32 シスター『アルカ』
翌朝──朝食を食べ終えた俺は、リリアナさんに借りた服に着替える。
黒いロングワンピースに身を包み、頭にはベールのような布をかぶった。
鏡なんてものはここにはないので、窓の反射を利用して自分の姿を確認する。
前世でも見たことのある『修道女』に近い格好だ。
「本当にこれ着てて、いいのかな……」
リリアナから服を渡された際に、自分は神殿に属してないのに着てもいいのかと尋ねた。彼女は、ニッコリと笑った。
『困っている方がいたら助けるのが私の役目です。それに、アルカさんならその服に恥じる行いはしない方だと思いますから、きっと女神様も許してくれるでしょう』
リリアナさんがそう言ってくれたんだ。
だからきっと大丈夫だろう。
この服に恥じない行動はしない、彼女が言っていた言葉を心に刻む。
「──よし! 行くか!」
俺は部屋を出て廊下を歩く。中庭の横を通っていると、こちらへ向かって走ってくる少年の姿が見えた。ライだ。
「リリアナ姉ちゃんどうし──って、アルカさん!?」
「おう!」
「どどどどうしたの!? その恰好っ……!」
「ん? リリアナさんにちょっと借りたんだ。変かな?」
俺はその場でくるりと回ってみせる。
スカートの裾がふわりと円を描いた。
「へへへ、変じゃないよ!!」
「おっ、なら良かった」
そう言いながら、俺はライの顔を見た。彼は顔を真っ赤にしている。
……やっぱり変なんじゃ? そう思って、もう一度聞いてみた。
「本当に変じゃないのか?」
ライは頭をブンブンと縦に振る。その後で口元を片手で覆いながら、何やらボソボソとつぶやいていたが、何を言ってるのかは分からなかった。
「変じゃないならいいか。んじゃ、ちょっとギルドまで行ってくる」
「おっ、オレもお供します!」
「お前、昨日ついて行ったせいで稽古できなかっただろ? いいよ。今日は一人で行ってくる」
「でっ、でもっ!」
「じゃーな! 昼までには戻って来るわ!」
手をひらひらと振って、孤児院の外へ向かった。
背後で「シスター姿のアルカさん、やば……」という声が聞こえた気がして、俺はちょっと不安になった。
……本当に、変じゃない……よな?
**
「ふぅ……ようやく着いた」
孤児院から真っ直ぐギルドに向かったはずなのに、なぜか昨日の倍はかかった気がする。
今日はよく声を掛けられる日だった。
道を少し歩けば、「孤児院の子どもたちはどうだい?」と聞かれる事案が何度も発生した。
もしかすると、町の人もライのように、俺のことをリリアナさんと間違えているのかもしれない。今の俺はシスターの姿になっているのだから、十分あり得る。
かといって、修正するのも面倒だ。俺は「子どもたちは元気ですよ」と笑顔で返し、少し世間話をしてからギルドへ向かうことにした。
「では」と言って別れると、背後から「今度野菜を持っていくよ!」「力仕事なら任せてくれよ!」なんて言葉が飛んできたので、俺は振り返って、ペコリと頭を下げ『お願いします』とアピールしておいた。
(この町の人たちは、子どもたちのことすごく気にかけてくれているんだなぁ)
そんなことを思いながら、俺はギルドの扉の前に立つ。
扉に向かって手を伸ばしたとき、ガシッと俺の腕を掴む人物がいた。
隣に人が来たことに『気づかなかった』。
いや、その気配は警戒対象じゃないと認識している人物だったから、『気づけなかった』のだ。
「──お待ちください。その格好でギルドに入るおつもりですか? 」
知的で、落ち着いた低めの美声が、鼓膜をくすぐる。
横を見ると、肩に流してある白髪の三つ編みが目に入った。
俺の腕を掴んできた人物は、仲間のフィノだった。
「えっ──!?」
(な、なんで、フィノがここに?)
俺は慌てて俯く。顔を見られるのはまずいと思った。
「この町にある孤児院のシスター……でしょうか? ギルドに一体何の用事があるんですか?」
「え、えっと、ちょっと自分宛の手紙が届いてないかを確認をしたくて……」
「あなた宛ての手紙、ですか?」
「え、ええ……」
なんとなく裏声で答えてみる。チラッとフィノの顔を盗み見れば、こいつは眉をしかめていた。
「もしや、神殿関係者はあまりギルドに近づかないほうがいい、ということをご存じない?」
「……え?」
(神殿関係者はギルドに近づかないほうがいいって、どういうことだ?)
男の姿だったとき、そんな話をフィノから聞いたことはなかったと思う。
俺は思わず顔を上げ、フィノの顔を見つめる。こいつはニッコリと、まるで女神像のように作り物じみた笑みを浮かべていた。
「確認したいことは手紙だけでしょうか?」
「そうですね」
「では、私もお付き合いしましょう。そのほうが良さそうです」
フィノは俺の前に立ち、ギルドの扉に手をかけた。
ギィ……と軋む音を立てて開ける。
中に入った途端、冒険者たちの鋭い視線が刺さってきた。まるでギルドに迷い込んだ異物を見るような目。
『敵視』──そう呼ぶしかない、あの視線。
(……なんだ?)
俺は眉をしかめながら、先頭を歩くフィノについて行く。
受付に到着すると、俺は受付嬢に声をかけた。
「すみません。自分宛に手紙が届いてないか、確認をお願いします」
そう言って、ギルドカードを差し出す。受付嬢は「はぁ?」という態度だった。
昨日は、どちらかといえば「この人が冒険者を?」と戸惑っている様子の「はぁ?」だった。
今日は、「お前は何を言ってるんだ?」というような「はぁ?」だ。
フィノが俺の隣に立つ。ニコニコといつものようなエセ臭い笑顔を浮かべ、受付嬢に「お願いします」と後押しをしてくれた。
受付嬢は顔を赤くしながら「はいっ!」と返事をする。
……とてもわかりやすい反応だった。
受付の彼女が手紙の照会をやってくれている間に、フィノがこっそりと俺に耳打ちしてきた。
『このように、ギルドの方々は我々、神殿関係者をあまり良く思ってはいないのですよ』
『そうだったんですね。知らなかった……でも、なぜそんなに──』
『おや、もう照会が終わったようですよ』
ギルドと神殿が良い関係を築けていない理由を知りたかったが、手紙の照会が終わってしまった。
「先ほどは大変申し訳ございませんでした。こちらをどうぞ」
受付嬢が手紙を差し出す。手紙の差出人を知ってなのか、フィノがいるからなのか、彼女の態度が改まった。
俺は「ありがとうございます」と言って手紙を受け取ると、すぐにその手紙を開いた。
「──え?」
手紙を読んだ瞬間、思わず息を呑んだ。
俺はまばたきを繰り返す。
王妃様からの返事には『その町に孤児院はないはずです』と書かれていたのだった。




