァルハルトが初めて少し引いていた。


 面談後、アデリナは肩を落とした。


「残念だ。顔は好みだった」


「私も、あなたの剣筋には興味がある」


「では今度、結婚抜きで戦おう」


「承知した」


 交際は不成立だったが、決闘の約束だけは成立した。


 セレナは面談記録へ書いた。


 不成立理由。余暇の過ごし方が合わない。


     ◇


 二人目は、聖女エレシア。


 慈悲深く、長命の祝福を受け、魔族との和平を説いている。王冠の魔力へも対抗できるため、条件上は最有力だった。


 エレシアはヴァルハルトの手を取り、優しく微笑んだ。


「あなたの心にある闇も、私がすべて受け入れます」


「闇はあるが、受け入れるより除去方法を調べてほしい」


「まあ。強がらなくてもよいのですよ」


「強がってはいない。王冠の呪いは首の後ろから根を張っている。切除できるなら頼みたい」


 聖女の慈愛に満ちた笑顔が少し引きつった。


「結婚後は魔族領を離れ、教会で静かに暮らしましょう。魔王という重荷を捨て、ただの一人の男性として」


「それはできない」


「なぜです? あなた自身が苦しんでいるのに」


「私が王冠を捨てれば、次の魔王へ移るだけだ。領民と、次に選ばれる者を置いて逃げることになる」


 ヴァルハルトの返答に迷いはなかった。


「私は魔王位に固執しているのではない。責任を途中で捨てたくない」


 エレシアはしばらく考えた後、静かに手を離した。


「申し訳ありません。私はあなたを救うことばかり考え、あなたが何を守っているかを見ていませんでした」


「私も、あなたへ救いを求めるつもりで面談へ来た。互いに似たようなものだ」


 二人は穏やかに頭を下げ合った。


 面談後、エレシアはセレナへ言った。


「魔王陛下に必要なのは、救って差し上げる方ではありませんね」


「はい」


「隣で一緒に働き、間違えたら遠慮なく書類を突き返すような方です」


 セレナの脳裏に、一人の姿が浮かんだ。


 すぐに追い払った。


 自分は相談員であり、候補者ではない。


     ◇


 三人目は、魔族の名門令嬢ラヴィニア。


 千二百歳。長命。魔力も高く、魔族領の政治にも詳しい。


 彼女は面談室へ入るなり、床へ膝をついた。


「陛下のお望みを、すべて肯定いたします」


 ヴァルハルトの眉がわずかに動いた。


「立ってくれ。面談では対等だ」


「陛下と対等など、畏れ多いことでございます」


 セレナは面談票を確認した。


「ラヴィニア様。もし陛下が人間界への全面侵攻を命じた場合、どうなさいますか?」


「もちろん全軍をもってお応えします」


「王都を焼くとおっしゃっても?」


「より美しく燃える術式をご提案いたします」


 頭上の王冠が明るく輝いた。


《当該候補者を推奨》


「却下だ」


《再検討を要求》


「却下する」


《相性評価九十八。極めて良好》


「どこがだ」


《命令受諾率百パーセント》


「それが困ると言っている」


 魔王と王冠が口論を始めた。


 ラヴィニアは困惑している。


「陛下。妃とは、魔王様へ従う者ではございませんか?」


「私が間違ったとき、止める者だ」


「陛下は間違えません」


「今朝、左右の靴を逆に履いた」


「それでも陛下が履けば、そちらが正しい左右となります」


「ならない」


 セレナは静かに面談終了の判を押した。


 不成立理由。希望する夫婦関係が一致しない。


 ラヴィニアは落ち込んだが、帰り際、受付係のマルタと意気投合した。


 マルタも上司へ従順に仕えることを美徳としている。ただしセレナが間違えれば普通に指摘する。


「その程度ならできます」とラヴィニアは言った。


 後日、彼女は魔王城の秘書官へ応募することになった。


 婚約者は決まらなかったが、人材紹介だけは成功した。


     ◇


 ヴァルハルトは面談のたびに手土産を持ってきた。


 一度目は、炎を吐く花。


 相談所のカーテンを燃やした。


 二度目は、触ると叫ぶ宝石。


 受付の防犯用品になった。


 三度目は、魔族領で採れた巨大な果物。


 切るために騎士団を呼んだ。


「次からは普通の焼き菓子にしてください」


 セレナが頼むと、四度目にヴァルハルトは黒い塊を持ってきた。


「何でしょう」


「焼き菓子だ」


「炭ではなく?」


「三日練習した」


 セレナは覚悟を決めて一つ口に入れた。


 見た目に反して、香ばしく、蜂蜜の甘さも上品だった。


「おいしいです」


