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逆転  作者: Avoid
リンゴ色の狂気
1/14

1.道化

 いつも通っている馴染みのスーパーで、私は、変なリンゴを見つけた。色はとても鮮やかな赤色で綺麗なのだけれど、すこし、形が変。丸いはずのリンゴが、一部分だけ齧られてしまったかのような、ともすると月のクレーターにさえ見える、不思議な形。


 ほかのお客さんも物珍しさに惹かれて、近くまで寄ってはくるのだけれど、やっぱり、手に取るのは丸いリンゴだけで、彼女はぽつん、と一つ取り残されてしまう。


 変なリンゴのことを彼女と呼んでみたのは、なぜだか、それが健気に振舞おうとする可憐な少女のように感じられたからだ。周りのリンゴ達からは距離を置かれ、誰一人として買おうとする気配も見せないのに、それでも彼女はそこにいる。とても強かで、立派な、重みを感じるリンゴ。


 ――自然と手を伸ばしていた。


 レジに並ぶと、店員らしき人物は一人も見当たらず、あるのは、幾台かの無人レジと、黒くて丸い防犯カメラ。時代の移り変わりと共に、レジ係というものが淘汰され、人が消えたのだ。こんなにスーパーは広いというのに、店員は、いない。私はそれが、ひどく怖いことのように感じられて、ふと、近所に住むおばあさんの、『いずれ人がいらない世界になる』、という言葉も思い出し、身体を震わせる。


 怖い、怖いな、本当に人が、いなくなったみたいで、むしろ、いらなくなった、だろうか、存在意義を問われている感覚がして、当然、答えを持ち合わせていない私は、自分が何者なのか分からなくなって、道を見失って、人生の意味を見つけようとして、無理で、一寸先は闇、なんて言葉が、なにより憎く感じて、いやだ。エーアイの発達がそうさせているのだとすれば、最近、流行りになっているけれど、心底消えてなくなってほしいとさえ、思う。遠くから聞こえてくる話し声とか、ピッ、ピッ、ピッ、と鳴る音であったりとか、全部、本当はつくりものであったとしても、いまなら私、驚かない気がする。


 ――はあ。


 物凄く悲観的になってはみたけれど、やっぱり、どうにも実感が湧かない。どうして、エーアイという実体なきものが、私たちの生活を脅かすのだろうか。あまりに、荒唐無稽な話である。きっと近所のおばあさんも、あれは数年前の話であるのだから、いまの世界に安堵感を覚えているに違いない。ロボットでさえ、丸っこいのならいざ知らず、人型はあまり見ないのだ。最初に私がロボットの名を聞いたのは、もう十数年も前のことであるし、未来にも、例え、エーアイがどれだけ凄かろうと、実用性のある人型には、ならないはず。そう、私は信じている。その日が来てしまったら、私も、職を失ってしまうだろうから。


 ピッ、ピッ、ピッ。お会計を済ませ、家の冷蔵庫に足りなかったもの、調味料やお肉類、あとは一つの歪なリンゴを袋にしまい、スーパーを後にする。東京は楽なもので、どこへ行こうとお店が付き物なのだ。歩けばすぐに、別のスーパーが見えてきて、そうと思えば、新手のスーパーがひょこり、現れる。生存戦略がどうのなんて話も、よく聞くものだから、これは、戦争に近い。自分たちの利益の為に、必死で、客を奪おうと戦っているのだ。少女漫画の世界ならば、きっと、『私のために争わないで!』、って、主人公が言う状況。馬鹿らしい。


 閑静な住宅街を蛇のように、するすると抜けて、やっと、私は自宅(と言ってもただの安アパートだけれど)へ戻ってきた。外観は、本当に、老朽化の進んだアパートでしかなく、大地震でもくれば一発で、崩れ落ちそうな、いや、実際のところ、ただの地震であっても、崩れ落ちそうだけれど、ボロボロな建物である。一人暮らしを始めて、とにかく、自由に使えるお金が欲しかったのだ。お金は何にも勝る。そう自分で思って、悲しくなるけれど、まあ、これが現実。世知辛い世の中なので、当然、考え方も、それに似てくるというもの。


 ああ、面倒な世界だ。生きてゆくのも、大変。ただ、呼吸をすることでさえ、価値を求められているようで、なんだか、とても、生きづらい。しんどい。やめてしまいたい。でも、それは迷惑だから、やっぱり、どうにかして、生きてゆかねばならない。私はここにいます、だから、私を見つけてください、と、貼り紙でも出そうかしら。難しい話。ぐちゃぐちゃに煮詰まってきたようで、頭が、こんがらがってしまう。


 結局、どんな時でも、迷惑とか、他人様のことばかり気になってしまって、私は、疲れてしまったのだ。見た目のことに気を使い、言葉遣いも正して、世間に媚びを売って、果てしてない疲労感に、嫌気が差して、どうしても、独善的になれない自分が、心底憎い、それだけのこと。実に単純だ。


