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激安すぎるステーキを提供する近所のステーキハウスの謎

 今日はただでさえ月曜だというのに、朝からろくなことがなかった。

 こんな日は会社帰りにガツンと肉でも食らいたいところだが、安月給サラリーマンにそんな余裕があるはずもない。


 最寄り駅を出て、私は近所のステーキハウスの前を通りがかった。私も何度か通ったことのある店なのだが、一皿少なくとも2000円以上はしたはずで、突発的に立ち寄るには躊躇する額だ。私はそのまま通り過ぎようとする。

 しかし、店の前にある看板が私の目を引いた。


「今なら一皿300円……!?」


 安い、安すぎる。

 とはいえ安いことが集客につながるとは限らない。たとえば宝石のダイヤモンドが1000円で売られていて、なんの疑いもなく飛びつく人はまずいないだろう。私ももし知らない店だったら入らなかった。

 だが、私はこの店を知っており、少なくとも悪質なぼったくり店などではないことは分かっている。どういうカラクリか分からないが、300円のステーキを食べてみたくなった。私は店に入ることにした。


 店の主人が「いらっしゃいませ」と出迎える。

 客は私以外にはいなかった。激安ステーキに釣られる客はそういないようだ。「安かろう悪かろう」なんて言葉もあるしな。


 席につくと、注文を取りにきた主人に「ステーキを」と頼む。

 主人は厨房に戻り、調理を始めた。

 肉を焼く音が聞こえる。お冷やを飲みつつ、私の期待はどんどん高まっていった。


 まもなくステーキが出てきた。

 見た目はちゃんとしている。これが300円とは思えない。私はナイフでステーキを切ると、フォークで肉片を口に運んだ。

 咀嚼する。うん、うまい。もりもり食べられる。しかし、やはり記憶にある味と比べると、だいぶ劣る気がする。安いだけのことはある。

 とはいえ300円のステーキとしては上等である。なんでこんなサービスをしたかは知らないが、肉を堪能できたので私としてはありがたい。

 会計をする。主人が「300円ってのは間違い」なんて言い出す展開も警戒していたが、本当に300円だった。私は満足して店を出る。


 自宅に戻った私はぬるいビールを飲みながら、ステーキハウスのことを思い返す。

 私は違和感を抱いていた。あの店には何か足りないものがあった。それがなんだったか思い出せない。

 結局思い出せないまま、この日は眠ってしまった。



***



 次の日、私は会社に出発し、仕事をこなす。

 昨日は仕事中あまり落ち着かず、ミスを連発してしまったが、今日はそんなこともなかった。

 会社を6時頃に上がると、私はまた近所のステーキハウスに行くことに決めた。もしまだ300円で食べられるなら、食べておきたかった。

 私の期待通り、今日も300円ステーキの看板は掲げられていた。ただし、テーブルはかなり埋まっていた。評判が広まったためだろうか。


 出てきたステーキはやはり美味しかった。

 とはいえ、どこか味が劣る。昔ここで食べたステーキに比べるとグレードが落ちる気がする。

 きっとグレードの低い肉を使っているのだろう。それにしては安すぎる気がするが。元は取れているんだろうか。他人事ながら心配になる。


 食べ終わり、レジで会計する。

 この時、私はようやく気付いた。この店に抱いていた違和感の正体に。

 確か、昔この店で食べた時は奥さんが会計してくれたのだ。配膳も奥さんだったはず。しかし今は主人が直々にレジに立っている。一人で料理も配膳もレジもやるのは大変だろう。奥さんはどうしたのだろうか。

 今思い出すとかなり気が強そうな奥さんだったことを覚えている。


 失礼かとも思ったが、私は客だしこれぐらいのことを聞く権利はあるだろう、と妙な理屈で自分を納得させ、聞いてみることにした。


「私、前もこの店に来たことがあるんですけど、その時は奥さんがいらっしゃいましたよね?」


「あ、ああ、家内ですか……」


 歯切れが悪い。


「ちょっと、入院してまして……色々大変ですよ、ハハ」


「そうですか。それはお大事に」


 料金を払い、店を出る。

 私は主人の言葉を信じていなかった。

 それどころか、このステーキハウスの秘密がなんとなく分かってしまった。謎が解けた時の名探偵というのはこういう気分なのだろうか。


 私は家に帰るとぬるいビールを飲み、そのまま眠りについた。



***



 水曜日、ちょうど週の真ん中だ。

 月曜から金曜までのうち、サラリーマンとして最も力を入れるべきはもしかしたらここなのかもしれない。この日に頑張れば、ひいては木曜金曜も楽になり、豊かな週末を過ごせるからだ。

