マイ・ヒーロー
外の世界は、危険がいっぱいだ。
車椅子はスロープやエレベーターを探して、わざわざ遠回りを余儀なくされる。
皆が目の前にある階段を歩くその間も、わたしはひたすら遠回りをする。
誰もが優しいわけじゃない。
だから、一歩踏み出すのにも勇気がいる。
でも、彼といるとホッとする。
優しさに包まれている気がする。
彼は狭い世界から、わたしを連れ出してくれる。
そんな気がした。
でも、人目が気になり、ライブに行くのはやはり怖い。
けれども、彼に来てほしいと言われて、断る理由は見つけられなかった。
わたしは、眼鏡をかけて外へと飛び出した。
ライブ会場に着くと、今か今かとライブが始まるのを待っている人達のキラキラした空気を感じた。
ここにいる全員が、同じ人を好きでいる。そう思うと、なんだか不思議な気がしてくる。
わたしはドキドキしていて、このドキドキが不安や恐怖から来るものなのか、彼に逢えるからなのか、正直分からなかった。
やがて、辺りが暗くなると、バンドの音が響き渡り、彼がステージに登場した。
黄色い声援と共に、会場は綺麗なペンライトの海になった。
その光景は神秘的で、とても綺麗だった。
はじめは周囲を気にしていたが、ライブが始まるなり、そんなことは何も気にならなくなるほどに、わたしは彼の魅力に吸い込まれていった。
歌い出すと、スイッチが入ったように大人の色気を身にまとい、それはわたしの知る彼とは、まるで別人だった。
昔から知ってるその声が、わたしの鼓膜と心に響く。
心の奥深くにまで刺さるようなライブだった。
彼は、会場を見渡し、全ての声援を拾って応えていく。
溢れるファンサと笑顔。友達のような距離感。
MC中の彼は破壊的なかわいさで、きっと彼は何人もいて、かわいい担当と色気担当がいるのではないか?と思うほどだった。
そして、鳴りやまないアンコール。誰一人帰ろうとしない客席の人々。
何度でもアンコールに応え、登場する彼。
帰りたくない。このままずっと、この場所にいたい……。
ライブに行って、昨日よりも今日、今日よりも明日、もっと彼を好きになる。
この会場に来る、みんなの気持ちが分かった気がした。
そして、ごまかしていた自分の気持ちが溢れ出してしまう。
でもそれと同時に、違う世界の人なのだと、強く思ってしまった。
これまで抑えつけていた涙が、こぼれてしまった。
あなたにとってわたしは、ソーダフロートじゃない……。
ライブの帰り、彼がわたしを追いかけて来た。
「今日は、来てくれてありがとう!」
「素敵なライブだった」
「眼鏡、かけてくれたんだね。すっごく似合ってる!」
彼はキラキラした目で、わたしを見る。
「そんな、見つめないでよ……」
「え?」
「あなたは、別世界の人。輝いていて、わたしとは全然違うの!」
また涙が溢れてしまう。
思ってもない嫌な言葉が口から出そうで、わたしは彼から逃げるように車椅子を走らせた。
でも、車輪は思うようには進まない……。
追いついた彼が、わたしを後ろから抱きしめる。
「苦しくなるから、もう逢いたくないの! あなたは、みんなのもの。離して……!」
「離さない!」
「!」
「何度目ましてかな……?」
「へっ?」
「昔、ある女の子に言われたんだ。『遠回りの人生も悪くないよ』ってね」
「え……」
「当時オーディションに落ちまくっててさ、凄く落ち込んでたんだ。そんな時、あの海で……。彼女も君と同じ、そのキーホルダーを車椅子に付けてたっけ」
「嘘、そんなこと……」
「俺が駆け出しの頃、演じたそのキャラクター……」
「これは……」
「彼女はいつも遠回りだって言っていた。でも、起こることには必ず意味がある。いつかきっと、あの時の苦労は、このためだったって分かる日が来る」
「……」
「俺、少しは君に返せたかな?」
普通なら知らずに通り過ぎてしまう人の優しさ。
当たり前じゃないと、どんなことにも感謝できる気持ち。
遠回りだからこそ知ることのできる、痛みがある。
お返しだなんて……。
わたしは、もうあなたから貰い過ぎている。
ずっと、ずっと、沢山のものを貰ってるよ。
貰いっぱなしだよ。
「顔、見せて」
「こんなぐちゃぐちゃな顔、見せられないよ」
「俺にだけ見せて」
顔を上がると、彼の笑顔があった。
「君に出逢えて、よかった」
彼はわたしを強く抱きしめた。
「ヒーロー……」
「ん、何?」
わたしの人生は、いつだって遠回りだ。
でもそれは、君に出逢うためだったのかもしれない。
彼は、わたしのヒーローだ。