表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

第1話 壊れた針の向こう側

時計の歯車は、大抵の嘘より素直に壊れる。


黒ずんだ針を外そうとピンセットを少しだけひねると、カチリ、と小さく控えめな音が鳴った。

体育館裏の廃教室——窓枠には緑色の苔がこびりつき、午後の光は粉塵を金色に染めている。机の上に広げた工具箱の中で、薄刃のドライバーと鑷子せっしが陽を浴びてひときわ光った。


「直せそう?」

背中越しに声をかけられる。低い声。父だ。修繕店の外回りの仕事の合間に、港の方角からふらりと立ち寄ったらしい。私は応えず、布でガラス面を磨いた。


ひびの入った風防の裏に、細い髪の毛が一本。

そして、こすれて読めない小さな文字。

『── くんへ』

最後の一画は、もう消えてしまっている。


名前の抜けた呼びかけほど、宛先の重みを想像させるものはない。

壊れた形の穴を埋めるのが修繕屋の仕事で、欠けた言葉の続きを探すのも——きっと同じことだ。


「……おや?」


裏蓋を開けると、紙が押し込まれていた。

切手も封もない、黄ばみきったメモ用紙。

鉛筆の筆跡は震えていて、小さな日付と、短い一文だけ。


《会えない日のために》


その瞬間、部屋の空気が変わった気がした。

午後の光が翳り、外で鳴っているカモメの声もやけに遠い。


父は何も聞かず、私の背後を通り過ぎて校庭の方へ消えていく。置いていかれた私と、この古い腕時計だけが、廃教室に取り残された。


——誰が、誰に残した言葉だったんだろう。

——そして、なぜここにある?


机の端で、サビたゼンマイが転がり落ちた。

短い金属の音が、やけに胸の奥に残る。


午後三時四十分。私は針を元の位置に戻す。

たとえ進まなくても、時間はかつてそこまで来ていた。

復活した針が、古びた約束をそっと指さすように。


その日の放課後、私はまだ知らなかった。

この腕時計をきっかけに、町の人間関係のほころびと、港町の深い影をひとつずつ縫い戻していくことになるなんて。


——午後の修繕店と、少女のほどけた約束。

物語は、ここから静かに針を刻みはじめる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