5話
私の前にはえらそうに仁王立ちになったひとりの男が私を睨んでいる。
そして、その前にはどうにかしてこの男の怒りを逸らそうと必死に頭を働かせようとする私が正座していた。
「ああ?どういうことなんだ、説明しろよ。」
「だから、先約があったのを忘れてたんだってば。」
「ちゃんとスケジュールは空いてるから大丈夫だって言ってたじゃねえか、この無職が。」
「無職じゃないもん、フリーターだもん。」
その違いは相当なものだと私はぼそりと呟くけど、目の前の一流企業で汗して働く彼には私のささいな抵抗などどうでもいいらしい。
「俺は忙しいなか時間を空けてたんだぞ。今更、用事があったからごめんとか言ってんじゃねえ。」
腕組をしたまま私を睨む男は傍から見たら芸術品のように美しいのかもしれない。けれど説教を硬いフローリングの上に正座で聞いている私にとって、彼はまるで阿修羅増のようだ。
「だからあの時は大丈夫だと思ったんだもん。仁だって私との約束、仕事だからってキャンセルしたりするじゃない!」
そろそろ正座した足が限界に近い私は何とかして、仁の怒りを逸らそうと必死だ。
「そん時は事前に連絡してるだろうが。迎えにきてやった俺にあれ、今日だったけ?とか言ってるお前と一緒にすんな。」
怒りをそらすどころか、直下型地震にぶつかったらしく私は言い返す言葉を必死に探す。
事の発端はこうだ。
私は自宅で友達と遊びに出掛ける準備をしていたら、仁が部屋にいきなりやってきた。ノックもなく。
仁が言うには映画を一緒に見に行く約束していたらしい。そのときに初めて私はダブルブッキングをしてしまったことに気づいたのだ。
でも約束の順番は友達のほうが先だったし、彼女は遠くに住んでいるために普段なかなか会えないのだ。
だからそのことも踏まえて仁にごめんと言ったはずなのにどこでどう謝り方を間違えたのか私は正座をさせられ、説教をうけている。
「だからさっきからごめんって言ってるでしょ!ああ、もうしつこい。」
「馬鹿の一つ覚えでごめんしかさっきから言ってないお前が悪いんだろうが。」
ぐちぐちといつまでも言い続ける仁に私の足だってもう限界だ。なのに怒鳴っても仁はさらりと私の言葉を交わす。
「もう約束に遅れるから行かなきゃ。埋め合わせは絶対にするからっ。」
仁の背後に見える壁掛け時計を見れば、待ち合わせの時間まであと少ししかない。せっかく久しぶりに会う友達との約束に遅れたくない私は、仁の言葉を遮ろうと勢いよく立ち上がった。
「いった・・・っ!足!」
けれど限界まで痺れきった私の足は突然の行動に耐え切れなくて、私はそのまま勢い余って目の前の仁に突進してしまった。
幸い、そこにいた仁のおかげで私は頭から床へと突っ込まなくてすんだけど、代わりに阿修羅増に抱え込まれてしまった。
悶絶するような足の痛みか、最悪なほどに口の悪い仁に抱かれている私か。
どちらがましなのかと考えるよりも先に、仁が私の身体を引き離すとそのまま近くにあったイスに私を座らせた。
「あっぶねえ。頭から突っ込んだらますます馬鹿になるだろうが。」
言い方は酷いのに頭にこなかったのは、仁が私の足元にしゃがみこんで痺れた足をさすってくれてるからで。口はどれほど悪くても、時々のこういう仁の行動が私を捉えて離さないというのを仁は知っているのだろうか。
「ねえ、仁。良かったら一緒に来る?大勢で会うから一人増えても問題ないし。」
仁の羨ましいほどに長いまつ毛を私は上から見下ろしながら誘ってみる。もともとオフ会のようなものだし、ひとりくらい増えたって平気なはず。
「・・・いいのか?俺が行っても。」
少し驚いたような表情で仁は私を見上げている。珍しいかも、こんな顔。もっと見ていたい気もしたけれど時間もないので、私は復活した足でイスから立ち上がった。
「私のこと、皆の前で馬鹿呼ばわりしないのならいいよ。ほら行こう、遅れちゃう。」
足元にしゃがみこんでいた仁はそのまま立ち上がると、今度は私を見下ろしながら真面目な顔をして言った。
「嘘をつくのは慣れてるから安心しろ。さ、行くぞ。」
・・・・それってどういう意味なのよ。
そうは思うも時間が迫っていることもあり、私は仁のあとを追うようにして部屋をあとにした。
待ち合わせ場所は電車で数駅ほど乗った先の繁華街にある総合施設のようなビル。各階ごとにカラオケや、ボーリング、ダーツバーなどのエンターテイメントが別れていて、週末ともなれば若者たちでいっぱいになる流行の場所だ。
「なあ、それで今日は誰と会うんだよ。」
「バイト先で知り合った友達なの。ほかにもそのバイト関係の人たちが大勢集まるみたい。」
