37 連れ去り
「──動くんじゃねぇ!」
男が俺とヴァルドに向かって言い放つ。
捕らえられたリリアナさんは、孤児院の中でも一番小さな子どもを抱きかかえていた。
あの子は、いつもご飯のとき、お皿を空っぽにしたら「んっ!」と見せに来てくれた子だ。
「そこの兄ちゃんとシスター、動くなよ。理由はわかるよなぁ?」
リリアナさんの首にナイフを当てる。
勝利を確信した男は、ニヤリといやらしい笑みを浮かべた。
「くっ……!」
向こうの思い通りになるのは癪だが、人質を取られてしまっては身動きが取れない。
もう一人の男も、子どもたちを盾にすることに気づいてしまった。他の子どもたちにナイフを向けている。
(どうする……!? 下手に動けば、やつらは刺しかねない)
こんなに子どもがいるのだから、一人くらい刺し殺しても構わないと思いかねない。
ぐるぐると頭の中で、どうすべきかを考える。
今は彼らに従う──それ以外の選択肢は、なかなか見えてこなかった。
俺とヴァルドが地面に沈めたやつらも、身体を起こし、立ち上がった。
万事休す──俺もヴァルドも手が出せないまま、局面は悪い方向へと進んでいる──そんな気がした。
リリアナさんを人質にしている男が、首に提げているものを取り出した。
男はそれを咥え、ピィーッと甲高い音を辺りに響き渡らせる。
俺はその音が何なのか分からなかったが、すぐに答えはやってきた。
しばらくすると、ドドドドという音と共に小さな揺れを感じる。魔物のような、大型の何かが近づいてくる──そんな振動だった。
灰色の体毛を持った、馬に似た四足獣が、小型の移動荷馬車を引いて走ってきた。
先ほど笛を吹いた男が、また笛を使って四足獣に指示を出す。
四足獣が足を止めると、男たちは、リリアナさんと子ども数人を荷馬車に押し込んだ。
「待てっ!!」
俺は追いかける。
身体を前に倒し、足先に力を込め、地面を蹴った。
長いスカートが邪魔をして、追いつけない……!
そのまま馬車は去って行ってしまった。
「──くそっ!」
俺は地面を叩きつける。
やつらがリリアナさんたちを人質を取る前に、片をつけなければならないと分かっていたはずなのに、それができなかった。
こんなことなら、やつらを殺さず──なんて考えず、思いっきり力を振るうべきだっただろうか?
いや、勇者の力は……正義の力は、そんな風に使ってはダメだと、脳裏に浮かんだ考えに頭を振って答える。
『極悪人だろうと、人を殺めてはいけない』
この考え方は、前世の記憶の影響が大きいかもしれない。
でも、ずっとそれだけは守りたかった。でなければ、この力で人を皆殺しにすることも、簡単にできてしまうから──……。
「アルカさん……」
背後から俺の名前を呼ぶ人がいる。振り返る声をかけてきたのはライだった。
ここに残された子どもたちは、ある程度成長している子ばかりだ。
反抗されたとしても力で簡単に押さえつけることができる──比較的小さな子どもを連れ、彼らは去って行った。
「……悪い。止めることができなくて」
俺はライに向かって、深く頭を下げる。
お前たちに手を出させないと言って、やつらの前に出たのにこのザマだ。
フィノの予想通りになるのなら、連れ去った子どもたちは選別されたあとで、ドラゴンの生贄になるのだろう。……であれば、すぐに殺されることはないはずだ。助けるチャンスは、きっとまだある。
俺は顔を上げ、男たちが去って行った方角を見る。
去って行った先には山が見えた。ドラゴンが住み着いたという山は、きっとあれだろう。
ライと話をしているところに、ヴァルドが近づいてきた。
苦虫を嚙み潰したような顔をしながら、こいつは口を開く。
「悪いな。助けに入ったつもりが、助けにならなくてよ」
俺がさっきライに言ったのと、同じ言葉が返ってきた。
それが少し可笑しくて、思わずクスッと笑った。
目の前にある鍛えられた胸板を拳で軽くポンッと叩く。
「気にするな」という合図をこいつに送った。
「いや、正直助かった。あのままだったら、無傷じゃいられなかったから」
そう。あのままであれば、俺は傷を負っていた。
その状態で、もし子どもたちを連れ去られていたら、助けに行きたいと思っても、動くことはままならないだろう。
連れ去られてしまった状況というのは、良いとは言えないが、最悪とまではいっていない。
簡単に割り切れるはずもない。けれど──切り替えるしかない。後悔も謝罪も罪悪感も、リリアナさんたちを助ける手段にはなり得ないのだから。
町の出入り口から白い服を着た人物が出てきたのが見える。あれはフィノだ。ヴァルドも気づいたらしい。俺たちはまずフィノと合流することにした。
「アルカさん、その恰好は……? それに、ヴァルドも、なぜここに……?」
フィノはボロボロの俺の姿に驚いているようだった。
俺は彼の問いに答える。
町の外で冒険者崩れの男が複数待ち伏せしていたこと。
その男たちと戦いになったこと。リリアナさんと小さな子どもたちが連れ去れらたことを。
「……そうでしたか。領主様と神殿長は私が説得し、孤児院を去りました。なので、今、孤児院へ戻っても特に問題はないでしょう」
フィノの話を聞いた俺たちは一旦、孤児院へ戻ることにする。今後の話も戻ってからすることにした。
ヴァルドも一緒になって孤児院へと向かう。目的地へ到着すると、フィノは中庭へ行き、空に向かって光魔法を放った。
(あれは、カイエルを呼ぶ合図──)
しばらくすると、青い髪の持ち主がこちらにやってくるのが見えた。その持ち主は魔法使いの黒いローブを身にまとい、杖を携えている。なぜここに呼ばれたのか、と言うようにカイエルは眉をひそめていた。
「フィノだけじゃなくヴァルドまで……? 合図を飛ばしてまで俺を呼ぶなんて、一体何があったんですか?」
カイエルがフィノに向かって問いかける。
フィノは「まず中に入りましょう」と言って、カイエルを孤児院の中へ案内した。俺たちは子どもたちがいつも食事をする大部屋のテーブルを借りる。
俺、ヴァルド、カイエル、フィノの四人が久しぶりに集結。
まず、一番何も知らないであろうカイエルに事情を説明した。
ヴァルドも、この孤児院が置かれている状況を知り、もともと吊り上がっていた眉をぐっと寄せる。
「ったく、これだから神殿ってのはよ」
こいつの身体から怒りがにじみ出ている。赤いモヤのようなオーラがゆらりと揺れ、立ち昇っているように見えた。
俺は何度もまばたきする。 赤いオーラが消えた?
目を擦ってみた。……見間違い、だったかもしれない。
(そういえば、ヴァルドは孤児院の出身だったな)
いつだったか、昔、ヴァルドが金を貸せと言ってきたことがあった。
数日前に魔物を倒して魔石を換金したばかりだったから、なんで金がないんだと俺は詰め寄ったことがある。
俺がしつこく問い詰めたせいで、ヴァルドはため息まじりにポロッと漏らした。
自分が孤児院出身で、その孤児院へ定期的にお金を送っていることを──。
(……だから、他人事じゃないのかもしれない)
俺たちは夜通し話し合いを続けた。
リリアナさんと子どもたちを救出する、その方法を考えるのだった。




