52 カルマ
「ほう? 面白い。貴様、『勇者』だというのに、随分と禍々《まがまが》しいではないか」
うるさい。黙れ。黙れ黙れ、黙レ!
(──殺す!!)
殺ス! キサマを……コロス!!
俺は剣を振るう。
力を解放する前と後では、その速さも圧倒的に違っていた。
剣先が空気を裂く。その少し後で魔王の肩に線を引いたような傷ができていた。
血が流れる──ヤツの血の色も赤かった。
「グルルルル……」
──捕マエロ! 殺セ!
頭の中でずっと声が響いている。
その声が導くままに、俺は目の前にいる獲物に向かって、剣を振った。
「ガァァアアアッ!!」
剣が魔王を捉える。
もっと、もっとだ。もっと、モット……!
──血ヲ ヨコセ。
踊レ! 喚ケ! 許しをコエ!
ヨコセ、オマエノ血ヲ、ヨコセ、ヨコセヨコセ……!!
赤黒く光る軌跡。何度も何度も弧を描いた。
止まらない。止まれない。
俺は口の端から涎を垂れ流しながら、魔王を襲い掛かる。
反撃を許さないまま、ただひたすらに斬って、斬って、斬りまくった。
「おい……あいつ、大丈夫なのか?」
──ヴァルドが何かを言っている。
「俺にもわかりません。あんなアルスは初めて見ます」
──カイエルも何か言ってる。
お前らも攻撃しろよ。魔王を倒すチャンスだぞ。
「あれは……カルマ……? 勇者が『力』を欲するとき、神すらも超える力が与えられることがある。ただし、その力を得るには大きな代償が必要となる。そう書いてあった書物を大神殿の書庫で見たことがあります」
──フィノが語る。
そうか。この力って『カルマ』っていうのか。知らなかった。
ああ……だからか。鞘の力を使うといつも悪夢を見ていたのは。
朝起きると、精神がごっそりと削られて、とてもつらかった。
リリアナさんを助けたときは、力を使いすぎて、精神が壊れる寸前まで追い詰められたな。
今はもう、その代償も構わない。どれだけでも支払おう。
魔王さえ倒せば、この世界に平和が訪れるのだから──!!
「ガァァアアアッッ!!」
「──ぐあっ!!」
追い詰める、魔王を追い詰める。
俺から距離を取り、態勢を整えようとしたヤツの太ももを斬りつけた。
──腱ヲ 切レ。
頭の中で響く声に従い、魔王の足の腱を切った。
ヤツはダメージを負ったはずなのに、笑い声を上げる。
「ハッハハハッ! 暴走が止まらないようだな。勇者よ。我を殺し、次なる『王』となるのは、お前か?」
なぜ笑う? 笑うな、笑うな……!
泣イテ、喚イテ、許シヲ乞エ!!
「──いけない! アルス君を止めないと。あのまま力に支配されては、彼が『人』に戻れなくなってしまいます……!」
「どういうことだ、フィノ?」
「……魔王というのは、実は……歴代の勇者の一人なのですよ」
「なっ!?」
「どういうことですか!?」
「ああやって神すらをも超える力を得た勇者は、魔王を倒すことができます。……しかし、力の暴走を止められなかった者は、そのまま殺戮と破壊を繰り返し、精神を闇に落とし、新たなる魔王として誕生するのです」
「んな話、俺様は聞いたことねぇぞ!?」
「それは……王家と神殿が、各国の上層部が隠していましたから。今まで魔王討伐に向かった勇者たちが無事帰還できなかった理由は──魔王に倒されたか、魔王を倒したあと、自分が新たなる魔王になったか、そのどちらかなのですよ」
──コロス、お前ヲ、殺ス。
湧きあがる。震える。魔王を、『人』を、殺していいことに喜びを。
お前は悪で、俺は正義だ。正義のために殺していいんだ。
「フィノ。止めると言っても、どうやって止めますか? 俺たちにあの暴走したアルスが止められるとは……」
「アルス君は今、目の前の獲物しか見えていません。……カイエル君、これを。今すぐ飲んで魔力を全回復してください。そして、すべての力を込めた魔法をあの二人に放ってください」
「なっ──!? しかし! そんなことをしたら」
「ええ。アルス君も無事ではないでしょう。これは賭けです。賭けに負ければ、私たちも無事では済まない。しかし、賭けに勝ったら……そのときは私がアルス君を死なせません」
──ズット、ズット、殺シテミタカッタ。
前世の記憶が邪魔をした。この力は人を助ける力だからと。それ以外には使っていけないと。
勇者だから、弱き者を助けるためだけに、力を使うべきだと思っていたんだ。
魔物を倒すことができるほど大きな力で、人を殺す。
鞘の力を使うと、心の奥底にある汚い願望やドロッとした欲望が引きずり出された。
泣く子に剣を突き立てたら? 女は?
男は大切な人を奪われたらどうする?
「ア゙ア゙ア゙ア゙……」
頭の中が黒い何かに塗りつぶされていく。
優しく妖しい声が「そのままでいい」と耳元で囁いた。
「──戻れ!! アルス!!」
誰かが俺の名を呼んだ。その直後に俺の身体を炎が包む。
熱い、焼ける。身体の内側に熱がこもる。逃げ場のない熱が、膨れ上がる。
苦しい、息ができない。
口を開き、酸素を求めた。そこにあるのは酸素ではなく炎だった。
喉をかきむしる。そんなことをしてもどうにもならなかった。
意識が途切れがちになり、喉をかきむしっていた手が、だらりと下がる。
ようやく炎が消えた──と同時に俺はその場で膝をついた。
目の前にいた魔王も瀕死の状態になっている。
開きづらくなった目でその姿を何とか捉えた。
「……魔、王……」
倒さなければ、倒さなけれ……ば。
いつの間にか自分の手を離れていた剣を拾う。
俺は『勇者の力』を剣に流した。
青白く輝くその光こそが、未来を紡ぐ力だ。
赤黒い光がもたらす未来は闇へと繋がっている。
ふらふらと近づき、剣をしっかりと握りしめた。
魔王もボロボロの身体を何とか起こそうとしていた。
「──……っ」
剣先が小刻みに震える。
フィノが語っていたことが頭の中に残っていた。
『──魔王は元勇者である』
(俺は、人を殺すのか……?)
「勇者よ。我を殺せ、そうしてその身を闇に落とすがいい」
紫色の瞳が俺を捉える。
その奥に、揺らめく火が見えた。今にも消えそうな小さな灯が──俺の心に訴えかける。
『ここで断ち切れ』
魔王の連鎖を──闇に落ちる勇者たちを──お前の手で止めろ、と。
「なんだ、怖気づいたのか? ならば、貴様には死よりも屈辱を与えてやろう」
魔王が最後の力を振り絞った。身体から揺らめくオーラが見える。
俺の視界をそのオーラが覆った。しかし、こちらにダメージはない。
ヤツは俺に『きっかけ』を与えてくれたのだ。
「──これで最後だぁあああああ!!」
俺は叫びながら床を蹴り、高く飛ぶ。
剣を高らかに振り上げた。
勢いのついた剣は魔王の胸に突き刺さる。
ヤツはゴフッと大量の血を吐いたあと、命の動きを止めた。
──カラン。
剣が手の中から滑り落ち、俺もその場で崩れ落ちた。
気を失う直前、
『ありがとう……』
と、誰かが言った気がしたのだった。




