マイどんぶり持参で挑む、青空と絶品さぬきうどん
見渡す限りの田園風景。
抜けるような青空の下、のどかな香川県の田舎道を一人の男が歩いていた。
ビシッと決まった黒のスーツ姿。片手にはビジネスバッグを持ち、もう片方の手には――なぜかむき出しのマイどんぶりとマイ箸を、しっかりと握りしめている。
(次の商談まで、あと一時間。時間としては十分だ)
男は出張で香川県を訪れていた。
この地に来たからには、絶対に立ち寄らなければならない場所がある。
男が足を止めたのは、看板すら出ていない、どう見てもただの古い民家だった。
しかし、男は迷うことなく、その民家の裏庭へと回っていく。
「おばちゃん、一玉、冷たいので頼む」
「あいよー」
開け放たれた勝手口から声をかけると、エプロン姿の老婆が小気味よい声で返事をした。
こここそが、知る人ぞ知る超ディープな製麺所である。
男は慣れた手つきで庭先の小さな畑に向かうと、土から元気に生えている細ネギを一本、スポッと引き抜いた。
すぐそばの水道で泥を洗い落とし、用意されていたまな板と包丁を使って、トントントンッとリズミカルにネギを刻んでいく。
(この採れたて、切りたてのネギがたまらないんだ)
男がマイどんぶりを差し出すと、釜から茹で上がったばかりのうどんが、冷水でギュッと締められ、豪快に放り込まれた。
ツヤツヤと輝く、純白の極太麺。
そこに先ほど刻んだばかりの青ネギをたっぷりと乗せ、卓上に置かれていた特製のダシ醤油をサッと回しかける。
「さて、いただこう」
男は裏庭にポツンと置かれた木製のベンチに腰を下ろした。
スーツの裾が汚れることなど気にも留めない。
箸で麺を持ち上げると、ズバババーッ! と豪快にすすり込んだ。
(おおっ……ものすごい弾力だ!)
歯を激しく押し返してくるような、強烈なコシ。
噛みしめるたびに、上質な小麦の豊かな香りと甘みが口いっぱいに弾ける。
冷水で締められた麺の表面はツルツルとしていて、喉越しも抜群だ。
そこに、イリコがガツンと効いた濃厚なダシ醤油と、採れたてのネギの鮮烈な辛味が絡み合い、完璧なハーモニーを奏でている。
ズズズッ! ズルズルズルッ!
青空の下、のどかな田園風景に、男の軽快なすする音だけが響き渡る。
大の大人が、黒スーツ姿でどんぶりを抱え込み、ベンチで無心になって麺と向き合っている姿は異常だが、男にとって周囲の目など関係なかった。
「これはッ、ウマいッ!」
男は思わず声を漏らした。
あまりの美味しさに箸が止まらない。
最後の一本までチュルルッと吸い込み、どんぶりの底に残ったダシ醤油も一滴残らず飲み干した。
(最高の讃岐うどんだったな)
男はハンカチで額の汗と口元を拭うと、立ち上がった。
「おばちゃん、ごちそうさま。お勘定を」
「百五十円だよ。お仕事、がんばってな」
男は小銭を支払い、深く一礼した。
◇◆◇
胃袋は満たされ、足取りは驚くほど軽い。
男は空になったマイどんぶりを大事そうに小脇に抱え直すと、燦々と輝く太陽の下、次の商談先へと続く田舎道を歩き出した。
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