3話
「最近、仁くん来ないわよねえ。仕事が忙しいのかしら。何か知らないの?」
「知らないよ。なんで私に聞くの。」
母親が夕飯を食べながら向かいに座っている私に尋ねるけど、私が答えられるわけないじゃない。
「だってアンタ、仁くんと付き合ってるんでしょう?最近だって一緒に出掛けてるし。」
「一緒に出掛けてるだけで何で付き合ってることになるのよ。」
結婚うんぬんの話は出たけれど、付き合ってるなんて感覚一度もないし。それにしても母親の『仁くん贔屓』は相当なもんだよね。
娘の私よりも気にかけてるんじゃないの?
昔から外面だけはいい仁は私の母親までも虜にしてしまったらしい。おかげで仁がいつ来てもいいように夕飯をひとり分多く用意しているのを私は知ってる。
でも最近、というか、あのカフェ以来、仁がうちに来ることはぱったりと無くなってしまった。
やっぱりそれって私のせいなんだよね。あの時の仁、怒ってるぽかったし。
「それよりもお母さんが見合いなんか私にさせようとするから変に話がこじれるんじゃない。」
「だってそうでもしないとアンタ、この家にずっといる気でしょ。嫌よ、私そんなの。」
実の娘に向かってそういうこと言う?
まあ、確かによほどのことがない限り、この家から出る気なんてなかったけど。
「だから仁くんがアンタと付き合うにはどうしたらいいのかって相談されたとき、お父さんと一緒にすごく喜んだんだから。」
「な、なにそれ。聞いてないよ。いつの間にそんなことになってたの。」
それにお父さんも一緒にって。本人の私は置いといて、どうしてそんなことになってるのよ。
母親は台所へと向かうとタッパを取り出しては、残業で帰ってくる父親の分なのか、夕飯を手際よく綺麗に並べていく。
「アンタが留学中の時もよく、うちに寄ってくれたのよ。それで留学中の様子とか色々と心配してくれてたの。」
知らなかった。だって私は向こうで慣れない生活と言葉に馴染むのに必死で、仁と連絡なんか取ってなかったし。
「だから、はい。これ持ってきなさい。」
「何よ、これ。」
「仁くんのお夕飯。多めに入ってるからアンタも一緒に食べてきなさい。」
先ほど詰めていたタッパの中身は仁の夕飯だったらしい。台所から戻ってきた母親から、私は両手にそれを渡される。
私、まだ食べ終わってないんですけど。なんでうちの母親ってこうも突然なのだろう。
そうは思うも渡されたタッパを、何をしているのかと急かす母親の前で置くわけにもいかず、私はそのまま立ち上がって玄関へと
向かった。
「ちゃんと仲直りしてきなさいよー。朝帰りでも構わないからねー。」
背後からとんでもない母親の言葉が聞こえるも、私はそのまま無視してサンダルをはいて外へと出た。
タッパは二人分以上入ってるのかと思うくらいにずっしりと重い。でもきっとその重さは仁に会う気後れの重さも入っているのかと思いながらも、私はお隣の玄関先に立った。
うちの平凡としかいえない普通の一軒家に対して、仁のおうちは豪邸といっていいほど立派なおうちだ。
私は子供すぎて覚えてないけれど、当時、この家が建った日にはご近所でどこの芸能人が引っ越してくるのかと話題になったほどだった。
結局、越してきたのは芸能人ではなかったけれど、家族全員そろって美形な一家が越してきたのだから、それはそれで羨望の的となったらしい。
私は子供の頃入りなれた門を開けて中に入り、何度も押したことのある玄関チャイムを押した。
「なんだよ、何か用か?」
すぐに脇にあるインターホンから仁の声が聞こえる。防犯カメラがついているので私だということも分かっているのだろうけど、
声が不機嫌だ。
「これ。お母さんが仁に夕飯持ってきなさいって。」
