金で買われた侯爵令嬢は最後に幸せになる。
ヴェルリス・コンパーチが学園に入学した年、末の王弟殿下、ギブスロデンも入学した。
殿下と同じクラスになり成績も近かったため、ヴェルリスにとって学園生活の中で異性としては最も近しい人になった。
殿下が仲良くされている方々と、私が仲良くしている友人とで青春というページを何ページも共有することになった。
試験で競い合ったり、グループで一つの課題に取り組んだり、放課後護衛に囲まれて街に遊びに行ったりもした。
最終学年の私の誕生日には二人だけの秘密だと言ってプレゼントを下さった。
受け取ったプレゼントは女性に贈るものではないと感じたけれど、それはわたくしにとっていちばん大切なものになった。
プレゼントを受け取る時にほんの少し触れ合った指先の暖かさを忘れたくないと強く願った。
けれど日が経つ事に殿下の指の感触を覚えていられなくなってしまう。
それは私のままならない小さな恋だった。
殿下は兄王の立場を盤石にするため、結婚する気はないのだとおっしゃっていた。
殿下に結婚の意志があれば私は殿下に嫁ぎたいと父にお願いしたかもしれないけれど、その夢は儚く散ってしまった。
その頃、わたくしが知らない所で我が家の状況は切迫していた。
父の兄である伯父がやりたいことがあると言って侯爵家を継ぐのを嫌がって、コンパーチ家を飛び出したのはわたくしが一歳の頃だったとか。
そしてわたくしが十歳の頃、父が侯爵家を継いだ。
父は飛び抜けて優秀ではなかったが、現状を維持するだけの能力はあり、資産が大きくなることはなかったが、小さくなることもない堅実な領地経営をしていた。
私が学園に入り周りも婚約者を決め始め、わたくしの相手を探し始めた頃伯父が父に泣きついてきた。
伯父は考古学でそれなりに有名になっていた。
重要な仕事も任せられるようになり、真面目に仕事をしていた。
そんな時、出資者に預けられていた出土した古代魔具を盗まれるという失態を犯したと言うのだ。
その責任を取らなければならなくなった伯父は多額の借金を背負うことになってしまう。
伯父一人の責任ではないと申し立てたが、伯父と同様の立場に居た人達は一目散に逃げてしまい、結局伯父一人でその責任を取ることになってしまった。
伯父一人ではどうにも出来ない金額で、伯父は父を頼ってきた。
父は伯父に侯爵家を譲られた負い目があったため、その借金を肩代わりした。
けれどその金額を稼ぐことが難しく、我が家は追い込まれてしまう。
その時に手を差し伸べてくれたのがシューストン侯爵家だった。
その条件が私を後妻に貰いたいと条件をつけられ、父は一度は拒否した。
後妻と言っても十〜二十歳くらいの差ならば受け入れられたが、わたくしの祖父よりも年上の人だった。
けれどどうにもならない金策に父と伯父の姿を見ていた私から「シューストン侯爵家に嫁ぎます」と伝えた。
父と伯父は「すまない。不甲斐ない。ヴェルリス一人にこんな思いをさせることになってしまって・・・」とわたくしに泣いて謝ってくださった。
婚約の書類にサインする時は手が震えた。
お会いしたシューストン侯爵は溌剌とはしていたが、見た目は老人でしかなく、私を見る目は欲にまみれていた。
「今すぐにも結婚したい」と求められたが「学園を卒業をしなければ貴族として認められないから」とお願いして卒業まで待ってもらえることになった。
ただ婚約の場で婚姻届にもサインをさせられ、シューストン侯爵も婚姻届にサインをした。
シューストン侯爵は卒業式が済むと同時に提出すると言って婚姻届を持ち帰った。
その翌日、シューストン侯爵の手によって、我が家の借金は全て清算された。
卒業が近づくとわたくしは日に日に憂鬱になった。
自分で受け入れたとは言え、シューストン侯爵の粘着く視線を思い出して、嫁いだらどんな目に合うのかと不安でしかたなかった。
そんなわたくしを見て殿下や友人達がとても心配してくれたが、私の婚約は伏せられていたので、その話をすることはできずにいた。
卒業パーティで着るドレスはシューストン侯爵からプレゼントされた。
そのドレスの色はシューストン侯爵の瞳の色で髪色の装飾が施されたとても豪華で、わたくしに執着していると思わせるものだった。
袖を通す時に震えたのはわたくしとメイドのリリーの二人だけの秘密になった。
そのドレスを着て、殿下からダンスを申し込まれてその手を取る。
この幸せな思いを胸に抱いて明日、私は結婚式もなく嫁ぐことになっている。
