51 魔王との戦い
「ようやく来たか。勇者よ──」
玉座にゆったりと座り、足を組んでいる魔王の口上が始まる。
その口上が終わると、俺は勇者の剣を構え、力を込めた。
──タイムリミットは二十四時間。
この時間以内に魔王を倒さなければならない。
(ゲームだと二時間くらい戦ってたけど……)
この世界が現実になった今、二時間が実際どれほどの長さに当たるのかは分からない。
ゲームは、クリアするまでに一ヵ月もかからなかった。
けれど、実際に魔王城を目指して旅をした期間というのは、その何倍、何十倍という時間を費やしている。
ふーっと深呼吸し、身体を前に傾ける。足先に力を入れた。
俺は魔王のいる玉座に向かって、床を蹴る。
一つのミスもしない! ──そう誓って、剣を振り上げた。
**
「はぁああああああっ!!」
「──ぬるい!」
ガイィンッ! と広間に金属音が響き渡る。
俺が振るった剣を魔王の長い爪が受け止めた。
魔王の身体から発せられたオーラが俺を弾き飛ばす。
俺と入れ替わるようにヴァルドが魔王に詰め寄った。
ヴァルドが弾かれる。間髪入れずに、カイエルの火炎魔法が魔王に直撃した。
しかし、魔王は「なんだ、この程度か?」と余裕の表情を浮かべている。
ダメージらしいダメージを俺たちはヤツに与えられてはいなかった。
(くそっ……! 何でだ!?)
カイエルの魔法が攻撃の主力になるはずなのに、まるで効いていない。
火炎系魔法じゃなければいいのか?
俺の考えたことをカイエルも考えたらしく、次は氷系魔法を唱え、浴びせる。
しかし、それも大したダメージは与えらえていなかった。
「くっくっくっ、勇者の力とはこの程度か」
「……くっ!」
このセリフ。覚えている。
魔王の体力が八割以上あるときのセリフだ。
息が荒くなり、手のひらの汗で剣が滑りそうになる。
戦い始めて、もう三時間くらいは経っただろうか?
妥当といえば、妥当かもしれないが、俺には二十四時間という制限がある。
(くそっ……! 思い出せ……! 記憶を引っ張り出せ!)
ヤツは、何をしたら弱くなった?
霞がかった記憶の糸を何とか手繰り寄せる。
「あ。……そうだ」
魔法使いの魔法攻撃が通る前、俺はヒーラーの操作を誤って、魔王に回復魔法をかけたんだ。
そうしたら、魔王が何か言い始めて、それまで二桁程度のダメージしか与えられなかったのに、三桁のダメージになったんだ。
そこから魔法使いによる快進撃が始まった。
──ガンッッ!
魔王の攻撃を剣で受け止める。力で押し切ろうとするヤツと俺と力比べが始まった。
ぐぐぐ……と押され気味になっているのは俺。剣に勇者の力をさらに流すが、状況が反転することはなかった。
「──ぐっ……!」
奥歯を強く噛んで耐える。
一旦、魔王と距離を取ることを選択した俺は、渾身の力で魔王の爪を弾き、バックステップで後ろに下がった。
「フィノ! ヤツに最大回復魔法を放て!」
俺の後方にいるであろうフィノに向かって指示を飛ばす。それと同時に鞘を投げた。鞘は万が一のお守り代わりだ。フィノがそれを受け取った。
ヴァルドやカイエルは「何を言ってる!?」「アルス!?」と驚きの反応を示したが、フィノは「わかりました」と答え、即座に回復魔法を詠唱しだした。
「ヴァルド! カイエル! フィノを守れ! これが突破口になる!」
俺が前世の記憶から情報を引っ張り出したことが、これで通じるだろう。
あいつらは「わかった!」「わかりました!」と答えてくれた。
魔王のターゲットがフィノに移る。
俺はそうはさせない、と前に出て、ヤツの行く手を阻んだ。
**
「おのれ……! たかが人間の分際で……!」
魔王のセリフで、体力が三割以下になったことが分かった。
あと少し。あと少しだ……!
「はぁっ……はぁっ……っ!」
キツい。つらい。
回復魔法で身体は癒されても、ずっと集中することを強いられた状況での長期戦だ。気力がすり減っているのがわかる。
敵は魔王だけでなく、己の心の中にいた。
「ふぅ」と息を吐きたくなる。その隙を狙ったように、ヤツは攻撃を仕掛けてきた。
「そろそろつらいのではないか? 我が終わらせてやろう」
「まだ、まだぁ……!!」
見えない攻撃が──幻聴が耳元で囁く。
『その腕を下ろせ』
……ん?
『お前はよく頑張った』
そうか……?
『我に身を任せろ──そう。いい子だ』
いつの間にか魔王は俺に幻術をかけていたらしい。術に嵌ってしまった俺は、言われるがままに剣を持つ手を、だらりと下げる。
(……そうか、もう休んでもいいかもしれない)
「アルス!! しっかりしろ!!」
ヴァルドの声が聞こえる。
いやだ、俺はもうしっかりしたくない。
「アルス! 魔王の術にかかっていることに気づいてください!」
カイエルの声も聞こえる。
魔王の術? そんなものに引っかかるものか。
だって俺は勇者だぞ? 嘘つくなよ……カイエル。
「アルス君! そちら側に落ちてはダメです!」
フィノの声も聞こえる。
そちら側ってどっちだよ……落ちるって何?
別にここは崖でも何でもな──
だらりと下げた剣の先を何気なく見た。
視界は床を捉えているというのに、なぜか底なしの真っ暗な沼に足を踏み入れている──そんな感覚が俺を襲った。
ぶるりと背中に悪寒が走る。
いけない! と本能が警報を鳴らした。
ハッとして、俺は頭を振る。
それまで俺の身体を包み込んでいた煙のような魔王のオーラが霧散した。
胸の辺りに痛みが走る。
気づくと、自分の胸には魔王の爪が刺さっており、そこから血管の中を這うようにヤツの爪が伸びていた。
剣で爪を断ち切る。
胸に刺さった爪を掴んで、ずるっと引っ張り出した。
ゴホゴホッと咳が出る。床に片膝をつき、手で口を覆った。
錆びた鉄の味がして、自分が吐血したことを知る。
「せっかく我が気を利かせて、痛みのないままに逝かせてやろうと思ったのになぁ?」
魔王が余裕の笑みを浮かべて、俺を見下ろしてくる。
俺はニヤリと笑ってみせた。
(たかが人間と侮り、すぐに止めを刺さなかったことを後悔させてやる……!)
ガハッともう一度吐血する。その血を剣に吸わせた。
それから剣を床に刺し──呼ぶ。
「来い!!」
フィノに預けていた鞘からクモ足が生えた。『鞘』が高速でこちらへ駆けてくる。
俺は鞘を手に取り、一度剣を中に収めた。深く息を吸って、口を開く。
「〈解放覚醒〉──すべての力を!!」
剣をゆっくり引き抜く。
鞘からその身を現すと強い風が辺りに巻き起こった。
剣から発せられる赤黒い光がさらに強くなる。
──カラン。
剣をすべて引き抜いた俺は、鞘を放り投げた。
「グルルル……」
獣のような呻き声を喉で鳴らすと、俺は床を蹴ったのだった。




