表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/55

06 セリムナの街


「あー! やっと着いた!」


 セムリナ街の馬車停留所に着いた俺は、肩をぐるぐると回す。


 三日間の旅の間、自分の隣にはずっとあのおっさんがいた。

 おっさんは、めげないし、しつこいわで大変だった。


 しかし、その苦悩とも今日でおさらばだ。

 見ろ。俺の心は、この青空のように晴れ渡って──


「……曇ってんな?」


 セムリナ街の空は曇りだ。少しばかりどんよりとしている。

 濃い灰色の空は、今にも雨を降らしそうだ。


 俺は荷物の中にある雨具の存在を思い出した。

 普段着は女物を一式揃えたが、雨具は男のときのままだ。着れないことはないだろうが、ブカブカしすぎて使いづらいだろう。


(新調すべきか……?)


 むむっと眉を寄せる。

 でも、この街には男に戻るために来たのだ。神殿にさえ行けば解決する問題だ。


(雨が降る前に、神殿にさえ行けば問題ないな!)


 そう思った俺は、停留所から大通りを目指し歩き始める。

 真新しいブーツが、石畳の道をカツンと鳴らした。



 **



「フヒッ! 運命の再会だねっ」


 大通りを目指し歩いて数十分後。

 俺は馬車で一緒だったおっさんに追いかけられていた。


(運命もクソもあるか! 絶対あとをつけてきたんだろうが……!)


 無視したまま、スタスタと歩く──と、言いたいところだが、今の俺は足を痛めていた。



 男物の靴と違い、女物の靴は踵が少しばかり高い。

 たかが数センチ。けれど、その数センチが俺にとっては凶器だった。


 自分の体重が足先にかかるたび、硬い石畳がじわじわとダメージを蓄積させてくる。

 足先はジンジンと痛み、ふくらはぎもパンパンに張ってきて、膝裏もまっすぐ伸ばすのがつらくなった。


(うう……いでぇ! 女ってこんなもの履いて歩いてるのかよぉ……)


 涙目になりながら、また一歩踏み出した瞬間、石畳の欠けたところに左足を取られた。

「グキッ」とイヤな音がして、鋭い痛みが足首を襲い、思わず声を上げそうになった。


 俺はその場に立ち止まって、建物の壁に背をつける。

 荷物の中に回復薬でもなかったかと、手を入れた。ゴソゴソと探っていると、馬車で一緒だったおっさんが現れた、というわけだ。



「ど、どこの宿に泊まるの? フヒッ! お、おじさんと一緒の宿に泊る?」

「結構です。お断りします」


 足さえ痛めてなければ、こんなおっさん簡単に振り切れるのに。

 ズキズキと痛む足を何とか動かし、おっさんから距離を取ろうと試みる。


 大通りから一本、横に逸れた道に入った。

 さらに道を曲がり、そのままおっさんを撒こうと考えていたとき、ドンッと勢いよく、人にぶつかってしまった。


「す、すみません……!」


 俺は慌てて謝る。思いっきり鼻をぶつけてしまった。

 いつもの俺であれば、ぶつかる前に人の気配に気づく。しかし、今日は足の痛みからか、その気配に気づくのが遅れてしまった。


 ふわりと鼻の奥に届く、スパイスと革の混じったような野性味のある香り──嗅ぎ覚えのある身近な香りだ。


 俺は顔を上げようとする。しかし、いつの間にか頭を押さえられており、それは叶わなかった。

 ぶつかった相手の胸に顔をうずめた形になっている。


(えっ──?)

 

 一体何が起きている? 俺は驚き、目を見開く。

 頭上から「合わせろ」と声が降ってきた。その直後、俺の後ろからおっさんの声が届く。


「フヒッ! こっちかなぁ~?」

「おっさん、何の用だ?」


 煙のようにまとわりつく低音が、耳の奥をくすぐった。

 柔らかいのに、どこか見下すような余裕と色気をまとった声だ。


(この声……まさか……)


 もぞりと頭を動かし、なんとか見上げてみると、燃えるような赤い髪が目に入った。


「フ、フヒッ!? な、なんだとは何だっ! あっ! き、きさまっ! その子はボクチンのだぞっ! その子を離せ!」

「あぁ? 何言ってやがる。こいつは俺様の女だ」


 俺の頭に添えられていた手に、ぐっと力が籠る。

 何が起きてるのかわからないまま、分厚い胸板に顔を押しつけられ、うぶっと声が漏れた。


 今、俺を抱きしめている相手はヴァルド。

 パーティー仲間のうちの一人だ。


「ふ、ふざけるな! その子はボクチンと今から、あれこれチョメチョメするんだぞっ!」


 めげないおっさんが、ヴァルドに噛みつく。すると、ヴァルドが「あぁん?」ともう一度口を開いた。


「俺様の女だっつてんだろ。失せろ──このブタ野郎」


 ヴァルドが殺気を出す。ピリついた空気が肌を撫でた。

 俺の背後にいるおっさんが「ブヒィッ」と声を出す。するとバタバタと走り出す足音が聞こえ、その音は次第に遠くなっていった。


 頭にあった大きな手が離れる。それと同時に身体も離れた。

 俺は顔を上げ、改めて目の前の相手を確認する。


 全体的に後ろに流した赤く短い髪。流れに逆らった毛束が額の辺りに一つ、二つ垂れ、残りはサイドに流れていた。眉も目も吊り上がり気味で、挑発的な表情がとても似合う俺様な男だ。

 意志の強そうな深紅の瞳と俺の瞳が、宙でぶつかる。


(なんでこいつがここに……?)


 隣町にいたはずだ。

 一体どうやってここに来たんだ?

 

 思うままに口を開きたくなる。俺はそれを寸でのところでぐっと堪えた。


「助けていただき、ありがとうございました」


 お礼の言葉を告げながらも、頭の中は混乱している。


 こいつがここにいるということは、俺のことがバレている?

 女の姿になっていることに気づいているのか?


 ヴァルドの口元が緩んで、八重歯がチラリと見える。

 フェロモンみたいな、よく分からない妙な空気が立ちのぼった。ゾワッと鳥肌が立つと同時に、背筋がむず痒くなる。


 俺はズリッと半歩下がる。下げた足がよりにもよって痛めたほうだった。

 ズキリと左足首に痛みが走って、後ろにバランスを崩す。


(しまっ──!!)


 銀糸の髪が倒れる身体のあとを追う。

 この後に襲ってくる衝撃に備え、俺は目を瞑って、両腕で頭をかばった。


 ドスンッと重量のある音が路地に響く。

 しかし、想像していた衝撃が訪れることはなかった。

 衝撃の代わりに、嗅ぎなれた香りが自分の身体を包み込んでいる。


「──大丈夫か?」


 低い声が耳をくすぐる。目を開くと、ヴァルドが俺の下敷きになっていた。

 深紅の瞳が俺を捉える。瞳の奥に、チラチラと雄の色が見えていた。

 

「なぁ、お嬢さん。本当に俺様の女になってみる気はないか? 天国ってやつを見せてやるぜ?」


 ヴァルドが色気だだ漏れにして誘ってくる。

 俺はその誘惑に──


「ふんっ!!」


 ──拳で答えたのだった。

読んでいただきありがとうございました。

リアクション、ブックマーク、評価もありがとうございます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