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マイどんぶり持参で挑む、青空と絶品さぬきうどん

作者: 塩野さち
掲載日:2026/06/03

 見渡す限りの田園風景。

 抜けるような青空の下、のどかな香川県の田舎道を一人の男が歩いていた。

 ビシッと決まった黒のスーツ姿。片手にはビジネスバッグを持ち、もう片方の手には――なぜかむき出しのマイどんぶりとマイ箸を、しっかりと握りしめている。


(次の商談まで、あと一時間。時間としては十分だ)


 男は出張で香川県を訪れていた。

 この地に来たからには、絶対に立ち寄らなければならない場所がある。

 男が足を止めたのは、看板すら出ていない、どう見てもただの古い民家だった。

 しかし、男は迷うことなく、その民家の裏庭へと回っていく。


「おばちゃん、一玉、冷たいので頼む」


「あいよー」


 開け放たれた勝手口から声をかけると、エプロン姿の老婆が小気味よい声で返事をした。

 こここそが、知る人ぞ知る超ディープな製麺所である。

 男は慣れた手つきで庭先の小さな畑に向かうと、土から元気に生えている細ネギを一本、スポッと引き抜いた。

 すぐそばの水道で泥を洗い落とし、用意されていたまな板と包丁を使って、トントントンッとリズミカルにネギを刻んでいく。


(この採れたて、切りたてのネギがたまらないんだ)


 男がマイどんぶりを差し出すと、釜から茹で上がったばかりのうどんが、冷水でギュッと締められ、豪快に放り込まれた。

 ツヤツヤと輝く、純白の極太麺。

 そこに先ほど刻んだばかりの青ネギをたっぷりと乗せ、卓上に置かれていた特製のダシ醤油をサッと回しかける。


「さて、いただこう」


 男は裏庭にポツンと置かれた木製のベンチに腰を下ろした。

 スーツの裾が汚れることなど気にも留めない。

 箸で麺を持ち上げると、ズバババーッ! と豪快にすすり込んだ。


(おおっ……ものすごい弾力だ!)


 歯を激しく押し返してくるような、強烈なコシ。

 噛みしめるたびに、上質な小麦の豊かな香りと甘みが口いっぱいに弾ける。

 冷水で締められた麺の表面はツルツルとしていて、喉越しも抜群だ。

 そこに、イリコがガツンと効いた濃厚なダシ醤油と、採れたてのネギの鮮烈な辛味が絡み合い、完璧なハーモニーを奏でている。


 ズズズッ! ズルズルズルッ!


 青空の下、のどかな田園風景に、男の軽快なすする音だけが響き渡る。

 大の大人が、黒スーツ姿でどんぶりを抱え込み、ベンチで無心になって麺と向き合っている姿は異常だが、男にとって周囲の目など関係なかった。


「これはッ、ウマいッ!」


 男は思わず声を漏らした。

 あまりの美味しさに箸が止まらない。

 最後の一本までチュルルッと吸い込み、どんぶりの底に残ったダシ醤油も一滴残らず飲み干した。


(最高の讃岐(さぬき)うどんだったな)


 男はハンカチで額の汗と口元を拭うと、立ち上がった。


「おばちゃん、ごちそうさま。お勘定を」


「百五十円だよ。お仕事、がんばってな」


 男は小銭を支払い、深く一礼した。


◇◆◇


 胃袋は満たされ、足取りは驚くほど軽い。

 男は空になったマイどんぶりを大事そうに小脇に抱え直すと、燦々と輝く太陽の下、次の商談先へと続く田舎道を歩き出した。


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― 新着の感想 ―
美味しい物を無心に食べる事の幸せが感じられます。 無性にうどんが食べたくなりました。
この短い文字数でこれだけ美味しそうな讃岐うどんに脱帽です!
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