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14 『新月』


「やっぱり、そうなりましたか」


 目の前が真っ暗になっている俺の耳に、リューエンさんの声が届く。

 その声色は、まるでこうなることがわかっていたかのようだった。


 顔を上げ、リューエンさんを見上げる。彼は膝をつくと、俺の顔に手を添えた。

 両手の親指で目の下の辺りを少し引っ張る。どうやら目の中を確認しているらしい。


「薬は成功です。アルスさん」

「──えっ!?」


 リューエンさんの口から『成功』という言葉が出た。


 でも、俺の姿は何一つ変わっていない。

 もう一度自分の身体や手、髪の毛を確認したが何も変化はなかった。


 頭の中が混乱する。眉をひそめながら、彼の顔を見上げた。


 リューエンさんが手を差しだし、俺を立ち上がらせる。そのまま手を引っ張って彼が歩き始めた。案内された先は洗面所だった。


「アルスさん、目を見てください。少し変わったことに気づきませんか?」

「俺の目……?」


 鏡に顔を近づけ、自分の目を見つめる。瞳の中心に三日月のようなものが見えた。

 まばたきをしても、それは消えない。きっと、これがリューエンさんの言っていた『変化』だ。


「目の中に『月』がある……?」

「正解です」


 この世界にも『月』がある。前世の月との違いはほとんどなかった。

 違うところといえば、少しだけ色が濃いくらいだ。こちらの月はオレンジがかった黄色をしている。


「種付けブレスは強力な呪いです。全解呪をするには時間も素材も必要となります。今回、イチかバチかで解呪できればいいなとは思いましたが、やはりそう簡単なものではありませんでした」

「えっと……?」

「全解呪はできませんでしたが、一時的にあなたを男に戻すことには成功しました。時限式ですが、その瞳の中にある月が消えたとき──つまり『新月』になったときだけ、アルスさんは男に戻れます」


 リューエンさんの言葉を何度も頭の中で繰り返す。

 種付けブレスの呪いは全解呪できなかった。けれど、一時的に男に戻れる。自分の瞳の中にある『月』が新月になったときだけ。


 俺はもう一度鏡に映る自分と対面する。まばたきを繰り返し、消えない三日月を見つめた。


「その様子だと、あと数日で新月になりそうですね。アルスさん、本当に戻れるか確認できるまで、この家にいていただいてもいいですか?」

「それは、俺も願ってもないことですけど……いいんですか?」

「ええ、もちろん。薬を作ったのは僕ですから」


 俺はリューエンさんの言葉に甘え、あと数日この家に滞在することにした。


(瞳の中の月が消えたら男に戻れる……)


 この日の夜、俺はいつまで経っても寝付けなかった。



 ***



「おはようございます……」


 リューエンさんの薬を飲んで三日後。

 俺は眠い目を擦りながら、階段を下りた。

 昨晩もなかなか寝付けなかったから、身体が妙にダルい。


「アルスさん、朝食ならもうすぐできますから、少し待ってください~!」


 朝から元気なリューエンさんの声が聞こえてくる。

 肝心の本人の姿が見えないのは、キッチンにいるからだろう。


「ありがとうございます! ちょっと顔洗ってきます!」


 俺は大声を出して、返事をすると、ふわぁ~っと大きなあくびをしながら、洗面所へ向かった。

 目尻に涙がにじむ。指先で拭いながら、洗面所にある鏡を見た。


「──え……?」


 鏡の中にいる自分との対面する──そこには、銀色の短髪の男がいた。

 髪に手を伸ばす。……襟足が短い。下を向いて自分の身体を見れば、メロンのような膨らみが消えていた。


 髪を触った手が、今度は股間に伸びる。

 長年連れ添った相棒が、ちゃんと戻ってきていた。


「戻ってる……えっ? 戻ってる!? あっ! 声が低い! あーあーあー……低い! うわっ! マジで戻ってる!!」


 約一ヵ月ぶりの『(じぶん)』との対面に感動する。もう何年も経っているかのようだった。二の腕を掴んでみる。腕が太い。華奢な女勇者と全然違う。

 感動した俺は、自分の身体のあちこちを触りまくっていた。己の身体をぎゅうっと抱きしめる形になったとき、リューエンさんが洗面所にひょっこりと顔を出す。


「アルスさん、朝食できました~……って、おや? 解呪はうまくできたようですね」

「リューエンさん!」

「はい、何でしょう?」

「ありがとうございます!!」

「いえいえ。解呪ができたと言っても、一時的なものでしかありませんが」


 そうだった。男に戻れるのは一時的なものだった。

 瞳の中の『月』が消えている間だけ。


「新月の間だけ男に……って、時間はどれくらいなんですか?」

「夜空に浮かぶ月と同じだと思っていただいて構わないかと。一日だけ、と考えて間違いないでしょう」

「そうですか……」


 一日だけ、男に戻れる。


 たったそれだけで、一体何ができる?

 他の誰かなら、そう思ったかもしれない。

 しかし、今の俺にとって、それは救いであり、希望だった。


 寝付けない夜にずっと考えていたんだ。

 一時的に男に戻ったとして、どう行動するのかを。

 考えて、考えて、考えた結果、俺は一つの活路を見出していた。


「男に戻っている間に魔王を倒せば、そのままエンドロールへ突入するはず! つまり! エロエロエンドを回避できる!!」


 拳を握りしめ、その手を天井に向かって突き上げる。

 横にいるリューエンさんが「エロエロ……?」と言っていたが、その言葉は俺の耳には届かなかった。


 うおおおおお!! と雄叫びを上げ、気合いを入れる。

 気合いを入れすぎたあまり、着ていた服の片袖がビリッと裂けた。

「あっ!?」と声を上げた瞬間、もう片方もビリッと裂けてしまったのだった。

読んでいただきありがとうございました。

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