01 勇者、女になる
「あ~……なんか変な夢見た……」
俺はまだ眠い目を擦る。
昨晩は、森の奥にある洞窟ダンジョンのボスを倒した祝いと称して、仲間たちと酒を浴びるように飲んだ。
酒場から宿屋に戻って、ベッドにダイブ。
そこからの記憶が一切ない。俺はそのまま寝てしまったのだろう。
「なんか顔がベトベトする……風呂にでも入るかぁ」
ベッドから降り立つ。
あれ……? 目線が低い?
いつもと違う感覚に、首をかしげる。
すると、サラリとした柔らかいものが頬を撫でた。反射的にパッと手で払う。
「……ん? 髪?」
今、俺が払ったものは長い髪。銀色の長い髪だ。
軽く頭を揺らすと、さらさらした銀髪が肩にまとわりついた。
邪魔だ、ともう一度払う──そのとき、自分の手が目に入った。
なんか、俺の手……小さくない?
寝起きと少しばかり二日酔いの入った頭は、しゃっきりしないし、動かない。
とりあえず顔を洗おう。うん。話はそれからだ。
俺は、ふわぁ~と大きなあくびをしながら、部屋にある簡易浴室へと足を運ぶ。
服を脱ぎかけたところで、ふと脱衣所にある小さな鏡が目に入った。映った姿と目が合い──思わず声を上げる。
「うわぁっ!? す、すみません! ごめんなさい!」
(お、女の人!? 裸見ちゃった……!)
俺は慌てて脱衣所を出ようとする。
ドアを勢いよく開け、ピタッとその場で動きを止めた。
「──ちょっと待て」
ここは俺の部屋だ。他には誰も泊まっていないはずだ。
脱衣所を出ようとした足を、くるっと引き返す。
もう一度、鏡をそっと覗く。するとそこには、先ほどの女の人がいた。
「え? ええっ?」
俺が両手で顔を触れば、鏡に映る女性も同じ動きをしている。
光を帯びた銀糸の髪に、太陽を宿したようなオレンジアンバーの瞳。それらは『俺』という人間と同じ色だった。
違うところといえば、まつ毛が長く、目はパッチリ、すっと通った鼻とぷっくりした小さな唇──顔面偏差値と、あとは性別だろうか?
(ん……? 性別?)
『俺』は鏡に向かってまばたきする。
少女から大人の女性へと移り変わりつつある『美少女』も、まばたきをしていた。
俺は鏡に手をつき、ぐっと顔を寄せる。
「はぁああああああ!? なんじゃこりゃあああああ!?」
脱衣所の中で『俺』は、思いっきり叫ぶ。
しゃっきりしない頭が、一瞬でハッキリしたのだった。
**
「まずは整理しよう」
濡れた髪を拭きながら、ベッドの上で胡坐をかく。
風呂に入ったことで、少しだけ冷静さを取り戻した。
俺は今、女の子になっている。
たわわな胸の膨らみに、はわわと格闘しながら、身体を洗ったんだから間違いない。
しかし、なぜ女になっているのか? それがまったくわからない。
その原因を突き止めるために、これまでのことを遡ることにした。
「俺は勇者アルス。それは確かだ。間違いない」
そう。俺は『勇者』だ。
この世界に生まれ、しばらくして、そのことに気づいた。
前世の記憶──別の世界で、俺はこの世界のことを知っていた。
ここは『ゲーム』の世界。
勇者が魔王を倒し、平和が訪れる──王道RPGの世界だ。
ただし、このゲーム。他の王道ゲームと違う点がある。
最初の選択──主人公の性別が、エンディングに大きく関わってくるのだ。
男勇者を選べば、魔王を倒したあと、王様から姫を嫁にと言われ、甘々な新婚ラブラブハッピーエンドを迎える。
女勇者を選ぶと、魔王を倒したあとは、パーティー仲間の男たちと逆ハーレムのエロエロエンドを迎えてしまうのだ。
発売直後──そのことを知らなかった男プレイヤーたちは、エンディングを迎えて、阿鼻叫喚。
SNSでは野郎の悲鳴が毎日聞こえてきた。俺ももれなくエロエロエンドを迎えて、白目になって死んでいた。そのあとで男主人公で再度プレイし直し、甘々エンドを見ながら心の傷を癒したものだ。
「待て……女勇者?」
俺はベッドを降り、もう一度脱衣所へ行く。鏡に映る自分の顔をじっと見た。
この顔、なんか見覚えがあると思ったら……そうだ! 女勇者だ!!
俺の脳裏に、エロエロエンドが蘇る。
風呂に入ったばかりだというのに、嫌な汗がじわりと滲んだ。
今一緒に旅している仲間の男たちは、系統違えど、全員スペシャルなイケメンだ。
そして──
(あいつらは絶倫なんだ)
一緒にパーティーを組んで、魔王を倒す旅に出てから初めて知ったことだ。
町をひとつ訪れれば、あいつらに抱かれなかった女はいない──そう噂されるほどの絶倫っぷりだ。
ゲーム中に、そんなエピソードは描かれていなかった。
それはきっと制作側が意図的に隠していたのだろう。
すべては、エロエロエンドのために。
『勇者』というのは、童貞または処女じゃなければ、その聖なる力を失ってしまう。
もし、この姿の俺を……今、あいつらが見たら──……?
「こうしちゃいられない!!」
女になった原因をたどるのは後回しだ。俺は脱衣所を出る。
荷物をまとめ、ぶかぶかの服の裾をキュッと結んだ。ズボンは何度も折って捲り上げる。
それから、部屋に備え付けられているメモにペンを走らせた。書き置きを残すために。
『ちょっと用事ができた。探さないでください。すぐに戻る』
メモをわかりやすいようにベッドの上に置く。俺は部屋のドアを開けた。
キョロキョロと辺りを見回し、人がいないことを確認してから、そっと廊下に出る。
昨夜は酒をしこたま飲んだから、あいつらもまだ寝ていることだろう。
物音を立てないように気をつけながら、仲間たちの部屋の前を通り抜ける。ギシッ、ギシッと軋む階段をゆっくりと下り、宿の外に出た。
俺はほっと安堵の息を吐く。
澄んだ朝の空を見上げた。
「うー……腹減ったな」
直近の危機を脱したせいか、安心した途端、お腹がきゅるると鳴った。
本来であれば宿で朝食が取れるはずなのだが、致し方ない。
俺は屋台が立ち並ぶ広場の方角へと歩き出す。
あそこなら朝でも何か売っているだろう。
「おじさーん、串焼き一本ちょうだい」
「お姉ちゃん美人だねぇ! おじさん朝から機嫌がいいから、もう一本おまけだよ」
「へ? あ、ありがとう?」
差し出された二本の串焼きを受け取り、俺は屋台のおじさんに頭を下げ、お礼を言う。
町の広場にある大きな木の根元に座り込むと、串焼きにかぶりついた。
「──んまっ!」
出来たての串焼きは絶品だ。至福の味に笑みがこぼれる。
もう一口かぶりついて、溢れる肉汁に舌鼓を打つ。
この時の俺は、すぐに男に戻れると思っていた。
これから仲間たちに全力で追われる日々が始まる──なんてことに、まだ気づけるはずもないのだった。