私は両手に抱えているタッパをカメラに見せるよう、軽く持ち上げる。そのままインターホンは切れ、代わりにガチャリと玄関の鍵が自動で開く音がした。
私はオートロックで開いた玄関のドアを両手がふさがっていたために背中で押して開ける。
扉を開けてから、そのまま振り返るとそこには仁が声と同様、不機嫌そうに立っていた。
まだあの時のことを怒ってるのかと思ったけど、とりあえず私は仁に声をかけてみる。
「仁が最近来ないから心配してて。一緒に食べてきなさいって。」
言い訳っぽく聞こえるかなと思ったけど、これで一応話す理由はできたとワイシャツ姿にまだネクタイをしている仁に伝える。
「おばさんがね・・・。まあいい、入れよ。」
「うん。おじゃまします。」
仁は何かを考えると、そのまま踵を返してリビングへと向かっていく。私はタッパを持ったまま履いていたサンダルを脱ぐと、そこに女物のハイヒールが並べられているのに気づいた。
あれ?お客さんなのかな。私が入っていってもいいのかな。
そうは思ったものの仁はすでに中に入っていってしまったので、とりあえず私もリビングへと向かう。何度も行き来した長い廊下を私は迷うことなく進み、目的のリビングへと入る。
とりあえず持っているタッパを最近式のシステムキッチンに持っていこうとすると急に背後から声がかかった。
「あら、お客様?こんばんは。」
「え?あ、こ、こんばんは。」
思わず動揺してしまったのは、振り返ったその人物があまりにも綺麗な女性で。
長い髪は綺麗に結い上げられていて、着ている服は胸元が大きく開いたオフホワイトのスーツ。女らしい身体のラインは、女の私でさえもその色気にどきどきしてしまうくらいだ。
ソファに座っていたその女性は私のそばに近寄ると、その人の色っぽさを更に増すような香水がふんわりと香る。
「北条エイジェンシーの北条香です。あなたが仁さんのお隣さんかしら?」
名前までも女らしい北条さんは私に自己紹介をする。あれ?でも何で私が仁の隣人だって知ってるのかな。
「あ、はい。私は、」
「おい、早くそれ寄越せ。冷めるだろうが。」
私も自己紹介しようと思ったのに、背後から来た仁が私の腕からひったくるようにタッパを奪い取る。お腹すいてるからってその態度はいかがなもんよ。しかもタッパの持ち方が乱暴で、それじゃあ中身がごちゃませになるっていうのに。
「あ、ちょっとっ。それじゃあ全部混ざる!」
私のご飯も入ってるのにっ!
私はキッチンへと向かう仁のあとを慌てて追いかけて、持っていたタッパを奪い返す。
「じゃあ俺、彼女と話があるからそれ用意しといて。」
仁はそういうとさっさとこっちを見ている北条さんのもとへと行ってしまった。仕方なく私は棚から食器を取り出し、タッパの中身を移しだす。
それにしてもこの家、ずいぶんと綺麗にしてるよなあ。仁のお母さんが綺麗好きだからと思ってたけど、以前と同じくらいに綺麗な家の中を見ていると仁も綺麗好きなのかな。
そういえば北条さんって誰なんだろう。
そんな疑問がふと頭に浮かぶ。北条エイジェンシーってことは人材派遣の社長さんなのかな。
見たところ仁よりも少し年上くらいだろうけど、家にまで来る関係って。
仕事の話でも、個人的なことだとしても私がこのまま、ここにいていいものなのだろうか。
「そしたら私がここで食べるよりも、北条さんと食べたほうがいいんじゃないのかな。」
急に自分が邪魔者のような気がして、私は急いで二人分の食事の用意をしてしまうと二人に声をかけてから家に帰ろうと、キッチンから死角になっているリビングへ歩いていく。
「じ、・・・・!」
仁、と呼ぼうとした声はそのまま喉から出ることなく、身体がその場に固まったように動かなくなる。
私が見たのは隣同士に座った二人が顔を寄せ合って、キスしている様子だったのだ。