 それで、私はいま、玄関扉の前で、鍵を探している。自宅用のすこし大きい鍵だ。普段はこうやって探すこともないのだけれど、現に、鍵が行方不明なので、探している。大きいといっても、所詮は鍵、ということなのだろうか。存外にちびっこい。


 ガサガサ、ガサガサ、と手探りで探ってみても、全くこれといった感触がしない。ので、そろそろ、目で見て探すことを、検討することにした。両手には荷物もあるのだし、本当のところ、あまりしたくはないけれど、仕様がない。一度荷物を地面に置いて、鞄の中を確認するしかないのだ。


 ――どさり。音を立てて荷物を置いた後、私は急いで鞄の中を覗き見る。中には、貴重品がずらり並んでいたけれど、あれも、これも、違う、違う。求めているのは、お財布でも、ケータイでも、なんでもないのだ。鍵、鍵、鍵、鍵。鍵はどこにあるのですか、お返事お願いいたします。小さな声で言ってみても、まあ、返事なんてする筈もなく、私は、途方に暮れて、一度、探すのを止めることにした。


 急がば回れ、なんてことわざもあるのだし、それに、時には引くことも重要だと、隣に住むゲーム好きの大学生が言っていたのを、いま、思い出したのだ。あまり外に出ていないのか、顔を合わせる機会も少ない彼だけれど、そのときは、珍しくどこかへ行こうとしていたので、記憶に残っている。


 確か、あれは夏のある日、長い連休中の出来事であった。




 オレンジ色の光が、最も眩くなる時間帯。染め上げられた青い空と、地平線の向こうに消えてゆく丸いソレから、目を背けるようにして、私は、アパートの階段を上っている。肩を落とし、背中を曲げて、俗に、猫背と呼ばれる姿勢だ。傍から見れば、それはさぞかし惨めで、動く死体のようにすら映っていただろう。


 そう、いまの私は、生ける死体。ユラ、ユラと、揺れ動く視界が、まるで心境のように感じられて、とても、気分が悪く感じられる。深く、暗い泥沼に沈んでしまったかのような、沈んでゆく、丸いソレみたいに、最後の希望が、消えていってしまうかのような、深く、暗い、絶望の淵。直前まで、光る希望を見ていたから、よけい、恋しくなって、虚しくなって、悲しくなって、おかしくなる。温かい光が、いまは嫌いだ。だから、私は下を向いて歩いている。階段を、上っている。下と上と、なんだか、ちぐはぐな世界。おかしく、なる。おかしく、なってしまう。おかしく、あろう。おかしく、なってみせよう。おかしく、おかしく、おかしく、おかしく、ああ、おかしい、おかしく。


 ――道化に、なってみせよう。


 自然と笑みがこぼれて、楽しくなってきた。私は、足取り軽く、ルン、ルン、そのまま羽ばたいてしまうかのように、先ほどとは打って変わって、階段をリズミカルに蹴ってゆく。これほど、自由を感じられた瞬間、いままでだって一度もない。解放感に満ちた感覚が、とても面白いのだ。


『ねえ、あなたも感じてみない?』


 そう、道行く人、色んな人に、言ってみたくなる。これが人間。私はいま、人間の本質に触れているのだ。そして、それがこうも、楽しく、面白く、可笑しいものだなんて、きっと、誰も想像しえなかった、考えもしなかったに、違いない。ああ。なんて、楽しいんだろう。嘘みたいな世界、噓みたいな現実、全部、壊れてしまえばいいのに。壊れろ、壊れろ、壊れてしまえ。


 おかしく、なる。私は私が、嫌いになりそうだ。コツ、コツ、コツと、階段を一つ二つ三つ上る度に、頭が、割れんばかりの痛みを伴って、苦しい。とても、息苦しい。熱い。そして、にも関わらず、ひどく冷静でいられる自分が、恐ろしい、怖い、憎く感じる。


『どうして?』


 わからない。


『なにがあったの?』


 わからない。


『本当はなにかあったんでしょう?』


 わからない、わからない。


『思い出して』


 いやだいやだいやだ。


『心底、呆れる』


 それが私。ネガティブで、感情は振り子のように揺れ動いて、それは、勢いを失ったコマのように不安定で、あっ、という間に瓦解する。オカシクなって、タノシクなって、カナシクなって、ムナシクなって、周りがぱっ、と居なくなってしまう。人間、それが人間なの。不完全だから、私は、胸を張って人間だと言える。


 コツ、コツ、コツ。また足音が聞こえた。でも、今度は私のではない。前方、階段を上り切った、その奥に聞こえる。会いたい。人が恋しい。私はぴょんと跳んで、残りの階段をすっ飛ばした。晴れやかなる気持ち。視界が開けて、ソレが目に入る。


