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【短編】約束のリフティング

作者: ゆーたろー

「……98……99……100!!」


 ──8月。

 蝉の鳴く声がとても耳障りに感じる中、集中力を維持しながらボールを蹴りあげるのは、思いのほか大変だ。数分動いただけで汗が垂れ、目に入る水滴で視界がぼやける。それでも俺は、今日も娘の前でリフティングの練習を続けていた。


「よし、遂に100回成功したぞ!! 見たか柚子ゆず? 父さんだってやればできるんだぞ!! 次は1000回でも目指すか?」


 100回の成功を自慢げに語る。そんな俺に、娘の柚子ゆずは優しく微笑んだ気がした。

 本当ならもっと早くできるようになるはずだった。言い訳をするなら、仕事で忙しくて練習なんてできなかったからだろう。そのくだらない言い訳のせいで、俺は娘との約束を果たすことができなかった。


 ()()()()()()()()()()()()()。それは、俺が果たすことのできなかった、娘との最後の約束だ。




「父ちゃん! ウチ、絶対に選抜メンバーになるから!」


 まだ小学2年生だった娘の夢である。

 物心ついた頃から娘は運動が大好きで、いつも遊び相手は活発な男の子達であった。保育園の年長にもなると、男の子達が通うサッカースクールに憧れ、同世代の女の子達がピアノやらダンスを習う中、娘はサッカーという選択肢を笑顔で選んだ。

 サッカースクールといっても、保育園が主催するもの。はっきり言ってレベルは低い。週に1度の練習は、お世辞にもサッカーとは言えないボールの蹴り合いで、お遊戯の延長線のようなものであった。


「父ちゃん! 今日1点とったんだよ!!」


 練習の最後はいつもミニゲームで終わる。初めはボールを受けとってから積極的に動けず、いつも頓珍漢な方向にパスを出す。そんな娘であったが、偶然にも蹴ったボールがゴールをとらえたようだ。

 普段の動きを想像するに、狙って決めたとはとても思えないが、目をニヤつかせて自慢げに語るその姿に、俺は少し心を震わせた。


 小学生になると、今度は小学校が主催するサッカースクールに入る。娘は好きなことに対してだけは向上心の塊だ。少しでも上手くなりたいと、自分から少し上のスクールを選択した。

 この頃になると、動きは少しばかりマシになっていた。俺はサッカー経験者ではないため、何かを教えてあげることはできない。それでも大人の運動力にものをいわせ、娘の自主練習ではそれっぽい動きで翻弄した。殆どが動画で得たものの見よう見まねであったが、娘にとってそんな父親の姿は輝いて見えたようだ。


「父ちゃん強すぎ! 絶対に勝てんし!!」


 娘相手でも俺は手を抜かなかった。というか、経験のない俺にとっては、手を抜く余裕なんてなかったのだ。力に任せた強引なプレイで娘からボールを奪うが、そうでもしなければ巧みにボールをコントロールされる。子供の成長に驚く反面、自分の小さなプライドを維持することに必死であったのだ。

 たまに気分が悪いと言って練習を怠ける時もあったが、それでも娘はブツブツ文句を言いながら、毎日俺に立ち向かってきた。


 小学2年生になった5月。

 普段通っているサッカースクールの知り合いから、選抜試験に受けてみないかと誘われた。

 週に1度しか練習がないサッカースクールには、追加料金を払うことで、トレーニングセンターと呼ばれるものに参加できる仕組みがあると教えてもらう。そこでは週に数回、夕方に専属のコーチの下、1つ上の指導をつけてもらえるようだ。

 更にトレーニングセンターでは選抜メンバーといったものが存在し、選ばれた十数人が代表となって大会に参戦する。


 娘は男の子に負けず高身長。サッカーに対する熱意も強いということもあって、高学年の親達から良い印象があったようだ。


「きっと柚子ゆずちゃんなら選抜入りできるよ! 5月に2年生の選抜選考試験があるから、飛び入りで参加してみなよ!」


 俺と娘はそんは言葉に浮かれた。

 トレーニングセンターに参加していなくても選抜試験は受けられるようで、ゴールデンウィークにあった試験に飛び入り参加を決める。

 親だから甘い視点になってしまうが、娘はこの1年でメキメキと上達した。話を聞くに試験はそれほど倍率も高くなく、いつもの動きができれば十分なようだ。これに合格し、サッカーに対する熱が更に上がればプロになったりして。そんな妄想に俺は心が踊った。


