15 神殿へ / フィノ視点
「ふぅ……無事に飛べたようですね」
私たちを包んでいた風がすっと消え去ると、そこには大勢の人々がいました。
カイエル君の魔法で突然現れた私たちに、皆が驚いているようです。
ここはセリムナの街の広場でしょうか?
中央に噴水が見えますので、間違いないでしょう。
私は見覚えのある風景に、目的地へ到着したことを確信しました。
隣に立っているヴァルド君も辺りをキョロキョロした後で、うなずいています。
「あー……腹ぁ減った。フィノ、飯を先に食うぞ」
「ええ、どうぞ。構いませんよ」
ヴァルド君は相当お腹が空いているようです。言うや否や、広場に並んでいる屋台に向かって歩き始めました。
(一刻も早く神殿に行きたい──と言いたいところですが、私もお腹が空きました。まずはお腹を満たしてからにしましょう)
「ヴァルド君、待ってください。私の分もお願いします」
赤い髪の背中に向かって、声をかけながら私も歩き始めました。
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「神官長様がいない?」
「は、はいっ! 他の方々も今、王都にいらっしゃいます」
「王都に……」
ヴァルド君と一緒に屋台の串焼きを食べた後、私はこの街の神殿に訪れました。
用事をとっとと済ませようと思ったのですが、神殿の豚──もとい、神官長様がいらっしゃらないようです。
高位神官たちも揃って王都に行っているということは……。
(胸くそ悪いことですかね……)
チッと舌打ちしたくなりますが、目の前にいる見習い神官が、私のことを羨望の眼差しで見つめています。
失望させるのはよくありませんからね。ニッコリと笑顔を崩さないことにしましょう。
「ここの神殿に『魂索の針』という道具があると思うので、それをお借りしたくてこちらに来たのですが、困りましたね……」
独り言のようにボソッと喋ってみました。それから口を押えて「ああ、いけない。失言した」と装ってみせます。
誰が聞いているかわからない場所で、道具の名を出してしまった、というように演じてみました。
憧れの聖人──しかも、勇者付きの私が困っている。
さて、見習いの君はどうすべきか。もうおわかりですね?
見習いの彼は、周囲を見回しました。誰もいないことを確認しているようです。
「あの……フィノ様。少しお時間をいただくことはできませんか?」
「時間を……? どういうことですか?」
「実は明後日、神官長様のお部屋の掃除担当は僕なんです。なので、そのときにご希望の道具を手に入れることが可能かと」
「そんな、まさか、君は神官長様に黙って……? いけませんよ」
一度は聖人らしく諌めておきましょう。
ポーズは取っておいても損はありません。
「……そう、ですよね。すみません」
「と、言いたいところですが、お願いしてもよろしいですか? 実は魔王に関する重要な案件なので、どうしてもあれが必要なのです」
魔王に関する重要案件で、君を頼りたい。
あなただけにしかできないことです。
そんな表情を浮かべてみます。
彼はゴクリと喉を鳴らすと、「わかりました」と言ってくれました。
神殿の上のやつらはゴミクズですが、こういう見習いや下っ端の人たちは純粋で素直です。
唯一褒めるところがあるとすれば、彼のような人が存在している点に尽きます。
(このままでいてくれたらいいのですが……)
上が腐っていると、だんだん下も腐っていきます。
彼が神殿の闇に触れる時ができるだけ遅くあるように、と柄にもなく願ってみました。
「では、明後日こちらにまた伺います。時間帯はいつ頃がいいでしょうか?」
「そうですね……お昼過ぎであれば、自分も時間が取れると思います」
「わかりました。では、その時間にまた来ます」
私はそう言って、神殿を去りました。
宿に戻ると、明後日まで道具が手に入らないことをヴァルド君に伝えました。
「マジかよ……」
「仕方ありません。神官長がいれば、すぐに手に入ったのでしょうけど……」
「んじゃあよ、この後はどうするんだ?」
「そうですねぇ……ヴァルド君、少しお願いごとをしても?」
「内容によるな」
ヴァルド君が眉をしかめました。
彼の野性的な勘は侮れませんね。
「そんな変なことではありませんよ。ただ、ちょっとギルドに行って、カイエル君に『道具が手に入るのは明後日になる』と伝えてきてほしいんです」
「はぁ? なんで俺様がカイエルの野郎に」
「それはほら……わかるでしょう?」
私は両手を広げてみました。
着ている服をヴァルド君に見せつけるように。
「……仕方ねぇな」
「ヴァルド君が私についてきてくれるのなら、私がやってもいいですよ?」
「野郎二人で仲良くギルドってか? だったら俺様一人でいい。時間のムダだ」
勇者のお付きの聖人とはいえ、神殿の人間がギルドに寄りつくのはあまり好まれません。
配慮はしておいて損はないのです。
「俺様はギルドに行ったら、そのまま酒場に行くぞ」
「どうぞ、構いませんよ」
「お前は? この後どうするんだ?」
「そうですね……少し娼館にでも顔を出してみましょうか。今、神殿には高位神官が全員いないようですから、少し旅費を稼いでおきます」
私がそう言うと、ヴァルド君は「ああ……」と納得します。何かを思い出したのか、彼はくくくっと笑い出しました。
「すまん、悪ぃな。そういや、ポヤヤンのアルスは、まだお前が娼館でヤリまくってるって思ってるんだろうなと思ってよ」
「別に支障はありませんから、訂正する必要もないですね」
「言ってやればいいんじゃねーの? 娼館の女たちの病いを治してやってるんだって」
「……まぁ、治してはいますが、その見返りがゼロというわけでもありませんから」
私の返事を聞き流しながら、宿の部屋を出て行こうとするヴァルド君。興味がないのなら、聞かないでくださいよ……まったく。
ドアに手を掛けたその背中に向かって、一応忠告をしておきます。
「あなたこそ行きずりで変な病気をもらってこないように。私は男は治しませんよ」
「バーカ! 俺様がそんなヘマするかよ」
ヴァルド君はそう言うと、手をヒラヒラとさせながら出て行きました。
私は、ふぅと息を吐いて自分の手を見つめます。
「今でこそ〈聖人〉なんてやっていますが……私が娼館生まれだと知ったら、アルス君はどんな反応をするんでしょうねぇ……」
あのお人よしの勇者は、私のことを『可哀想』という目で見るでしょうか?
それとも、汚いものでも見る目で見つめてくるでしょうか?
(……きっと君は態度を変えないんでしょうね)
何でもない顔をして「それが今のフィノと何か関係あるのか?」なんてことを言いそうです。
「私はなんとしても、上に登り詰める。そのためには、今ここで牙を抜かれるわけにはいかないのですよ。……だから、彼は知らなくていい」
勇者のお供になったのも、そのためだ。
神殿で自分の地位をさらに向上させるためだ。
仲良しこよしで旅をするためじゃない。
私は支度をすると、宿のドアを開けました。そして、この街の歓楽街へと向かったのでした。