シューストン侯爵の家族が孫より若い娘を嫁にするということは恥だと嫡男や孫達に言われて、結婚式はできないと言われて、私はそれを喜んで受け入れた。
もう高齢なシューストン侯爵が未だに侯爵の地位を嫡男に譲っていない理由を少し調べてもらった。
普通ならもう嫡男へと譲って楽隠居していてもいい年なのに。
調べた結果は、嫡男は少し頼りなく侯爵家を任せるのに不安を感じていることと、シューストン侯爵の上昇志向が高齢になっても小さくならないためだった。
事業も手広く行っていて、嫡男に一部任せているものの嫡男はあまり結果を出せていなかった。
殿下の手を取って踊っているこの瞬間にも、婚姻届は提出されているのだろうか。
今夜は自宅へ帰ってもいいが、明日朝シューストン侯爵家から迎えの馬車がやってくる。
殿下と見つめ合い、二人の間に愛があると勝手に思うことにして、半分泣きそうになりながら一曲踊り終えた。
「学生生活が楽しいものになったのは殿下のおかげです。殿下に幸多からんことを臣下の身で不敬かと思いますが、願ってやみません」
「ありがとう。私も楽しい学園生活が送れたのはヴェルリス嬢のおかげだと思っているよ」
私は少し涙ぐみ、殿下にカーテシーをしてそのままパーティー会場を後にした。
自宅に戻ると家族と伯父様、沢山の使用人に迎えられた。
最後の夜をゆったりと家族だけで過ごすために。
家族で他愛もない話をして夜が更け、部屋に戻ると父が私の部屋へと訪れた。
一枚の書類が目の前に差し出された。
それは婚姻届受理書だった。
父は私を抱きしめ「すまない」と謝って、暫く私を抱きしめたまま離さなかった。
朝を迎え、朝食を食べ終わったとほぼ同時刻に迎えの馬車はやって来た。
シューストン侯爵家に付いてきてくれるリリーと二人、馬車に乗り込む。
家族全員が涙を流しながらも笑顔で見送ってくれる。
私は涙を流さないように気をつけて、笑顔で皆に別れを告げた。
シューストン侯爵邸には一時間は掛かるのに、あっという間に着いてしまう。
望んでいない時は時間はあっという間に過ぎてしまうのね。
殿下とダンスをしたときは瞬きをした程度の時間だったような気がする。
殿下を思い出し切なくなりながら馬車を降りた。
馬車から降りて屋敷の扉をくぐった。
シューストン侯爵家のメイドの一人が出迎えただけで、侯爵の出迎えも多くの使用人たちの出迎えもなかった。
出迎えてくれたメイドに部屋へと案内された。
その部屋はピンクと白に彩られた、少し幼女趣味だなと思うような部屋だった。
案内してくれたメイドが一旦下がり、今日持ってきた荷物をリリーが片付け始める。
ノックされて案内してくれたメイド、アミーがお茶の用意をしてくれた。
「シューストン侯爵に挨拶がしたいので取次をお願いできますか?」
アミーが申し訳無さそうな顔をする。
「諸事情がありまして、後で家令が来られますので、その時に詳しく聞いてください」
シューストン侯爵は今や遅しとわたくしを待ち構えていてすぐにもベッドに連れ込まれると覚悟していたのが、はぐらかされて嬉しい気持ちになった。
後に延びただけで思い悩む時間が延びて苦しむのだけれど、一秒でも遅い方がいい。
お茶に口をつけると好みは把握済みなのかわたくしの好みのお茶と茶請けが用意されていた。
お茶を飲み終わっても誰も部屋にはやってこず、昼食の時間になった。
私室に昼食の用意がされる。
「シューストン家では昼食は部屋で取るのですか?」
「いえ、普段は違うのですが、本日は本当に立て込んでいまして、不自由をおかけして申し訳ありません」
「いえ、かまわないのだけれど・・・」
ここまで誰とも挨拶をしていないことを考えても、よほどの不測の事態が起こったのだろうと理解した。
日が傾いても誰もわたくしの部屋を訪問する人は現れなかった。
夕食も私室に用意され、入浴の準備が整いリリーとアミーの二人で就寝までの準備を整えてくれた。
「わたくし、今夜はここで休んでも宜しいのですか?」
アミーはまた気まずそうな顔をした。
「はい。今宵はこちらの部屋でお休みください」
「そう・・・」
「では明日の朝また参ります。ごゆっくりお休みください」
「ありがとう」
リリーと二人顔を見合わせてその日は何もなく翌朝を迎えた。
アミーが朝の準備を整えてくれて、朝食もやはり部屋に用意された。
食後のお茶を頂いているとノックされ、入室の許可を出すといつもシューストン侯爵の背後に立っていた家令だったと思い出す。
「お迎えに色々と不備がありましたことお詫び申し上げます」
「いえ、気にしていただかなくても構いません」