「本当か」


「相談員は、成婚に不利益な嘘を申しません」


 ヴァルハルトの口元が、ほんの少し緩んだ。


 王冠が青く光る。


《心拍数の上昇を確認》


「報告するな」


《体温上昇も確認》


「黙れ」


 セレナは笑ってしまった。


「陛下にも、そのようなお顔ができるのですね」


「どのような顔だ」


「婚活中の普通の男性の顔です」


 王冠が再び青く光った。


《心拍数、さらに上昇》


「王冠を袋へ入れてもよいか」


「入浴時にも外れないのでしょう?」


「試す価値はある」


 その日から、魔王は相談所へ来るたびに焼き菓子を持参した。


 少しずつ見た目も改善した。


 一番喜んだのは、毎回試食係に指名されるマルタだった。


     ◇


 三人目の面談から二日後、ヴァルハルトは退会届を持ってきた。


「婚約者探しを終了する」


「理由を伺います」


「該当者はいない」


「まだ三名としかお会いしていません」


「時間切れだ」


 セレナは退会届を机へ置いた。


「どういう意味ですか?」


 ヴァルハルトは王冠を見上げた。


 そこには今までなかった赤い亀裂が走っている。


「あと七日で、王冠が私の理性を完全に奪う」


 面談室が静まり返った。


「初回面談で、なぜおっしゃらなかったのです?」


「期限を伝えれば、候補者へ結婚を強要することになる」


「だからといって、重要事項を隠してよい理由にはなりません」


「候補がいなければ、王冠ごと私を討伐させる」


 セレナは退会届を二つに破った。


 魔王が目を見開く。


「勝手に相談を終了しないでください」


「しかし」


「あなたは嘘をつかない方をご希望でしたね」


「ああ」


「ご自分は、相手の判断に必要な情報を隠したのですか?」


「嘘はついていない」


「言っていないだけ、は結婚相談で最も揉める言い訳の一つです」


「そうなのか」


「そうです。借金、持病、同居家族、世界征服の期限。すべて初回面談で申告してください」


「世界征服は一般的な申告項目なのか」


「本日から追加します」


 ヴァルハルトはしばらく黙った後、深く頭を下げた。


「すまなかった」


 魔王が、人間の相談員へ頭を下げる。


 窓の外で監視していた騎士たちが一斉にどよめいた。


「今後は、あなたの判断に必要なことを隠さない」


「私ではなく、将来の婚約者へお約束ください」


「ああ」


 なぜか、少しだけ残念そうな顔をした。


「退会は受理しません。条件を見直します」


「だが、候補者が」


「見つけるのが私の仕事です」


 セレナは条件表を最初から開いた。


     ◇


「主任なら、全部満たしていますけどね」


 閉店後、条件表をのぞいたマルタが言った。


「何を言っているの」


「魔王陛下を恐れない。嘘をつかない。世界征服へ反対できる。魔族と人間を公平に扱える。政務も手伝えそう。陛下を叱れる」


「私は相談員です」


「職業で結婚資格は消えません」


「魔族領では暮らせないわ」


「当相談所の創設者は、異種族間の婚姻契約を仲介した《仲人》ですよね。正式な契約を結べば、寿命と環境適性が相手に近づく祝福を受けられるはずです」


「王冠へ抵抗する魔力がない」


「初日に『却下します』の一言で止めましたよね」


「偶然よ」


「昨日も止めました」


 昨日、ヴァルハルトが焼き菓子を焦がし、王冠が腹いせに隣国への侵攻を提案した。


 セレナが却下すると、やはり王冠は素直に引っ込んだ。


「王冠は、主任を伴侶候補として認識しているんじゃないですか?」


「そんなはずは」


「では確認しましょう」


 マルタが条件表の余白へ書く。


《庭の薬草を勝手に抜かない》


「主任、薬草と雑草の区別は?」


「つくわ」


「完全一致です」


 セレナは条件表を奪い返した。


「条件が合うことと、結婚したいことは別です」


「では、陛下とは結婚したくないのですか?」


 すぐには答えられなかった。


 番号札を取って順番を待った魔王。


 候補者を尊重し、不成立になっても恨まなかった魔王。


 王位を捨てて逃げず、領民と次代の魔王を守ろうとする男。


 普通の焼き菓子を求められ、三日練習して炭のような菓子を作った人。


 自分の過ちを認め、人間の相談員へ頭を下げた王。


 セレナは条件表を閉じた。


「分からないわ」


「なら、面談が必要ですね」


 マルタは主任相談員と同じ口調で言った。


     ◇


