05 勇者消失 / カイエル視点
「おかしい……」
部屋のドアを再び叩く。
何度も叩いているというのに、部屋の主からの返事がない。
もう一度叩いてみる。が、やはり反応はなかった。
ガチャリと隣のドアが開き、燃えるような赤い髪がひょっこりと顔を出した。
ヴァルド──彼は同じパーティーの仲間で、口より先に拳が出るような男だ。挨拶よりも先に、俺の顔をめがけて枕が飛んできた。
「コンコン、コンコン、うっせーな……カイエル。お前はどっかの鳥か?」
「ヴァルド。廊下に出るのなら、服はちゃんと着て下さい」
「あー? ……だっる。ちょっとくらいいいだろうがよ……俺様の身体は見せるためにあるんだからよ」
「俺は野郎の身体なんて見たくないです」
再びドアを叩く。すると、今度はヴァルドの向かいのドアが開いた。
「おはよう……ございます。あぁ……頭が割れるように痛いですねぇ……」
「おはようございます、フィノ。頭痛でしたら、ご自分の魔法を使ったらどうですか」
「そういえば……そうでした。流石はカイエル君。あなたは天才ですねぇ」
フィノはそう言うと、小声でボソボソと呟き出す。彼の身体が柔らかな光に包まれたかと思うと、それはすぐに消えた。頭を押さえていた手が離れ、青白かった顔にも血色が戻っている。
「……ふぅ。生き返りました。ところで、カイエル君はさっきから何をしているのですか?」
「アルスを起こそうとドアを叩いてるんですが、彼が一向に出てこなくて……」
勇者アルス──彼は、仲間の中でも比較的、朝には強いはずだ。
早くに起きて、宿の外で剣の素振りをしている姿を見ることも多々ある。
「おや、めずらしいこともあるものですね。カイエル君、もう少し強く叩いてみてはどうですか?」
「はい。そうですね」
ドンドンと強く叩いてみる。それでも返事はなかった。
フィノがこちらへ近づいて、「どいてください」と言う。コンコンと数回叩いてみせた。
「アルス君。開けますよ?」
ドアに手をかける。
ガチャリと簡単に開いて、俺とフィノが顔を見合わせた。
「アルス君?」
フィノの声が響く。部屋の中を見回したが、シン……と静まり返っており、人の気配は感じられない。
(風呂か?)
簡易浴室へと足を向ける。宿の部屋の作りというのはどこも同じだ。俺は迷うことなくドアを開け、中を覗き込む。
風呂を使った形跡はある。しかし、アルスはいなかった。
「……ん?」
脱衣所に細く長い糸が落ちている。それを摘まんで拾い上げてみた。
(糸……? いや、これは──)
「カイエル君!!」
フィノが俺を呼ぶ。その声色は焦っているように聞こえた。彼が大声を出すことはとても稀だ。
ただならぬ気配を感じた俺は、急いで脱衣所から部屋に戻る。すると、フィノが真剣な顔つきでこちらを見ていた。
「これを見て下さい」
差し出されたのは一枚の紙。
そこにはアルスの筆跡で、『ちょっと用事ができた。探さないでください。すぐ戻る』と書かれていた。
……書き置き? アルスは俺たちを置いて出て行ったのか?