「ありがとうございます。私は筆頭執事のカンスと申します」
「ヴェルリスです。これから色々、よろしくおねがいしますね」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
「旦那様はどうされたのかしら?」
「実は・・・」
カンスに聞かされた話はシューストン侯爵が婚姻届を提出しに行ったところから説明された。
人任せにせず午後一番に婚姻届をシューストン侯爵の手で提出してカンスは婚姻受理届を我が家、コンパーチ家へと届けて明日朝の迎えの話をして、コンパーチ家を後にした。
先に戻っているはずのシューストン侯爵が乗っていた馬車が屋敷にはまだ距離がある場所に止まっていて、何があったのかとカンスが馬車を降りると馬車の前で御者がオロオロしていたそうだ。
どうしたのかと尋ねると、馬車の中で何かあったようなのだが、声を掛けても返事がなく扉を開けることも出来ないでいたと告げられ、カンスはノックしても返事のない馬車の扉に手を掛けた。
開いた馬車の中には座席から転がり落ちたシューストン侯爵が床に転がっていて、呼びかけても返答がなかった。
カンスが乗っていた馬車の御者にすぐにお医者様に来ていただくよう迎えに行かせて、カンスはシューストン侯爵が乗っていた馬車に乗り込んだ。
シューストン侯爵が誰かに襲われた様子はなかったため、病気だと判断して医者が来るまで馬車に寝かせたままにしていた。
医者が来てシューストン侯爵をベッドに運び込むことが出来たのは夕方近くになり、カンスは御者に誰にもこの事を話してはならないと釘を差し、明日予定通りに花嫁を迎えに行くようにと指示した。
それからもシューストン侯爵は目覚めず、昏々と眠り続けた。
領地に居る嫡男に連絡を取ったりしながらシューストン侯爵が目覚めるのを待った。
朝になりわたくしが到着してもシューストン侯爵は目覚めない。
領地から嫡男が到着するのにはまだ時間が掛る。
とにかく目覚めてくれればと待ち続け今になったのだと聞かされた。
「旦那様は目覚められたのですか?」
「・・・はい。お目覚めになられました」
「それは良かったです。病名の判断は付いたのですか?」
「はい。・・・頭の病だということは解りました。利き腕の右側が麻痺してしまわれています。言葉も発することが難しく、何を仰っているのか解りません」
「そんなっ!!お医者様はなんと仰ってられるのですか?」
「かなり重い症状だと。麻痺と言葉を発せられないのは訓練で多少の改善はするとのことですが、侯爵としての差配はできなくなります」
「そうですか・・・」
「いまはまだ慌ただしく、どうなるかも解りません。嫡男であるワイアース様が来られるまで部屋でお待ちいただけますでしょうか?」
「解りました。ワイアース様がいらっしゃるのはどれくらい掛かりますか?」
「おそらく一週間ほど掛かるかと思われます」
「わたくしのことは気にかけず旦那様のこと、屋敷のことを最優先でお願いします」
「ありがとうございます」
それからワイアース様とご挨拶するまで十日を要した。
初対面の挨拶を済ませて本題に入ったのだけれど、現状維持とのことで、シューストン侯爵が今の様子を見られるのを嫌がっているために会わせられないと言われた。
ワイアース様に高圧的に接されることを覚悟していたのだけれど、当たりは柔らかく驚いた。
ワイアース様は侯爵の地位を唐突に譲られることになり、それだけで手一杯で、これ以上のことに時間を割けないと遠回しに言われた。
この屋敷のことはこの屋敷でなんとかしてくれと言われ、シューストン侯爵個人のことと屋敷のことはすべてわたくしに任せるとの書状を渡された。
その中にはシューストン侯爵が身罷(死ぬ)った場合、この屋敷とシューストン侯爵個人の事業等は全てわたくしに相続させると書かれていた。
そして別紙でそれ以上の財産を望まないと言う書類を渡され、サインが欲しいと言われた。
わたくしはシューストン侯爵が個人で行っている事業がどんなものかも解らないし、規模も解らないのでサインは後日でいいか尋ねると、カンスがシューストン侯爵家を辞め、シューストン侯爵個人の下に付くので何でも尋ねるといいと言われた。
翌日からわたくしの生活は一変した。
シューストン元侯爵個人の事業は私で扱える規模をほんの少し上回るもので、カンスの力を借りて屋敷と事業を取り回すことになった。
一ヶ月が経ち、二ヶ月が経ってもシューストン元侯爵との面会は叶わず、カンスを通して事業の動かし方を学んでいくしかなかった。