 翌日、セレナはヴァルハルトへ告げた。


「新しい候補者が一名見つかりました」


「その者は私との結婚を望んでいるのか」


 即座に返された質問に、セレナは言葉を詰まらせた。


「条件は満たしています」


「条件ではなく、意思を聞いている」


「それは」


「望んでいない相手を候補にはできない。あなたが最初に私へ教えたことだ」


 魔王は立ち上がった。


「その者には、期限のことも含めてすべて伝えてくれ。そのうえで断られたなら、私は受け入れる」


「お待ちください」


「何だ」


 セレナは相談員として使ってきた言葉を、一つずつ捨てた。


 相性。条件。成婚率。生活設計。


 どれも大切だが、今聞かれている答えではない。


「その候補者は、あなたともう少し話したいと思っています」


 ヴァルハルトは黙って待った。


「仕事ではない場所で、一度食事へ誘ってほしいとも」


 金色の目がわずかに見開かれる。


「候補者は、あなたなのか」


「はい」


 王冠が青く点滅した。


《心拍数の急上昇を確認》


「黙れ」


《候補者側にも上昇を確認》


「王冠」


 今度はセレナが低い声を出した。


《沈黙します》


 王冠が消灯した。


 ヴァルハルトはゆっくり立ち上がる。


「セレナ・ウェルナー。今夜、私と食事をしてほしい」


「承知しました」


「仕事ではなく」


「はい」


「費用は私が」


「初回は割り勘を推奨しています」


「金山を半分に割ればよいか」


「通貨でお願いします」


     ◇


 正式な交際申し込みには、別の相談員による面談が必要だった。


 利益相反を避けるためである。


 担当にはマルタが名乗りを上げた。


「では、ヴァルハルト様。セレナ様のどのようなところに魅力を感じましたか?」


「私を恐れず、必要なことを明確に言う。候補者を駒として扱わない。私の領民へも配慮する。菓子を食べたとき、うまいと言って笑った」


「最後だけ急に個人的ですね」


「個人的な面談だろう」


「おっしゃるとおりです」


 マルタは満足げに記録した。


「セレナ様。ヴァルハルト様の容姿について、どう思われますか?」


「威圧感はありますが、整っていると思います」


「もっと簡潔に」


「好みです」


 ヴァルハルトの角が、先端から赤くなった。


 王冠が青く光りかける。


「報告したら窓から投げる」


《沈黙を維持》


「結婚後、世界征服を希望されますか?」


「希望しない」


「王冠に命じられた場合は?」


 ヴァルハルトはセレナを見る。


「彼女に止めてもらう」


「セレナ様、止められますか?」


「必ず却下します」


「では、交際成立です」


 マルタが大きな判を押した。


 窓の外で監視していた騎士団から、なぜか拍手が起きた。


     ◇


 交際開始から三日目。


 二人は婚姻契約を結ぶため、魔王城の最深部へ向かった。


 あと一日で王冠の侵食が完成する。


 赤い亀裂は王冠全体へ広がり、時折、ヴァルハルトの目にも同じ色が浮かんでいた。


 契約室の中央には、歴代魔王の誓約が刻まれた黒い石板がある。


 セレナとヴァルハルトが手を重ねると、王冠が声を上げた。


《婚姻候補を審査》


《人間。短命種。戦闘能力、低》


「余計なお世話です」


《魔王への服従意思、なし》


「あっては困る」


《妃として不適格》


 赤い光が二人の手を弾いた。


 ヴァルハルトの顔から血の気が引く。


「王冠。彼女は私が選んだ」


《歴代規定により却下。妃は魔王へ絶対服従する者と定義》


 セレナは黒い石板を見上げた。


 刻まれた古代文字の下に、何世代もの追記が重なっている。


「原文を確認させてください」


《部外者の閲覧を禁止》


「婚姻契約の当事者です」


《婚姻は不成立》


「不成立の理由へ異議を申し立てています」


《異議を却下》


「却下理由を提示してください」


《却下理由の提示要求を却下》


「相談所に来る面倒なお客様と同じですね」


 セレナは鞄から拡大鏡と契約確認用の青い粉を取り出した。


「何をするつもりだ」


「契約書の確認です。結婚相談員を契約文の前へ連れてきて、ただで帰れると思わないでください」


 青い粉を石板へ吹きかける。


 後世に追加された文字だけが浮かび上がった。


《妃は魔王へ絶対服従する》


《魔王の命令へ異議を唱えてはならない》


《魔王の領土拡大へ協力する》