 試験当日。

 試験会場には、約100人の子供達が集まっていた。正直10人くらいしか来ないものだと思っていたので、俺と娘はその光景に萎縮した。


「父ちゃん。絶対無理やん。ウチ、絶対無理やって」


 普段は男勝りな娘が、緊張に震えている。こんな時は俺がしっかりしなければと、笑顔で頑張ってこいっと送り出した。だが、現実はやはり甘くなかった。

 参加している約100人は、全員がトレーニングセンターに所属している。そこに友人はいない。顔すらも知らない人達の中、娘は1人孤立していた。


 試験前の準備運動からすでに、娘は動転していた。トレーニングセンターに参加していることを前提とした試験。聞いたことのない練習をやるようにコーチから指示が入る。周りは淡々とそれをこなすが、娘はどうしていいか分からず、ただ不器用にボールを蹴っていた。


 そして試験が始まる。まさにそれは、娘にとって地獄とも言える時間だった。

 初めに行われたのは、リフティングだ。ボールをコントロールし、地面につけないよう連続で蹴りあげる。娘もやったことはあるが、せいぜい3回連続で蹴りあげるのが限界。地味な練習のうえ、コツを掴むまでかなり難しい。反復練習をとても要求される技術であるのだ。


 そして、試験で要求された回数。

『リフティング、ノーバウンドで30回』


 ハッキリ言って、娘には絶対に無理である。周りの子供達が淡々と続ける中、娘は2回蹴ってはボールを落とし、3回蹴ってはボールを落とし。その無様な姿に、コーチも少し呆れ顔であった。

 それによって完全に萎縮してしまった娘は、その後の試験でもいつもの動きが全くできない。娘はまだ小学生2年生、そんな強い精神力があるはずがない。

 完全に俺の判断ミスであった。俺はそれまで、娘はサッカーのセンスに溢れ、将来は本気でプロを目指せると勘違いしていた。

 決して娘は努力が嫌いではない。だが、周りの子供達だって当たり前に努力をしているのだ。


飯田いいだ柚子ゆず──不合格』


 試験から約1週間。分かってはいたが、非情な通知が家に届いた。


「父ちゃん。ウチ、絶対に選抜メンバーになるから!!」


 娘は……折れなかった。

 この日から口癖のように選抜メンバー入りを夢見るようになったのだ。


 まずはトレーニングセンターに参加した。自分と同学年であるのに、圧倒的に上手い子が沢山いる。そんな環境は、娘の闘争心を強く駆り立てた。

 個人技を優先されるトレーニングセンターでは、主にフェイントなどの技術。体の使い方が欲求される。娘は日々自主練習を繰り返し、瞬く間に上達していく。

 もう俺では1対1の練習相手に不足するようになっていたが、それでも苦手なものがあった。それが、リフティングである。


「4……5……あぁーー!! もう、ムリー!!」


 練習が地味なこともあってか、娘は未だに10回の壁を越えられない。俺も何となくでやり始めてみたが、予想以上に難しいのだ。

 まず、ボールの芯を上手く捉えることができない。動画などで勉強するが、どれも簡単そうにやっていて参考にならない。やはり1番大切なのは、ひたすら反復練習することなのだ。


柚子ゆず、試験は30回成功だぞ。余裕をもって50回はできるようにならないと」


 俺の軽はずみな言動は、娘からの反感を買ってしまう。


「父ちゃんだってできんやん!!」


 その言葉に、俺は恥ずかしながら少し苛立ってしまった。サッカーをやっているのは俺じゃない、お前だろっと醜い感情が芽生える。大人げなくムキになった俺は、娘と1つの約束を交わした。


柚子ゆずができるようになる前に、父ちゃんが30回成功してやるよ!」


 そんな口約束であったが、娘は目を光らせて喜んでいた。何がそんなに嬉しかったのかこの時は分からなかったが、娘はきっと辛い練習を一緒にやってくれるパートナーができて嬉しかったのだと思う。


 それから数ヶ月。

 俺は約束を交わしたものの、仕事が繁忙期ということもあって、なかなかリフティングの練習をすることができなかった。そんな俺に嫌気がさしたのか、娘も最近は気分が悪いと言って、良く自主練習をサボっていた。