一年が経ち、シューストン元侯爵との面会は叶わないまま一度目と同じような発作が起こり、そのままシューストン元侯爵は還らぬ人となった。
ワイアース様が喪主となり葬儀を終えて、わたくしは当初の予定通り屋敷とシューストン元侯爵の個人資産と私が動かしている事業の全てを受け継いだ。
そして嫁いでから初めて家族と会うことが出来た。
嫁いでから今日までのことを話すと両親と伯父は胸をなでおろし、再婚を進めた。
今すぐは無理なことは誰しも解っているので喪が明けた時にまた話すことになった。
シューストン元侯爵の持ち物を片付けていると、現代では見かけたことがない古い魔具が地下に安置されていた。
カンスにこれは何かと問うと、伯父が紛失した古代魔具だと説明された。
シューストン元侯爵はわたくしをどうしても欲しくて一計を案じたのかもしれないということだった。
私は伯父を屋敷へと呼び古代魔具を見せるとシューストン元侯爵への呪いの言葉を吐き散らした。
私も同じく許せない気持ちだった。
けれどそれを伝える相手はもういなくて、カンスが「旦那様もヴェルリスを妻に迎える前日にこうなったのは罰が当たったのだ」と後悔していたと聞かされた。
私は今まで遠慮して使えずにいた領主の部屋を使うことに決めた。
わたくしの好みに合わないものは売り飛ばしたり、地下へと押し込めた。
屋敷中壁紙から交換してシューストン元侯爵の気配を徹底的に排除して、わたくしの好みに変えた。
カンスは私の下で働きたいと言うので、私を主として勤められるのなら雇ってもかまわないが、シューストン元侯爵の方が大事なら雇えないと伝えた。
カンスはわたくしに忠誠を誓いこのまま働くことに決まった。
喪が明け、三回忌が済んだ。
ワイアース様が訪ねてこられると先触れがあり、予定通りにワイアース様が来られてわたくしの目の前に腰を下ろすと、わたくしに縁談の話を持ちかけてきた。
縁談相手の名前を見てわたくしは驚いてワイアース様を見た。
「あちらから私へと話が来た。とてもいいご縁だと思うよ。我が家は諸手を挙げてこの縁談を進めたいと思っているが、ヴェルリス様のお気持ちが一番大切だと思っています」
「本当に・・・?」
「はい。我が家にとってもありがたい話だと思っています。ヴェルリス様はどうされたいですか?」
「どなたも不都合がないのであれば、このお話をお受けしたいと思います」
「解りました。先方にもそのように伝えます」
「よろしくお願いいたします」
「こちらの手紙を預かっています」
渡された手紙の筆跡は見間違うことがないギブスロデン王弟殿下のものだった。
手紙には卒業の後全く会えなくなったことを寂しく思っていることと、あの最後のダンスの時、心が通い合ったと思ったのは私の独りよがりではなかったと思いたい。陛下に跡取りが産まれて陛下の立場も盤石なものになり、半年後に公爵に臣籍降下することになり、その時にわたくしと結婚したいと書かれていた。
それからは怒涛の日々になった。
久しぶりにお会いした殿下は変わりなく、学生時代に時が戻ったような気がした。
別れ際にわたくしの手を取り「愛しているよ」と指先に口づけられ、わたくしは十代の小娘に戻ったような心地がした。
一度目には着ることが叶わなかったウエディングドレスが仕立てられ、今住んでいる屋敷を手放すことになり、ワイアット様が適正価格で買い取ってくださり、この屋敷はシューストン家のものとして残ることに決まった。
ギブスロデン殿下が臣籍降下する二日前にわたくし達は婚姻を結んで一日半だけ、わたくしは王族になった。
結婚式は王族として格式のあるもので、最後に陛下から弟を頼むと願われ「精一杯努力致します」と返答した。
ギブスロデン殿下の寝室へと案内され、初めての印をシーツへと残して、今度は身も心も捧げることが出来た。
王族として四度の食事をしてギブスロデン・シュナイゼル公爵の屋敷へと移った。
新しい屋敷での初めての夜は二度目の初夜のように感じて、少し恥ずかしく感じてしまった。
ギブスロデン様も同じように感じてくださっていたようで「なんだか緊張するね」と言って口づけた。
わたくしはシューストン侯爵に嫁ぐのがとても嫌だったけれど、シューストン侯爵に嫁がなければ他の誰かのところに嫁いでいてギブスロデン様に嫁ぐことはあり得なかったと思う。
シューストン侯爵に嫁いだからこそわたくしは初恋の相手であるギブスロデン様と結ばれることが出来た。
シューストン元侯爵の七回忌が行われることになり、ギブスロデン様とわたくしと二人の子供を連れて参列した。