後から部屋に入ってきたヴァルドも、書き置きのメモを見る。すると、キリリと吊り上がっていた眉をぐっと歪めた。
「おいおい、こいつはどういうことだ? あのポヤヤン勇者が一人でほっつき歩いてるってのか?」
「……そういうことになりますねぇ?」
「マジかよ。あの野郎……美人局になんて会ってなきゃいいが」
──美人局。
その言葉を聞いて、俺の心臓がドキッと跳ねた。
脱衣所に残された長い銀糸。これはまさか……。
「ヴァルド、フィノ。これを見てください。これ、何に見えますか?」
「あん? なんだそりゃ?」
「髪の毛……でしょうか?」
「ええ。では、この長い髪が『脱衣所』に落ちていたと言ったら?」
「「──っ!?」」
二人が目を見開く。
ヴァルドはゴクリと喉を鳴らした。
「そいつは、フィノの髪じゃねぇのか?」
「残念ながら、私がこの部屋に入ったのは今が初めてですよ」
「確かにフィノの髪色と似てますが、これは白ではなく銀です。アルスと似た色の銀髪で間違いないでしょう。それと浴室ですが、使った形跡がありました」
三人の間に沈黙が訪れる。俺の額に嫌な汗が浮かんできた。ここまで来て、アルスの『勇者の力』が失われたら──そう思うと、チッと舌打ちをしたくなる。
「ここまで来て、あのポヤヤンが『童貞』を失ったりしたら、シャレになんねぇぞ」
「さすがに、そこまでおバカなアルス君だとは思いませんけど?」
「でも、アルスは女、子どもにとても弱い。敵国にそこをつけ込まれたら……」
俺の言葉を聞いたヴァルドが、頭を乱暴にガシガシと掻く。
フィノはふーっと息を吐いて、額を押さえていた。
「おかしいですねぇ……先ほど魔法で頭痛を治したはずなのに、頭が痛くなってきましたよ」
「俺も同感です」
繰り返しになるが、アルスは、女性と子どもにとても弱い。困っている姿を見ると手を伸ばさずにいられないのだ。
人の善意に付け込むクズというのは、男女問わず存在する。そのことを説明しても、彼は自然とそう行うことが当たり前だと──まるで、生まれる前から刷り込まれているかのようだった。
「昨晩は、しこたま酒を飲んだからな……あのまま、朝まで起きずに済むと思ったがよぉ」
「酒に酔っているアルス君を寝ているうちに運ぶ、とするならば、数人いれば可能でしょうか?」
「昨晩も俺はアルスの部屋のドアに魔法をかけておきました。それが反応していないと言うことは、アルスが自分の意思で部屋を出ているということです」
深紅の瞳がこっちを見る。ヴァルドの口が開き、鋭い八重歯がちらりと覗いた。
「あー……じゃあ何だ? 一度、部屋を出たアルスが女を部屋に連れ込んだあと、また外に出たってことか?」
「そもそも、この書き置きは、本当にアルス君が書いたんでしょうか? 強要されて書かされたという可能性はありませんか?」
「アルス本人の意思で書いた可能性はゼロではないでしょうけど……とりあえず、この銀髪の持ち主が何か知っていることは確実だと思います」
俺はもう一度、長い銀糸の髪を持ち上げる。フィノが「ふむ」と指先を顎に当て、しばらく考え込む素振りを見せた。やがて、ゆっくりと口を開く。
「神殿に、身体の一部から持ち主の居場所を探す道具があったはずです。大きな神殿なら、確実に神官長が持っているでしょう」
「へぇ~、ずいぶんと便利なものがあったもんだ。相変わらず神殿ってのは、おっかねぇところだ。でも、今回に限りラッキーだな。そいつを使って、この髪の主を探せばいいってことだろ?」
「ヴァルド君。残念なことに、この町に神殿はありません。ここへ来る前に通ったセリムナの街ならば、大きいですし、その道具もあるはずです」
楽勝だろ、と笑っていたヴァルドがフィノの発言を聞いて固まる。
「は?」と一言発した後、さらに言葉を続けた。
「マジかよ!? 行くだけで丸三日もかかるじゃねーか。そんな悠長なことしてる暇があんのか?」
「では、俺が魔法で飛ばしましょう。二人くらいなら、魔力の消費は半分で済むはずです」
「二人、ですか?」
