28 俺の名前は『アルカ』
「こんなものしかお出しできなくて、本当にすみません……」
「いえ、お構いなく」
目の前に置かれたのは、年季の入った木のコップに入った水だった。
大きなテーブルは大人数が一緒になって食事を取る場所なんだろう。俺の隣にも先ほどの少年たちと、彼らよりもさらに小さな子どもが席について、俺が買い上げた食べ物を一心不乱に食べている。
「改めてお礼を言わせてください。本当にありがとうございました。あ、私はリリアナと申します。あの……お名前を伺っても……?」
「あっ、名前はアル──」
「ス……」と言いかけて、ぴたりと口をつぐむ。
『勇者』と同じ名前はやめておいた方がよくないか?
違う方がいいよな? となると、どんな名前にしよう?
(アル……ア、アルイ、アルウ……アルエ……)
五十音を順に当てはめていく。
「アルカ。お……私の名前はアルカです!」
「アルカさん。素敵なお名前ですね」
俺たちが自己紹介をしている間に、子どもたちはご飯を食べ終えたようだ。
それぞれ食べ終わった木皿を持って、洗い場へと運んでいた。
「アルカさんのおかげで、あの子たちにご飯を食べさせることができました。ありがとうございました」
シスター──リリアナさんがお礼の言葉と共に微笑む。
その笑顔は、感謝に満ちていながらも、どこか悲しさを含んでいた。
俺は目の前のコップを持って、口をつける。
喉を潤すと、彼女に気になっていたことをぶつけてみた。
「立ち入ったことを聞いてもいいでしょうか?」
「……はい」
「その……ここって、子どもが盗みをするくらい、追い詰められてるんですか?」
食べ物を盗んだ子どもたち。
彼らと一緒に歩いて孤児院へ向かっていたとき、気づいたのだ。
好きで盗んだわけじゃない──彼らの顔にはそう書いてあった。
「そうですね。実は……毎月届いていた孤児院の支援金が届かなくなってしまって、ずいぶん経つのです」
「支援金が届かない……? そのことを町長さんには?」
「はい。伝えたのですけれど、何もわからないとのことで……」
孤児院への支援は、王妃様がしているはずだ。
おかげで、この国の孤児たちは、飢えることなく、働ける年までちゃんと育ててもらえる。
「何度も訴えてみたのですが、村長さんはどうにもわからないと。私も何が何やら……。でも、呆然と立ち尽くしていても、子どもたちはお腹を空かせます。まず、現状でやれることをと思いまして。実は農家から種を譲っていただき、孤児院の庭を畑にし、育てていますが収穫までは、やはり時間もかかってしまって……」
種を譲ってもらった農家に事情を話して、クズ野菜を譲ってもらったりしながら、何とか凌いでいたけれど、どんどん大きくなっていく子どもの胃を十分に満たすことは難しい。
クズ野菜を貰える量も減ってきた。
「貰いに行く回数が多いから、かもしれません……」とリリアナさんは言う。
「どうしても食べ物が用意できない日が出てきてしまって……そしたら、今日のようなことを子どもたちが何度か……私が不甲斐ないばかりに」
眉を下げ、今にも泣きそうな顔を見せた──と思ったら、すぐに笑顔を浮かべた。
それはまるで、悲しみを隠すために貼りつけた仮面のようだった。
三歳くらいの子どもが、空になったお皿を手にリリアナさんの元へやってきた。
彼女は「えらいえらい」と言いながら、子どもの頭をそっと撫でた。
(王妃様に何かあったのか……?)
俺は顎に手を当て、王城で王妃様に会ったときのことを思い出す。
『勇者』として認められた直後、王様と王妃様に謁見する機会があった。
王様からは魔王の討伐を、王妃様からは──
「旅の途中で、もし国の異変に気づいたら、どんなに些細なことでも報告してほしい」
王妃様はそう言って、穏やかな笑みを浮かべていた。
王城から遠くなればなるほど、私たちの目は届かなくなるから、と。
各地には領主や町長がいるけれど、旅する勇者だからこそ気づける問題もあるはず、と──。
(……孤児院の支援金が届いていない件も、その“異変”に入るだろうか?)
いや、その前に。
まずはここの食事を何とかしないとな。
明日の分もないのはわかっているし、きっとリリアナさんもまともな食事なんて取れていないだろう。
そう思った瞬間、俺は椅子を押しのけるように立ち上がっていた。
「リリアナさん。子どもたちの中で、年上の子を二人ほど手伝いに借りてもいいですか?」
「アルカさん……?」
「ちょうどここに先日魔物を倒した魔石があるので、これを換金して、食材を買い出ししてきます。食材の荷物持ちとして二人ほど借りたいんです」
「そんな……貴重な魔石を、私たちのために使っていただくなんて……!」
「大丈夫です。その代わりと言っては何ですが、今日泊まる宿もまだ決まっていないので、孤児院のお部屋をお借りしてもいいですか?」
「で……でも……」
リリアナさんは困惑していた。会ったばかりの人間を頼るわけにはいかないと思っているように見えた。けれど、ガツガツと食べている子どもたちの姿を見て、彼女は決めたようだった。
ガタッと立ち上がると、リリアナさんは深く頭を下げる。
「アルカさんを頼ってしまい、申し訳ありません」
「困ったときはお互い様です。俺……私は、泊まる所を困っていたので、宿代として食材をちょっと買ってくるだけですから」
そう、これは等価交換なのだとリリアナさんに言う。こちらが一方的に与えるだけではないのだと伝えることで、彼女の心の負担が減るといいと思った。
「では、話は決まったことですし、早速買い出しに行こうと思います。人選はお願いしてもいいですか?」
「わかりました。呼んできますので、少々お待ちください」
リリアナさんはそう言うと、部屋を出て行った。先に食べ終えた子どもを呼びにいったのだろう。
俺の元へ、トテトテと歩いてくる子どもがいた。この子も三歳くらいに見えた。
「んっ!」
小さな手で空になったお皿を掲げてくる。全部食べたぞ、と言いたいらしい。
俺は「えらいぞ!」と笑って、その頭を撫でてやった。