 こういう日こそステーキを食べるべきなのかもしれない。

 だけど、私はもうあのステーキハウスに行く気にはなれなかった。


 なぜなら、なぜあの主人があんな激安ステーキを提供できるか、提供しているかが分かってしまったから。


 明らかに味の劣る肉。

 そんな肉を激安にして客に提供する事情。

 前はいたはずなのに、いなくなった奥さん。

 後ろめたそうな表情をする主人。


 全てが繋がってしまった。

 私はあの店の主人におぞましさと、ある種の共感を抱きながら、家でぬるいビールを飲んだ。



***



 次の日、会社からの帰り道、あのステーキハウスに通りがかると人だかりができていた。

 私は「やっぱり」と思った。


 事情は全て分かっているつもりだが、何も知らないふりをして私は店を囲んでいる見物人の一人に尋ねてみた。


「あの……なにかあったんですか?」


「なんかさ、この店、変な肉出してたみたいだよ」


 そう、その通りだ。

 店の主人は気の強い奥さんの尻に敷かれる日々に嫌気が差し、奥さんを殺害してしまった。

 死体の処理に困った主人は、奥さんの死体をなんとステーキにすることを思いついた。

 もちろん人肉など牛肉に比べれば味は悪い。だから300円などという破格の値をつけて、客に提供することにしたのだ。

 いやはや、なんと恐ろしい。


 ところが――


「この店、奥さんが肉の仕入れやらを担当してたらしいんだけど、奥さんが入院しちゃったんだって。そこで主人はよせばいいのに、自分がもっといい肉を仕入れてやるって思い立ったらしいんだ。だけど、主人は仕入れに関しては素人。悪徳業者に騙されて、質が悪くて傷んでるような肉を大量に購入しちまった。それでこんなの奥さんが退院してバレたら怒られるってんで、激安ステーキにして、売っちゃおうなんて計画を思いついたんだってさ。なんともマヌケな話だよねえ」


 私の推理とは全然違う真相だった。

 肉の味と安さを不審に思った客に通報され、今は保健所が店に入ってるとのこと。

 一応主人が奥さんの尻に敷かれてたというのは当たってたようで、料理以外は何もできない主人はしょっちゅう怒られてたらしい。

 どういう結末になるかは分からないが、傷んだ肉をステーキとして提供してたとするなら、営業停止などは免れないだろう。


 私は主人の計画につくづく呆れた。

 質の悪い肉を仕入れてしまったとして、まずそれを300円で売るのがおかしい。安すぎるので、何かあるんじゃないかと勘ぐる人が出るに決まってる。もうちょっと高い値段にしておけば、怪しまれなかったんじゃなかろうか。

 それに計画通り肉を売り切ったところで、激安ステーキを提供した事実は残る。退院した奥さんが店の帳簿なりを確認したら、結局バレるではないか。

 行動の全てが場当たり的で、お粗末すぎる。ミスをミスで上塗りして、かえって大事おおごとにしてしまうような事件だった。


 私はぬるいビールを飲みつつ、心の中でステーキハウスの主人を酷評した。

 同時に私はやはり彼に共感を抱く。なぜなら彼は私に似てるから。奥さんとあまり上手くいってないところも、行動が場当たり的なところも。


 私が、ここのところ家でぬるいビールしか飲んでない理由。我が家には缶ビールがいくつもあったのだが、わけあって全部冷蔵庫の外に出している。冷えたビールを新しく買うのももったいない気がして、私はぬるいビールを飲んでいる。


「これもいずれバレるだろうな……」


 ため息をつき、私は冷蔵庫の扉を開けた。そこには私が月曜日の朝に口論の末殴って、冷たくなった妻が眠っていた。






お読み下さりましてありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです! 主人公が最後まで淡々としているのがとても怖かったです。 越えてはいけない一線を越えたのに、落ち着いて日常を送っているところが怖かったです。 [一言] 読者の予想を覆す、…
[良い点] ゾクゾクしながら読んで。 最後はドキッとしました。 怖かったですぅぅ(T_T) ありがとうございました(^^)v みこと
[良い点] 読者の予想を一転二転とコロコロさせる仕掛け!
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