「書き置き通りに、アルスがすぐに戻ってくる可能性もあるので、俺はここに残ります」
「確かに……そうですね。わかりました。では私とヴァルド君で、セリムナの街へ向かいましょう」
こうして俺たちは協力してアルスを探すことにした。それぞれ自分たちの部屋に戻ると、急ぎ準備を整える。
宿を出て、町の広場に向かう。場所を移動したのは、少々大がかりな魔法になるからだ。狭い部屋で転移の魔法を使えば、屋根を吹っ飛ばしてしまうだろう。
町の広場には屋台が立ち並んでいる。
そこかしこから漂ういい匂いが、朝食を取っていない俺たちの腹を刺激した。
「腹ぁ減ったな。なぁ、あの串焼きを一本食ってからでも」
「ヴァルド君。それはセリムナへ着いてからにしましょう。さあ、カイエル君お願いします」
「わかりました」
俺は杖を構え、詠唱を始める。すると、足元から淡い光が溢れ出し、地面に大きな魔法陣が広がった。
ヴァルドとフィノが静かにその上に立つと、突風のような風が巻き起こり、二人を包み込む。魔法陣の上だけが竜巻の中心のようになり、その余波がこちらにも届いた。俺のマントは激しく揺れ、空気がビリビリと震えている。
詠唱を終える──光と風が弾け、魔法陣ごと二人の姿が掻き消えた。
ふぅ、と息を吐く。自分の体内から何かが半分消え去った感覚がある。魔力の消費を感じながら、俺は辺りを見回した。
突然の大がかりな魔法に驚いたのか、広場を歩いていた人たちは、口を開きながら立ち止まっていた。屋台の店主たちも、ポカンとした様子でこちらを見ている。
(……ん?)
視界の端で、俺は一人の子どもを捉えた。
その子どもは、魔法を見て呆けている大人にドンッとぶつかっていた。
小さなその手には巾着──盗みを働いた現場を目撃してしまった。
(アルスなら見逃さないでしょうね)
いつもの俺ならば、盗られるほうが悪いと見逃す。しかし、今日はどういうわけだか見逃す気になれなかった。あのぽやぽやとしているお人よしの勇者に、感化されたのかもしれない。
俺は杖先を子どもに向けると、くいっと上に動かした。
「──なっ!?」
子どもの身体が宙に浮く。足をバタつかせ、身体を捻っていた。何とか地面に降りようともがいているが、魔法はそう簡単に解けるものではない。
俺はゆっくり近づく。少年に向かって口を開いた。
「人のものを盗んだらダメですよ」
なんて、アルスなら言うでしょうね。
勇者の真似事をした自分に苦笑する。すると、彼は俺をキッと睨んできた。
「なんだよ! またかよ!?」
「また?」
少年はさらにジタバタと暴れる。そのとき、地面にチャリンと硬貨が落ちた音が響いた。下を見ると銀貨が二枚ほど落ちている。
俺は杖先を彼に向けたまま身をかがめ、それを拾った。
「それはおいらのだ!」
「本当に? 説得力ありませんが」
「それはさっき、串焼きねーちゃんに報酬でもらった金だ! 盗んだもんじゃねぇよ!」
少年が無実を訴えようと、『串焼きねーちゃん』のことをあれこれと俺に話し出す。
人にぶつかって金を盗ろうとしたところを止められ、泥棒はダメだと叱られたこと。そして、その女性が彼に『仕事』を提案してきたという話──俺はその内容に目を見張った。
(アルス以外に盗みを咎める人物がいたとは……)
「すげぇ綺麗な銀髪のねーちゃんだったけどさ、着てる服はおかしかったんだ。だから、おいらが店まで案内してあげたんだよ」
「いま……なんと言いました? 銀髪の女?」
俺がそう言うと、少年が「そうだよ」と言ってうなずく。その瞬間、俺は彼の肩を掴んだ。
「どこですか」
「──へ?」
「その店はどこですか。俺を案内しなさい。そしたら、俺も銀貨一枚、いや二枚、報酬を払います」
消えたアルス。部屋に残されていた長い髪。それから、少年の言う銀髪の女性。
これらを偶然で片づけていいのか? いや、偶然にしては出来すぎている──見過ごすわけにはいかない。
「こっちだよ!」
少年が先頭に立って歩き出す。俺はその小さな背中を追うのだった。