 そして、あの日。突然事態は急展開を迎えた。


飯田いいだ俊夫としおさんの携帯電話ですか?」


 知らない番号からの電話である。仕事中の昼にかかってきたので、取引先かと思って軽く電話にでたが、次の言葉に俺は放心した。


柚子ゆずさんが学校で鼻血を出して倒れました。意識がなく、救急車で病院に運ばれています。すぐに来てもらえますか」


 ──突然の電話は市民病院からであった。

 訳も分からず、俺は病院を目指した。その間の記憶は殆どない。気づけば、ベッドに横たわる娘の前にたどり着いていた。


 診察室に呼ばれると、俺に追い討ちをかけるように神妙な顔をした担当医が待っていた。何が言いたいんだ。何でそんなに不安そうな顔をしているんだ。俺の娘に何があったんだ!!

 叫びたい気持ちを必死に抑え、ただ歯を噛みしめながら医師の言葉に項垂れた。


 ──急性骨髄性白血病。

 娘にくだされた病名であった。

 大人なら聞いたことくらいはあるだろう。いわゆる血液の癌である。娘の病状はかなり酷く、もって数ヶ月の命だと宣告された。

 なぜ気づけなかったのか。娘がたまに気分が悪いと言って練習をしなかったのは、それが原因であったのだ。


 どんな顔で娘に会えば良いのか。俺には答えが見つからない。

 ふらつく足で病室まで戻ると、目を覚ましていた娘が元気良く声をかけてきた。


「父ちゃん、ごめんなさい。なんかちょっとフラッとして倒れちゃった」


 無理に作った明るい笑顔。娘が感情を押し殺していることは、親である俺にはすぐ分かった。なぜだ、娘の容態には気づけなかったのに、なぜこんなことはすぐに気づいてしまうのか。


柚子ゆず、いつから体調が悪かった?」

「ん~……ごめんなさい。ずっと……前から」


 娘は体調がすぐれないのを我慢して、気づかれないように何年もずっと1人で耐えていたのだ。娘の言葉を聞いた俺は、自分の無力にただ涙を流した。

 本当に泣きたいのは娘のはずだ。いつも元気で明るい娘の瞳は、霞んだ灰色になっている。自分がどのような状態か察しているのは明白であった。

 だが娘は、俺の頭を優しく撫でながら「大丈夫だよ、父ちゃん」と強く俺を抱き締めた。

 


 ──それから半年。

 桜が春の知らせを教えてくれた4月。

 娘は柔らかな笑みを残してこの世を去った。


 娘が他界してから1週間は、何も考えることができなかった。仕事も手につかず、ただ娘の位牌の前で座って毎日を過ごす。

 そんな時、1人の女性が家を訪ねてきた。


「こんにちは。突然、申し訳ありません」


 女性は、入院中に娘の遊び相手をよくしてくれていた看護師さんであった。

 彼女は娘の位牌に向かって手を合わせると、真剣な面持ちで振り返り、そのまま1つのSDカードを俺に差し出した。意味が分からなかったが、彼女は「遅くなってしまい申し訳ありませんでした。柚子ゆずちゃんから、すぐは渡してはいけないと言われていまして」とそれを置いて帰っていった。


 娘からの贈り物。

 俺はこれを見たら、一生立ち直ることができないのではないだろうか。途轍もない不安と同時に、娘が残していったものを確認したいといった気持ちに揺さぶられた。


(何を考えているんだ。娘が残したメッセージ。俺が見てやらなくて、どうするんだよ)


 1つ大きく深呼吸をすると、意を決めてパソコンにSDカードを読み込ませる。すると、無数の動画ファイルがそこには残されていた。



「病院にきてから1週間。なかなかお家に帰ることはできないみたいです。今日から、父ちゃんにお願いして持ってきてもらったサッカーボールで、リフティングの練習を始めたいと思います」


 恥ずかしいそうに頬を赤く染めた娘が、そこには映っていた。

 腰ベルトと紐がボールと繋がった、室内用の練習ボール。そういえば、お守りに持ってきてほしいと言われて持っていったな。


 不器用にボールを蹴り始め、少し練習したら辛そうにため息を吐く。撮影してくれているのは看護師さんだろうか。「柚子ゆずちゃん、無理したら駄目だよ」っと声をかけ、休憩するように気をまわしてくれていた。



