26 アルス君の呪い / フィノ視点
「それで、あなたたちがここへ来たのは、アルスさんのこと──ということでよろしいですか?」
私の隣に座っている、眼鏡をかけた男性──リューエン殿が『アルス』という名前を口にしました。
そのことに正面に座っているヴァルド君もカイエル君も驚いています。
私も顔には出しませんでしたが、驚きました。私たちの名前を知っていたことといい、魔女というのは相手のことを見透かす力でも持っているのでしょうか?
「それは、アルスがここに来た……ということですか?」
カイエル君がすかさず尋ねます。リューエン殿は『はい』と頷き、一口だけお茶を飲みました。
「勇者アルスはここに来ました。僕に作って欲しい薬があったようで。その薬を飲んだ後、ここを出て行きましたよ」
「あん? アルスが薬? どういうことだ? アイツ、病気だったのか?」
ヴァルド君が割って入るように問いかけてきました。
カイエル君の手を顎の辺りに添えて、何やら考え込み始めたようです。
「病気なら、フィノに診せればいいはず……なのに、わざわざ魔女の家まで来たということは、フィノでは治せない何かだった……ってことですか?」
「こいつに治せないものって何だ? んなもんが、あんのか?」
「そうですねぇ……私は女神様ではありませんので、すべての病気やケガを治せるわけではありませんから」
二人の問いに私は答えました。
そう。神ではないので、何でも治せるわけではない。
私の言葉にリューエン殿がうなずきます。
「そうですね。高位の聖人でも治せないような、強力な『呪い』を彼は負っていました」
「呪い……ですか?」
「はい、かなり強力でして。僕の薬をもってしても、一時的に戻すことができるのがやっとで……」
ふむ。私にも解呪できない『呪い』ですか。一体どんな呪いなのか気になりますが……。
(それよりも、アルス君はいつそんな呪いにかかったのでしょう?)
私たちは常に彼と一緒にいた。ヴァルド君、カイエル君、それに私。
誰かしらがアルス君に付いており、彼から目を離さないようにしていたはずです。
(もしや……)
「銀髪の女──が、呪いを……?」
ポツリと零したのは、カイエル君です。私と同じことを考えていたようです。
「おや? アルスさんは、貴方たちに打ち明けていたのですか? それなら話が早いですね。そうです。女の呪いを──……」
「なるほどな。つまり、銀髪の女はポヤヤンなアルスに呪いをかけ、言うことを聞かせようとしたってことか? だが、アルスは女の元から逃げだし、その呪いを解呪するためにここに来たと。もしかして、さっきの……ベアドスを倒したのは、アルスか? あいつなら納得だ」
「ヴァルドのくせに鋭いですね」
「あ!? んだとカイエル!」
「褒めてるんだから、怒らないでくださいよ。きっと呪いをかけられたときにでも『フィノでも治せない』と女に言われていたのかもしれません」
「まぁ、それなら、あの突然の書き置きも納得できるしな」
「そうですね。俺が受け取った『まだ戻れない』というアルスの手紙も、きっと解呪ができなかったからですね──うん。これですべての謎は一本の線に繋がりました」
ガタッとカイエル君が立ち上がりました。ヴァルド君も同じように立ち上がります。
二人はここを出て、アルス君を追いたいのでしょう。仕方がないですね。
でも、その気持ちはわかります。私も同じですから。
「リューエン殿。お茶ありがとうございました。お話を聞けて良かったです」
「え、あの……すみませんが、何やら皆さん勘違いを──」
「フィノ! 行くぞ!!」
既に家の玄関まで移動していたヴァルド君が振り返って私を呼びます。
私は、リューエン殿に向かって、すみません、と微笑んでみせた。
「お茶、ごちそうさまでした。私たちは先を急ぎますので、お暇いたします」
私は立ち上がり、待っている二人のもとへ歩いて行きます。
玄関のドアに手をかけて一度振り返り、リューエン殿に軽く会釈をしました。
そのとき、彼は私たちに向かってそっと手を伸ばしていました。
その仕草はまるで「まだ何かを伝えたい」と言っているかのように見えました。
(……なんでしょう?)
ドアを開け、彼にそう問うべきでしょうか?
「──フィノ、魂索の針を」
カイエル君の言葉を聞いて、私は腰に下げていた小さな巾着から道具を取り出します。
針が指し示す方角に向かって、ヴァルド君が先頭になって歩き始めます。私は二人のあとを追いながら、後ろを振り返りました。
魔女の家の玄関が開かれることはありませんでした。
私たちを追いかけるほど、重要なことでもなかったのでしょう。
私は前を見て、森の中を歩くのでした。
**
「ここは……村でしょうか?」
ここは規模の小さい町かと思いましたが、どちらかといえば村の雰囲気が漂っています。
旅人が気軽に寄れる施設も少ないようですし、間違いないでしょうね。
村の中を歩いていると、男が一人、また一人と現れ、どこかへ向かっています。
皆が手にナイフのようなものを持って、同じ場所を目指しているようでした。
「なんだぁ?」
ヴァルド君もカイエル君も気になったようです。
私たちも村人が向かっている場所に向かうことにしました。
村の隣に広い畑が広がっています。その場所に小さな小山が二つありました。
近づいて行くと、その小山の正体がわかりました。魔物──クラッグボアでした。
刃物を持った村人たちは、クラッグボアに群がっていました。
なるほど、刃物を持っていたのは解体作業のためでしたか。
(銀髪の女を追っていたら、クラッグボアが倒されていた。……これもアルス君がやったのでしょうか?)
十中八九、アルス君の仕業でしょう。でも、確信が欲しくて、私は辺りを見回します。
村の男たちはクラッグボアの解体を。女たちは男たちに飲み物などを準備しているようでした。
一人の女性が村へと戻って行きそうでしたので、私は彼女に声をかけることにしました。
「すみません。少しよろしいでしょうか?」
「はい、何でしょう~? ──ふぁっ!?」
そばかす顔の女性は、飛び上がらんばかりに驚きます。顔を真っ赤にして、視線をあっちこっちに移動させていました。
どうしたのでしょうか? ──なんてことは思いません。すみません、顔が良いばかりに。ご迷惑をおかけいたします。
「この魔物を倒したのは村の方ですか? こんな大きなクラッグボアを二頭も……すごいですね」
「い、いえ! これはお姉さま……じゃなくて、村に立ち寄った冒険者さまが倒してくれたんです」
「ほう。冒険者が……その冒険者とは、銀髪の男性ですか?」
「えっ? 違います。長い銀髪の女の人です」
「銀髪の……女?」
(女がクラッグボアを倒した……?)
その言葉を聞いたヴァルド君とカイエル君は、クラッグボアに近づきます。
一通り観察を終えると、彼らは私の元へ戻ってきました。
「フィノ。魔法を使った形跡はありませんでした」
「クラッグボアを仕留めたのは剣だろう。刀傷があったからな」
「……銀髪の女は魔法ではなく剣の使い手ということでしょうか?」
私たちが話し合っていると、女性がおずおずと話しかけてきました。
「あ、あの。旅のお方とお見受けします。よかったら、うちの食堂で休んで行かれませんか?」
ありがたい申し出です。私たちは彼女に案内され、村の食堂へ着きました。
椅子に座ると、先ほどの女性が飲み物を運んできてくれました。
「よかったらどうぞ。果実水です」
「ありがとうございます。いただきます」
コップに口をつけると、ふわりと柑橘系の香りが鼻を抜けていきました。
(アルス君が好みそうな味ですね)
ゴクリと喉を鳴らしながら、私はそんなことを思いました。




