心のささくれ
あれからというもの、わたしは彼の声を忘れられずにいた。
現実世界に連れ戻されたわたしには、当たり前の日常が転がっていて、あの日の出来事は全て夢だった気がしていた。
今日は、好きなアニメでも見ようと、部屋で再生ボタンを押す。
え……? あれ? でも、まさか……。
不意に、点と点が繋がって線になった。
わたしはやっぱり、彼の声を知っている。そう、ずっと昔から……。
これまで意識してアニメを見てこなかったが、彼は、わたしが子供の頃からアニメで聴いていた声の人だった。
あの作品も、この作品も、調べればどの作品にも彼はいた。
そして、わたしの大好きな作品にも……。
わたしは、ずっと前から彼に出逢っていた。
その日はとても暑くて、たまらず、わたしはアイスを買いにコンビニに出かけた。
数あるアイスの中でわたしの目にとまったのは、ソーダフロートのアイスだった。
先日、海を見ていたからだろうか。その爽やかな青に惹かれ、わたしは手を伸ばした。
「あっ、ごめんなさい!」
同時に手を伸ばした誰かと、手と触れてしまった。
「えっ!?」
顔を上げ、わたしは目を疑った。
そこにいたのは、彼だったのだ。
「あれっ? この前の……!?」
彼は驚きと共に嬉しそうな顔をした。
「こんな近くだったんだね?」
彼とわたしは、並んでアイスを食べた。
夏の暑さで溶け始めるソーダフロートを木のスプーンですくいあげる。
彼はニコニコしながら、アイスを口に運んだ。
「俺、この味が好きなんだっ!」
アイスをもぐもぐする彼は、まるでハムスターのようだった。
彼は声の仕事をしている人とは思えない、何かの職人さんのような指をしていて、とても深爪で、指先のささくれが気になった。
「正直、また君と逢えると思わなかったよ!」
「何度目ましてかな……?」
「えっ?」
「わたし、もっと前からあなたを知ってた」
「ん?」
「声優さん……なんですよね?」
「!?」
彼は少し驚いた顔をして、こちらを見た。
「わたしは何度も、あなたに出逢ってた。あ、いや……。わたしが好きなアニメの世界で……」
「なら、俺達、運命だね!」
「へっ……!?」
気付いた時には、わたしの両手は彼に包まれていた。
アイスのカップを包むように、冷たい彼の手がわたしに触れている。
彼に見つめられ、急なドキドキが波のように押し寄せた。
下げたはずの体温が、一気に上がったのが分かった。
「アイス……、溶けちゃいます」
わたしは、声を振り絞るように出した。
それは、自分でも驚くほど小さい声だった。
「そ、そうだね!」
パッと彼が手を放す。
どうしてわたしは、今、少しがっかりしたのだろう。
「この前、あの海でロケがあったんだよ。だからあそこにいてさ」
「そうだったんだ」
「このアイス、海みたいだよね? ねえ、君も海好き?」
「えっ……。海は自由だから好きかな。日常から解放されたような、そんな気がする場所だから」
「そっか。日常からの解放ね……。そうだ、なら俺のライブに来てよ!」
「えっ? ライブ!?」
「俺アーティスト活動もしててさ、今度10周年のライブがあるんだ!」
「それって、もしかして歌詞にイデオロギーが出てくるの?」
「イデオロギー!?」
「この前、砂浜に書いてたでしょ?」
「あれ、見られてたのかっ!」
彼は急に恥ずかしくなったのか、笑いながら耳を真っ赤にして、照れて自分の顔を両手で隠した。
わたしはそんな彼を、かわいいと思った。
「ライブ、眼鏡して来てよ! 絶対似合うよ! 俺、眼鏡が好きなんだよねー!」
「でも、わたし……」
「待ってるからっ!」
彼は少年のような笑顔をわたしに向ける。
そんなのズルいよ……。
わたしの心のささくれがチクリと痛んだ。
『マイ・ヒーロー』へつづく!