私は待ち合わせ場所である階に上がるエレベーターに乗りながら、隣に立つ仁へ説明を続ける。
「バイト自体は短期だったんだけど、そこで知り合った人たちがすごくいい人で。ここのフロアを貸切にして関係者を呼んでオフ会するからって誘ってくれたの。」
友達の話では大勢の人が来るらしく、フランクな会社らしさも手伝ってただのバイトである私にも声がかかったんだよね。
そうこうしているうちに私たちを乗せたエレベーターは目的地であるフロアについた。エレベーターのドアが開くと同時に大勢の人の声が聞こえてくる。
受付を済ませた私たちは誘ってくれた友達を探すべく、視線をフロア全体へと向ける。会社自体が若い人たちで構成されていることもあり、クライアントも含めフロアにいる人たちの年齢層は若めだ。大勢の人から友達を探すのは難しそうなので、私は携帯電話を取り出すとメールを打ちこんだ。
「ここにいます、と。これでメール送ったからすぐにわかると思う。」
「ここにいるって目印がないとわからねえだろ。」
呆れたように仁は言うけれど、私はちゃんと目印となるものを書いてメールしたので確信がある。
私たちは本日のプログラムと書かれた壁の液晶画面に目を通していると、後ろからいきなり二の腕を引っ張られた。振り返るとそこには探していた友達がいて、私の送ったメールは正しかったのだとわかる。
「ひさしぶりー。元気だった?」
「この人が例の幼馴染の彼なの!?」
私の挨拶など軽く吹き飛ばされるかのように、彼女は私の二の腕を掴んだまま尋ねてくる。
「はじめまして。今日は勝手に来ちゃって、迷惑じゃないといいんだけど。」
「ははは、はじめまして。エ、エリカです。迷惑だなんてとんでもない!仁さんですよね?この子の幼馴染の。」
どもってるよ、エリカ。それに仁が外面用の笑顔で挨拶するもんだから、エリカ、顔が真っ赤になってるじゃない。
「幼馴染っていうのか、腐れ縁っていうのかな。今日もたまの休みだったんだけど他に行くところがなくてね。こうやって無理についてきたんだ。」
私には嫌味しか聞こえないように言える仁の口ってある意味すごいと思う。おまけに口調もなんとなくいつもと違うような気がしたけど
きっとこれが『普段』の仁なのだろう。
「もう、この子がいつも仁さんのこと話してて、どんな素敵な人なのかと思ってたら想像以上でした!」
素敵に伝わるようになんて私、一言も言った覚えないんだけど。逆に、ことごとく苛め抜かれる極悪なお隣さんがいるって伝えたことはあるけどね。
「彼女がどんな風に伝えてたのか気になるね、なあ?」
最後のなあ?って部分だけが妙に怖いと思ったのは私だけなのだろう、エリカはうきうきとした顔で仁と会話を続けている。
「今も、態度の大きい男性の隣りにいるっていうメールをもらって何かと思ったんですけど。仁さん、目立つからすぐにわかりましたよ。存在感があるって意味だったのね。」
そう言って私に納得したような表情を向けるけど、別に言葉通りにメールしたつもりだったんだけどなあ。まあ確かに目立つ存在感ではあると思うけど。現にいまもちらちらとこちらを見ている女の子たちがいるし。
「へえ、目印って俺のことだったんだ。ずいぶんと面白いメールするよな、本当に。」
けれど仁は私のメールの意味をはき違えることなく、私に視線を寄越した。
こ、怖い。なんで笑顔なのに、寒気が背筋を伝っていくんだろう。
唯一、私たちの間に流れている空気に感づいていないエリカは今日の集まりの主旨を仁に笑顔で伝えている。
昔から仁の見かけに騙された友達は大勢居る。別に私がそれに口を出すことではないのでその後の彼女たちがどういう関係に仁となったのかは知らないけど、よくもまあ性格の悪さが露見しないのかと感心すらしてしまう。
エリカはバイト先の友達だったので仁のことは話だけしかしていないけど、なんとなくこうなることは予想がついていた私は、誰かほかに知らない人はいないかと辺りを見回した。
あれ?あのひと。もしかしたら、
「あ、榊さん!ほら彼女と会うの久しぶりじゃありません?」
私がはっきりと名前を思い出す前にエリカはその人物を呼び止めた。名前を呼ばれたその人はこちらに気づくと、少し驚いた顔をするもすぐに笑顔になって私たちのもとへと歩いてきた。
「ああ、本当だ、久しぶり。一瞬、誰だかわからなかったよ。元気だった?」
「え、ええ、はい。榊さんもお元気そうですね。」
その人は私を見つめながら懐かしそうに声をかけてくるも、私は動揺してしまい声が硬くなるのが自分でもわかった。
だって彼は、榊さんは私の元彼だった人だったから。