06 セリムナの街
「あー! やっと着いた!」
セムリナ街の馬車停留所に着いた俺は、肩をぐるぐると回す。
三日間の旅の間、自分の隣にはずっとあのおっさんがいた。
おっさんは、めげないし、しつこいわで大変だった。
しかし、その苦悩とも今日でおさらばだ。
見ろ。俺の心は、この青空のように晴れ渡って──
「……曇ってんな?」
セムリナ街の空は曇りだ。少しばかりどんよりとしている。
濃い灰色の空は、今にも雨を降らしそうだ。
俺は荷物の中にある雨具の存在を思い出した。
普段着は女物を一式揃えたが、雨具は男のときのままだ。着れないことはないだろうが、ブカブカしすぎて使いづらいだろう。
(新調すべきか……?)
むむっと眉を寄せる。
でも、この街には男に戻るために来たのだ。神殿にさえ行けば解決する問題だ。
(雨が降る前に、神殿にさえ行けば問題ないな!)
そう思った俺は、停留所から大通りを目指し歩き始める。
真新しいブーツが、石畳の道をカツンと鳴らした。
**
「フヒッ! 運命の再会だねっ」
大通りを目指し歩いて数十分後。
俺は馬車で一緒だったおっさんに追いかけられていた。
(運命もクソもあるか! 絶対あとをつけてきたんだろうが……!)
無視したまま、スタスタと歩く──と、言いたいところだが、今の俺は足を痛めていた。
男物の靴と違い、女物の靴は踵が少しばかり高い。
たかが数センチ。けれど、その数センチが俺にとっては凶器だった。
自分の体重が足先にかかるたび、硬い石畳がじわじわとダメージを蓄積させてくる。
足先はジンジンと痛み、ふくらはぎもパンパンに張ってきて、膝裏もまっすぐ伸ばすのがつらくなった。
(うう……いでぇ! 女ってこんなもの履いて歩いてるのかよぉ……)
涙目になりながら、また一歩踏み出した瞬間、石畳の欠けたところに左足を取られた。
「グキッ」とイヤな音がして、鋭い痛みが足首を襲い、思わず声を上げそうになった。
俺はその場に立ち止まって、建物の壁に背をつける。
荷物の中に回復薬でもなかったかと、手を入れた。ゴソゴソと探っていると、馬車で一緒だったおっさんが現れた、というわけだ。
「ど、どこの宿に泊まるの? フヒッ! お、おじさんと一緒の宿に泊る?」
「結構です。お断りします」
足さえ痛めてなければ、こんなおっさん簡単に振り切れるのに。
ズキズキと痛む足を何とか動かし、おっさんから距離を取ろうと試みる。
大通りから一本、横に逸れた道に入った。
さらに道を曲がり、そのままおっさんを撒こうと考えていたとき、ドンッと勢いよく、人にぶつかってしまった。
「す、すみません……!」
俺は慌てて謝る。思いっきり鼻をぶつけてしまった。
いつもの俺であれば、ぶつかる前に人の気配に気づく。しかし、今日は足の痛みからか、その気配に気づくのが遅れてしまった。
ふわりと鼻の奥に届く、スパイスと革の混じったような野性味のある香り──嗅ぎ覚えのある身近な香りだ。
俺は顔を上げようとする。しかし、いつの間にか頭を押さえられており、それは叶わなかった。
ぶつかった相手の胸に顔をうずめた形になっている。
(えっ──?)
一体何が起きている? 俺は驚き、目を見開く。
頭上から「合わせろ」と声が降ってきた。その直後、俺の後ろからおっさんの声が届く。
「フヒッ! こっちかなぁ~?」
「おっさん、何の用だ?」
煙のようにまとわりつく低音が、耳の奥をくすぐった。
柔らかいのに、どこか見下すような余裕と色気をまとった声だ。
(この声……まさか……)
もぞりと頭を動かし、なんとか見上げてみると、燃えるような赤い髪が目に入った。
「フ、フヒッ!? な、なんだとは何だっ! あっ! き、きさまっ! その子はボクチンのだぞっ! その子を離せ!」
「あぁ? 何言ってやがる。こいつは俺様の女だ」
俺の頭に添えられていた手に、ぐっと力が籠る。
何が起きてるのかわからないまま、分厚い胸板に顔を押しつけられ、うぶっと声が漏れた。
今、俺を抱きしめている相手はヴァルド。
パーティー仲間のうちの一人だ。
「ふ、ふざけるな! その子はボクチンと今から、あれこれチョメチョメするんだぞっ!」
めげないおっさんが、ヴァルドに噛みつく。すると、ヴァルドが「あぁん?」ともう一度口を開いた。
「俺様の女だっつてんだろ。失せろ──このブタ野郎」
ヴァルドが殺気を出す。ピリついた空気が肌を撫でた。
俺の背後にいるおっさんが「ブヒィッ」と声を出す。するとバタバタと走り出す足音が聞こえ、その音は次第に遠くなっていった。
頭にあった大きな手が離れる。それと同時に身体も離れた。
俺は顔を上げ、改めて目の前の相手を確認する。
全体的に後ろに流した赤く短い髪。流れに逆らった毛束が額の辺りに一つ、二つ垂れ、残りはサイドに流れていた。眉も目も吊り上がり気味で、挑発的な表情がとても似合う俺様な男だ。
意志の強そうな深紅の瞳と俺の瞳が、宙でぶつかる。
(なんでこいつがここに……?)
隣町にいたはずだ。
一体どうやってここに来たんだ?
思うままに口を開きたくなる。俺はそれを寸でのところでぐっと堪えた。
「助けていただき、ありがとうございました」
お礼の言葉を告げながらも、頭の中は混乱している。
こいつがここにいるということは、俺のことがバレている?
女の姿になっていることに気づいているのか?
ヴァルドの口元が緩んで、八重歯がチラリと見える。
フェロモンみたいな、よく分からない妙な空気が立ちのぼった。ゾワッと鳥肌が立つと同時に、背筋がむず痒くなる。
俺はズリッと半歩下がる。下げた足がよりにもよって痛めたほうだった。
ズキリと左足首に痛みが走って、後ろにバランスを崩す。
(しまっ──!!)
銀糸の髪が倒れる身体のあとを追う。
この後に襲ってくる衝撃に備え、俺は目を瞑って、両腕で頭をかばった。
ドスンッと重量のある音が路地に響く。
しかし、想像していた衝撃が訪れることはなかった。
衝撃の代わりに、嗅ぎなれた香りが自分の身体を包み込んでいる。
「──大丈夫か?」
低い声が耳をくすぐる。目を開くと、ヴァルドが俺の下敷きになっていた。
深紅の瞳が俺を捉える。瞳の奥に、チラチラと雄の色が見えていた。
「なぁ、お嬢さん。本当に俺様の女になってみる気はないか? 天国ってやつを見せてやるぜ?」
ヴァルドが色気だだ漏れにして誘ってくる。
俺はその誘惑に──
「ふんっ!!」
──拳で答えたのだった。
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