「今日は、病院に来てから1ヶ月がたちました。まだまだお家には帰れないようです。でも聞いて! 昨日、初めてリフティングが10回できたの!」


 まだ娘の姿は元気そのものだ。この姿だけ見ていれば、この子が白血病だなんて誰も思わないだろう。



「今日は、病院に来てから3ヶ月がたちました。ちょっと気持ち悪い日が多くて、なかなかリフティングの練習ができません。でもね、昨日は初めて25回できたんだよ」


 娘の頬は、徐々にやつれ始めていた。それでもボールを蹴り始めると、ふらつきながらも上手くボールをコントロールして回数を重ねている。

 そんな姿が毎日撮影された娘の動画。

 俺は、ただ無心になってその姿を目に焼きつけていた。



「昨日は、初めて38回できたんだ。父ちゃん。父ちゃんより先に30回達成したんだからね」


 最後に撮影されていたのは、娘が他界する1ヶ月前の日付けであった。

 娘は入院中、1度も俺の前で辛いと泣いたことはない。だけど、その娘は最後の動画で涙を流していた。


「30回……できたんだよ。ほんとに、ほんとうに30回できたの。ウチ……これで、選抜メンバーになれるかな? 怖いよ。……怖いよ、父ちゃん」


 笑顔で涙を流すその姿は、俺に1度だって見せたことのない、悲痛な本音であった。


 やはり見なければ良かったかもしれない。

 俺はたぶん、2度と立ち直ることはできない。

 動画を何回も、何十回も見直した。

 それでも、俺の枯れた目からは涙が溢れることはなかった。

 きっとそれは、現実を受け止めることができていなかったからだと思う。



 それから1週間ほど過ぎた頃。

 突然のインターホンが来客を知らせる。俺は無感情のまま玄関の扉を開けると、目の前には荷物の配送員が立っていた。


「荷物です」


 小さな段ボールに、差出人はサッカースクールの名前が書いてある。受け取った段ボールを部屋まで運ぶと、特に何も考えることなくその中身を確認した。

 中に入っていたのは、娘の背番号14が入った選抜メンバーのユニホーム。それと薄い手紙が1つ。


飯田いいだ柚子ゆず──合格』


 その手紙を読んだ瞬間、枯れていた目から大量の涙が溢れだした。


柚子ゆず……柚子ゆず……」


 急激に押し寄せてくる感情に、俺はただ子供のように泣き声をあげる。娘が掴みとった夢が、俺に現実を教えてくれた。

 ──そう。娘は、もういないのだ。


 後から聞いた話だが、トレーニングセンターのコーチがお見舞いに来てくれた際に、娘がリフティングの練習をしていると看護師さんが伝えていたようだ。

 コーチは「もしも彼女が30回のリフティングに成功したら、連絡をくれないか」と看護師さんに言い残していた。看護師さんは娘の了解を得た上で、勝手な行動と分かっていながら、30回成功した動画をコーチに見せてくれていたようだ。

 そしてそれを見たコーチは、サッカースクールの本部と検討し、娘を正式に選抜メンバーとして合格通知を発行してくれた。娘の日頃の頑張りと成長をしっかりと見ており、次回の試験でリフティングが成功したら、選抜メンバーに合格させる予定だったようだ。


「だからこれは同情などではありません。柚子ゆずが実力で勝ち取ったユニホームです。唯一心残りなのは、前例が無かったため本部の判断にかなりの時間がかかり、彼女が亡くなる前に合格の通知を送れなかったことです」と教えてくれた。



 俺はあれから毎週、休みの日に2つの位牌を持ち出し、庭先でリフティングをしている。

 位牌を前にひたすらボールを蹴りあげる姿に、周りは俺を哀れと思っているだろう。

 そんな行動になんの意味があるのか。そこにゴールはあるのか。果たせなかった約束のために、今さらそんな努力をして誰が見ているのか。

 それでも俺は、今日も位牌の前でリフティングの練習をする。


 俺は思うんだ。

 努力は必ず報われる。そんな名言があるが、それは成功者の戯言である。

 だが1つだけ言えること。

『努力はどれも等しく美しい』

 それは、小学2年生の娘が教えてくれた最後の姿であった。

『約束のリフティング』に目を止めて頂き、ありがとうございます。

本来は数万字分の構想があったのですが、6000字ほどにおさめました。

もしかしたら、本来書きたかった数万字分の構想を今後書くかもしれません。

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