 そして――ドンッ。


 衝撃が、襲った。すこし柔らかな、けれど、確かな感触。いたい。反射的に、目が覚めるような、そんな感覚がして、オレンジ色の眩きを感じる。空は、染まっていた。美しいと、私は思う。でも、死ぬ。死んでしまう。空の美しさを知った私は、このまま落ちて、死んでしまうのだ。天を仰ぐように全身で、すべてを吸収して、温かな日の光を最後に感じて。頭から、階段を転がり、落ちて、そのまま息を引き取り、誰にも、家族にさえ見送ってもらえず、私は、あの世へ逝ってしまうのだ。なんとも、残酷な世界。寂しい。ありがとう。さようなら。感謝の気持ちと、最期の言葉が、心の底から溢れ出す。傍から見れば、きっと涙も出ていたことだろう。惨めで、どんなにいまを悪く思っても、諦めきれない、そんな醜い自分が、不完全で、私は、やっぱり私が好きだ。そう痛感させられる。死にたくない。助けて、誰か。


 叶わぬ願いを、願い続ける。信じて、信じ続けて、腕を天に突き出して。自分からぶつかったというのに、先の人へ、声のないメッセージを送り続ける。まるで、形のない希望を掴み取ろうとするかのように、必死で、醜く、抗い続ける。


 ――でも、ダメだ。もう間に合わない。死ぬ、いやだ、でも死んでしまう、いやなのに。最期、グッと、限界まで腕を伸ばして。ああ、やっぱり私は、最初から素直になれない自分が、大嫌いだな、と。目を瞑り、その時を待った。すぐにやってくる。痛いのだろうか。願わくば、一度で、きっぱりと逝きたいな。


 今か今か、心臓を鳴らしながら待っている。しかし、私の予想に反して、その衝撃と痛みは、待てど暮らせど、ちっとも来やしない。おかしい。私は思う。まさか、本当に願いが叶ったのだろうか。それとも、気付かぬ内に死んでしまったのだろうか。


 バク、バク、バク、そんな心臓の音が、うるさくて仕方ない。目覚まし時計に起こされるときのような、漠然とした不快感に襲われ、私は、瞑っていた瞼をゆっくり、ゆっくり、開けることにした。もし、その後の光景が天国だったらどうしようか、とか、地獄だったらどうしよう、とか、色々考えてはみたけれど、答えはでない。そして何より、いらなかった。


 黒と赤みがかったオレンジの、綺麗なコントラスト。開けた視界に、美しい夕暮れ時の空が広がっている。


 生きていたのだ。片手一つ分、生きていたのだ。ぶつかった直後、突き出した両腕の、一つ、左腕の、先っちょ。手首が、ぎゅうっと、誰かに握られている。いや、誰かではない。先のぶつかった人だ。


 見上げると、私とは反対の右手を使い、さも驚いたような顔で、命を繋ぎとめる青年の姿。もう片方の手は、がっちりと階段の手すりを握っている。


 大学生だ。隣に住む、滅多に顔を出さない大学生。筋力がないのか、私を引き上げる余力も、話す余裕もなさそうだけれど、しっかり、命を繋いでくれている。


「ご、ごめんなさい!」


 不思議と、謝罪の言葉が口をついていた。ありがとうございます、とか、もっと他に、感謝の気持ちがあった筈だけれど、違う。なぜだか、無性に謝りたくなって。ほんとうにごめんなさい、ごめんなさい。私は人に迷惑を掛けないと、生きていけないらしいから。過去にも未来にも、そして何より、現在に至っても。他人様に迷惑掛けて、醜く、生きてゆく。だからごめんなさい。きっと、純粋な謝罪の気持ち、ぶつかって助けを求めて、自分勝手で悪いことをしたな、そんな清い心もあるのだけれど。私は、そうやってネガティブでいる方が、らしいのだ。


 芯を持とう。そう決心する。


 私が私でいられるように。


 ――よし。


 覚悟を決めて、宙ぶらりんの右手を近くの手すりへと伸ばす。これは生ける希望の分だ。目の前の彼には悪いけれど、ぐぐぐ、と腕を引っ張って、なるべく高い位置の手すりを掴もうと、そして、がちり。音が出るほど。さながら手錠のように、決して、放さない。面倒な女である。しかし、敢えて言わせてもらうと、私は面倒な女なのだ。


 慎重に慎重を重ね、そろりそろり、踏み外さないようにして、階段へ足を下ろす。体勢を整えて、目の前の彼と視線が合って、やっと、生きた心地がした。


『生きている。私、生きているの!死んだと思っていたのに、もう、完全に諦めていたのに、最期の最期で、蒔いた希望が一気に芽吹いたの!嬉しいっ!!』


 そんな止め処ない想いが、まさしく希望のように、一気に溢れそうになって、なんだか、抑えていようと考えていたのに、どうしても、抑えられない。視界に映る彼の姿が、いや、その奥の景色でさえ、曖昧になって、ぼやけて。


「……うれしい」


 すこし、変な声だったような気がする。いつもの、ハキハキとした感じでなく、もっと、弱々しい、女々しい。


 顔が熱い。風は、真夏であるのだから、さすがに、冷たくはないけれど。


 私の顔を、またなにか一筋、伝っている気がした。

※一番最初の表現を修正し改稿しました。

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