 その下に隠れた初代の文章は、まったく違っていた。


《伴侶は魔王と王権を分かち、互いの過ちを正す》


《両者の合意なき大命は、効力を持たない》


 セレナは後付けの条項を指した。


「こちらは原契約と矛盾しています」


《歴代魔王により承認済み》


「歴代の妃候補は承認しましたか?」


《回答を拒否》


「していませんね」


《回答を拒否》


「婚姻は一方が他方へ服従する契約ではありません。共同生活と共同統治について、双方が合意する契約です」


《伝統への侮辱を確認》


「不当条項を伝統と呼ばないでください」


 王冠から赤い魔力が噴き上がった。


《人間界への全面侵攻を提案》


「却下します」


《提案を棄却》


 赤い魔力が一瞬で消えた。


 王冠が沈黙する。


 ヴァルハルトはセレナの手を取った。


「私も、後付けされた条項を承認しない」


《魔王には妃を従わせる権利が》


「望まない。私へ反対できない伴侶なら必要ない」


《王権が制限される》


「だから結婚するのだ」


《世界征服が不可能になる》


「それが目的だ」


 王冠の赤い亀裂が明滅した。


《理解不能》


「相談を継続しますか?」


 セレナが尋ねる。


《相談?》


「あなたの希望は世界征服。陛下の希望は領民を守り、侵攻を止めること。希望が一致していません。今後は共同統治者の承認が必要です」


《拒否》


「では、王冠の装着契約そのものを解除します」


《待機》


 返答が急に速くなった。


《条件変更を検討》


「五秒でお願いします」


《短すぎる》


「四」


《抗議》


「三」


《新条件を承認。伴侶を共同統治者として登録》


「最初からそうしてください」


 黒い石板から後付けの文字が剥がれ落ちた。


 新しい契約文が刻まれる。


《魔王ヴァルハルトとセレナ・ウェルナーは王権を共有し、互いの合意によって統治する》


 王冠の亀裂が消えた。


 同時に、ヴァルハルトの身体から重苦しい魔力が抜けていく。


 彼はしばらく呆然とし、それから頭上の王冠を見上げた。


「王都を焼けという声が消えた」


「よかったですね」


《代替案として、王都への観光旅行を提案》


「それなら検討します」


《共同統治者の承認を要求》


 セレナは少し考えた。


「相談所への事前予約を条件に承認します」


《条件付きで可決》


 どうやら王冠も、少しは話の分かる相手になったらしい。


     ◇


 一月後。


 ヴァルハルトは再び《青い鳥》を訪れた。


 待合室の客は、もう逃げなかった。


 受付には「魔王来店時も番号順にご案内します」と張り紙がある。


 ヴァルハルトは番号札を取り、長椅子へ座った。


「五十三番のお客様」


「私だ」


 面談室へ入ると、セレナが書類を開いた。


「本日のご相談は?」


「婚約者との面談を希望する」


「すでに成婚退会されています」


「結婚後の相談も受け付けると案内に書いてある」


「新婚生活のお悩みですか?」


「いつ食事へ誘えば迷惑にならないか相談したい」


 セレナは額を押さえた。


「それは私へ直接お尋ねください」


「では、今夜、食事へ来てほしい」


「承知しました」


 ヴァルハルトがほっとした顔をする。


 その瞬間、王冠が赤く光った。


《人間王国への侵攻を提案》


「却下します」


《提案を棄却》


「まだ言うのか」


《定期提案は王冠の義務》


「毎朝である必要はありません」


《頻度変更を提案。週一回》


「月一回」


《交渉の結果、月二回》


「却下の手間が増えるだけです」


《では月一回》


 ヴァルハルトは満足そうにうなずいた。


「やはり、あなたが最適だった」


「条件だけで選んだように言わないでください」


「条件を外しても、あなたがいい」


 面談室の外が静まり返った。


 書類を運んでいたマルタが、扉の隙間で固まっている。


 ヴァルハルトは、自分が何を言ったのか分かっていない顔をしていた。


 セレナだけが赤くなる。


「それは、相談員がいない場所でもう一度お願いします」


「分かった。今夜の食事で言う」


《候補文を百二十八件提示可能》


「王冠は黙っていてください」


《沈黙します》


 世界征服を止めるより、魔王に恋愛を教える方が、どうやら難しい仕事になりそうだった。

長編も投稿しています。

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